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    昨日飲んだウーロン茶はマズい(変奏曲その2・ラブロマンス)

     ←昨日飲んだウーロン茶はマズい(変奏曲その1・ホラー) →昨日飲んだウーロン茶はマズい(変奏曲その3・ミステリ)
     今度の誕生日で八十八になる田辺清造はぷりぷりしながら、見舞いに来ていた家族にいった。

    「なんだ、昨日のあのウーロン茶は。まずいにもほどがある。わしはいつものメーカーにしろといっていたではないか」

     息子の太一は、頭をかいていった。

    「すみません、父さん。でも、一本五十八円だったら、ちょっと試しに買うでしょう?」

    「おじいちゃん、ウーロン茶嫌いなの?」

     孫の誠がいった。今年五つである。田辺家の男たちは、どういうわけか晩婚が多かったのだ。

    「ウーロン茶は好きだよ。でも、ウーロン茶にも違いがあってな。ほら、お前が好きなオレンジジュースにも違いがあるじゃろう」

     誠は首をひねった。

    「えー、オレンジジュースは、オレンジジュースだよ」

    「太一、お前どういう教育をしとるんじゃ」

    「このくらいの子供だったらだいたいそうですって。で、持って帰りますか、そのウーロン茶?」

    「いや。置いておけ。わしが飲む」

     昭和十年生まれの悲しさだな、と思いつつ、清造は答えた。

    「で、父さん、糖尿の様子はどうです?」

    「毎日の食事が味気なくてかなわん。酒の代わりにウーロン茶なんかをすすっている自分が情けなくなってくる。思うんじゃが、糖尿病というのは、身体の具合や合併症よりも、人生に張りがなくなってくたばってしまうタイプの病気じゃなかろうか」

     太一はにやりとした。

    「お父さん一流のアフォリズムですね。そんなことを考えている余裕があるなら、大丈夫です。百二十まで生きますよ」

     誠が目を輝かせた。

    「おじいちゃんギネスブックに載るの?」

     清造も太一も笑った。

    「ああ、ああ、もちろんじゃとも。誠のためなら、おじいちゃんは百二十でも、百三十でも生きるぞ。そして、ギネスブックに載って、お前の子供を抱いてやるからな」

    「約束だよ、おじいちゃん!」

    「約束じゃ」

     太一は立ち上がった。

    「元気なようで安心しました。洋子も来られたらよかったのですが、なにせ……」

    「わかっとる。人が死ねば人が生まれるのは万古不易の真実じゃからな」

    「すみません。これから向こうも回ってきます。ほら、行くぞ、誠」

     ふたりは出て行った。

    「ギネスブックか……」

     清造は、一人残された病室で、物思いにふけった。

     あいにくと、そこまで生きていられそうもないことは、医者から肝臓のデータを見せられたときに察しはついていた。これでも、もとは大日本帝国陸軍軍医少尉あがりの医者なのだ。

    「どれ……」

     清造はよろよろと立ち上がった。病院をうろつくくらいの運動は毎日しなければ、病状はさらに悪化することを清造は知っていた。そしてそれも、大差がないことも。

     どこをどういくわけもない。パジャマ姿で杖をつき、スリッパでぺったんぺったん歩くだけだ。看護婦とも顔なじみになり、「あら先生」などと冗談を飛ばしてくる。

    「ふ……」

     老人病棟からエレベーターで階下に降り、売店で新聞を買ってまた老人病棟に戻って、老眼鏡片手に新聞を読むのだ。これまでは、それに加えてウーロン茶を買う目的もあったが、太一が買ってきたウーロン茶のペットボトルのために、病室の小型冷蔵庫はパンク状態だ。

