クリスタルの断章

    そのクリスタルは、無限とも思える情報を記録できる情報媒体だった。現代にこぼれ落ちた微細なかけらには、小説のようなものが記録されていた……。オリジナル小説ブログです。

    ブログ月刊誌「Stella」を読もう!

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    ID:cm8161
    揃った実力派執筆陣!

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    山西 左紀

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    日本ミステリ37位 黒い白鳥 鮎川哲也

    東西ミステリーベスト100挑戦記(ミステリ感想・やや毎週土曜日更新)

     大学時に、大学の図書館で借りて読んだ。角川文庫は全冊ぞろえをしていた図書館をこれほどありがたく思ったことはない。ステーマンの「マネキン人形殺害事件」を読んだのもあのころだったなあ。で、初読時の感想であるが、やっぱり鮎川哲也の鬼貫警部ものは自分には合わない、というものであった。精緻なアリバイ崩しというやつが、つくづく向いてないと思い知らされただけで終わったのである。

     二十年ぶりに再読。鬼貫ものの「黒いトランク」があまりにも好みに合わなかったからどうか、と思ったら、意外と道具立てが派手で面白かった。鮎川哲也のアリバイ崩しってこんなに面白かったんだっけ、というところである。

     この手のアリバイ崩しを読むときのコツは、やはり、探偵の先回りをしようなどとは考えないことであろう。時刻表チェックはしても無駄であるし、そこらへんは『密室』と何ら変わる所はないな。鉄道ファンは探偵の追跡と推理を時刻表で再確認しながら読むんだと思うんだけど、そういう趣味はないので楽しみがよくわかったとはいわない。

     しかし、この「黒い白鳥」というミステリの場合、そうした時刻表と数字のマジック以外の要素もふんだんにあって、そこらへんが「黒いトランク」に比べてわたしが面白いと感じた要因だと思う。特に、怪しげな新興宗教とか労使関係とか、明らかになってくる人間の物語とか、そこらへんの面白さは明らかに「黒いトランク」より上だ。

     アリバイトリックが好きではないので、この「黒い白鳥」のメイントリックも、それほど感心はしなかった。鉄道に詳しくないからなあ、そんなこといわれてもなあ、という感じである。

     それよりも、再読してわたしが面白く感じたのは、鮎川哲也の稚気というか、フェアプレイ根性だった。なにしろ、真犯人が初登場した時点で、作者は「こいつが真犯人ですよ」と手の内を明かしているのである。実にわかりづらいカードの明かし方ではあるが、これが連載ものであることを考えると、まことに堂々とした態度といわざるを得ない。そこらへんに、あの「薔薇荘殺人事件」と同じ、自作に対する恐ろしいまでの自信と自負が窺えて、さすが大物は違う、と土下座してしまう。

     85年版にはもう一作、鬼貫警部ものの「死のある風景」が70位にランクインしているが、そちらも楽しみになってきた。確かあれはあのブルーバックスの「推理小説を科学する」でボコボコにされていたような覚えがあるが、どんなトリックだったっけ。

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    風渡涼一退魔行 第二話 地獄行き始発13時00分

    風渡涼一退魔行

    風渡涼一退魔行

    第二話 地獄行き始発13時00分

     1

     世の中の、いわゆる「濃い」男の顔には、二つのパターンがある。まず第一のパターンは、寺沢武一が描く濃い顔の男だ。代表は右手に銃を持つ男、宇宙海賊コブラである。コブラはモテる。もうむちゃくちゃモテる。身体中からフェロモンが立ち上り、グラマラスな美女を片手に抱いて、怪しげな酒場に乗り込んでいく。まことにうらやましい。

     おれの前にどんぶりが置かれた。

    「天ぷらそばお待たせしました」

     おれは割りばしをパチンと割ると、これだけはかけ放題になっている七味をやけくそみたいに振って、黄金のように輝いて見えるかき揚げを赤く凌辱した。たっぷりかかったのを見届けてからつゆに沈め、三秒ほど待ってから、そばをずるずるとすすり始めた。

     珍しいことに、この駅の店は、独立系の店だった。日本レストランエンタプライズという会社がJR東日本の駅の立ち食いそば屋のほぼすべてを制覇した現在、駅の立ち食いそばの味については画一的なものしか期待できなくなっている以上、もうひとつのパターンの濃い顔をした四十男には、妄想でもしないと、楽しく食事をすることもできないのだ。

     もうひとつのパターンとは。それは、妙にオヤジくさい店で、安っぽい天ぷらそばにいちいち難癖をつけながら、誰も注意すら払わないダンディズムに血眼になる、泉昌之の描くタイプの「濃い顔」である。それは「食の軍師」の本郷であり、決して谷口ジロー描くところの「孤独のグルメ」、井之頭五郎ではないところがポイントだ。

     おれはそばを飲み込むように腹に入れると、つゆを吸ってもろもろ状態になったかき揚げのふわふわ感を舌先で楽しんだ。先ほどびっしり振った一味唐辛子が、ちりちりと微妙なアクセントをつけてくれる。ネギは……ネギについてはちょっといいたい。そばとかき揚げをすべて処理した後につゆをすするとき、ひとつまみのネギをくわえて青臭さとシャキシャキ感を感じながらすするのが立ち食いそばの醍醐味なのに、それを許さないのはどういうことだ。それとも何か、鼻づまりのやつは立ち食いそばにネギを増量するのではなく、キオスクでホールズでも買えというのか!

    「お客さん、おいしそうに食べますねえ」

     立ち食いそば屋の制服に身を包んだ、若い男が声をかけてきた。

    「おいしそうに見えたならありがたい」

     おれは無愛想に答えた。往年の渥美清とせんだみつおをよくこね回し、四角い鋳型に流し込んでこしらえたような顔をしているので、どんな顔をしても喜色があるように見えるらしい。

     正直なところをぶっちゃけると、どんなにうまい店の天ぷらそばでも、ほぼ一カ月間にわたって、毎日のように食っていれば、そのうち飽きてくるものなのだが。

    「それにしても、どこかでお会いしませんでしたか?」

    「人違いじゃないのか」

     おれは汁を最後の一滴まで飲み干すと、返却口に持って行き、アタッシュケースをよっこいしょと引き寄せた。腕にはめている実用一点張りのローレックスを睨む。自動巻き時計は、質を考慮すると、値段は張るがローレックスを選ぶくらいしか、選択肢がなくなるのだ。

    「ほんとに、どこかでお会いしませんでしたか? 顔に見覚えがあるような気がして」

    「覚えがないっていってるだろが!」

     と、おれは店主を任されているこの若造を怒鳴りつけた。

     おれは嘘をついていた。おれにはこの若造の顔に覚えがあった。

     職務上だろう、メガネはかけておらずサラサラヘアーもきちんと切られていたが、割りばしを割るよりも簡単にぽきんと折れそうな華奢な上にも華奢な身体、知的でさわやかな眼差し、色白で、こんな仕事の割には陶器のように滑らかそうな肌。

     間違いない、この前、ラーメン屋で、さとるの化け物と闘ったときに、店に入ってきた若造だ。

     若造は首を傾げた。

    「そうかなあ……どこかで見た覚えがあるんだけどなあ……」

     若造はまだこだわっていた。

     おれは嘆息した。

     おじさんが嫌いなのは、カンのいい子供だけではないのだぞ。

     こだわりにいつまでも引っかかっているガキも、同様に大嫌いだ。

     そんなことより時間である。5月13日、午後0時55分。仕掛けてくるとしたら今日だろう。裏を返せば、今日仕掛けてこなかったとしたら、こちらには手の打ちようがなくなるということだ。希望的観測が当たったとしても、なにをやってくるにしたって、あと5分しかないというのに、おれにはこのアタッシュケースに武器を積めてくる以外に、対抗できる手段が思いつかなかった。

     駅には、数名の駅員がいるが、彼らの助けは期待しないほうがいいだろう。

     タバコを吸いたくてうずうずした。しまった、この件を受けるに当たって、JR東日本のホームにおける喫煙権の解禁もついでに要求しておくんだった、と思ったが後の祭りである。

     キオスクが閉まっていたので、そば屋の横の自動販売機でブラックコーヒーを買った。

     そうだ、タバコの代わりになる、液体タバコというのはどうだろう? 噛みタバコみたいに噛みカスも出ないし、ニコチンウォーターとかいって売り出せば、新たな大人の嗜好品として定着するのではないだろうか。

     声に出ていたらしい。若造が、店の窓から首を出し、すまなそうな顔でおれにいった。

    「あのう……そんなもの作って、自殺志願者が煮詰めて濃縮しだしたらどうするんですか?」

     お前みたいなガキ、大嫌いだ。

     そのとき、発車を告げるチャイムが鳴った。

    『地獄行き始発、発車いたします……』

     おれは左右を見た。上りにも下りにも、列車は一輌も停車していない。

     がくり!

