「紅蓮の街(長編ファンタジー・完結)」
紅蓮の街・外伝「彼らなりの詩(うた)」(掌編シリーズ・完結)
紅蓮の街・外伝/十八番目の男
十八番目の男
「いいかい」
病床で、母は息子の嵌めた、黒く汚れた指輪を指し示して、苦しい息の下からいった。
「これは、お前を怪物にしないための指輪だよ。もし、これを抜いたら、お前は怪物になってしまうよ。だから、わかったね。人並みの幸せが欲しかったら、決して、決して、抜くんじゃないよ」
「わかったよ。……わかったよ、お母さん。だから、だから元気になってよ! ぼくは、ぼくは!」
少年の叫びは、扉を蹴破る音で断ち切られた。
「金はできたんだろうな?」
少年は、はっと振り返ると、頭を下げ、はいつくばった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、お金は、お金は必ず!」
ずかずかと入ってきた男たちは少年を蹴り飛ばし、粗末な寝台から、横になるしかない身体の母を引きずり出すと、少年ともども家の外へ放り出した。
「おやおや。これが害虫というものかねえ」
投げかけられた声に少年が上を向くと、派手ではないが、じゅうぶんに金をかけられたことがわかる外出着を着た若い女が、笑いながら立っていた。
美人の範疇に、それも飛び切りの美人の範疇に入る女だ、ということは少年にもわかった。この女が自分に好意的でないということも。
「奥方様! これより害虫駆除の実演をお見せいたします」
男たちは女に一礼すると、少年と母親に、先ほどまでとは比べ物にならぬ、蹴りと踏みつけによる凄まじい暴力を浴びせた。
暴力がどのくらいの時間続いたのか、もう少年にはわからなくなっていた。
「ふん! お前たちのような、人の金を食らうしかないような蝗(いなご)は、人に踏まれて死ぬのが定めさ! 皆も見ておきな! これが、金を借りて返さない害虫の末路だよっ!」
もうろうとした頭で、少年は、この「奥方」と呼ばれた女の、そのような声を聞いた気がした……。
気がついたとき、少年は、小さなあばら家の床に寝かされていた。
「わかるか?」
しわがれた声がした。
少年がぱちぱちと瞬きすると、指が二本突き出された。
「何本だ?」
「に……二本」
「目は開いているようじゃな」
少年の頭が、やっとはっきりとしてきた。はっきりとしてくると同時に、いちばん考えなくてはならないことを思い出した。
「お母さん!」
跳ね起きようとした少年は、激痛に再び臥せるしかなかった。
「無理しないほうがええ。肋骨が折れている。しばらくはここで養生せえ」
少年は声の主に目をやった。顔に皺を刻んだ老人が、少年を見下ろしていた。
「でも、おじいさん。お母さんが……」
「あの気の毒なご夫人はお前の母親か。大丈夫、もう苦しんではおらんよ」
少年がほっ、としたのも一瞬だった。もとから頭が悪くなかった少年は、その言葉の裏にある意味を悟ってしまったのだ。
「ということは、お母さんは……」
「聡い子じゃ。お前の母は、大地に還った。これ。ミミ! ミミ!」
少年の半分ほどの年齢だと思われる、色白の女の子が、縁の欠けた小さな碗に、なにかを入れて持ってきた。
「これは……?」
「なにもいわずに飲め。小麦粉を少量、水に溶いたものじゃ。遠慮はいらん」
少年は女の子の手中にある碗から、その粉まじりの水を飲んだ。
「指に面白いものをしていたな」
そうだ。少年は思い出した。指輪だ。
「すみません。お礼に、これを……」
「いらんよ。それは、魔封じの指輪だ。それを外すと、お前さん、怪物になってしまう。人間でなくなってしまうのじゃ。それでも、いいのか?」
言葉に詰まる少年に、老人はかすかに笑った。
「なに、金はいらんよ。それより、怪我が治ったら、みっちり働いてもらう。わしもこの歳じゃから、孫娘を食わすのもたいへんなのじゃ」
少年は、ほっ、と息を吐くと、目をつぶって、静かに答えた。
