趣喜堂茶事奇譚(うんちく小説シリーズ)
趣喜堂茶事奇譚/ミル・ボーン(その1)
雨だ。暑いのがしばらく落ち着くのはうれしいが、湿気が多くて気持ち悪くてしかたがない。
バイトも休みだし、ひさかたぶりに本かマンガかゲームでも楽しみに行くとするか。
ぼくは『趣喜堂』の扉を開けた。がらんがらんがらん、と鐘が鳴った。
「いらっしゃいませ」
舞ちゃんが、ぼくを認めて声をかけてきた。
「傘は、そこの傘立てに入れてくださいね」
「買ったんだ」
ぼくは、傘立てに傘を入れ、身体から水滴を払った。
電力消費のピークの時間は過ぎていたので、クーラーがついていた。乾いて涼しい空気。生き返る気持ちだ。
テーブルの隅では、井森が本を読んでいた。
「よっ」
「なにを読んでいるんだ? ランサーがモンテに挑んでいるのか? ホンダがレースにカムバックしたのか?」
「ロータリーがインディで咆えているんだ。もうすぐ読み終わるぜ」
井森のやつ、すっかり高齋正先生のファンになってしまったらしい。まあ面白い作品だから当然だけど、たまにはかたい本も読まないと、今後のレポートに差し障るのではないかと思う。
まあ、ぼくとしては、こうして落ち着いた喫茶店でゆっくりとできれば、それでいいんだけど。
「ツイスト博士、なにか面白いものありますか?」
ぼくは、本のつもりで聞いた。
「ああ、井森さんがあと五分くらいであの本を読み終えるはずですから、ちょっと楽しいゲームでもと」
「ゲーム?」
「レースゲームなんかどうかと、店長が」
レースゲームか。レースゲームというと、普通のゲーム分類では、すごろくを指す。コマを動かして、いちばん最初に「あがり」のマスにたどりついたプレイヤーが勝ち、というのがその主なスタイルだ。
「すごろくですか、博士」
たまには童心に帰ってサイコロを振るのもいいかもしれない。
「ヘビとはしごかなにかですか?」
「ああ、そっちのレースゲームじゃなくて、文字通りのカーレースのゲームです。もうつぶれてしまいましたが、アバロンヒルの……」
アバロンヒルでカーレース?
「スピードサーキットですか? いや、あのゲーム、楽しいけれど、ルールを教えるのがたいへんですよ。ここだけの話ですが、井森のやつ、麻雀のルールを覚えるのにもえらい苦労を」
「してねえよ」
井森が本を閉じた。マツダはインディで勝ったらしい。顔つきがレーサーみたいになっていた。ヤクザ映画を見た後で肩をいからせて帰る、というのは聞いたことがあるが、カーレースの本を読んだ後でこんな顔になるとは。やつはいちおう、免許を持っているが、ここまで思い込みが激しいとしたら、やつの車に乗るときには注意したほうがよさそうだ。
「スピードサーキットじゃなかったら、なんですか?」
「ミル・ボーンです」
「ああ、あれですか! モンスターメーカーのもとになったカードゲームですね」
「プレイされたことは?」
「初めてです。あれの、アバロンヒル版があるんですか?」
「いや、アバロンヒルの名前を出したのは、そちらのほうが有名だと思ったからです。今回プレイするのは、最近別な会社から出たバージョンです」
「ミル・ボーンってどういうゲームなんだい? そもそも、ミル・ボーンって、なんなんだ?」
井森がぼくに聞いた。
「ミル・ボーンっていうのは、英語でいうマイルストーン、日本語でいう里程標だ。何マイル進んだかが書かれている標識だな。ゲームの内容は、フランス国内でのキャノンボールだ」
「ああ、交通ルールを無視してどんどん飛ばすゲームなんだな」
「いや、交通ルールはしっかり守ってもらう。レースというより、ドライブのゲームだな。それでいながら、生粋のレースゲームだ」
「なんだそりゃ?」
井森は首をひねった。
ツイスト博士が、カードを切りながら説明を始めた。
「このゲームは四人のプレイヤーが、二人ずつのペアになって行うゲームです。二人用や三人用、六人用のルールもありますが、ペアを組んで四人で戦うのがいちばん面白いでしょう」