     足元が揺れ、おれはよろめいた。悲鳴が上がった。若造が、すっ転んだらしい。

    「あれ? 外が動いてる?」

     間抜けな声の若造に、おれは静かに告げた。

    「……見間違いじゃないぜ」

     おれは顔をこわばらせながら笑みを作った。

    「実際は、動いているのは、外じゃなくて、この『駅』だがな……」

     おれは顔に風を感じていた。


     2

     東京都二十三区からちょっと離れると、JRや私鉄を問わず、人口密集地と人口密集地との間に、エアポケットのような駅がある。乗り降りする人がまばらで、ことによったら無人駅にするほうがいいような殺風景な駅だ。東京を離れ、近隣の諸県へ行くと、エアポケット的駅の数と割合はさらに増大する。

     舞台はそんな低利用率の駅のひとつ、JR東日本の某線にある、K駅。

     事件が起きたのは、先月の13日のことだった。K駅において、高校生の少女がひとり、白昼のホームから、忽然と姿を消したのだ。

     ただの失踪事件なら、警察の仕事で、おれの出張ってくるような話ではない。だが、この失踪事件は、尋常一様のものではなかった。

     駅に据え付けられた旧式の防犯カメラが、『少女が失踪する瞬間』を、克明に記録していたのである。 

    『いっぺん見てくれればすべてわかりますよ』

     おれに話を持ち掛けてきた代理人は、そういうと肩をすくめた。おれの仕事は、顔が割れるとまずい側面もあるので、依頼主との交渉は、すべてその手の仕事にかかわる法律仕事を専門とする、弁護士の代理人を間に入れている。

    『なにか化け物でも写っていたのか? まさか水木しげるの描くバックベアードみたいなやつが現れて、「このロリコンどもめ!」とでもいったのか』

    『馬鹿なこといわないでください。防犯カメラのテープの現物を送ります』

    『テープ?』

    『旧式だといったでしょう。テープに録画するタイプだったんです。専門家の目をごまかして、気づかれずに細工するには困難なやつです』

     代理人がおれの家に送ってきたそのテープを、別の駅から取り寄せた旧式のプロジェクターにかけて見たおれは、どうしておれが出張らなくてはならないかを理解した。

     おれは代理人に電話をかけた。

    『依頼を受けよう。それと聞いておくが、あれはほんとうに、何も処理などを加えてあるわけではないんだな?』

    『往年の円谷プロだったら、オプチカル・プリンターで丁寧にマスクを切って合成映像を作るでしょうがね、あなたみたいな退魔師に、そんなものを見せたら、どんな報復が来るかわからない。呪われるならまだしも、家にロケット弾とか撃ち込まれたくないですよ。とれとれのぴちぴち、かに道楽のかにより生きのいい、本物のテープに間違いありません。どんな映像の専門家でも太鼓判を押すでしょうね』

     契約締結にあたって二、三、やりとりをしてから、おれはもう一度該当映像を見た。

     ホームに立って、なにやら参考書か問題集でも読んでいるかのような少女。ぼやけた指が、手元の本のページをめくった。

     その時。

     少女は、足元から、透明な絵の具でもってすうっとひと刷毛なでられたかのようにして姿を消していた。その間、わずか数瞬。画面の端の方で駅員が歩いていたから、リアルタイムでの映像と見て間違いないだろう。

     往年の円谷プロか、とおれはつぶやいた。「ウルトラQ」の世界だな。あの番組は好きだし面白いとは思うけど、実際にそういう世界に乗り込むとなると、あまり気持ちのいいものでないのも事実だ。

     少女がああも見事に消えたとなると、おれもそういう世界へ行くことになる。もしそこで戦うとなると、どういう武器が必要になるかわからない。

     おれはキッチンでカシスオレンジを作り、ぐっと飲んで喉を潤すと、地下の武器庫へ降りることにした。退魔師の中には、あいつら実際に魔物じゃないかと思えるような、魔術や超能力を使いこなせる連中がいるが、あいにくとおれにはそういう力はない。せいぜいが、呼吸法や精神集中で自分の精神状態を平静に保ったり、表向きの思考とは別の考えを同時並行でやるくらいが関の山だ。である以上、おれは現代科学の粋を凝らした武器を使用するしかないわけだ。

     アサルトライフルが必要だろうか。おれは壁からAKS-74Uを取った。旧ソ連のアサルトライフル、AK-74の銃身を切り詰め、ストックを折りたたみ式にして携行しやすくしたものだ。どんなひどい環境でも故障知らずで、象が踏みつけた後でもまだ撃つことができるレベルの頑丈さを誇る。タリバンなんかがよく使っている代物だ。1秒間に12発の割合で弾丸を発射できる。弾倉には45発まで装弾可能だ。戦争に持っていくには最適の銃のひとつだろう。

     おれはAKSを壁に戻した。

     棚から、グロック18Cを手に取ってみた。オーストリアの銃器メーカーであるグロック社のこしらえた、マシンピストルの傑作だ。見た目は普通の拳銃だが、ショルダーストックをつけてレバーを切り替えるとフルオートのサブマシンガンになり、1秒間に20発の弾丸を発射することができる。無限に弾丸を持てるわけがないので、実際にはダブルカラム弾倉に仕込んだ18発の9ミリパラベラム弾に頼るしかないが、それでも拳銃としてはかなりの破壊力を持つ銃である。接近戦の武器として、申し分ない。

     グロックを棚に戻した。

     どうも、これという感じがしない。もし、おれも消えたとして、そこに出てくる輩がなんだかはわからないが、銃器や弾丸が通じる相手という保証はなにひとつないのだ。

     刀剣類……。

     扱い慣れている銀の短剣を手に取った。どこの鍛冶職人が作ったとかいういわれはないが、おれの手になじんで、なにより使い慣れている。

     鎖分銅はどうだろう。先端に銀の錘を付けた鎖だ。錘を振り回して直撃すると、額くらい簡単に割れるし、相手が近接専用の武器を持っていたら、鎖を絡めて手からもぎ取るなり封じるなりしてしまえばいい。手元に鎌をくっつけたら、俗にいう鎖鎌になるが、そういう趣味はおれにはなかった。

     長脇差を手に取ろうとして、おれは苦笑した。やくざの殴り込みに行くのではない。相手の状況も知らずに、いきなり武器を取るというのもどうか。

     もっとこう……。

     おれは提携している研究所が送ってきた試作品を見た。

     なにかがピンときた。ピンときた直後、おれはピンときた自分に驚いたが、こういうときは最初の直観に任せるべきなのだということも知っていた。

     おれは試作品の大きさを測り始めた。大きめのアタッシュケースに入りそうだが、これを持ち歩くのはひと仕事だ。

     戦争かよ、とおれは思った。

     それは確かに戦争だった。ひと月の間、おれは毎日この駅に通った。……そして今に至る。


     3

     駅は線路の合間を驀進していった。

     おれは鉄道唱歌を鼻歌で歌った。きーてきいっせいしんばしをー、ってあれだ。はやわがきしゃはーはなれたりー、と歌おうとして、ちょっとためらった。「汽車」ではなく、はやわが「駅」ははなれたり、とすべきかもしれなかったからだ。

    「あのう……町は、どこいっちゃったんでしょう。ここらへんって、まだ、市街地のはずですよね。アメリカの西部じゃないですよね」

     若造は明らかに泣きの入った声でいった。

    「どっか、だな。シベリアの原野か、モンゴルの高原か、はたまた、きみのいうとおりに、アメリカの西部かもしれん。見ろ、あそこにあるのはエアーズロックじゃないか」

    「エアーズロックはオーストラリアじゃないですか!」

     おれは答えた。

    「罪もない冗談にそんなに神経質になられても困る。駅がこんなにも早く進んでいる以上、まともな手段では飛び降りるわけにもいかないだろう。リラックスして対応を考えようぜ」

    「こんな状態でリラックスなんかできますか! これから、この駅、どこへ行くんでしょう」

    「さっきのアナウンスを聞かなかったか。地獄方面行き。ということは、おれたちは、現世を離れて、いま、黄泉比良坂あたりにいるんじゃないかな」

    「いやですよ、黄泉の国なんて、縁起でもない」

    「同感だ。だが、そうは思っていない連中もいるようだ」

     おれはポケットから短剣を抜いた。

     いつの間にか、おれたちは虚ろな目をした駅員に取り囲まれていた。

     いや、違う。駅員にそっくりだが……。

    「な、なんなんですか、この人たち。明らかに、どこかおかしいですが」

    「ロメロ監督の映画を観たことあるならば、そんな愚問を吐くこともないだろう。バイオハザードとかで遊んだことはないのかい」

    「そ、それじゃ、この人たち……」

    「こいつらは死人だ。ゾンビーという奴だろうな」

     死人ではあるようだが、肌や肉体の崩れとかはないらしかった。おれは短剣を構えた。しかし、銀の武器を見せても、ひるむ様子は全くない。

    「死人にくれてやる生命はないが、信仰心が足りないせいか、おれに死人の調伏は無理らしいぜ」

    「そんなあ!」

     駅員たちの後ろから、次々と、ゆらりゆらりと無表情な死人たちが数を増していった。

    「あわわわわ」

     若造は腰を抜かしたらしい。

     おれたちは遠巻きにされていた。直接襲ってくることはなさそうだ。

     奇妙なにらみ合いが続いた。とはいっても、にらんでいるのはこっちだけで、向こうは単にうつろな目でぼんやりとこちらを見ているだけだ。まるで煮干しの群れと対面しているようなもので、あまり気分のいいものではなかった。

     ゆらりゆらりと現れ続ける死人たちの中に、おれはなじみの顔を見つけた。

     依頼で見せられた防犯カメラの映像から消えた高校生の少女の顔だった。

     死人たちの数は三十を超えていた。

    「こ、これ、どうなっちゃっているんですか」

     奥歯をガチガチ鳴らしながらしゃべる若造に、おれは振り返らず答えた。

    「クライヴ・バーカーの『ミッドナイト・ミートトレイン』って知ってるか」

    「え、ええと、図書館にあったな、ホラー小説でしたっけ」

    「ホラーというよりスプラッタだな。地下鉄の列車が、まるまる、地下鉄を影で動かす魔物たちの食料供給車両になっていた、という話だ」

    「こ、怖い話なんですか」

    「怖いに決まっているだろ。結末まで読んでみな。夜中うなされることになるぜ」

     おれは死人たちの顔を見た。虚ろな目。無表情な顔。生気のひとつない肌……。

    「おれの想像だが、この駅は、地獄に特別な死人を供給する役割があったんだろう。何のためかは知らないし、知りたくもない。おれたちを取り囲んで手を出さないのは、おれたちには、このまま地獄へ行って、何らかの任務を帯びた死人になるしか道がないことを知っているからだ」