「働かせてくれるなら、これ以上ありがたいことはないです。ぼく、がんばって働きます」
しばらく後、少年は安らかな表情で寝息を立て始めた。このところまったく訪れていなかった、久しぶりの、心から安心しきった眠りだった。
老人がそこらへんのもので器用に作った、松葉杖を片手に、少年は女の子と「仕事」をしていた。
「身体がまだ元に戻っていないけど……君のおじいさん、いろいろなことを知っているみたいだね。口上まで知っているんだから」
少年たちがやっていたのは、「物乞い」だった。
「もちろん。このあたりでは、ちょっとした顔だよ。このあたりの物乞いの、頭をしている人だもん」
「じゃ、ぼくは永遠に……」
ちょっと蒼ざめる少年に、ミミは笑顔を見せた。
「お兄ちゃんは大丈夫よ、さっき見ていたけれど、この仕事の才能はないから。身体が治ったら、どこかのギルドに奉公に出されるわね。見習いはいつも不足しているし、もしかしたら軍隊かも。そういった斡旋業でも、おじいちゃんは顔が利くのよ」
「ふうん」
「もしかしたら、お兄ちゃん、おじいちゃんの片腕になっているかもね。数字に明るいみたいだから。そしたら、お兄ちゃん、おじいちゃんの後を継いで、あたしをもらってね」
少年は咳き込んだ。あばらが悲鳴を上げた。
「お兄ちゃん、だいじょうぶ?」
ひっくり返った少年を見て、ミミは心配そうにいった。
「君が変なこというからだ」
「だって初めてなんだもん」
少年を助け起こしながら、ミミはいった。
「なにが」
「あたしのことを、『お前』なんていわずに、『君』って呼んでくれた人」
そういうと、ミミは、朗らかに笑った。
少年も苦笑いをした。ふと、その視線があるものを捉えた。
忘れようとしても忘れられない女の似姿が描かれた肖像画だった。
「あれは?」
ミミは肩をすくめた。
「あたしたちとは、関係ない人よ。この街どころか、いくつもの属領をまたいでお金を動かしている、大金持ちの若奥さん。ブリューヌ夫人っていうの」
少年の目の光が、憎悪に染まっていることに、さすがのミミも気がつかなかった。
もうひとつミミの気がついていないことがあった。さっき転んだときに、ほんの一筋だけだが、少年の指にはめられた魔封じの指輪の塗料がはげ、下から、金無垢の地が見えていたのである。
少年の怪我が癒され、完全にもとに戻るまでは、かなりの時間がかかった。
そしてある朝、ミミは、あばら家の戸口に銀貨数枚が置かれていることに気がつき、祖父を起こした。
老人は、あきらめたような口調でいった。
「あの小僧……人を捨て、怪物になる道を選んだのじゃな……。ミミ、あの小僧のことは忘れなさい。もう、わしらの手が届かんところに行ってしもうた……」
指輪は、塗られていた黒い塗料をはがすと、その美しい地肌を明らかにした。市場に持っていくと、少年が思っていたよりも高い値段で売れた。
二十年の時が流れた……。
ブリューヌ・アスフィエル夫人は、この成り上がりの男の前にひざまずいていた。
夫人にとっては屈辱以外のなにものでもなかった。
男は冷酷そのものの目で夫人を見た。それは、肉の重さを勘定する肉屋のそれと同じ目つきだった。
「なるほど、アスフィエル家のお手持ちの資産は、総額にしてもそれだけしかないと。これは困りましたなあ。それでは、わたくしの貸付額に足りませんしなあ。支払いの期限は、明日までなのですがなあ」
「ですから、あと数日お待ちいただきたいと……数日すれば……」
「なるほど、ソチュの塩鉱からの収益が上がると。しかし、それは難しいでしょうなあ」
男は淡々と続けた。
「わたくしどもの情報網では、あの塩鉱の話は、詐欺師による作り話だった、という報告が上がっておりますがなあ。まあ、アスフィエル家に入ってくる利益の総額は、せいぜい銅貨三枚程度ではと……」
ブリューヌ夫人ははじかれたように立ち上がった。
「ぜ、全部、お前の筋書きによる罠だったのね! わたしたちの資産を食い潰すための……ケルナー! この飛び蝗!」