「じゃあ、組を決めようぜ。じゃんけんで勝った人間が、好きな相手を指名するということで。それ、じゃんけんぽん……」
勝ったのはぼくだった。ペアの相手にはツイスト博士を選んだ。ぼくだって友達の心がわからないほど野暮で非道ではない。
舞ちゃんとチームが組めたことに、レーサーみたいな顔をさらにレーサーっぽくしている井森をほっといて、ぼくはツイスト博士……捻原さんの説明を聞いていた。
「基本的に、距離カードを出して、ぴったり1000マイル走ったチームの勝ちです」
「妨害があるんでしょう?」
ぼくはにやりとした。
「妨害だって?」
井森がきょとんとした。
「まず、青信号というカードがそのペアの場に出なければ、走り出すことはできません。ペアで、一台の車を走らせていると思ってください。それから、ここが大事ですが、他のチームから妨害カードが出されることがあります。パンク、事故、ガス欠、速度制限、そして赤信号。それらが出されたら、対応するカードを出さなければ一歩も進めなくなります。基本的には、パンクにはスペアタイヤ、事故には修理、ガス欠にはガソリン、速度制限には速度制限解除。赤信号にはもちろん青信号。忘れやすいことですが、パンクや事故やガス欠を処理したら、また新たな青信号カードを待たなければ進めません」
「なんかすごく難しいゲームに見えるんですが……」
説明してくれた舞ちゃんに、井森は眉根を寄せながらいった。
「一回ゲームをやれば、すぐに飲み込めます。それから、さらに防御効果の高いカードがあるのですが」
井森は我慢の限界に来たらしかった。
「説明聞くより、一回、ルールを覚えるためのゲームを始めようぜ! 詰まったら、どんなカードを出せばいいのか、教えてくれればそれでいいからさ!」
まあ、たしかに、ぼくが雑誌で読んだ記事によれば、ルールは単純そのものだったから、井森がいったことが正しいのかもしれない。
(この項つづく)
バイトも休みだし、ひさかたぶりに本かマンガかゲームでも楽しみに行くとするか。
ぼくは『趣喜堂』の扉を開けた。がらんがらんがらん、と鐘が鳴った。
「いらっしゃいませ」
舞ちゃんが、ぼくを認めて声をかけてきた。
「傘は、そこの傘立てに入れてくださいね」
「買ったんだ」
ぼくは、傘立てに傘を入れ、身体から水滴を払った。
電力消費のピークの時間は過ぎていたので、クーラーがついていた。乾いて涼しい空気。生き返る気持ちだ。
テーブルの隅では、井森が本を読んでいた。
「よっ」
「なにを読んでいるんだ? ランサーがモンテに挑んでいるのか? ホンダがレースにカムバックしたのか?」
「ロータリーがインディで咆えているんだ。もうすぐ読み終わるぜ」
井森のやつ、すっかり高齋正先生のファンになってしまったらしい。まあ面白い作品だから当然だけど、たまにはかたい本も読まないと、今後のレポートに差し障るのではないかと思う。
まあ、ぼくとしては、こうして落ち着いた喫茶店でゆっくりとできれば、それでいいんだけど。
「ツイスト博士、なにか面白いものありますか?」
ぼくは、本のつもりで聞いた。
「ああ、井森さんがあと五分くらいであの本を読み終えるはずですから、ちょっと楽しいゲームでもと」
「ゲーム?」
「レースゲームなんかどうかと、店長が」
レースゲームか。レースゲームというと、普通のゲーム分類では、すごろくを指す。コマを動かして、いちばん最初に「あがり」のマスにたどりついたプレイヤーが勝ち、というのがその主なスタイルだ。
「すごろくですか、博士」
たまには童心に帰ってサイコロを振るのもいいかもしれない。
「ヘビとはしごかなにかですか?」
「ああ、そっちのレースゲームじゃなくて、文字通りのカーレースのゲームです。もうつぶれてしまいましたが、アバロンヒルの……」
アバロンヒルでカーレース?