    「ふん……」

     新聞だけ買って、エレベーターで老人病棟に上がった清造は、妙に病棟の一角が立て込んでいるのに気がついた。

    「患者か」

     清造はちらりと表札を見、そして……凍りついた。

    『百目鬼 サト子』

     それはたしかにそう読めた。

     しかし……ばかな。そんなはずはない。あの女性は……。

     清造の思いは、一九四五年の、敗色濃厚な帝都、東京は高田馬場へと戻っていた。



    「お医者さんなんですって?」

     割烹着にもんぺ姿のその女性は、そういうと、帝大の制服を着た清造の前に、最近ではごぶさたなご馳走の数々を並べてくれた。

     中でもいちばん嬉しかったのは。

    「それでは、いただきます!」

     白いご飯と実入りの味噌汁だった。あとは山のようなおからの煮物。

    「どう見ても、兵役免除みたいな身体をしてるわね」

    「馬鹿にしないでください! これでもお国のためにいさぎよく死ぬ覚悟です! 丙種合格ですが……サトさん」

     清造は、声が小さくなるのを覚えた。

     この三十をちょっと越えた女性が、夫の死後、孤閨を守り続けていることは清造もよく知るところだった。

    「気をつけろよ」

     医学生の仲間はいったものだ。

    「ああいう女のもとで寝泊りしてると、食われちまうぜ。お前みたいな朴念仁はな」

    「それはひどい侮辱というものだ。あの人も、道理がわからぬ年齢じゃない」

    「あの人、ほんとうはいくつなんだろうな。おっと、女性の歳は聞かぬが花だった」

    「当たり前だよ」

     サトさんはそんな女性ではない、清造は勝手にそう決めていた。

     それにしても美しい女性だった。下宿などをやるにはふさわしくない女性に見えた。

    「独逸語はできて?」

    「え……あー、できます」

     清造は、なんとかドイツ語で返事をした。

    「よかったわ。この本、どうしようかと思っていたのよ。主人が、戦地への一冊になにを持っていくか迷ってね……結局、この本を残していったわ」

     百目鬼、という珍しい姓をもつこの女性の身体の線を、医学生の清造は容易に想像し得た。

    「なにを赤くなっていらっしゃるの?」

     サトは笑いながら、革装の本を清造に手渡した。

    「い、いえ。これは……?」

    「ゲーテの『ファウスト』。簡単にいえば、馬鹿な男に馬鹿な女がだまされて、女は男を死んでから初めて許した、という話ね」

    「それはちょっと……」

    「冗談よ。とにかく、わたしなんかよりは、あなたの手にあったほうが、この本も浮かばれる、ということは確かね」

     サトはおからの煮物の皿を押し出した。

    「まあ、その本は、気が向いたら読めばいいわ。医学用語や軍事用語だけで独逸語を学んでいると、やがて……」

     サトは一瞬、顔を曇らせたが、清造の手から本を取り上げていった。

    「さあ、食べて、食べて! 腹が減ってはいくさはできぬ、よ!」



     ひと月後、清造は荷づくりをしていた。明日は応召なのだ。日本を取り巻く情勢は悪化の一途をたどり、今は帝都を敵機が我が物顔で空襲している有様なのだ。

     携えていく一冊の本をどうするか、清造は悩んだ。「ファウスト」にするか、「葉隠」にするか。

     独逸語がもっとできれば「ファウスト」にするのだが……清造はそう思いつつページをぱらぱらとやっていた。

     その視線が、ページのひとつに落ちた。最終ページの寸前、グレートヘンという名を持っていた贖罪の女が台詞を述べるところだ。

     横書きの日本語でこう書きくわえてあった。かなりの達筆のペン字だ。

    『天国に昇れぬ愚かな女はだうすればいいのでせうか
     わたくしの前にまたひとりのファウストがあらはれるとは』

     清造は凍りついたようにその書き込みを見つめていた。



    「百目鬼さん、この『ファウスト』はお返しします。ぼくには『葉隠』のほうが合っているようです」

    「行かれるのですね。ご無事を祈っております」

    「帰ってくるときは靖国でしょう。それでは、これまでいろいろとありがとうございました」

     清造は頭を下げ、下宿を出て歩いていった。

     事態は皮肉なことになった。

     輸送船がことごとく敵の潜水艦により破壊されたため、ネズミ輸送と称して清造たちの部隊を乗せた駆逐艦は、目的地である沖縄にたどり着く前に敵空母から発進した敵機の大部隊による急降下爆撃の洗礼を受け、大破してしまったのだ。