    「ええー!」

    「おい若造、お前なんて名前だ」

    「つ、塚原です、塚原喜八郎」

    「よし、塚原くん、きみがバイトで入ってきたのはいつだ」

    「バイトじゃないですよ。店長です。これでも調理師免許持ってるんですから」

    「それは失礼。で、入ってきたのは」

    「今日が初仕事です……」

    「そうだな。体重は?」

    「体重? 55キロくらい……」

    「おれが85キロちょいだ。もうちょっと鍛えないとそば屋の店長は無理だぜ」

    「この状況でそば屋もなにもないでしょう!」

     おれはにやりと笑った。

    「じゃあ、目はいいか。進行方向に何が見える」

    「ここを出ないと、進行方向まで見えません」

     おれはあごをしゃくった。

    「じゃあ、出るんだ」

    「え、でも、ここを出たら、ゾンビーに……」

    「馬鹿。相手にこれだけ数がいたら、デビー・クロケットが立てこもっていても、そば屋の店舗なんて簡単に突破されて陥落しちまうぜ。アラモの砦も『300』のテルモピュライも、結局は陥落したんだからな」

     おれは周囲の風景を見ていた。なにもない、だだっ広い荒野だ。時おり枯れ木が通り過ぎていく。駅は線路の間を進んでいっているらしいが、死人どもにはばまれて、よく見えない。

     塚原喜八郎はおそるおそる、という感じのへっぴり腰でそば屋の店舗から出てきた。

     おれはその肩をガシッとつかんだ。

    「塚原くん、数学は得意か?」

    「数学?」

    「数学で悪いなら算数だ」

    「算数……」

    「時速70キロメートルで走っている電車があります。300メートル走るのに必要な時間は?」

    「20……じゃなくて、30……じゃなくて」

     おれはアタッシュケースのボタンを押して、正解を言った。

    「時間切れです。正解は……今だよ! 全力疾走! まっすぐ走れ! いちにのさん!」

     おれは塚原喜八郎の身体を抱えるようにして、ゾンビーの群れに頭から突っ込んでいった。


     4

     ラグビーというもので、敵の戦列を正面突破したことはあるだろうか。残念ながら、おれはない。

     だが、アメリカンフットボールで、敵のラインの中央突破をした経験なら、意外とあるのだ。こう見えても、ランプレイの大好きなクォーターバックだったこともある。

     フットボールの試合と違って、今のおれにはヘルメットもプロテクターもなかったが、死人どもの動きは鈍かった。ハイスクールのチームのディフェンスラインだって、もうちょっと強い。

     おれは線路のほうへと突進した。さすがに、ホームの細い方である。厚いラインを作るのは往年のサンフランシスコ・フォーティーナイナーズでも無理だったろう。減量して85キロのおれでも、突破するのには申し分ない。

     がくりと駅が方向を変え、スピードが落ちたそのとき、おれは塚原喜八郎とともに、ホームの外に頭から転がり落ちて行った。

     おれは塚原喜八郎が死なないように、抱きかかえるようにしてごろごろと転がって衝撃を殺すと、走っていく駅を見送った。

     危ういところだった。鉄路の上で、おれは駅を見た。

     駅の進んでいく方向には、大きな川と、橋があった。やっぱりだ。思ったとおりである。

     顔をすりむいた若造が、涙目でよろよろと身を起こした。

    「なにがどうなったんですか?」

     おれは慌てて若造に飛びかかると、その頭を押さえつけた。

    「黙って伏せて、口を開けて目を閉じていろ!」

    「もがああああ」

     おれは心の中でカウントを始めた。15……14……13。

     駅は橋を渡り始めた。おれは目をつぶった。

     3……2……1。

     ゼロになった瞬間、強烈な爆風が吹きつけてきた。閉じたまぶたを通しても、目の前が真っ赤に染まった。たぶん、大火球が上がったのだろう。

    「もがああああ」

     若造がわめいた。

     爆風はかなりの時間続いたようだったが、実際はそれほどでもなかったらしい。

     おれが目を開けた時、駅はその場に存在せず、橋は途中から消失していた。

    「もういいぜ。立ちな」

    「は、はにが、はにがのうなったんねすか」

    「馬鹿、それをいうなら、何がどうなったんですか、だ。日本語くらいまともにしゃべれないのか」

    「あんな爆発の後で何がしゃべれるんですか!」

    「そう。その調子だ」

     若造はあごの位置を手で修正しながら、おれにいった。

    「あの爆発は何なんですか!」

    「携帯用のFAEだ」

    「FAE?]

    「燃料気化爆弾の略語だ」

     燃料気化爆弾とは、周囲に霧状の燃料を振り撒き、それが気化することにより猛烈な勢いで待機に充満したその瞬間、引火させて爆発させるシステムの爆弾だ、と、おれは若造に説明した。

    「おれが押したボタンは時限スイッチだ。時間が来れば、燃料を積んだカプセルが上空へ飛びあがり、そのまま燃料を噴霧し、爆発するようになっていたのさ。FAEは、局地的には、核兵器に匹敵する爆発力を示せるだけの性能がある。もっとも、対人殺傷能力に比べれば、建築物破壊能力は微々たるもんだがね。対人殺傷能力の半径が300メートル。建築物破壊の半径は50メートルというところだ」

    「なんでそんな恐ろしいものをあなたが持っているんですか!」

    「持っていたのは、野性の勘からさ。どうやって手に入れたかや、どこにそんなもの置いているのかについては、それは、きみに教える必要もないだろう。武器しか使えない退魔師の限界というやつだと思ってくれ」

    「退魔師だか何だか知りませんが、で、どうして橋を破壊する必要があったんですか?」

    「あの川が何なのか、きみには想像がつかないのか?」

    「想像なんかつきませんよ! きょう一日だって、地獄でしょ! 黄泉比良坂でしょ! 退魔師でしょ! その上に川なんて! 川……」

     若造の顔が、さあっと青くなっていった。

    「川……川って……」

    「そう。その通り。三途の川さ。あそこを渡りさえすれば、もうそこは地獄だよ。六文銭は持ってるかい? 持ってない? よかったな、渡る前で。六文銭が無かったら、泳いで渡ることになるところだったぜ」

     おれはポケットから「わかば」を取り出し、火をつけた。

    「生き返るねえ……」

    「駅はものすごい勢いで走っていたようだけど、いったいどうやって飛び降りるポイントがわかったのか、教えてくれませんか」

    「そうだな。駅で運ばれていく間、何度か駅が方向を変えるのが、風向きの微妙な変化でわかった。それを頭の中で地図と路線図と対応させると、ちょうどカーブに差し掛かったところであることに気づいた。だからおれは、駅の曲がるタイミングが、それなりに予測できたのさ。後はカーブの地点と、地点間の距離を進むのにかかった時間から、駅の進む速度を割り出した」

     おれは紫煙を吐いて、話を続けた。

    「頭の中で地図を広げていくと、そう遠くないところで川に差し掛かることに気づいた。そのときには、さしものおれも慌てたね。オルフェウスでもない限り、三途の川を渡ったら、もう二度と戻って来れないのが、普通だからな。同時に、川にかかる橋をぶっ壊せば、地獄から使者がこうしてやってくることもないことにも気づいた。ためらう理由は、考えつかなかったな。地図では、川の300メートルほど手前に、きついカーブがあった。そこしか飛び降りるポイントは残っていなかった。あそこで飛び降りてなければ、そのまま川を渡っていたことだろう。そうなったら……まあ想像に任せるしかないな」

     若造は、じいっとおれの顔を見ていた。

    「あのう……退魔師さん」

    「なんだよ」

    「どこかで、お会いしたことありませんでしたっけ?」

    「そんなこと、聞かない方が身のためだぜ。おれなんかには、関わらないほうが、世の中を安心して泳げるからな」

     おれは吸い差しを踏みつぶし、携帯灰皿に入れると、立ち上がった。

    「よし、行こうか」

    「行くって、どこへ……」

    「帰るんだよ。レールを後戻りしていけば、現世にたどり着けるさ。まだ生きているのならな。ここにいたって、始まらないだろ」

    「え、ええ……」

    「じゃあ、前進あるのみだぜ。前進!」

     おれたちは来たレールを後戻りしていった。

     どこがどうつながっていたのかはわからない。おれたちが発見されたのは、岩手県の、廃線となった線路のうえだった。

     おれたちを発見したパトロールの警官に指摘されて、ふっと辺りを見回せば、びっくりするほど近いところに恐山が見えた。

     K駅では、何事もなかったかのように、まばらな乗客が、まばらに乗り降りしている。あれ以来、利用客が消えた、という話はまったく聞かない。JR東日本は、おれに契約通りの報酬を払ってくれたので、おれがそれ以上首を突っ込む理由もなかった。

     違うのはただひとつ、駅の立ち食いそば屋が、日本レストランエンタプライズの、「あじさい茶屋」へと変わったことくらいである。

     K駅へ行きたいなら、いつでも案内しよう。だがおれは、頼まれたって、降りないがね。

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    日本ミステリ37位 孤島の鬼 江戸川乱歩

    東西ミステリーベスト100挑戦記(ミステリ感想・やや毎週土曜日更新)

     どの版で読んだのかすっかり忘れたが、高校時代に読んでムチャクチャ面白かったのを覚えている。いや、あれは横溝正史「八つ墓村」であったか。まあいい。面白いものは面白いのである。以降しばらく読んでいなかったが、ひさしぶりに再読。

     記憶通り、やっぱり面白い。だけれども、あれ、こんなに登場人物少なかったっけか、と思ったのも事実。もうちょっといたと思ったのだが、江戸川乱歩、あまりにもご都合主義にすぎないか、といいたくなるような運命の連鎖でもって、登場人物をゴリゴリ削っていく。今のラノベ作家が書いたら、登場人物の数は倍近くなっていてもおかしくない。それだけの魅力あふれる大ロマンなのである。

