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    クリスタルの断章

    そのクリスタルは、無限とも思える情報を記録できる情報媒体だった。現代にこぼれ落ちた微細なかけらには、小説のようなものが記録されていた……。オリジナル小説ブログです。

    日本ミステリ72位 炎に絵を 陳舜臣

    東西ミステリーベスト100挑戦記(ミステリ感想・やや毎週土曜日更新)

     大学をもう少しで去ろうという時、精神のどん底で読んだ。とても暗い話だという印象を受けた。それ以外のことはすべて忘れた。そのうえで再読。20年ぶりだが、当時の印象は正しかったのだろうか。

     まず結論から書く。当時の印象からすると想像もできないくらい読みやすい小説だった。暗いどころか、明朗でさわやかな印象を受ける。だがしかし、同時に、読後感は非常に悪い、というのも事実。これは作者の陳舜臣のたくらみの勝利だろう。作者は、明朗快活なだけで終わる小説を書こうなどとは最初からほんのわずかも考えていないのだ。

     とにかく、この小説の読みどころは、一にも二にも周到なうえに周到に張り巡らされた伏線と、鮮やかなまでのその回収にある。結末に至って、あれにもこれにも意味があったのか、と思い知らされるのは、ミステリファンにしか味わえない至福の時間だ。だが、そこで示される真相はあまりにも苦い。抑鬱的状態になっていたわたしが読んで、「暗い」と錯覚したのもむべなるかな、というものなのだ。

     これは、作中で殺されることになる人物を、作者は「殺されて当たり前」の人物とはまったく描かなかったことにもよる。それも作者のたくらみのひとつであるわけだが、その事実が、読んだ後、猛烈に重くのしかかってくる。

     暇つぶしに軽いミステリを読みたい、というのなら、おすすめはしない。だが、日本語で書かれたミステリの傑作を読みたいのなら、本書は捨てるわけにはいかない一作だ。

     それがたとえミステリの中だろうと、人が一人死ぬということは重い。あまりにも重い。この苦い結末の後、登場人物たちはどうするのだろう、と考えてしまいたくなる。もしかしたら、陳舜臣は、そういう「その後」を書ける文学として、歴史小説のほうへ活躍の場を移したのかもしれない。

     もし、探偵役が「枯草の根」で大人(たいじん)ぶりをいかんなく示した陶展文だったら、結末もまた違ってきたのではないか、と思う。苦い結末には違いないものの、大人としての風格と人徳で、ある種の諦念とともに、この作品よりはいくらか「まっとうな」結末に持ってくることができたのではないか、と。今からではどうしようもないが、そのほうが、この小説の「犯人」にとっても、まだ、よかったのではないか。人間が生きていかなければならないことは確かだが、ある意味、「救われなければ」生きていかれないこともまた真実なのだ。
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    「白蛇伝」見た

    映画の感想

     今回のブログDEロードショーはファンタジー特集だそうだ。この際だから、茨城県が誇る天才映画監督深作欣二が「面白さ」以外は何も考えずに監督したオールスターノンジャンルファンタジー映画「魔界転生」を見てやろうと思ったら貸し出し中だったので、代わりに借りてきた、日本アニメの黎明期に作られた野心的フルカラー長編アニメーション作品「白蛇伝」を見ることにした。

     で、78分間見たわけであるが。

     きつい(笑)。

     面白いことは面白いし、表現も当時としては神がかり的なことをやっているのはわかるのだが、正直見ていてきつい(笑)。最初の30分は「なるほど、こういう話か」とうなずいて見ていられるが、それをすぎるとてきめんに頭がクラクラしてくる。とにかく「先の予測がつかない」脚本なのである。今の目からしたら一周まわって「新鮮」ではあるのだが、それにしたって、という展開が続出する。

     キャラクターもキャラクターだ。貴公子の許仙、白蛇の妖精である白娘、妖怪変化の類を憎んでやまない高僧法海の三人ですら頭のネジがどこか外れたような人間であるうえに、それを取り巻く魚妖の少青、許仙のおとものパンダの類に至るまで、「どこをどうしたらそんなキャラクター設定ができるのかわからない」という、固定観念をぶち壊してくるやつらばかりである。

     当時は「声優」という職業が確立していなかったせいか(なにせ昭和33年作品なのだ)、声を森繁久彌と宮城まり子のふたりだけでやっているのもいい味を出しているのだが、いまのアニメを見慣れている人間には聞き取りやすい音声だとはお世辞にもいえないだろう。78分で一人十役はやりすぎだ。

     この物語は、そうしたすさまじい脚本のドラマを、タガの外れた登場人物たちが縦横無尽に駆け回って演じきった、78分作品とは思えぬ波乱万丈の代物である。正直、どう評価したらいいか自分でもわからぬ。「黎明期」ゆえの作品というか、「実験作」というか。まあそれはそれとして、2019年現在では、どういったところで「怪作」以外の感想は抱けまい。こればかりは「見てくれ」としかいえぬ。

     「アニメは見飽きた」などといっているかたにぜひ見てもらいたい作品。

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    電波俳句十句

    ささげもの

     ブログからも拒絶された接続二十八時間目

     変換キーを押すワードは勝手に削除

     「ロリBBA」なる単語を使いしプロの友人我が嘔吐を知らず

     商売を憎悪する男原稿を売る

     言葉の剪定ウソの温床

     蓄財術がほしい我はアマチュア

     書くほかにどうやって呼吸しろと

     わかりやすく書いてみる電波といわれる

     締切日頭ぐちゃぐちゃ投稿してふて寝

     どうしてみんな俺が公務員になれるなんて考えたんだ

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    日本ミステリ70位 殺人鬼 浜尾四郎

    東西ミステリーベスト100挑戦記(ミステリ感想・やや毎週土曜日更新)