     清造は真っ暗な海を二日間漂流し、半病人のような姿で米軍の駆逐艦に救助された。

     清造は知らないが、そのころ、東京ではとんでもないことが起こっていた。

     東京大空襲である。不滅のはずの帝都は、焼夷弾の雨の前に、あっというまに灰と瓦礫の山と化した。

     ここに、百目鬼サトの人生は、もしあったとしても、完全に田辺清造と袂を分かった……はずだった。



     逡巡した挙げ句、田辺清造は、病室のドアをノックした。

    「はい」

     中から、若い娘の声がした。

    「失礼ですが……ここにおられるのは、昔、戦前ですが、高田馬場にお住まいになられていた百目鬼さんですかな?」

    「先生をご存知なんですか?」

     扉が開いて、メガネをかけた高校生くらいの少女が顔を出した。

    「かまわなかったら、部屋に入れていただきたいのじゃが……わしが知っている百目鬼さんでしたら、田辺清造という名前を出せば、もしかしたら覚えていらっしゃるかも……」

    「残念ですが、先生は、もう……」

    「お亡くなりに?」

     清造は目の前が真っ暗になった。

    「いえ。三年ほど前に事故に遭い、植物状態になってしまったんです」

    「お嬢さんは、百目鬼さんの?」

    「先生は、天涯孤独です。ご主人を南方で亡くされてからは、結婚もなさらなかったようで、ひたすら実家の私塾で、ドイツ語の教育を……わたしは、塾の縁と、高校のボランティア授業で、先生のお世話をしているんです。とはいっても、やってることは、看護婦さんのいない間は、ただ座ってるだけですけどね」

     少女は、横にどくと、清造を部屋の中へと入れてくれた。

     清造は、まじまじと、横たわる老婆の姿を見た。

    『あなたは相変わらず美しい……』

     清造は、目をこすった。

     壁の額に、なにかがかけてあった。清造は老眼鏡で見た。

    「焼け焦げだらけですけど、ファウストの一ページですよ。元気だったときの先生が、大事にしていらしたものです。ちょっと、焦げがひどくて、読みづらいんですけど」

     そこに書かれていたものは、清造には暗唱することすらできた。サトに託そうと、後半半分は自分が書いたのだから当然だ。

    『天国に昇れぬ愚かな女はだうすればいいのでせうか
     わたくしの前にまたひとりのファウストがあらはれるとは

     ああわがグレートヘンよ
     あなたとめぐり会へて僕はどれだけ幸せを覚えたことでせう』

     清造は窓の外を見た。

    「なにか、先生についてご存じなことがあるんですか?」

     少女に、清造は答えた。

    「わしが知っているのは、わずかな時間がもたらした、『夢』だけでな……夢は夢のままにしておくのがいちばんいい」

     清造は少女に頭を下げた。

    「どうもありがとう。思わぬ再会ができた」



     自分の病室に戻ると、清造は冷蔵庫を開けてウーロン茶のペットボトルを開け、コップに移すとひと息で飲んだ。

     今日のウーロン茶はまずくはなかった。

     ただほろ苦く……そして塩辛かった。

     清造は、百目鬼サトがいま、いくつになるのか聞くのを忘れていたことに気がついた。

    「女性の歳は聞かぬが花……」

     清造はウーロン茶を飲んだ。
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    ~ Comment ~

    Re: かえるママ21さん

    お誉めいただいてありがとうございます。

    今さら直すのも恥ずかしいのでそのままにしてありますが、この小説、どうにも取り繕いようのないばかでかいミスをしているのです。

    気づいたら大笑いできます。

    それを考えると、やはりわたしにあるのは「才能」ではなくて「悩」のほうかもしれません(^_^;)