     ポプラ社の少年探偵団シリーズは、乱歩のジュブナイルが尽きると、過去の傑作を片端から探偵作家に代作させて無理やり少年探偵団ものにしてしまうという、厚顔無恥きわまりないことをやってぼろ儲けしたらしいが、この作品はさすがに無理だったらしい。だが、この作品のエッセンスは、たしかに乱歩のジュブナイルに直結しているのだ。それが、「大金塊」であり「怪奇四十面相」なのである。この「孤島の鬼」が傑作なのは、異常な殺人事件ゆえでもなく、世界を転覆させようとする陰謀ゆえでもなく、ただ、「いい大人が宝探しのために洞窟探検をして死にそうな目に遭う」という大嘘を大真面目に語り切ったからなのだ。異性同性を問わぬラブロマンスも、残虐な殺人事件も、意表を突く真犯人設定も、ムチャクチャな悪人の陰謀も、その大嘘を成立させるために丁寧に組み上げられた足場にすぎない。そういった意味で、これは乱歩が乱歩らしさを出しながら語った「冒険小説」なのである。

     それをもっと洗練された形で再構成したのが横溝正史の「八つ墓村」であろう。そしてそのエッセンスをしっかりとつかみ取ったのが、脚本家の橋本忍である。彼は、「八つ墓村」という物語に「名探偵」は存在しなくてもいい、という洞察のもとで、すべてを「たたりじゃ」にする大手術を行い、ミステリ風冒険ホラー映画として脚色、映画を大ヒットさせた。もし、橋本忍が「孤島の鬼」の脚本を書いたとしたら、探偵要素を全て取り払って、純粋な冒険ホラー映画にしたはずである。

     まあ、しかし、ほかのすべての乱歩作品が映画化されたとしても、現代においてこれを映画化する人間は……いたよ。東映に「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」という映画があるそうだ。監督は誰かと思ったら、石井輝男だった。うん。あの人ならやりかねん。見たいような見たくないような。見たら絶対、後悔するんだろうけれど。いっそ外国資本で忠実な映画化を……ムリだな。

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    風渡涼一退魔行 第一話 さとるの化け物

    風渡涼一退魔行

    風渡涼一退魔行

    第一話 さとるの化け物


     1

     書けない。何も書けない。気持ちいいくらい何も書けない。おれは合成皮革の表紙がボロボロになりかけの、古い能率手帳のうえで、愛用の銀のシャープペンシルを震わせた。丸でも四角でも三角でもいいから、何か書けばそれだけ埋まるのだが、それができないのだ。

     とん、と水の入ったコップが置かれた。

    「ラーメン」

     おれは親父の顔を見もしないでいった。四百八十円。まあ妥当だろう。まさか消費税をとるなどという野暮はいうまい。何しろ風格のある店なのだ。

     煙く、脂ぎった店だった。テーブルにも、窓にも、本棚に雑然と積まれている週刊漫画ゴラクにも(いや、あれは週刊漫画サンデーだったろうか)、油と煙が染みついていた。新しいのはテレビくらいだ。おそらく、デジタル移行に合わせて何でもいいから買い替えたのだろう。野球はちょうど、二回の表、オリックスの攻撃からだった。東京MXでなぜか毎日のようにかかっている、福岡ソフトバンクホークスの試合中継である。今のオリックスとソフトバンクの試合に、おれは興味がなかった。

     無性にタバコが吸いたくなり、おれは一日三本の禁を曲げて、ポケットから「わかば」を取り出し、一本抜いてくわえた。生活レベルを落としたくないのだ。これがもし、「エコー」を吸ってストロングゼロのロング缶をを好んで飲むような生活になると、後は転落の一本道しかない。火をつけようとしたとき、壁の「禁煙」の張り紙に気が付いた。どこまでもついていない。都の条例か何かだろうか。そんなものを考えたやつなど、くたばればいいのだ。

     扉ががらがらっと開いた。

     おれはそちらに目をやった。

     華奢な若者だった。相撲のさば折りをかけたら、そのままぽきんといってしまいそうなくらいにスレンダーに見える。さらっとした髪は長すぎも短すぎもせず、チタンフレームと思われる眼鏡は、小さくまとまった顔に知的さをくわえていた。夏向けのジャケットを晴朗な感じに着こなした姿からは、いっさいの汗のにおいを感じさせない。どこまでも爽やか。

     ひとことでいえば、少女漫画雑誌から、「知的な若者」のコマをハサミで切り取ってきて、空気ポンプか3Dプリンターを使って実体化したような若造だ。

     おれは面白くなかった。

     四十代半ば。顔は渥美清とせんだみつおを合成して四角くした、色黒の脂ぎった顔。着ている服にはタバコのヤニが染みつき、クセの強い髪はゴワゴワを押さえるために無理やり短くして整髪剤でごまかしている、風采の上がらないにもほどがある自分の姿を思い返せば、面白くなくなるのも無理はないだろう。早い話がひがみ根性である。

    「うわあ、こんな店知ってるんだ」

     若造の直後に入ってきた人間を見て、おれのひがみ根性はさらに強くなった。

     女だ。年齢的には若造より二、三は上だろう。ベッドで同衾したら女としていちばんうまいであろう年頃だ。目がぱっちりしており、鼻筋から口もとあたりの感じもなかなかよかった。胸と腰の、出るべき部分だけがぽこりとまん丸である。しかも、明らかに商売女ではない。

     そんな女とこの若造が、売り物といったらスープの脂だけ、とでもいうようなこんなラーメン屋に一緒に来ているのだ。漫画ゴラクと漫画サンデーしか置いてないような、テレビにはパリーグの試合が映っているようなこんなラーメン屋に。

     ラーメン屋を出た後でどこに向かうのかは、あらかた想像がつく。

     おれは顔を上げた。豚肉を煮しめたような渋茶色のしわだらけの肌で、ラーメンをゆでているじじいに、ひとこと告げる。

    「ホッピー」

     おれの言葉を予期していたかのように、目の前にホッピーで割った焼酎のジョッキが、どん、と置かれた。懐かしき昭和のころに開発された、ビールのマガイモノとしては伝統的なものである。第三のビールなどとは、年季というものが違うのだ。おれはジョッキに口をつけ、カウンターの端に並んで座ったあのカップルの方に敵意に満ちた視線を送った。貴様らのような平成生まれのお坊ちゃんお嬢ちゃんには、このホッピーと焼酎の、数多の人間の人生経験に満ち満ちた味はわかるまい。なぜ、若造にはわからないのかについてはおれにもよくわからないが、ここは、わからない、ということにしておきたい。

     脂でくすんだプラスチックの板に挟まれたメニューを読んでいた若造が、やがて、当たり前のように言った。

    「五目ラーメンふたつお願いします」

     五目ラーメン!

     おれの内心のいらいら感はさらに強くなった。よりによって、このようなラーメン屋で五目ラーメンを頼むのか! チャーシューメンだったら、許しがたいがまあ許せる範囲内だ。だが、五目ラーメンとはまさに言語道断、注文するとはいい度胸である。メニューに載っている値段が三百円以上も違うのだ。これはおれに対する宣戦布告もいいところだ。このクソガキはラーメン屋での仁義も知らないのか。いっそドタマをかち割ってやろうか、と、思った瞬間に、目の前にドンブリが置かれた。

     じじいは塩辛声でいった。

    「ラーメンお待ち」

     命拾いしたなあの若造め。おれはそう思いながら割りばしをパチンと割ると、熱く塩辛いスープに口をつけ、化学調味料の味がそこはかとなくする麺をすすり込んだ。

     そうだよ。ラーメンはこういう味でいいんだよ。若造、貴様らにわかるか!

    「……わかるんだよね」

     若造がいった。おれは麺を吹きそうになった。

    「わかるんだよ。その、化け物にはさ」

     若造は女に話していた。別に、おれの言葉に答えたわけではないらしい。そりゃそうだ。

     おれは聞き耳を立てた。

     若造はさらに女に続けた。

    「ねえ、こういう話、聞いたことある……?」


     2

    「『さとるの化け物』って怪談だけどね。有名だから、聞き覚えがあると思うよ。ちょっと、ぼくも関わり合った話にからんでくるんだけどね」

     若造は、妙にもったいぶった口調になった。

    「昔、昔、ある猟師が、夜の山で焚火をして野宿をしていたんだ。ひとりっきりでね。昔のことだから、電気もなければ、街灯もない。頼れる明かりは、その焚火ひとつ。月は出ていなくて、星の光は分厚い雲に隠されていた、そんな真っ暗な世界の話さ」

    「暗いのはあたし嫌いじゃないわ。暗くした方が好きよ」

     女がそう答えるのを聞いて、おれはなんとなくイラっとした。この女というやつは、貞操観念にでも不自由なのか、と、おれは婉曲表現で思った。

     若造は笑ったようだった。

    「ふふ、でも、本当の暗闇を、甘く見ないほうがいいよ。山の闇なんか、特にそうさ。『鼻をつままれてもわからない』なんていうのが、そのまま当たり前なんだからね。だから、これもそうだと思って聞いてほしいな。明かりは、焚火の、それも夏祭りのキャンプファイアーじゃない、ちろちろと熾火が薄赤い、くらいの明かりくらいしかない暗闇。その中に、ぼうっと顔が浮かび上がる……」