     大学を中退してから、古本屋で創元の「浜尾四郎集」を買って読んだ。悔しいことに面白かった。さらに悔しいことには、「東西ミステリーベスト100」のうんちく欄では「犯人が簡単に分かる」と書いてあったにもかかわらず、わたしは見事に騙されてしまったのである。ミステリ読みとしてはまさに士道不覚悟、いいわけのしようがない屈辱であった。素直に考えればよかったのだが……。

     それから長いこと読んでいなかったが、この企画のために再読した。さてどうか。

     結論として、ちょっとミステリ慣れした人間には、本書の犯人は、簡単に分かる。浜尾四郎は処女長編として気張りすぎたのだろう、一生懸命伏線を張ってはそれを隠そうと努力しているのだが、その努力の跡が見事に目立ってしまっており、初々しいのはいいが、これが横溝正史ならもっとうまく隠すだろう、としか思えないのがなんともである。

     だが、本書は面白い。戦前の長編ミステリでは、「ドグラ・マグラ」や「黒死館殺人事件」といった変態作家の奇書を除くと、きちんと探偵小説している作品で今も読むに堪えるものは乱歩と横溝正史を除けば、本書くらいのものである。木々高太郎の「人生の阿呆」より、この「殺人鬼」のほうがはるかに遊び心に富んで、面白く、ついページを繰りたくなるのだ。ネタ元にしているのはヴァン・ダインの「グリーン家殺人事件」なのだが、小道具といい盛り上げ方といい、浜尾四郎、堂に入ったものだ。もと法曹畑出身の上、貴族院議員も務めただけあって、学識も教養も充分で、読んでいてもその人柄が伝わってくる上品さである。

     まあ、たしかにテーマの深さや衝撃度では、浜尾四郎は「殺された天一坊」という場外ホームラン級の傑作をはじめとする法律をネタにした短編群のほうが重要だろうが、「殺人鬼」と続編「鉄鎖殺人事件」といった名探偵藤枝慎太郎の活躍する長編は、エンターテインメントの可能性としてのミステリを考える上で、外すことができない。「可能性」に終わってしまったのが残念だ。浜尾四郎は、この遊び心に富んで、上品で、大人が読む娯楽小説としての第三長編に取り掛かろうとしていたところで、急逝してしまうのである。第二次大戦がなく、浜尾四郎が存命だったら、どれだけ彼に続くスマートなミステリが登場したことか、と考えると本当に残念だ。

     長いこと浜尾四郎の作品は入手困難が続いており、正直生きている間に「鉄鎖殺人事件」が読めるとは思わなかったのだが、沖積舎から二冊の分厚いハードカバーの完全本が出た上、青空文庫でも普通に読める時代になった。長生きというのはするものである。

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    日本ミステリ70位 死のある風景 鮎川哲也

    東西ミステリーベスト100挑戦記(ミステリ感想・やや毎週土曜日更新)

     大学在学時読んだ気がする。そしてそれほど感銘を受けなかったような気もする。それくらいに自分の中では印象が薄い作品であった。どうもアリバイ崩しというやつは、どれもこれも時刻表のトリビアを操作している感じがして好きではない。再読してもどうかなあ、などと思いながら20年ぶりに再読。

     この「東西ミステリーベスト100」を丹念にひとつひとつ読んできたわけだけれど、それによる一種の「成長」は自分なりにあった、ということを、この本を読んで「自覚」したのは何物にも代えがたい体験であった。この、鮎川哲也作品を読んで、わたしは身体の底から「震える」経験を味わったのだ。それは、精緻を凝らしたアリバイトリックでもなければ、遠距離で起こった二つの事件を結びつける手際でもない。探偵役となる鬼貫警部が、犯人の鉄壁のアリバイを崩す「突破口」となるのが、クイーンの「ヨードチンキの瓶」であるのと同様のさりげなさで書かれた、「あるもの」の欠如だったからである。これにはしびれた。作者自身も作中で弁解しているが「あるもの」の欠如それ自体は、単に「なくしたから」だけで済んでしまうようなものである。だが鬼貫はそこから明晰な理論を展開し、その説の検証のために列車を乗り継いで現場まで行くのだ。仕事の鬼である。

     この本を読んで思ったのだが、名探偵は、「オッカムの剃刀派」と「アンチオッカム派」で分類できるのではないだろうか。「オッカムの剃刀」とは、ある現象の原因について、最も説明が少なくて済む仮説を採用する哲学的立場である。例えば、「犯人がそのヨードチンキの瓶を選んだことについてもっとも説明が少ない、ありそうな理由」から犯人を推理するエラリーはオッカムの剃刀派。それに対して、「あるもの」の欠如それ自体に、過剰なまでの意味を読み取り、「普通に考えれば『なくした』だけのことにすぎないんだろうけど、しかしこれは犯人のミスの現れに違いない。絶対そうだ」と結論付けて現場まで足を伸ばす鬼貫は、明らかに「アンチオッカム派」である。クラシックの探偵に対し、新本格ミステリの探偵役は、あからさまにアンチオッカムが多い。