男はせせら笑いでそれに答えた。
「そう、わたくしは飛び蝗みたいなもんですな。わたしは、人の資産を襲って、食べて、咀嚼し、よく実った作物畑を一面の荒れ地に変えてしまうことが仕事でして。それをわかっていたはずですな、夫人? でもどういうわけか、わたくしとつきあう人は、わたくしが彼ら自身を食ってしまうことについては、完全に忘れ去ってしまうらしいんですよ」
こほん、と、ケルナーは空咳をした。
「ただし、話によっては、待ってもよろしいですな。夫人、あなたの溺愛する、三女のファシーヌ嬢をわたくしにいただければ……」
ブリューヌ夫人の顔色が真っ青になった。
「そ、それだけは……おやめくださいませ。わたしの命を差し出してなんとかなるならば……」
ケルナーは口の端を曲げた。
「おやおや。あなたがなにをするのも勝手ですが、それによって、あなたのお嬢さんがどうにかなるのですか?」
ブリューヌ夫人は黙るしかなかった。
「頭取。確認しました。ブリューヌ夫人は、邸に火をかけて、ファシーヌ嬢と無理心中をはかり、死にました。親娘ともにです」
「そうか」
ケルナーは部下の言葉にうなずくと、表情ひとつ変えずに書類に戻った。
「では、わたくしは……」
「うむ。ひとりにしておいてくれ。用ができたら、呼ぶ」
部下が出て行った執務室で、ケルナーは机の引き出しを開けた。
その中から、数日前に古物商から手に入れた、ひとつの金無垢の指輪を取り出すと、机に置いて、語りかけた。
「……母さん、ミミ……ぼくは、ほんものの、怪物になってしまったよ……長年の思いは遂げたけれど、これからどうすればいいか、ぼくにはわからない……」
終末港に本店を移し、今や押しも押されぬ大銀行家になったケルナー頭取は、公の場では寸分の隙もない身だしなみをすることで有名であった。
だが、その手に目を止めるものは少ない。目を止めたものも、その手に指輪がはめられているとかいないとか、そんなささいなことはすぐに忘れ去ってしまうものだ……。

「いいかい」
病床で、母は息子の嵌めた、黒く汚れた指輪を指し示して、苦しい息の下からいった。
「これは、お前を怪物にしないための指輪だよ。もし、これを抜いたら、お前は怪物になってしまうよ。だから、わかったね。人並みの幸せが欲しかったら、決して、決して、抜くんじゃないよ」
「わかったよ。……わかったよ、お母さん。だから、だから元気になってよ! ぼくは、ぼくは!」
少年の叫びは、扉を蹴破る音で断ち切られた。
「金はできたんだろうな?」
少年は、はっと振り返ると、頭を下げ、はいつくばった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、お金は、お金は必ず!」
ずかずかと入ってきた男たちは少年を蹴り飛ばし、粗末な寝台から、横になるしかない身体の母を引きずり出すと、少年ともども家の外へ放り出した。
「おやおや。これが害虫というものかねえ」
投げかけられた声に少年が上を向くと、派手ではないが、じゅうぶんに金をかけられたことがわかる外出着を着た若い女が、笑いながら立っていた。
美人の範疇に、それも飛び切りの美人の範疇に入る女だ、ということは少年にもわかった。この女が自分に好意的でないということも。
「奥方様! これより害虫駆除の実演をお見せいたします」
男たちは女に一礼すると、少年と母親に、先ほどまでとは比べ物にならぬ、蹴りと踏みつけによる凄まじい暴力を浴びせた。
暴力がどのくらいの時間続いたのか、もう少年にはわからなくなっていた。
「ふん! お前たちのような、人の金を食らうしかないような蝗(いなご)は、人に踏まれて死ぬのが定めさ! 皆も見ておきな! これが、金を借りて返さない害虫の末路だよっ!」
もうろうとした頭で、少年は、この「奥方」と呼ばれた女の、そのような声を聞いた気がした……。
気がついたとき、少年は、小さなあばら家の床に寝かされていた。
「わかるか?」