     おれはホッピーをひと口飲んだ。やけに冷えているホッピーだ。

    「顔はゆらゆらと揺らめきながら、猟師にいった。

    『ちょうど、寒かったところだ。火に当たらせてもらうぞ』

     その声に、猟師は当然、何だこいつは、と思った。

     次の瞬間、顔はいった。

    『お前は、わしのことを、何だこいつは、と思っただろう』

     その通りだったので、猟師は、不気味なやつだな、と思った。

     顔はいった。

    『今度は、不気味なやつだ、と思ったな』

     猟師は驚いた。こいつは、おれの心が読めるのか、と。

    『お前は、こいつは、おれの心が読めるのか、と思ったな』

     猟師は怖くなった。化け物だ。おれを食う気なんだ。何とかして逃げださなくては、おれが殺されてしまうぞ。

     顔は笑った。

    『その通りだ。わしは「さとる」という化け物さ。そしてお前を食う気なんだよ』

     猟師は恐怖にかられて、いくらかでも明るさを増そうと、火に小枝をくべた。そのとたん、火にくべた小枝がパチンとはじけ飛び、浮かび上がった顔にビシッと当たった。

     顔は痛みに歪むと、逃げるようにそのまま闇の中へ消えて行った。

    『人間とは何と恐ろしいやつだ。考えてもいないことをすることができるなんて』

     という一言を残して」

     若造は、ふふっ、と笑った。

    「よくできた話でしょ?」

     女は顔をわずかにしかめた。

    「よくできてるけど……あまり趣味のよくない話ね」

     おれは心の中で喝采を送った。いいぞ。その通りだ。もっといってやれ。

     若造は肩をすくめた。

    「怪談だからね。趣味がいいわけないさ。でも、怪談としては、いい趣味の作品だと思うよ」

     女は水をひと口飲んだ。飲む姿もなかなか悪くない。

     趣味のいいおれはホッピーを飲んで、妄想にふけることにした。妄想とは、生まれがいい人間にだけできる優雅な娯楽である。

    「それに、この怪談を考えた人は、もともとは、 『笑い話』のつもりだったんじゃないのかな」

     若造が妙なことをいい出した。頭の中で女の服を脱がせかけていたおれは、頭を妄想モードから切り替えて、若造の話に耳を傾けることにした。

    「笑い話?」

    「うん」

     若造は水のコップをちょっと持ち上げ、軽くゆすった。

    「だってそうじゃないか。偶然はじけた木の枝に当たって、とんちんかんなことをいって逃げかえるんだよ、化け物がさ。これが笑い話じゃなかったら、何が笑い話なんだ、ってレベルじゃない」

     若造はコップの水にふうっと息を吹きかけた。

    「笑い話に、間抜けな化け物って結構出てくるよね。おびえた村人が、熱い茶に息を吹きかけて冷まし、凍えた手に息を吐きかけて温めるのを見た化け物が、『人間というのは何て恐ろしいんだ。口から冷たい息と熱い息を吐き出すなんて』って、恐ろしがって逃げてしまう話とかさ。ね、こっちは完全に、『笑い話』だろ」

    「そういえばそうね。あたし、『ふるやのもり』って笑い話を聞いたことがあるわ。あれも、途中まではものすごいホラーよね」

    「『ふるやのもり』では、謎の『ふるやのもり』という言葉を聞いて怯えることになるのは、それぞれ、誇張はされているけれど実際にいるし、想像もできる存在だよね。その、ぼくたちができる範囲の想像の、斜め上を行く存在が驚くところに、この『さとるの化け物』という話が不気味に感じる理由があるんじゃないかな」

    「斜め上?」

    「そうだよ。あのテレビドラマの『トワイライトゾーン』ってやつさ。ぼくたちがトワイライトゾーンの存在を恐れるのは、それが日の光の当たっている最中でもぬっと現れて、ぼくたちを底知れぬ闇の世界、トワイライトゾーンの先のダークゾーンまで引きずり込んじゃう野では、と考えるからじゃないかな。ダークゾーンの存在は、ずうっとダークゾーンの中にいて、こちらに出てくるような了見は起こさないけれど、あわいにいる存在は、けっこう気楽に出てくるものだからね」

     若造は声を潜めた。

    「そしてここからだよ。ここからが、ぼくの体験にかかわってくるんだ……」


     3

    「あれは去年のことだった」

     若造は静かに語り始めた。

    「この話は、山の話じゃない。面白いことに、街での話なんだ」

    「街?」

    「この東京だよ」

     おれはラーメンをすするのも忘れて、若造の話に耳を傾けていた。

    「そのころ、ぼくは、大学をやめて、ふらふらとしていた。大学といっても、親に形ばかりでも行けと言われて、やむなく進んだ、国立の文系さ。野暮ったい人間しかいなくって、入学三日で飽きて、そのまま授業にも出ずにふらふらしていたら、在学の年数が切れてしまってね。やむなく、中途退学さ」

     意外とこの若造、フマジメらしい。大学に遊びながら通って、卒業もしないなんて、いったいどういう面をしているんだ、こいつの親は。

    「ぼくの親は、ちょっと、人に言えない仕事をしていて、ぼくにその跡を継がせたかったらしいんだけど、ぼくのほうではそんなこと、知ったことじゃない。大学をすべったら諦めるだろうと思ったんだけど、そうもいかないらしくて、ぼくに別の大学を進めてくるんだ。だから、次の入試の間まで、ふらふらと親の金で遊んでいる身分なのさ。意外と財産があるんだよ、うちには」

     いちいち癪に障る若造だ。おれには仕事を選り好みする自由なんてなかったというのに。

     若造におれの心の声は聞こえなかったらしい。

    「その日も飲み歩いていたな。ちょっとシェリーを、度を過ごして飲んで、ふらふらと路地に入っていったんだけどね。歩いて行くと、ぼんやりと、電気で光るタイプの立て看板が見えたんだ。今でも覚えてるよ。『占い 酒』それにでっかいハートマークさ」

     女の方は微動だにせず聞き入っている。

    「ぼくは、それを見て、『面白そうだ』と思った。何でそんなふうに思ったのかはわからないけれど、シェリーの酔いがそうさせたんだろうな。ぼくは、その立て看板が示す入口なり扉なりを探した。どうやら、ビルの二階に上がる、急で狭苦しい階段、それよりほかに開いている入口はなさそうだった。ぼくは、いい気持ちで、その、コンクリートの打ちっぱなしの階段を上った」

     テレビで歓声が上がった。誰かがホームランでも打ったのだろうか。

     若造は続けた。

    「ついたところは、狭苦しいビルの一室だった。カーテンとタペストリーが、ドア以外の壁のすべてを覆っていた。甘く微妙な香りが、部屋中に漂っていた。賭けてもいいけど、その中には、麝香と、龍涎香が混じっていただろう。それも、今の主流である合成の麝香なり龍涎香じゃなく、ほんものの、天然由来のやつが、だ」

     おれが知っている範囲では、麝香はジャコウネコのキンタマから、龍涎香はクジラの胃腸から採られるもので、今ではワシントン条約で、生物を殺して採取することを禁じられている代物なのだが、どうやらこの若造は、違いが判る男らしい。

    「そんなにわかるものなの?」

     女が口を開いた。

    「合成かどうかなんて、素人がわかるものでもないでしょ。本職の調香師でもないと、気が付かないと思うけど」

    「さっきもいっただろう。ぼくの田舎の両親は、それなりに小金を持っててね。そういう教育は、小さい頃から基礎教養として、日々の生活の中に取り入れられていたんだ」

    「相当な財産家なのね」

    「田舎の小金持ちさ。……で、その香りに、ただでさえ酔っぱらった頭をくらくらさせていると、しゃがれた声が、ぼくに向かっていったんだ。

     『あんた……面白そうだと思って、ここに来たんだね』

     ぼくは答えた。

     『そうだよ。で、そういうお婆さんはどこにいるの?』

     ぼくは、カーテンかタペストリーの陰だろうと思った。

     『あんた……あたしが、カーテンかタペストリーの陰にいると思ってるんだろ?』

     ぼくは、他に考えようがないじゃないか、といおうとした。

     先に声の方が答えた。

     『あんた……他に考えようがないじゃないか、と思っているね?』

     ぼくはうんざりした。なにもかもわかっているんじゃないか。でも、次の瞬間、考えを変えた。これだけ人の心がわかるお婆さんなんだから、もしかしたらすごい占い師かもしれない。ぼくがこのところ悩んでいることも、ズバッと解決策を言ってくれるかもしれないぞ、と。

     声は面白がったようだった。

     『そうだよ。あたしには、なにもかもわかる。あんたが悩んでいることも、わかる。あんたが欲しがっている答えも、わかるのさ』」

     おれはコップにちらっと目をやった。飲んでしまうと、なにもかも台無しになるような気がして、おれは伸ばしかけた手を止めた。

     若造はふふっと笑った。

    「面白いものでね。ぼくはそのとき、ものすごく大胆になっていた。ぼくは、その、どこにいるとも知れない声に向かって、いった。

     『それじゃ、時間を節約しようよ。お婆さん、ぼくが欲しがっている答え、って、何だい?』

     声は含み笑いをした。

     『簡単だよ。それは……』

     どかん!」

     急に若造が大声を出したので、おれははっとなった。あわてて、コップを取り上げると、中のホッピーをがぶがぶと飲んだ。苦みと冷たさが、食道を通っていったが、アルコールのほうを、おれは考えに入れていなかった。

     若造は笑っていた。

    「いや、あのときはぼくもびっくりしたよ。いきなり、ビルの外から大きな爆発音がしたんだから。ぼくははっと我に返ると、その場を逃げ出した。扉を開けて階段を無我夢中で降りて、見上げると、ぼくがいた店の真向かいのビルの二階の窓が真っ赤になって、ガラスが破れて激しく燃えていたんだ。あっという間に、ウーウーウーのカンカンカンとサイレンをけたたましく鳴らして、消防自動車が二台ばかりやってきた。延焼に巻き込まれたくないからね、ぼくは逃げるだけさ。翌日の新聞を読むと、『ガス爆発』ということだった。初動消火が適切で、火はボヤですんだらしい」

     若造は水をひと口飲んだ。

    「それからというもの、ぼくは大学の勉強はしなかったけれど、それなりの知識を得たうえで、夜の街をふらふらすることにしたんだ。元からふらふらするのは好きだけれど、まさかこんなに早く見つかるとは思わなかったな」