     それは日本人自体が、「オッカムの剃刀」という立場を採用したがらないからかもしれない。「たしかにそう解釈して矛盾はないけれども、別の説明に比べたら圧倒的に煩雑で説明過多な」説を「その行為の原因」として語ることが、一部の人間によくあるのだ。例えば、誰とは言わないが、某そばうどん問題に対して、あからさまに不自然で説明過多で煩雑なことを「起こったこととして」論じる、日本のえらい人とか。いや、誰とはいわないよ、誰とは。とにかく、そういう論理が大手を振ってまかり通る事態が、こりゃヤバいんじゃないかと思う次第で。日ごろから本格ミステリ顔負けの陰謀と詐術の海を泳いでいるようなおかたたちには当然のことかもしれないけどさあ……。

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    鋼鉄少女伝説 12 流速

    鋼鉄少女伝説

    stella white12

       12 流速


     帰り際に校門を見たが、キリコもユメちゃんもいなかった。

     キリコがいないことはどうでもよかったが、ユメちゃんがいなかったことはとても寂しかった。

     いいすぎてしまっただろうか。

     そんな考えが頭をよぎった。いや、気の迷いだ。そうに決まってる。

     これから帰って、しばらくぶりにじっくりとネットと戯れてから飯を食うのだ。帰る前に本屋に寄るというのもいいかもしれない。それともコンビニでなにか買って行こうか?

     結局、コンビニに寄って「季節のプリズム」とかいう、梅を使ったゼリーのようなスイーツを二つ買うことにした。ぼくは甘党なのだ。

     味に期待しながら家へたどりついた。

     びっくりした。

    「ユメちゃん!」

     門のところにユメちゃんが立っていたのだから。

    「浦沢先輩」

     ユメちゃんは顔を上げた。ちょっと血の気の色が薄い。

    「ど、どうしたんだよ、こんなところで」

     スイーツを二つ手にしていることを思い出した。

    「とにかく、ここにいてもなんだから、家へ入って」

     断っておくが、妙な考えを起こしたわけではまったくない。人間にはきちんと理性というものが備わっているし。

     いつものキリコとの二人連れではなく、ユメちゃんだけを伴って家に帰ってきたことで仰天した顔をしたのは母さんだった。

    「あら、あらあらあら、まあまあ」

     わけのわからないことを口走りながら、母さんはユメちゃんを部屋へと案内した。

     後からついていこうとしたぼくの腕を、母さんはむんずとひっつかんだ。

    「順昇」

    「なんだよ、母さん」

    「どこまで進んでるんだい」

    「そんな関係じゃないよ」

    「焦るんじゃないよ。まだお前は高校生なんだからね」

     なにを考えてるんだ母さんは。

     顔色を誤解したのか、母さんは続けた。

    「焦っちゃいけないけど、逃すのはもってのほかだよ。微妙な距離を取りつつ、お前をアピールするんだ。わかるね?」

    「もう行ってもいいかな」

     母さんから逃れて自分の部屋に入ると、そこではユメちゃんが正座して、姿勢を正して待っていた。

    「あの……ユメちゃん?」

    「浦沢先輩」

     ユメちゃんは、いつもの夢を見ているかのごとき瞳からは想像もつかないような、しっかりしたまなざしでこちらを見た。

    「な、なんだい」

     話し合う前から迫力で負けていた。まあ、憎からず思っている相手にこんな顔をされたら、圧倒されてしまうものだろうと思う。

    「先輩が、今日の昼に会長におっしゃられたことは、本気ですか」

    「え、その、本気って、あの」

     相手がキリコだったら、本気だバカ、二度とぼくをこんなことでわずらわせるんじゃない、といってやるところだが、目の前にいるのはユメちゃんだ。

    「本気だとしたら、いいえ、冗談だとしたってひどすぎます」

    「あ……え……」

    「あれだけのことをいわれて会長がどれだけショックを受けたと思っているんですか。会長だけじゃありません。あたしだって、あたしだって……」

     もとから透き通るように白い顔が、さらに白くなったような気がした。

    「いや、その、ユメちゃん」

     まるでサンドバッグ状態だ。言葉のパンチを食らい続けるまま反撃もできない。

    「まあ、その、なんだ、あれは、ぼくもいいすぎたと思っているから」

    「先輩には、これだけは聞いておいていただかなくてはなりません」

     ユメちゃんの目に光るものがあった。それを見て愕然とした。なんてこった。

     ユメちゃんを泣かせてしまった!

     こうなってしまったらひたすら頭を下げるしかない。

    「あたしは……」

     ユメちゃんは続けた。

    「あたしはみんなでゲームしているのが好きでした。会長と、浦沢先輩と、三人で。あたしがこれまでほとんど会長としかゲームをやっていないからかもしれませんが、浦沢先輩とゲームをやるのは、ほんとうに楽しかったんです」

    「……」

    「会長も同じだったと思います。会長は、そういうことはあまり口に出すかたではありませんが、でも去年ずっとご一緒していて、いわないこともわかるようになったつもりです。会長も浦沢先輩とのゲームを楽しみにしていたんです!」