「スピードサーキットですか? いや、あのゲーム、楽しいけれど、ルールを教えるのがたいへんですよ。ここだけの話ですが、井森のやつ、麻雀のルールを覚えるのにもえらい苦労を」
「してねえよ」
井森が本を閉じた。マツダはインディで勝ったらしい。顔つきがレーサーみたいになっていた。ヤクザ映画を見た後で肩をいからせて帰る、というのは聞いたことがあるが、カーレースの本を読んだ後でこんな顔になるとは。やつはいちおう、免許を持っているが、ここまで思い込みが激しいとしたら、やつの車に乗るときには注意したほうがよさそうだ。
「スピードサーキットじゃなかったら、なんですか?」
「ミル・ボーンです」
「ああ、あれですか! モンスターメーカーのもとになったカードゲームですね」
「プレイされたことは?」
「初めてです。あれの、アバロンヒル版があるんですか?」
「いや、アバロンヒルの名前を出したのは、そちらのほうが有名だと思ったからです。今回プレイするのは、最近別な会社から出たバージョンです」
「ミル・ボーンってどういうゲームなんだい? そもそも、ミル・ボーンって、なんなんだ?」
井森がぼくに聞いた。
「ミル・ボーンっていうのは、英語でいうマイルストーン、日本語でいう里程標だ。何マイル進んだかが書かれている標識だな。ゲームの内容は、フランス国内でのキャノンボールだ」
「ああ、交通ルールを無視してどんどん飛ばすゲームなんだな」
「いや、交通ルールはしっかり守ってもらう。レースというより、ドライブのゲームだな。それでいながら、生粋のレースゲームだ」
「なんだそりゃ?」
井森は首をひねった。
ツイスト博士が、カードを切りながら説明を始めた。
「このゲームは四人のプレイヤーが、二人ずつのペアになって行うゲームです。二人用や三人用、六人用のルールもありますが、ペアを組んで四人で戦うのがいちばん面白いでしょう」
「じゃあ、組を決めようぜ。じゃんけんで勝った人間が、好きな相手を指名するということで。それ、じゃんけんぽん……」
勝ったのはぼくだった。ペアの相手にはツイスト博士を選んだ。ぼくだって友達の心がわからないほど野暮で非道ではない。
舞ちゃんとチームが組めたことに、レーサーみたいな顔をさらにレーサーっぽくしている井森をほっといて、ぼくはツイスト博士……捻原さんの説明を聞いていた。
「基本的に、距離カードを出して、ぴったり1000マイル走ったチームの勝ちです」
「妨害があるんでしょう?」
ぼくはにやりとした。
「妨害だって?」
井森がきょとんとした。
「まず、青信号というカードがそのペアの場に出なければ、走り出すことはできません。ペアで、一台の車を走らせていると思ってください。それから、ここが大事ですが、他のチームから妨害カードが出されることがあります。パンク、事故、ガス欠、速度制限、そして赤信号。それらが出されたら、対応するカードを出さなければ一歩も進めなくなります。基本的には、パンクにはスペアタイヤ、事故には修理、ガス欠にはガソリン、速度制限には速度制限解除。赤信号にはもちろん青信号。忘れやすいことですが、パンクや事故やガス欠を処理したら、また新たな青信号カードを待たなければ進めません」
「なんかすごく難しいゲームに見えるんですが……」
説明してくれた舞ちゃんに、井森は眉根を寄せながらいった。
「一回ゲームをやれば、すぐに飲み込めます。それから、さらに防御効果の高いカードがあるのですが」
井森は我慢の限界に来たらしかった。
「説明聞くより、一回、ルールを覚えるためのゲームを始めようぜ! 詰まったら、どんなカードを出せばいいのか、教えてくれればそれでいいからさ!」
まあ、たしかに、ぼくが雑誌で読んだ記事によれば、ルールは単純そのものだったから、井森がいったことが正しいのかもしれない。
(この項つづく)
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たまに思うのですが
ポールさん、ポールさん。
挿絵とか入れてみませんか?
ルールなんかを説明されても
難しくて・・・。
でしゃばったマネごめんなさい。
ポールさん、ポールさん。
挿絵とか入れてみませんか?
ルールなんかを説明されても
難しくて・・・。
でしゃばったマネごめんなさい。
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Re: ねみさん
すみません(汗)