     女は言った。

    「見つかるって、何を?」

    「そのときの声の主だよ」

     若造はぐっと声を低くした。

    「あのとき、ぼくになんていいたかったんだい、『欲しがっている答え』ってやつだけど」


     4

     女は笑った。どことなく無理のある笑い方だった。

    「なにいっているのよ、いったい。だいたい、あたしの声は、しゃがれてないわよ」

    「ある程度演技力のある人間なら、しゃがれ声を作るくらい簡単さ」

     若造は静かに続けた。

    「昔のSF冒険小説でね、まったく声が違う相手に、主人公がこういうんだよ。『声のトーンや声質は電気制御でいくらでも変えられる。だけれども、細かな言い回しや、単語の選択に伴う微妙な癖は、変えようがない』ってね。あのバーで会ってから、ここに来るまで、さんざん話したけれど、ぼくの知識と直観は、きみがあのときの声の持ち主であることを確証を持っていえるんだ。ぼく個人のみの確証だけど、ぼくにとってはそれだけで充分だ」

     女が息をのむのがわかった。

     若造は勝ち誇ったかのように言った。

    「さっきもいったね。なぜ、ぼくたちは『さとるの化け物』の怪談を、笑い話じゃなくて、気味が悪い話、と考えるのか。ぼくに言わせれば簡単さ、ぼくたち人間は、知っているんだ。精神の奥底、無意識の中ではっきりと。『さとるの化け物』は実在し、ぼくたち人間を食べてしまおうとしていることをさ!」

     女は言った。

    「それで、あなたは、あたしを、そんな化け物だと思うわけ?」

     若造が何か答える前に、女は続けた。

    「似たような話だけど、あたしもそんな話を聞いたことがあるわ。いったい、『さとるの化け物』は、どうやって相手の心を読むのか。相手の心というのは、そう簡単に読めるものなのか」

     女はわずかに肩を揺らした。

    「あるSF作家が、これに明晰な解答を出していたわ。『さとるの化け物』とは、相手の心を読む化け物じゃなくて、相手に自分の考えていることを押し付ける化け物だ、というのよ」

     女は、ポケットから何かを取り出そうとしていた。身体が前かがみになり、カチンカチンと音がした。

     メンソールの香り。

     どうやら、女には、壁に書かれた「禁煙」の張り紙が見えないらしかった。

     一服すると落ち着いたのか、女は話を続けた。

    「これは面白い逆転ね。『さとるの化け物』は、相手に『自分に対する恐怖心』をインプットしていく。パソコンにデータを打ちこむみたいによ。自分がインプットした心だから、『さとるの化け物』は、相手の考えていることを間違えようがないわけ。わかる?」

     若造は緊張した声で答えた。

    「わかる。面白い考え方だね。続けて」

    「あなたの会ったのも、そのタイプの化け物だと考えたらどうかしら? その化け物は、あなたを発見し、あなたに『建物に入るよう』に暗示をかけた。あなたは入っていって、『面白そうだ』と思う、という暗示を受けた。そのため、相手が『面白そうだと思って入ってきたんだね?』といってきたら、あなたはそうだ、面白そうだと思って入ってきたんだ、と思って、心が読まれたような気分になった」

    「なるほど、それでも話に理屈は通る。それじゃ、あの声は、ぼくに『欲しがっている答え』として、なにを言おうとしたんだい?」

    「あなたの自殺ね」

    「自殺?」

    「『さとるの化け物』が目的とするのは、獲物を食べることでしょう。それには、獲物が自殺してくれるのが最も手っ取り早いわ」

    「どうやればぼくが自殺するんだい?」

    「どうやるかは知らないわ。でも、何らかの、説得力ある理由をつければ、あなたが自殺するように仕向けられる可能性はあるでしょ」

    「きみは、ぼくをそのようにして殺そうとしていたのかい?」

    「なにをいっているのよ。あたしがいっていたことを、聞かなかったの? あたしを殺そうとしているのは、あなたじゃないの?」

    「ぼくが?」

    「だってそうでしょう。あたしの頭が、こんなに働くはずもないわ。となると、あなたが、あたしの考えていることをコントロールして、あたしにこのようなセリフをいわせているんじゃないの? そして、あたしを『さとるの化け物』に仕立て上げて、殺そうとしている。そうでしょう!」

    「なにをいってるんだ。ぼくがそんなことできるわけがないじゃないか。きみは、ぼくの心を読み、ぼくが反論できないように、ぼくが考えていることの先回りをして、ぼくが混乱しているうちに、ぼくを食べようとしているんだろう!」

    「あなたは!」

    「きみは!」

     その議論がふっと止まり、二人の瞳が、すうっとこっちを向いた。

     いまだ!

     おれの右手が素早く動いた。


     5

     おれはすっかり伸び切ったラーメンをすすった。

     店内には三人の人間……いや、そのうち一人は化け物なのだが……が倒れていた。

     おれはその「さとるの化け物」に視線を向けた。

     ラーメン屋の親父だった。

     純銀製の、中までずっしりと銀が詰まったシャープペンシルを、親父のこめかみから引き抜いた。先端をとがらせたフェイクのシャープペンシルは、これ以上ない暗殺用の武器になる。おれが手帳にものを書けなかったのも道理だった。

     スマホに連絡を入れた。

    「風渡だ。すべて終わった。一般人がふたり、巻き添えを食って気絶している。思考をコントロールされていたところに、そのコントローラーが死んでしまって、一時的に精神がパンクしたんだろう。たぶん、どうやってこのラーメン屋に来たのかすらも覚えちゃいるまい。いちおう、死なない程度にアルコールでも注射してやってくれ。そうすればふたりとも、泥酔してへべれけになってここへ来たと思いこむだろう」

    『いつもながら手際がいいですね、涼一さん』

    「運に恵まれただけさ」

     おれは謙遜した。

     若造も、女も、自分たちがいいところまで行っていることを知らなかった。もっとも、どこまでが自分たちの思考かもわからなかったことだろう。

     「さとるの化け物」は、相手の心を読むことができるのもほんとうだ。同時に、相手に自分の考えを押し付けることもできるのもほんとうなのだ。

     若造も女も、実際にバーで飲んで意気投合してここに来たかどうかも疑わしい。この店の手前で、その場で「作られた記憶」をインプットされて入ってきたとしてもおかしくはない。現におれがそうだったんだから。

     化け物の目論見としては、まずおれに暗示をかけて店に入れ、次にこの若造と女を店に入れ、それぞれが化け物の書いていた脚本通りに役を演じることによって、三人仲良く死ぬ、というものだったろう。化け物は最近暴れ方がひどすぎた。おれが知っているだけで退魔師を二人返り討ちにしている。おれがやってくることを知り、やつなりに必勝の策で臨んだというわけだが、どっこい、こちらもそんな策にかかるようじゃ、超A級の退魔師の看板は掲げられないのだ。

     店の床下辺りを掘れば、化け物に殺された、本物の店の主人の死体が出てくることだろうが、それはおれの仕事ではない。

    「馬鹿なやつだ」

     おれはさとるの化け物の死体にいった。

     ラーメンはうまかった。ホッピーもうまかった。普通にラーメン屋をやっていれば、ひと財産作って蔵でも立てられたはずなのに、人間の魂を食うことにこだわりすぎて、今はこうして冷たい骸になっている。

     さとるの化け物を倒せたのは、やつが人間について、あまりにも研究を怠っていたからだった。

     退魔師だって努力もすれば修行もする。

     最近では、ある方法で精神集中することで、表の思考と裏の思考を、同時に並列で動かしたうえに、一方を隠すことまでできるのだ。さとるの化け物は、おれの表の思考を完全にコントロールできたと思い込み、隠蔽された中でおれが本当に何を考えているかを知らなかった。

     テレビでは、名前も知らないホークスの選手がヒーローインタビューを受けていた。

    「先祖の教えは、もっときちんと咀嚼するもんだぜ」

     おれは骸に言い捨てると、引き戸を開けて外へ出た。

     そう、人間の恐ろしいところは、考えていないことをすることもできるところなのさ。

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    日本ミステリ36位 サマー・アポカリプス 笠井潔

    東西ミステリーベスト100挑戦記(ミステリ感想・やや毎週土曜日更新)

     これを読むに先立って、シリーズものであるからには読んでおかねばならんだろう、と矢吹駆シリーズ第一作「バイバイ・エンジェル」を再読したわけだが、内容に頭を抱えてしまった。実にポイントを押さえたテロリズム批判である。そして21世紀の今になってもその分析が妥当性を持つ、というのは、人類文明救いがたしというかなんというか、この三十年間、何やっとったんじゃ人類。こみいった感想は54位「バイバイ・エンジェル」で書くことにして、そんな感じで軽く鬱々としながら読んでみた。

     キリスト教の異端カタリ派や、歴史の闇に隠された秘宝などが複雑に絡み、異様な犯行現場と、繰り返されるヨハネ黙示録の四騎士のイメージなどの演出が抜群で、フランスを扱った伝奇ミステリとしてやたらと面白いのではあるが、読み終えた後の感想としては、観念小説としては失敗作ではないか、といわざるを得ない。何よりもこの作品が破綻しているのは、作中における笠井潔の思想の代弁者である矢吹駆より、彼と対峙する社会運動家のシモーヌ・リュミエール(モデルは社会活動家にして思想家のシモーヌ・ヴェイユ)のほうが、どう考えても「まっとう」なことを述べていて、生き方も筋が通った「まっとう」なものだからなのだ。思想批判を企てるはずのものが逆に批判の対象から批判されてぐうの音も出なくなっているようでは、これでは破綻としか呼べんではないか。