    「……」

    「だからあたしは、先輩があんなことをおっしゃられたのが、悲しくて、つらくて……お願いです。どうかまた、あたしたちとゲームをやってください!」

     首を縦に振っていた。弱いやつというならばいえ。

    「よかった」

     ユメちゃんが身体から少し力を抜くのがわかった。

     ぼくは、紙袋から梅のスイーツのカップを取り出した。

    「ユメちゃん、食べようよ」

     スイーツはすっかり室温まで温まっていた。

    「いいですが、約束してくださいませんか」

    「なにを?」

    「もうしばらく会長やあたしとゲームをやっていただくことをです」

    「約束するよ」

     本心からそう答えた。

    「よかった」

     ユメちゃんは、にこっと笑った。

     寂しかったぼくの部屋は明るくなった、という古い歌の意味を実感した。心の中でじっくりとかみしめる。

     スイーツは甘かったのなんの。

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    日本ミステリ69位 蝶々殺人事件 横溝正史

    東西ミステリーベスト100挑戦記(ミステリ感想・やや毎週土曜日更新)

     小学生の時に押入れより発見。名探偵が金田一耕助でないのが気になったが、とにかく読んでみよう……として玉砕。ちょっと小学生には横溝正史の文章は敷居が高すぎた。もっとも、この「蝶々殺人事件」は、日頃の金田一ものの地方の旧家のドロドロの人間関係、というやつの一切ない、スマートで遊び心たっぷりの作品であるのだが、コントラバスが何だかもわからない小学生に、オペラ界の小道具がぞろぞろ出てくる小説を楽しめといっても困難であろう。

     実に30年ぶりに再読である。筋もトリックもそれなりにわかっている以上、楽しめないかな、と思ったら、意外と道具立てが地味だったのに驚いた。平成の新本格軍団の洗礼はすさまじく、この小説くらいの道具立てでは「豪勢」と思えなくなっているのだ。世の中は進歩するものである。

     そんな感慨にふけりながら読んだが、あまりのスマートさに、たしかに、これなら金田一耕助もののほうが人気が出るなあ、と思えた。名探偵の由利麟太郎先生やワトスン役の三津木俊助は好感が持てる人物なのだが、アクというものが弱すぎて、金田一耕助のほうが圧倒的にキャラクターとして面白いからである。スター性、というものがあるのだろうなあ。名前からしてすでに、面白さが違う。

     アリバイ崩し、暗号の謎、密室殺人、読者への挑戦と、やっていることは盛りだくさんなのであるが、そのひとつひとつも上品すぎるし。そもそも、コントラバスのケースを開けたら、その中に死体が、というショッキングなはずの冒頭が、それほどショッキングとも思えないあたりからして、横溝正史らしくない。

     横溝正史作品としてではなく、鮎川哲也作品だったら、本書は「りら荘事件」を抜いてこの手のベストの上位の常連になっていたんじゃないかな、と思わないでもない。特に、戦後間もなくの混乱期に書かれたとも思えぬフェアプレイ精神に満ちた作品なので、その手のゲーム的な小説が好きな人にはたまらないだろう。

     今調べたところ、由利先生シリーズでは、戦前に書かれた作品のほうが地方の旧家のドロドロの人間模様と怪奇趣味が色濃く出ているそうな。うーむ、これは、読んでみないとダメかな。映画になってベストセラーにもなった金田一耕助ものと違い、由利先生ものはそれほど図書館でも見ないのだが。今後の宿題ということにしておこう。読んだ友人の話だと、長編「真珠郎」なんて美少年と耽美系が大好きなかたがたには超おすすめ、だそうなのだが……。

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    偽史・激闘田原坂

    ウォーゲーム歴史秘話

     明治10年2月22日。熊本城を包囲にとどめ、北上を開始した西郷軍は、熊本城北方10㎞の小村、植木において新政府軍と接触した。そこまで至る経緯は、大河ドラマ「西郷どん」を毎週チェックしていればわかるので割愛するが、そんなことも面倒くさいと思う人はウィキペディアを読んでほしい。

     植木に駐留していたのは、乃木希典少佐と、2個小隊400人だった。そこに、篠原国幹率いる西郷軍1個大隊1200人が襲い掛かったのである。戦闘は一方的なものであった。
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     乃木希典という人物は、後の日露戦争で旅順の要塞に立てこもるロシア軍に対し、血みどろの正面突撃を強行した、あの「乃木将軍」その人である。司馬遼太郎の「坂の上の雲」では無能な将軍の代表のように描かれていたが、実際はそこまで軍事的能力のない人ではなかった。

     対し、篠原国幹という人物は、西郷軍の中でも、いや、明治新政府の陸軍の中でも、一二を争う優秀な前線指揮官であった。常に寡黙で、必要最低限のことしかしゃべらず、軍の指揮すら身振りでとった、という逸話があるが、それがために兵士たちから畏敬の念をもたれていた。今回も、彼はその赤裏のマントをかすかに翻すと、一斉射撃の後の抜刀突撃を命じたのである。

     新政府軍の兵士は、戦闘のプロである士族を中心とした西郷軍の兵士に比べてはるかに練度が低かった。それでも乃木希典は、植木を捨てて潰走する自軍部隊に、なんとか統制を保つことに成功した。

     小勢を退却させただけとはいえ、勝利は勝利である。西郷軍の意気は上がった。植木を通って、桐野利秋の率いる3個小隊600人が、吉次越を通過して西進した。

     桐野利秋。元の名を中村半次郎。「人斬り半次郎」という別名で通っているが、幕末に維新の志士として活動していたときにかかわった暗殺事件は一件しかない。おそらく、豪放磊落で、四書五経の体系的教養を得る機会はなかったが、豪放さにふさわしい知性と行動力を伴なっていたことから、そう呼ばれることになったのだろう。西南戦争における、西郷軍の実質的な最高司令官である。