しわがれた声がした。
少年がぱちぱちと瞬きすると、指が二本突き出された。
「何本だ?」
「に……二本」
「目は開いているようじゃな」
少年の頭が、やっとはっきりとしてきた。はっきりとしてくると同時に、いちばん考えなくてはならないことを思い出した。
「お母さん!」
跳ね起きようとした少年は、激痛に再び臥せるしかなかった。
「無理しないほうがええ。肋骨が折れている。しばらくはここで養生せえ」
少年は声の主に目をやった。顔に皺を刻んだ老人が、少年を見下ろしていた。
「でも、おじいさん。お母さんが……」
「あの気の毒なご夫人はお前の母親か。大丈夫、もう苦しんではおらんよ」
少年がほっ、としたのも一瞬だった。もとから頭が悪くなかった少年は、その言葉の裏にある意味を悟ってしまったのだ。
「ということは、お母さんは……」
「聡い子じゃ。お前の母は、大地に還った。これ。ミミ! ミミ!」
少年の半分ほどの年齢だと思われる、色白の女の子が、縁の欠けた小さな碗に、なにかを入れて持ってきた。
「これは……?」
「なにもいわずに飲め。小麦粉を少量、水に溶いたものじゃ。遠慮はいらん」
少年は女の子の手中にある碗から、その粉まじりの水を飲んだ。
「指に面白いものをしていたな」
そうだ。少年は思い出した。指輪だ。
「すみません。お礼に、これを……」
「いらんよ。それは、魔封じの指輪だ。それを外すと、お前さん、怪物になってしまう。人間でなくなってしまうのじゃ。それでも、いいのか?」
言葉に詰まる少年に、老人はかすかに笑った。
「なに、金はいらんよ。それより、怪我が治ったら、みっちり働いてもらう。わしもこの歳じゃから、孫娘を食わすのもたいへんなのじゃ」
少年は、ほっ、と息を吐くと、目をつぶって、静かに答えた。
「働かせてくれるなら、これ以上ありがたいことはないです。ぼく、がんばって働きます」
しばらく後、少年は安らかな表情で寝息を立て始めた。このところまったく訪れていなかった、久しぶりの、心から安心しきった眠りだった。
老人がそこらへんのもので器用に作った、松葉杖を片手に、少年は女の子と「仕事」をしていた。
「身体がまだ元に戻っていないけど……君のおじいさん、いろいろなことを知っているみたいだね。口上まで知っているんだから」
少年たちがやっていたのは、「物乞い」だった。
「もちろん。このあたりでは、ちょっとした顔だよ。このあたりの物乞いの、頭をしている人だもん」
「じゃ、ぼくは永遠に……」
ちょっと蒼ざめる少年に、ミミは笑顔を見せた。
「お兄ちゃんは大丈夫よ、さっき見ていたけれど、この仕事の才能はないから。身体が治ったら、どこかのギルドに奉公に出されるわね。見習いはいつも不足しているし、もしかしたら軍隊かも。そういった斡旋業でも、おじいちゃんは顔が利くのよ」
「ふうん」
「もしかしたら、お兄ちゃん、おじいちゃんの片腕になっているかもね。数字に明るいみたいだから。そしたら、お兄ちゃん、おじいちゃんの後を継いで、あたしをもらってね」
少年は咳き込んだ。あばらが悲鳴を上げた。
「お兄ちゃん、だいじょうぶ?」
ひっくり返った少年を見て、ミミは心配そうにいった。
「君が変なこというからだ」
「だって初めてなんだもん」
少年を助け起こしながら、ミミはいった。
「なにが」
「あたしのことを、『お前』なんていわずに、『君』って呼んでくれた人」
そういうと、ミミは、朗らかに笑った。
少年も苦笑いをした。ふと、その視線があるものを捉えた。
忘れようとしても忘れられない女の似姿が描かれた肖像画だった。
「あれは?」
ミミは肩をすくめた。
「あたしたちとは、関係ない人よ。この街どころか、いくつもの属領をまたいでお金を動かしている、大金持ちの若奥さん。ブリューヌ夫人っていうの」
少年の目の光が、憎悪に染まっていることに、さすがのミミも気がつかなかった。