     読み終えた今思うと、「テロリズム批判」とは、そのまま「ニヒリズム批判」なのではないだろうか。現実の世界が完全に「無意味」だという認識から、「無意味なものを破壊して、同じ無意味でももうちょっとマシなものを作ろう」という発想が生まれるのだ。キーワードは、「同じ無意味でも」「もうちょっとマシ」というところである。テロリストは、無意味な世界を破壊することによって、この世がいくらかでも有意味なものになる、ということを「信じていない」。それでいながら、「破壊」によって、「助かる命」があることを「知っている」。この異常なダブルスタンダードが、テロリストを自らの生命を賭しての破壊活動に駆り立てさせるのだ。この小説の犯人も、矢吹駆も、シモーヌも、大なり小なり同じこのレベルで話しているのである。どこまでも広がるニヒリズムの荒野に、それでいて現れる「悪」としか呼べないものとどう向き合うか。何のことはない、全員がニーチェの掌の上で踊っているようなものである。

     この小説を再読して、わたしはシモーヌ・ヴェイユという思想家についてもっと知りたくなった。もし、まっとうな考え方によってニーチェのアポリアを克服する可能性があるとしたら、それはシモーヌ・ヴェイユの洞察の中にこそあるのかもしれない。その生き方を踏襲するのは絶対に無理ではあるが、非キリスト教的な思考の果てにキリスト教的な「神」に至る背理にこそ哲学の未来はあるのかもしれない。

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    風渡涼一退魔行 登場人物紹介

    風渡涼一退魔行

    主要登場人物

    風渡涼一 …… フリーの超A級退魔師。

    塚原喜八郎 …… 芽の出ない少女小説作家志望者。 「ぴゅしす」同人。

    織江 …… バー「ソフィア」マダム。少女小説同人サークル「ぴゅしす」主催者。


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    自炊日記・その76(2018年4月)

    自炊日記(ノンフィクション)

    4月1日

     朝食のメニュー
     ピザ
     生野菜サラダ
     グラタン
     ミルクティー
     ヨーグルト
     りんご
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     昼食のメニュー
     天ざるそば
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     夕食のメニュー
     米飯
     味噌汁
     大根の煮物
     ゆで卵
     手羽先
     お浸し
     明太子
     きんぴらごぼう
     温野菜
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    4月2日

     朝食のメニュー
     トースト
     ソーセージ
     ザワークラウト
     野菜炒め
     プルーン
     チーズ
     ヨーグルト
     りんご
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     昼食のメニュー
     サイゼリヤでランチ
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     夕食のメニュー
     米飯
     味噌汁
     ゆで卵
     手羽先
     刺身
     お浸し
     大根の煮物
     トマト
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    4月3日

     朝食のメニュー
     うどん
     寿司
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     昼食のメニュー
     会社でハードボイルドな弁当

     夕食のメニュー
     バーミヤンで優雅なネギラーメン
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    4月4日

     朝食のメニュー
     そうめん
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     昼食のメニュー
     そうめん
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     夕食のメニュー
     近所のすし屋であさりうどんと寿司を少々

    4月5日

     朝食のメニュー
     そうめん
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     昼食のメニュー
     盛岡冷麺
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     夕食のメニュー
     近所のスーパーで買ってきたカツ重
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    4月6日

     朝食のメニュー
     シリアル
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     昼食のメニュー
     お好み焼き
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     夕食のメニュー
     米飯
     味噌汁
     明太子
     大根と練り物の煮物
     塩サバ
     レンコンのきんぴら
     お浸し
     トマト
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    4月7日

     朝食のメニュー
     トースト
     ソーセージ
     野菜炒め
     プルーン
     チーズ
     ミルクコーヒー
     ヨーグルト
     りんご
     エスカルゴ
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     昼食のメニュー
     炒飯
     卵スープ
     ツナサラダ
     杏仁豆腐
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     夕食のメニュー
     米飯
     味噌汁
     かれい煮つけ
     豚しょうが焼き
     お浸し
     大根と練り物の煮物
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    4月8日

     朝食のメニュー
     ピザ
     生野菜サラダ
     プルーン
     クラムチャウダー
     ミルクコーヒー
     ヨーグルト
     りんご
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     昼食のメニュー
     うどん
     ねぎとろ巻き
     レンコンきんぴら
     いちご
     プリン
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     夕食のメニュー
     たけのこご飯
     味噌汁
     お浸し
     しめさば
     大根と練り物の煮物
     サザエつぼ焼き
     いちご
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    4月9日

     朝食のメニュー
     ロッテリアでハッシュポテトが消えたことに怒りながら朝セット
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     昼食のメニュー
     会社でハードボイルドな弁当

     夕食のメニュー
     中華料理屋でレバニラ定食
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    4月10日

     朝食のメニュー
     そうめん
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     昼食のメニュー
     そうめん
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     夕食のメニュー
     チーズリゾット
     味噌汁
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    4月11日

     朝食のメニュー
     チーズリゾット
     味噌汁
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     昼食のメニュー
     そうめん
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     夕食のメニュー
     そうめん
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    4月12日

     朝食のメニュー
     そうめん
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     昼食のメニュー
     そうめん
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     夕食のメニュー
     近所のカレーバイキングでカレーライス

    4月13日

     朝食のメニュー
     トースト
     野菜炒め
     ハム
     チーズ
     プルーン
     ミルクコーヒー
     ヨーグルト
     りんご
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     昼食のメニュー
     かつ丼
     冷ややっこ
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     夕食のメニュー
     米飯
     味噌汁
     煮物
     アジフライ
     コロッケ
     生野菜
     明太子
     黒豆
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    4月14日

     朝食のメニュー
     トースト
     ソーセージ
     野菜炒め
     ザワークラウト
     プルーン
     チーズ
     ミルクコーヒー
     ヨーグルト
     キウイ
     ぶどう
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     昼食のメニュー
     ラーメン
     煮物
     タコ焼き
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     夕食のメニュー
     カレーライス
     味噌汁
     生野菜サラダ
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    4月15日

     朝食のメニュー
     トースト
     ソーセージ
     野菜炒め
     ザワークラウト
     チーズ
     プルーン
     ミルクコーヒー
     ヨーグルト
     りんご
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     昼食のメニュー
     ロースカツ定食
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     夕食のメニュー
     天丼
     味噌汁
     胡麻和え
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    4月16日

     朝食のメニュー
     ざるそば2枚
     惣菜パン
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     昼食のメニュー
     会社でハードボイルドな弁当

     夕食のメニュー
     近所のすし屋であさりうどん
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    4月17日

     朝食のメニュー
     そうめん
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     昼食のメニュー
     そうめん
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     夕食のメニュー
     お茶漬け
     すき焼き風豆腐
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    4月18日

     朝食のメニュー
     そうめん
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     昼食のメニュー
     そうめん
     ヨーグルト
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     夕食のメニュー
     えびドリア
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    4月19日

     朝食のメニュー
     ニンニクラーメン
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     昼食のメニュー
     そうめん
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     夕食のメニュー
     天丼
     うどん
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    4月20日

     朝食のメニュー
     ニンニクラーメン
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     昼食のメニュー
     そうめん
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     夕食のメニュー
     近所のインド料理専門店でカレーライスを18分で
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    4月21日

     朝食のメニュー
     シリアルのヨーグルトかけ
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     昼食のメニュー
     ペヤングソース焼きそばベビースター焼きそばかけ
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     夕食のメニュー
     米飯
     ステーキ
     温野菜
     生野菜サラダ
     筍の煮物
     スープ
     ぶどう
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    4月22日

     朝食のメニュー
     トースト
     ソーセージ
     野菜炒め
     ミルクコーヒー
     ヨーグルト
     いちご
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     昼食のメニュー
     そうめん
     ゆで卵
     筍の煮物
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     夕食のメニュー
     米飯
     味噌汁
     まぐろ刺身
     手羽もと
     筍の煮物
     お浸し
     きんぴらごぼう
     ぶどう
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    4月23日

     朝食のメニュー
     駅のうどん屋で朝カレー定食
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     昼食のメニュー
     会社でハードボイルドな弁当

     夕食のメニュー
     近所の回転すし屋であさりうどん
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    4月24日

     朝食のメニュー
     シリアルのヨーグルトかけ
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     昼食のメニュー
     ニンニクラーメン
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     夕食のメニュー
     チーズリゾット
     味噌汁
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    4月25日

     朝食のメニュー
     そうめん
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     昼食のメニュー
     そうめん
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     夕食のメニュー
     近所の弁当屋でカレーライス
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    4月26日

     朝食のメニュー
     チーズリゾット
     味噌汁
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     昼食のメニュー
     そうめん
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     夕食のメニュー
     そうめん
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    4月27日

     朝食のメニュー
     そうめん
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     昼食のメニュー
     そうめん
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     夕食のメニュー
     近所のスーパーでパック寿司
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    4月28日

     朝食のメニュー
     シリアルのヨーグルトかけ
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     昼食のメニュー
     お好み焼き
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     夕食のメニュー
     米飯
     味噌汁
     ローストビーフ
     しめさば
     生野菜
     大根の煮物
     筍の煮物
     浅漬け
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    4月29日

     朝食のメニュー
     トースト
     ソーセージ
     野菜炒め
     チーズ
     プルーン
     ミルクコーヒー
     ヨーグルト
     マンゴー
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     昼食のメニュー
     うどん
     大根の煮物
     里芋とニンジンの煮物
     ぶどう
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     夕食のメニュー
     米飯
     味噌汁
     えびの鬼殻焼き
     カツオ刺身
     きゅうり
     お浸し
     きんぴらごぼう
     浅漬け
     ぶどう
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    4月30日

     朝食のメニュー
     マグロ丼とうどんの弁当
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     昼食のメニュー
     会社でハードボイルドな弁当

     夕食のメニュー
     駅のうどん屋でぶっかけうどんとミニ天丼のセット
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     もろもろの理由で写真のみ。

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    日本ミステリ35位 猫は知っていた 仁木悦子

    東西ミステリーベスト100挑戦記(ミステリ感想・やや毎週土曜日更新)