     桐野利秋は、手勢のいくらかを割くと、吉次越に防柵をつくらせ、要塞化した。その後、交差点を見下ろす位置に布陣した。木葉と伊倉、その両方の町を狙える位置に陣取ったのである。防御拠点としてだけではなく、物資の集積拠点と、インフラストラクチャーの面からしても、この町は非常に重要であった。

     さて、ここで西郷軍の考えていた作戦について説明しておきたい。西郷軍には、二つの選択肢があった。ひとつは、高瀬の町を突破し、街道を北上することで、新政府軍の兵站拠点を突いて全面的な後退をさせる作戦。もうひとつは、高瀬以南の町と重要拠点(具体的にいえば要害堅固な田原坂と吉次越である)を押さえることで、新政府軍の南下を食い止め、その間に熊本城を陥落させてしまう作戦である。西郷軍は考えられる状況を検討した結果、後者の作戦は実行不可能であると判断した。攻撃は最良の防御という言葉があるが、こちらからの戦線突破以外に政府軍の南下を止める方法はない、と判断したのである。そのため、田原坂方面に少数の部隊をおいて足留めとし、その間に主力が伊倉もしくは木葉から高瀬方面に前進し、突破を図る、というのだ。

     新政府軍の征討第二旅団の指揮を執っていた旅団長三好重臣は困惑した。彼は急ぎ一個大隊1200人とともに木葉に布陣した。この日のうちはどちらの町も戦闘はない、と判断したのである。本格的な布陣は援軍としてやってくる、第二旅団の参謀長である野津道貫大佐と、第一旅団長の野津鎮雄少将の隊が来てからで間に合う、というのがその目算であった。

     三好重臣。戊辰戦争から軍功のあった将軍である。この時37歳。消極的判断だった、というかもしれないが、彼にとってはこれが最善策だったのである。

     西郷軍は、村田新八率いる3個小隊600人が、敗走する乃木希典を追撃した。乃木希典は、兵力を半減させる大損害を受けながらも田原坂方面に退却した。

     村田新八という人間も面白い。彼は文学に造詣が深く、またハイカラなものが大好きであった趣味人でもあった。戦場において、フロックコートとシルクハット姿で指揮を執ったという話が伝わっている。優秀な指揮官であったことは間違いない。

     その日の戦闘を終えた村田新八はぶぜんとした表情を崩さなかった。乃木希典の部隊は、兵力を大きく減らしたとはいえ、まだ完全な壊乱には至っていなかったからである。
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     三好に遅れ、ようやく戦場に到着した新政府軍の征討軍第一旅団長野津鎮雄は、自軍の危機的な状況を素早く察知した。彼は弟の野津道貫に手持ちの全兵力を与えると伊倉に立てこもらせ、自分は高瀬で後続を待った。仕方もなかった。このとき、野津兄弟の手にあったのは4個大隊800人にすぎず、それだけでは敵の二正面作戦に対応しきれなかったのである。

     野津鎮雄と野津道貫の兄弟は、薩摩藩生まれである。若い頃のエピソードとして、薩摩藩士奈良原繁のもとで書生をしていたとき、人を集めて餅つきをしようとしていた奈良原に、自分たち二人で十分だ、と主張し、明け方から夕暮れまで休まず餅をついて、ほんとうに餅を全部つきあげてしまった。そして会食の席では、二人して五六人分を平らげてしまったという痛快なものがある。これ以降、奈良原は「こいつらが軍人になったら大将の器だ」と公言するようになった。いずれにせよ、猛将タイプの人物であったらしい。

     伊倉の軍勢が強化されたことに対し、桐野利秋は歯噛みする思いだった。防備が薄かったら攻め取るのはたやすかっただろうが、今では自軍の倍の人数が籠城している。

     『……篠原殿を待つしかない』

     植木には熊本藩出身の不平士族をまとめ上げた傑物、池辺吉十郎とともに、6個小隊1200人がやってきていた。伊倉を落とし、その1200人が駆け足で伊倉まで電撃的にやって来ることができれば、高瀬方面よりの突破はかなりやりやすくなる。

     野津鎮雄がその事実に対して無頓着であったわけではない。だが、彼は弟の戦術能力を信頼していた。「やつなら大丈夫」と、彼は確信していたのである。

     篠原国幹は、急ぎ桐野利秋のもとへやってきた。もし、野津道貫が攻勢にあることを確信して桐野利秋に逆襲をはかったらどうなるか、彼には想像がついたのである。西郷軍左翼は崩壊し、吉次越まで撤退しなくてはならないかもしれない。そうなったら戦略自体が破綻する。戦闘継続は不可能ではないまでも防戦一方になろう。そうなったらものをいうのは新政府軍の物量だ。消耗戦になったら西郷軍に勝ち目はない。自軍が戦場のイニシアチブを握っているうちに勝負をつけねばならぬ。

     篠原から援軍を受けた桐野は武者震いした。この数なら、立てこもっている新政府軍に対し互角以上の戦いができる! 猛将桐野は、伊倉の政府軍に対し攻撃をかけた。野津道貫も無能ではなかった。陣地に銃隊をずらりと並べ、一斉射撃で桐野を迎え撃ったのである。ここに、凄絶な「伊倉の戦い」が行われた。