もうひとつミミの気がついていないことがあった。さっき転んだときに、ほんの一筋だけだが、少年の指にはめられた魔封じの指輪の塗料がはげ、下から、金無垢の地が見えていたのである。
少年の怪我が癒され、完全にもとに戻るまでは、かなりの時間がかかった。
そしてある朝、ミミは、あばら家の戸口に銀貨数枚が置かれていることに気がつき、祖父を起こした。
老人は、あきらめたような口調でいった。
「あの小僧……人を捨て、怪物になる道を選んだのじゃな……。ミミ、あの小僧のことは忘れなさい。もう、わしらの手が届かんところに行ってしもうた……」
指輪は、塗られていた黒い塗料をはがすと、その美しい地肌を明らかにした。市場に持っていくと、少年が思っていたよりも高い値段で売れた。
二十年の時が流れた……。
ブリューヌ・アスフィエル夫人は、この成り上がりの男の前にひざまずいていた。
夫人にとっては屈辱以外のなにものでもなかった。
男は冷酷そのものの目で夫人を見た。それは、肉の重さを勘定する肉屋のそれと同じ目つきだった。
「なるほど、アスフィエル家のお手持ちの資産は、総額にしてもそれだけしかないと。これは困りましたなあ。それでは、わたくしの貸付額に足りませんしなあ。支払いの期限は、明日までなのですがなあ」
「ですから、あと数日お待ちいただきたいと……数日すれば……」
「なるほど、ソチュの塩鉱からの収益が上がると。しかし、それは難しいでしょうなあ」
男は淡々と続けた。
「わたくしどもの情報網では、あの塩鉱の話は、詐欺師による作り話だった、という報告が上がっておりますがなあ。まあ、アスフィエル家に入ってくる利益の総額は、せいぜい銅貨三枚程度ではと……」
ブリューヌ夫人ははじかれたように立ち上がった。
「ぜ、全部、お前の筋書きによる罠だったのね! わたしたちの資産を食い潰すための……ケルナー! この飛び蝗!」
男はせせら笑いでそれに答えた。
「そう、わたくしは飛び蝗みたいなもんですな。わたしは、人の資産を襲って、食べて、咀嚼し、よく実った作物畑を一面の荒れ地に変えてしまうことが仕事でして。それをわかっていたはずですな、夫人? でもどういうわけか、わたくしとつきあう人は、わたくしが彼ら自身を食ってしまうことについては、完全に忘れ去ってしまうらしいんですよ」
こほん、と、ケルナーは空咳をした。
「ただし、話によっては、待ってもよろしいですな。夫人、あなたの溺愛する、三女のファシーヌ嬢をわたくしにいただければ……」
ブリューヌ夫人の顔色が真っ青になった。
「そ、それだけは……おやめくださいませ。わたしの命を差し出してなんとかなるならば……」
ケルナーは口の端を曲げた。
「おやおや。あなたがなにをするのも勝手ですが、それによって、あなたのお嬢さんがどうにかなるのですか?」
ブリューヌ夫人は黙るしかなかった。
「頭取。確認しました。ブリューヌ夫人は、邸に火をかけて、ファシーヌ嬢と無理心中をはかり、死にました。親娘ともにです」
「そうか」
ケルナーは部下の言葉にうなずくと、表情ひとつ変えずに書類に戻った。
「では、わたくしは……」
「うむ。ひとりにしておいてくれ。用ができたら、呼ぶ」
部下が出て行った執務室で、ケルナーは机の引き出しを開けた。
その中から、数日前に古物商から手に入れた、ひとつの金無垢の指輪を取り出すと、机に置いて、語りかけた。
「……母さん、ミミ……ぼくは、ほんものの、怪物になってしまったよ……長年の思いは遂げたけれど、これからどうすればいいか、ぼくにはわからない……」
終末港に本店を移し、今や押しも押されぬ大銀行家になったケルナー頭取は、公の場では寸分の隙もない身だしなみをすることで有名であった。
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- ジャンル:[小説・文学]
- テーマ:[自作連載ファンタジー小説]
~ Comment ~
NoTitle
ケルナーさん、本編ではいい人っぽかったですが、こんな過去が。