     中学生のときに最初に読んだが、そのときはつまらないミステリだとしか思えなかった。驚天動地のトリックが使われているわけではなく、ユーモア・ミステリの割に笑えない作品、という印象しか残っていない。

     さて、それから三十年くらいぶりの再読である。ポプラ文庫からの再版を入手して読んだ。結構根強い人気はあるらしい。

     読んだ感想であるが、思っていたよりははるかによくできたミステリだった。よくいうコージー派を日本を舞台にやってのけた作品であり、作者である仁木悦子は、たしかにコメディリリーフとして、ワトスン役の仁木悦子という人物を出してはいるが、ユーモア・ミステリを書くという発想はなかったであろう。どちらかといえば、アガサ・クリスティーの世界に近い感じがする。

     とはいえ、これが1985年版で35位、2012年度版で77位のランキングに見合うミステリか、と聞かれたら、ううん、と考え込んでしまうのも事実。少なくともわたし好みの作品ではない。2012年度版でこれを入れるのなら、まだしも戸川昌子か夏樹静子のほうがミステリ的にも冒険しているしまだ妥当なのではないかと思う。

     どうも仁木兄妹は、兄の雄太郎も妹の悦子も、常識人すぎて好きになれないんだよなあ。最初に読んだ作品が悪かったのかな。短編「弾丸は飛び出した」という強烈なインパクトを持つ不可能犯罪ものだけど、それで過剰な期待をして見事に裏切られた経験があるので、ネガティブイメージが先行しているのかもしれない。内容は忘れてしまったが、仁木兄妹ものでは「林の中の家」も読んだけれど、あれも陰惨な作品だった気がする。

     否定的なことは書いたけれど、本作はかっちりとしたロジックでもって、ひとつの家庭で起こった事件を描いた堅牢な作品でありながら、ワトスン役である仁木悦子のはつらつとした語りで非常に読みやすく仕上がっている、「トリックよりロジックを」という都筑道夫の主張を先取りしたかのようなよくできた作品である。実質上、新人作家の登竜門としての江戸川乱歩賞としては最初の受賞作であるこれを書いたとき、作者の仁木悦子は、4歳の時に発症した重度の胸椎カリエスで実に25年間にわたって寝たきりの生活を送っていた。よくもまあこんなみずみずしい作品を書けたものだ。

     これは仁木兄妹ものをシリアスなミステリとして読み直すべきなのだろうか。図書館にある全集にまとまっていることだし。うーん、どうしよう。宿題にしておくことにしたい。

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    鋼鉄少女伝説 8 ゲームセンター2038

    鋼鉄少女伝説

    stella white12

       8 ゲームセンター2038



    「あの浦沢がねえ」

    「だから、よしてください、早川さん」

    「だって、まあ、そういうことだろ?」

    「違います」

     ぼくと早川先輩の後を、キリコとユメちゃんはくすくす笑いながらついてきていた。

    「えーと、霧村さんに、小金沢さんだったね。ここに来るのは初めて?」

    「はい」

     キリコは、いつものドスが入った声からは想像もつかないような澄んだ明るい声で答えた。

    「こういうところでのゲームは、やったことがありません」

    「じゃあ、日ごろはどんなゲームをやっているの?」

    「シミュレーションボードゲーム」

     ぼくが、横からぼそりといった。

    「日がな一日、六角形のマス目が書かれたボードの上に数百個の駒を乗せて、サイコロ振って笑っているのが趣味なんだ」

    「えっ……」

     早川先輩が、心なしか、引くのがわかった。

    「そ、それは、変わった趣味だね。SLGなんて」

    「SGです」

     キリコはきっぱりといった。

    「SG?」

    「もともとシミュレーションゲームの略号はSGでした。それを、パソコンゲームだのRPGだのに影響された軟弱なバカどもが、SLGなどという腑抜けた呼び名をいいだしたんです。日本はそこから悪くなってきたんです」

     早川先輩が、さらに一歩、引いた。

    「それって、いつの話だい?」

    「一九八〇年代終わりです」

    「それって、キリコが生まれる前だろうが!」

     ツッコんだ。誰かがやらねばならなかったので。

    「面白い人だね」

     口ではそういっていたものの、早川先輩、完全に逃げ腰だ。そりゃあそうだよな。こんな話をされちゃ。

    「ところで、MAPってどれなんですか?」

     ユメちゃんが尋ねた。視線を左右にさまよわせている。

    「あれだよ」

     ぼくは奥の一角を指し示した。巨大なモニターが据え付けられた金庫室のようなものが、そこにはあった。

    「あれですか?」

     そう、これだ。これがMAP。こけおどしの筐体だ。

    「この中でゲームをやるんですね」

     ユメちゃんが、そっと壁に手を触れてつぶやいた。

    「そうだよ」

     ぼくは答えた。

    「噂には聞いてたけど」

     キリコが、腕組みしながら値踏みするようにMAPを見る。どこか声が攻撃的になっているが、乾燥梅干しが切れたのだろうか。

    「昔から、こういうのってなかったっけ?」

    「あったよ。それで、失敗続きだったんだ」

    「失敗だなんて簡単にいうなよ、浦沢」

     早川先輩は憤然とした。

    「この機体を作るのにはだな、それはそれは多くの人間の汗と涙が」

    「失敗作には違いないじゃないですか」

     ぼくは、そらんじている、アミューズメントゲーム界の歴史を語った。

    「この手の閉鎖型インターネットゲーム機は、だいたい、ゲームセンターが本格的に追い詰められてきた二〇一二年ころから導入され始めたんだ。既存のビデオゲームやパソコン、それからコンシューマー機では味わえない、贅沢ですばらしいゲームをプレイさせるという触れ込みでね。それが」

     まず指を一本折る。

    「第一弾となる初代MAPは、採算を取ろうとメインCPUに低い能力のものを使っていたため、グラフィックとスピードがガタガタになって潰れた」

     指の二本目。

    「根本から設計を見直した二代目のMAPSは、セミ量子CPUの性能に、外部とつながっている回線の性能が追いつかず、これまた不満足なものしか提供できずにまた潰れた」

     指の三本目。

    「三代目のMAPTは、性能的にはなんとかハードルをクリアして、マニアや評論家からの評価も高かった。しかしこれには致命的な欠陥があった」

     早川先輩をちらりと見る。

    「わかりますよね」

    「ああ」

     早川先輩は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

     続けた。

    「一回のプレイにかかる費用がバカみたいに高かったんだ。その額は当時のお金でワンプレイ五千円。いかに優れた能力を持っていたとしても、これじゃあふつうの人間は誰もプレイしようとはしないよ。てなわけでこの機械も、哀れ歴史の闇の中へと姿を消した」

    「そこまでいわなくてもいいじゃないですか、浦沢先輩」

     ユメちゃんが抗議した。

    「いいんだよ、小金沢さん。ほんとうの話なんだから」

     早川先輩が後をひきとった。

    「いいとこなしね」

     キリコが短く論評した。ゲームセンターの努力に向けられたセリフか、今のぼくに向けられたセリフか。深く考えないことにした。

    「とにかく、そういった輝かしい失敗の歴史の果てが、このMAP4だよ。四代目ということになるね。新IT革命の爆発的な技術革新により、MAPTの能力をそのまま、あるいはそれ以上に引き上げることには成功したらしい。そのうえで、プレイにかかる費用も低価格で抑えたことも認めるけど。それでもねえ」

    「それでも、なによ」

    「一回のプレイ料金が」

    「料金が?」

     キリコの疑問にユメちゃんが答えた。

    「会長。ここに値段表が書いてありますよ。ええと、一ゲーム千五百円、三ゲーム四千円、回数券は五枚つづりで五千円」

     キリコは天を仰いだ。

    「なによその値段」

    「これでもぎりぎりだ」

     早川先輩がいった。

    「この機械は場所を食ううえに、一回のゲーム時間も長く取らなければ、値段に見合った感動を与えられない。そのためどうしても料金が上がってしまう。わかると思うが」

    「ゲームを一回やるのに千円も払うなんて、躊躇しちゃいます。それにゲーム時間が長いといったって、一時間もできないでしょう?」

    「長くて三十分だ」

     ユメちゃんの言葉に、早川先輩はしぶしぶ認めた。

    「それなら映画館へ行って映画を見たほうがまだマシだわね。少なくとも映画館なら、一時間半は時間が潰せるわけだし、ET式の3D映画だったらゲームなんかとは段違いの映像が楽しめるだろうし」

     キリコは淡々といった。

     早川先輩が声を荒げた。

    「やってもみないのに、なにがわかる! MAP4のシステムがもたらすあの三十分の興奮はだな、そりゃあもう……そりゃあもう……」

    「ゲームの楽しみは、言葉で語ったって届くもんじゃないです。現に順昇も、いくらシミュレーションボードゲームの楽しみを説いても説いても納得してくれなかったですから」

    「出会いが最悪だったんだ」

     と、ぼくは、吐き捨てた。

    「じゃ、出会ってくか、MAPと。お金はあるよね?」

     早川先輩は気を取り直したようだ。

    「いえ……わたしは」

     首を振ったキリコを早川先輩は不審に思ったらしい。

    「なに? だって、君たちはMAPのゲームをプレイしにここへ来たんだろう? まさか、ここに立って、ただ悪口をいうためだけに来たわけじゃないよな」

    「あまり早くてもなんですし」

    「え?」

     キリコは、鞄からメールのプリントアウトとライトメモリーカードを取り出した。ユメちゃんも、ショルダーバッグからカードを取り出す。

    「順昇も持ってきたんでしょ?」

     ぼくは、認めたくはなかったが、ポケットからライトメモリーカードを取り出した。

    「きみたち?」

     キリコはにっこりと笑った。

    「あたしたち、テストプレイヤーに選ばれたんです」

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