     伊倉の戦いの結果は、桐野利秋の完全なる敗北であった。統制の取れた射撃に、抜刀突撃を主とする西郷軍は混乱を来し、撤退するしかなかったのである。

     木葉まで進軍してきた別働第一旅団司令長官大山巌少将は、吉次越を占拠できれば、桐野と篠原の軍勢を包囲できる体制にあることに気づいた。少なくとも、たとえ伊倉を落とされても、電撃的に増援部隊を送られる可能性はなくなる。大山は部隊をまとめると、急ぎ木葉から吉次越まで南下させた。守備の任に当たっていた池辺吉十郎を駆逐し、吉次越の占拠に成功したのである。

     大山巌。日本には珍しい、戦略的なものの考え方ができる将軍であった。日清・日露と武功を上げ、「海の東郷、陸の大山」といわれるほどになったが、政治的な野心は少なく、度重なる総理大臣への推挙をすべて断ったという。極端な「西洋かぶれ」であり、ルイ・ヴィトンの日本第一号の顧客として自筆サインが残っている。西郷隆盛ほどではないが、大山も極端な肥満体で、茫洋とした雰囲気を漂わせていたそうであるが、半分以上は演技だったらしい。

     大山巌は、吉次峠の防御陣地ならば、新政府軍の援軍が来るまでの2日間にわたって、西郷軍の攻撃を食い止められると想定していたが、そこへ、増援を受け増強された、別府晋助の部隊1200人が襲い掛かってきた。

     別府晋助。西郷隆盛が信頼していた若い才能の一人である。西郷の命を受けて朝鮮に赴き、釜山で情報収集活動をしたことで知られる。意気が盛んなうえに公正な人物で、新政府の近衛将校時代、給付される給料を部下と公平に分け合ったという逸話が残っている。前線指揮官としても有能であった。

     別府は陣地に籠る大山の軍に奇襲をかけた。さしもの大山も、西郷軍が攻撃するまでには準備に時間がかかるだろうと踏んでいたらしいが、完全に逆を突かれた形になった。もとから兵力の少なかった大山の部隊は四分五裂し潰走。別府は大山を追撃し、完全に壊滅させたのである。植木~吉次越~伊倉のルートは完全に安全になった。
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     ここで動いたのが篠原である。彼は部隊の統制を回復すると、木葉と伊倉との中間地点に移動した。

     野津鎮雄も、野津道貫も、すべての政府軍指揮官が、政府軍が容易ならぬ事態に陥ったことを悟った。今の大山の失態により、木葉はがら空き状態になっていたのである。篠原の考えは明らかだった。もし木葉を強化したなら、伊倉を討つ。伊倉を強化したなら、木葉を討つ。双方を強化したなら、その間を抜けて高瀬を、その後方の連絡線を遮断、突破する……。

     起こってしまったことは仕方がない。新政府軍は、やってきた精鋭部隊を、弱体化した木葉の強化に用いた。指揮官は福原和勝大佐。別働第三旅団参謀長の肩書であったが、まともに前線指揮官となれるのは彼くらいしかいなかったのだ。

     別府晋助は木葉方面に北上した。

     野津道貫は、木葉と同様手薄になっている高瀬へ兵を送った。

     そのとき動いたのは、完全に痛めつけられていたはずの桐野利秋であった。彼は手持ちの寡兵をもって、伊倉に取って返すと、主力部隊を移動させて隊形を変更している最中の野津道貫に襲い掛かったのである。

     野津道貫も健闘したが、奇襲によって部隊が混乱させられていてはどうしようもなかった。彼は統制の取れなくなった兵を叱咤激励しつつ高瀬方面へと撤退した。

     植木の池辺隊が、駆け足で伊倉まで前進してきた。これにより、後顧の憂いはないも同然である。篠原国幹は、高瀬を迂回し、やってきたばかりの新政府軍に突撃をかけた。彼らを撃退することさえできれば、敵陣を突破し、後方の兵站本部を撃破することができる。それは、新政府軍の壊滅と、熊本城の士気低下と開城にまでつながるはずだった。
    IMG_20181220_180217_2018122405402891a.jpg

     篠原の突撃は、完全な奇襲となった。新政府軍の増援部隊は、たちまちのうちに三分の一が混乱状態に陥った。

     新政府軍増援部隊の指揮を執っていたのは、征討総督府参軍・陸軍中将という肩書を持つ、山縣有朋という男であった。

     山縣有朋。長州藩出身の軍人である。軍人というよりも軍政家といった方が正しい。軍事的才能よりも、政治家としての才能のほうが優れていた男であった。質素倹約を基とする生活を送りながら風雅の道に遊び、藩閥にかかわらない人材を育成するための文官試験制度を作りながら藩閥政治の首魁と見なされたり、いろいろと複雑な人物である。いちばんの逆説は、日本で最初の平民出身の首相である原敬の最大の後援者だったところであろう。まさに怪物、もしくは誰にでも敬愛される人物であった。

     山縣は、自分が軍事的な才能だけなら桐野や篠原はおろか、野津兄弟や大山巌にも劣ることをよく自覚していた。そのため、彼は、徹底的に教科書通りにやることにした。すなわち、部隊に密集方陣を組ませて撃ちまくらせたのである。まともに方陣を組めるのは少数ではあったが、彼らは皆、自分たちのボスである山縣に心酔しているものばかりであった。篠原は二度、三度と突撃を敢行した。だが、抜刀突撃部隊の攻撃は方陣に跳ね返された。突撃のたびに、篠原の部隊の混乱は大きくなった。ついにはさすがの篠原でも収拾をつけることが困難になり、篠原は撤退を命じた。