そして、エリカちゃんが信頼していただけあり、やはり相当の手練れなのですね。
終末港でのケルナーさんに、少しでも幸せがあったことを祈ります……。
そして、エリカちゃんが信頼していただけあり、やはり相当の手練れなのですね。
終末港でのケルナーさんに、少しでも幸せがあったことを祈ります……。
- #14653 椿
- URL
- 2014.11/29 09:50
- ▲EntryTop
NoTitle
慈悲の心あればこんな事にはならなかったろうにと思う。
だけど慈悲ばかりでもダメになる。
まったく難しい。
復讐と呼ぶにはあまりに虚しい。
怪物は怪物でも心だったのかな。
だとしたら終末港は怪物だらけだったね。
だけど慈悲ばかりでもダメになる。
まったく難しい。
復讐と呼ぶにはあまりに虚しい。
怪物は怪物でも心だったのかな。
だとしたら終末港は怪物だらけだったね。
- #5193 ぴゆう
- URL
- 2011.09/25 07:01
- ▲EntryTop
Re: limeさん
わたしの場合、小説を完結させると、「山を登りきった高揚感」を感じるタイプで……(^^;)
この高揚感を味わうために、またいそいそと次の山へ向かう、と。
問題があるとしたら、しまいには行ける範囲に山がなくなってしまうことですな(汗)
まあそれも先のこと(と思いたい)、今はあと十人の話を書くのにひいひいいってます。
目の前のことしか見えぬやつであります(^^ゞ
この高揚感を味わうために、またいそいそと次の山へ向かう、と。
問題があるとしたら、しまいには行ける範囲に山がなくなってしまうことですな(汗)
まあそれも先のこと(と思いたい)、今はあと十人の話を書くのにひいひいいってます。
目の前のことしか見えぬやつであります(^^ゞ
NoTitle
はて、この物語に、怪物は出てきたろうか・・と、思いながら読んでいましたが。
そう言う事でしたか。
うん、これも、すごくまとまったいい短編です。
復讐の結果、少年が救われたかどうかは・・・分からないのですが。これも悲哀ですね。
一度完結させて、こうやってSS書くのも、楽しそうですよね。
(・・・と、自作を完結させた寂しさを慰める私・・・)
そう言う事でしたか。
うん、これも、すごくまとまったいい短編です。
復讐の結果、少年が救われたかどうかは・・・分からないのですが。これも悲哀ですね。
一度完結させて、こうやってSS書くのも、楽しそうですよね。
(・・・と、自作を完結させた寂しさを慰める私・・・)
Re: 矢端想さん
全ての農作物を食い荒らす、「飛びイナゴ」などと呼ばれるくらいですから、ひとりふたりどころでない人間を破滅させているだろうと思って書きました。こうして見ると、若き日のケルナー頭取を主人公にした、「白昼の死角」や「赤いダイヤ」みたいな作品を書いても面白そう……いかん自制しろわたし!(笑)
昔の光栄のゲーム「三国志」の最初のやつで、いなごが自領に発生したときは泣きそうになりましたわい(^^;)
昔の光栄のゲーム「三国志」の最初のやつで、いなごが自領に発生したときは泣きそうになりましたわい(^^;)
NoTitle
怪物? これだれだろう・・・と思いながら読ませていただきましたが・・・
なるほど、ケルナー氏であったか。
大銀行家になるような人は、やはり一筋縄でいかぬ経歴を持っているわけですな。なるほど、本当に怪物なんだ。
なるほど、ケルナー氏であったか。
大銀行家になるような人は、やはり一筋縄でいかぬ経歴を持っているわけですな。なるほど、本当に怪物なんだ。
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Re: 椿さん
油断していると身ぐるみ巻き上げられてしまいますのでご注意を……ほんとはもっと活躍させるつもりだったのですけど。もったいない気がしてきた。うむむ。(^_^;)