    SFの方も読んでました。
    すごいですね。才悩がおありですよ。
    色んなジャンルを。

    終戦のこの季節は、戦争を考えつつ、こういうのを読みたいです。

    Re: YUKAさん

    読み返してみるといろいろ年代設定を間違えていたりして、違う意味で赤面ものだったりする(笑)

    おかしいなあきちんと年表作ったはずなんだけどなあ(笑)

    早速、こちらに^^

    良い話でした。

    決して結ばれなかったけれど、実った恋。
    思わぬ再会に心が温かくなりました^^

    さすがですね^^

    Re: ぴゆうさん

    女心はよくわからないので(^^;)、こういう、ほんとに純粋なラブロマンスを書くと恥ずかしさよりも、これって小説として成立してるのか、という疑念にかられます(笑)

    評価していただいて嬉しい限りです(^^)

    NoTitle

    いいーーーー
    恋愛はプラトニックに限る。
    当時の時代背景が目に浮かぶようでした。
    戦争未亡人の淡い恋。
    いいなぁ~~

    Re: 歌さん

    便宜上「ショートショート」に入れてしまいましたが、これ、基本的に「拝啓」を元ネタにした「ささげもの」です。

    お持ち帰りになって歌さんのブログの飾りのひとつにしていただければ作者としてはこれ以上の幸福はありません。

    てことで!

    NoTitle

    ウーロン茶が喉と目に沁みそうです……。
    ビターで狂おしい和製ファウストですね。グレートヒェンは糸を紡いだのか。
    と、ととところでこれはもしや『拝啓』を混ぜていただいていたりするのでしょうか……ッ?! もしそうでしたらあんなダルダルな詩にこんな壮大でグッとくるラブロマンスにしてくださって、本当ありがとうございます……!

    Re: 才条 蓮さん

    おおこれはすごい! ドンドンパフパフ~♪

    コミケが終わったときに財布に余裕があったら、ウーロン茶を節約して買わせていただきます。

    いまのわたしには100円玉1枚が血の1枚なのであります(^^;)

    追記

    ようやくGH1898年~黄昏の母の為のパヴァーヌ~
    が7月30日本日発売となりました。




    http://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ081290.html

    ポールさんには最初からここまでずっと読んでいただきありがとうございます。おかげでここまでこぎつけました。
    ポールさんのキャラもゲーム化できるようにこれからもがんばってまいります。

    Re: 才条 蓮さん

    食事は、バランスの面も重大ですからね……。

    菜食主義のなかでも、精進料理しか許されていない日本の僧侶は、あれだけやせているのに元気だからなあ。

    とはいえ、わたしがそんな真似をしたら三日で人事不省だなあ。ほんものの「餓鬼」になってしまいかねん(笑)

    NoTitle

    糖尿病は何気に大変な病気ですよね。
    結構大変ですよね。
    長生きしたければひっそりと細々とした食生活、豪快な食生活をする場合は命の保証はしないですよ・・・的な病気ですからね。

    某アズクウェイドが20年以上の菜食主義者は普通の人より寿命が長いと語っていますけど、あれは本当らしいです。

    Re: ねみさん

    二次大戦ものを日本側から書くのはつらい。

    なにをどう書いても負け戦になるもんな(^^;)

    ポールさんにしては長い短編でしたね。
    大好物です、ありがとうございます。

    Re: 矢端想さん

    わたしだって若いつもりだ。

    少なくとも矢端想さんよりは若いつもりだ(笑)

    ちなみにこの小説、本来なら「ささげもの」に入るはずでありました。そこらへんの経緯は祭歌さんの「イースターエッグの夜」に詳しいのですが、歌さんの詩にコメントした、わたしのちょっとしたジョークがあれよあれよという間にハートフルなりビターなりなラブロマンスに成長してしまい……(^^;)

    NoTitle

    またいい話だなあ。

    若い奴にゃわからねえだろう。(オレだってまだ若いつもりだ)

    ロマンスは永遠だ。
    人の想いも永遠だ。

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