     その時、篠原国幹がどのような気持ちでいたのか、示す資料はない。もとから、口数の少ない男であった。

     高瀬に陣取っていた野津鎮雄は、篠原が混乱しているのを知り、手持ちの部隊を使って篠原を追撃した。篠原は驚異的な努力で全部隊の崩壊までは至らないようにしていたが、それでも部隊は少しずつすり減っていった。伊倉から撤退してきた野津道貫は、空になった高瀬に入り、自軍の再編成を行った。

     『おれの責任だ……』

     もし、あの援軍が来る前に突破を試みることができていたら。それを頓挫させたのが、自分の伊倉に対する拙攻だったと、桐野利秋には思えてならなかった。

     『やるしかない』

     桐野は手持ちの全兵力をまとめると、高瀬方面へ向かって突進した。

     高瀬川を越えて、北方へ突破しようとする西郷軍と、それを阻止せんとする新政府軍との間で、凄絶極まる殺戮戦が行われた。

     篠原と桐野は、山縣の軍に波状攻撃をかけた。だが、山縣の方陣はびくともしない。篠原の軍勢に、木葉から出動してきた福原が追撃をかける。その間隙をついて別府晋助が木葉を落とし、さらに高瀬方面へ攻撃を行った。そんな西郷軍の猛攻に対し、野津兄弟は目まぐるしく位置を変えながら牽制攻撃と追撃でダメージを与えていく。西郷軍の村田新八はがら空きになった高瀬へ全力で進軍したところを、援軍でやってきた総督府参軍川村純義と征討軍第三旅団の三浦吾郎によって阻まれた。銃火がひらめき、白刃が舞い、新政府軍の火砲は敵味方おかまいなしの射撃を浴びせる。

     その間に、田原坂方面を守っていた三好重臣は、軍勢を率いて吉次越に突進した。吉次越を守っていたわずか一個小隊200名の池辺隊はもろくも崩壊、撤退した。これで新政府軍は隙あらばいつでも植木を狙える体制に入ったのである。植木を落とせば、新政府軍は南方に突破し、熊本城を包囲している西郷軍を背後から突けることになる。それは西郷軍の全面的撤退につながるものであった。
    IMG_20181220_200153_20181224054029eeb.jpg

     事ここに至って、西郷軍はおのれの置かれている戦況がもはやどうにもならないことを悟り、粛々とした撤退に入った。だが、粛々とした撤退を許すほど、新政府軍は甘くなかった。
    IMG_20181220_204727_2018122405403190c.jpg

     山縣有朋の大軍を誇示するかのように、新政府軍は西郷軍を駆逐しながら南下していく。篠原や桐野は散発的な抵抗を続けるが、それは限定的な効果すら上げられなかった。

     結局、植木と伊倉は保持できたものの、ほかの拠点はすべて新政府軍の手に落ち、ここに約一カ月間に及んだ高瀬の戦いは「新政府軍の勝利」という形で終わりを告げた。
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     だが、西郷軍の物語も、新政府軍の物語も、まだ終わったわけではない。九州南部をめぐるゲリラ戦が、西郷の自刃で終わるまで、半年以上も続くことになるのである。だが、それを語るのは、この小稿のするところではない……。

     使用ゲーム 伏見素行「激闘 田原坂」

     ソロプレイ ポール・ブリッツ


     ※ ※ ※ ※ ※


     と、いうわけで、まああんな仰々しい記事を書いたのは、このゲームが楽しかったからなんであります(^^)

     ゲームは、故・季刊タクテクス誌NO.3のとじ込み付録ゲーム「激闘 田原坂」。前にも何度かプレイしかけては、独特なシステムゆえにプレイをあきらめてたんだけど、今回、大河ドラマもあることだし、タイムリーかな、と思って、本腰を入れて挑戦してみたら、やたらと面白かった。たぶん翔企画の低価格簡単ルールゲームシリーズ「SSシリーズ」の一作としてつくられたのがボツったんだろうけど、うん、これはタクテクス誌に載せて発表したくなるのもわかる。それでもこんなマイナーにもほどがあるテーマのゲームを、ルールブック片手のソロプレイとはいえ、プレイ時間3時間というのは、やっぱり好き者しかやらんなあ。

     チットを引いて手番プレイヤーを決めるというのは安易だと思ってたけど、「夜」ターンになると再編成ができる、というルールがやたらと流動的な展開を生んでる。その気になればものすごい強行軍が可能だし、ハプニング続出で面白い。

     戦闘も意外とドラマチックなことが起こるからあなどれない。まさか山縣有朋(1-7-4)があんなサイコロの目を出して篠原国幹(3-6-5)を撃退するとは思わなかった。てっきり西郷軍のサドンデス勝利だと思ってたんだけど。

     いやー、やっぱりヒストリカルシミュレーションゲーム、いいわ。こうして歴史小説っぽいリプレイを書くのは、やはりたまらんですなあ~~~。

     次は何にしよう。

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    偽史つくりの弁明

    ウォーゲーム歴史秘話

     なんで人間はシミュレーションゲームなんかをやるのかといったら、そりゃもう、いくつもの理由があるわけだが、特に歴史好きがこの手のゲームをやるときの理由のひとつに、「偽史をつくるのが面白いから」というものがある。単に戦略や戦術を競うだけなら、囲碁や将棋やチェスがあればそれで充分であるし、サイコロを振るだけならばチンチロリンや丁半博打があれば充分だろう。シミュレーションゲームファンは、実際の能力に似せたコマを実際の戦場に似せた盤の上で動かすことによって「でたらめな歴史」が発生してくるのを愉しむのだ。

     「偽史」とは、架空の歴史を語ることとはちょっとずれる。架空の歴史を作ることであったら、史上最大の名人は「指輪物語」のJ・R・R・トールキンであろう。自分で架空の言語をこしらえて(トールキンの本職は言語学者)、その言語が使われている世界の数千年にわたる歴史を、がっちり構築してしまった偉業は、世界の文学史にも比べるものがない。

     「偽史」を愛好するシミュレーションゲームファンは、例えばそんなトールキンの世界で「もしこんなことが起こっていたらあの世界はどうなっていただろうか」と考えるだけで興奮する人間である。「もし、ここで東夷とゴンドールが同盟を組んでモルドールを挟撃していたら面白いんじゃないか。さしものサウロンも無傷じゃいられまい。すると一つの指輪をめぐってゴンドールとローハンが険悪になって、ウンバールの海賊がよりモルドールとくっついて、中つ国にこういう陰謀が起こって。くうー、燃えるぜ!」むろん、そんなことを聞いたらトールキンは「おれの歴史と違う!」と激怒するだろう。

     自分が書いた偽史が実際の歴史と違うことはシミュレーションゲームファンもよく承知しており、わかったうえで「これは偽史ですよ」といって偽史を出すわけだ。そのために必要とされるものは何かというと、「正当な史実が存在することに対する全幅の信頼」なのである。ウィトゲンシュタインがいいたかったことの逆になるが、「ホンモノが存在しなかったらニセモノがニセモノであるための根拠がなくなってしまう」のだから。

     「歴史修正主義者」や「黒歴史」とはそこが違うところである。「歴史修正主義者」は、フィクションに過ぎない「偽史」を「史実」に置き換えてしまおうとする輩であり、「黒歴史」は「史実がカバーしていないところを創作して補って「史実」にしてしまおう」と考える輩である。歴史修正主義者の跳梁跋扈は目を覆うものがあるが、日本の某「ガ〇ダム」などにおける黒歴史の猖獗ぶりもまた目を覆うものがある、とシミュレーションゲームファンは考える。

     かくして今日も、「史実と同じくらいに面白い架空の歴史」を作るために、シミュレーションゲームファンはボードを広げて駒を並べる。目の前で展開される屍山血河の戦闘は、それがニセモノであるがゆえにただひたすらに楽しい。ホンモノだったら……そりゃつらいだけですがな、あなた……。

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    日本ミステリ68位 眠りなき夜 北方謙三

    東西ミステリーベスト100挑戦記(ミステリ感想・やや毎週土曜日更新)

     谷弁護士ものを最初に読んだのは、本書の続編の「夜が傷つけた」が最初。中学の図書館でのことである。そこでトム・コリンズというカクテルを知り、北方謙三の小説世界に触れた。読んだ感覚としては、「面白いけれど素直に乗れない」というものだった。

     その後、「東西ミステリーベスト100」で、この「眠りなき夜」のことを知り、高校に入ってから、古本屋で買って、読んでみた。その時の感想も、似たようなものだった。「面白かったけれど、印象が薄くて、いまいち乗れない」

     それから25年。ずいぶんと久しぶりの再読である。内藤陳が解説で熱のこもった文章を書いていることから、読めばそれなりに面白いことはわかっている。しかも日本冒険小説協会大賞受賞作だ。つまらないわけがない。

     読んだ。そして現在の読後感も、「面白かったけれど、印象が薄くて、いまいち乗れない」。この68位という順位は、「落ち着くべくして落ち着いた位置」であるように思える。道具立てはそれなりに派手だし、プロットも二転三転して面白い。しかし、どうしても、「檻」や「逃がれの街」といった傑作に比べると、落ちる、と思わざるを得ないのである。

     たぶん、比較する対象が対象なのだろう。まず、この「眠りなき夜」は、シチュエーションでいえば、船戸与一の「山猫の夏」であるが、道具立ての派手さでは、いくら頑張っても、「山猫の夏」に勝てない。なにしろあっちは拳銃やライフルにくわえて、火炎瓶をくっつけたばかでかい弓、などという卑怯なまでに意表を突いてくる道具で死屍累々の状況を作っていくのであるから、使えても拳銃がいいとこ、後は肉弾戦の北方謙三小説では分が悪いのである。かといって、人間描写で勝負しようとすると、北方謙三らしからぬ一人称ハードボイルド小説であるこの本では、「一人称小説を書くために生まれてきたようなハードボイルド小説作家」である志水辰夫の諸作にかなわないのである。そんなわけで、「面白いのだがどうも煮え切らない」。

     もし、これが、「檻」のような三人称で書かれたハードボイルドだったら、評価もまた変わって来ただろうが、そうなると本書は「檻」と比較されることになる。そして、「檻」はハードボイルド作家としての北方謙三の「到達点」であるのだ。いくら「眠りなき夜」ががんばっても、「到達点」には届きようがない。

     そう考えると「間の悪い」不幸な小説であるなあ。面白いのに……。

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