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    「紅蓮の街(長編ファンタジー・完結)」
    紅蓮の街・外伝「彼らなりの詩(うた)」(掌編シリーズ・完結)

    紅蓮の街・外伝/十九番目の男

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    十九番目の男



     若者は、木の板につかまっていた。

     若者の目には、海と空と太陽、そしてわずかばかりの雲しか映っていなかった。

     若者は、もはやまともにものが考えられなくなっていた。

     漂流をはじめてから二日が過ぎていた。

     なりたての水夫見習いにとって、それはあまりに過酷な試練だった。そして神は、平気でこういう試練を下す、恐ろしい存在でもあるのだった。

     若者は、特に、なりたくて水夫になったわけではなかった。単に、軍隊に入るか水夫になるかそれとも黙って家を出て行くかのどれかを選べ、と、真剣な顔の親に迫られたとき、水夫、と答えたまでである。

     ふらりと出て行って、割のいい徒弟奉公にありつけるという自信はまったくなかったし、かといって軍隊に入って、人を殴ったり刺したり殺したりするのも嫌だったため、水夫を選んだのだが、水夫は水夫で過酷な職業であり、また、商船の水夫といっても、時と場所によっては海軍の真似事をしなくてはならない、それも圧倒的な敵の前で、ということを学ばされるのもまた早かった。

     初めて乗った商船が港を離れてわずか十日の後、海賊の襲撃を受けたのである。

     若者にとってはどれをとっても生まれて初めての経験だった。生まれて初めて刀を抜いて人を刺し、生まれて初めて船の沈没をその目の前で見、そして生まれて初めて、板切れ一枚に身をゆだねて漂流……。

     生まれ変わっても水夫だけにはならないぞ、と若者が思ったのも無理はなかった。

     それにしても……。

     身体にはもはや限界すれすれの体力しか残っていなかった。

     夏の海とはいえ、無限にあるかのような海水は、容赦なく若者の身体から体温を奪っていく。体温が奪われると、体力もそれに比してどんどん失われていくのだった。

     板切れになんとかしがみつきながら、空を鳥が飛ぶのを見た。幻覚だったかどうかもわからない。幻覚でもなんでもいいから、食えないか、と若者は思ったし、そして、捕らえて食べようにもその手段がない若者にとっては、たとえ本物の鳥であったとしても意味はなかったのである。

     そして夜が来る。

     若者は、うとうととはできても、ぐっすりと眠り込むことは許されていなかった。もしぐっすり眠り込み、板切れから手が離れたり、頭が水中に潜ったりしてしまったら、そのとき待っているのは、『死』以外のなにものでもない。

     若者にできることは、全てが闇に閉ざされた中、空に輝く星を見て、ああ、あっちが空なんだ、と認識することだけだった。若者は、天測をやるにはあまりに未熟すぎた。

     漂流三日目。

     若者は、自分が腹が減っているのか、喉が渇いているのか、身体が痛いのか、頭が痛いのかすらよくわからなくなっていた。

     本能的にわかるのは、このままなにもせずにいると、ほんとうにわけのわからない世界へ旅立ってしまう、ということだけだった。

     それでもいいや、などという自堕落な考えが、若者の頭に浮かぶことはなかった。頭が霧に巻かれたようになっていて、まとまった考え、それ自体ができなくなっていたのである。

     そこから先どうなったのか……。

     次に若者が気がついたとき、若者は、手桶から真水をがぶがぶと飲んでいた。

    「ここは……」

    「やっとしゃべったか、あんちゃん。口がきけんのかと思ったぞ」

     若者は、三人乗り程度の古い小型艇の中にいた。

    「おれはどうして……」

     風体からひと目で漁師だとわかるその中年男は、わっはっはっと笑った。

    「なに、網に引っかかってきたのさ。いうなれば、お前さんはおれの獲った海の獲物の中で、最大の重さがある生き物だ。金にならないのが惜しいがね」

     水を飲むだけ飲んで、肩で息をしている若者に、漁師は尋ねた。

    「じゃ、お前さんの話も聞かせてもらおうか。どうして、あんなところにいたんだね」

     若者は、これまでのいきさつを全て漁師に語った。

    「もう、海なんかこりごりですよ。これからは、陸の仕事を探すことにします」

     若者はそういうと、漁師に手桶を返した。

    「無理だな」

     漁師は若者に、訳知り顔でそういった。

    「無理?」

    「そうだ。あんちゃん、さんざん漂流してから助かるなんて、あんちゃんが海の女神に愛されている証拠みたいなもんだからなあ。賭けてもいいが、あんちゃん、死ぬときは海の上だね」

     若者はその予言めいた言葉に、情けない声を上げた。



     ……………………



    「ふうん。でもさ、爺さん、あんた結局、船長をやめちゃったんだろう。こんな内陸の街で、飲み屋なんかやってるじゃないか」

     老人……バクソス元船長の長々とした昔話につきあっていた客は、不満そうな声を上げた。

    「うむ。わしとしては、いくら海の女神に愛されておっても、海のど真ん中などで死に、水葬なんぞにされるのは嫌じゃった。金を貯めた後は、こうして引退して飲み屋兼宿屋を開くのが夢じゃったからな」

    「じゃ、あの漁師のおっさんの予言は、外れたわけだ」

    「いや、まだ外れたと決まったわけじゃない。わしは、あの言葉に外れず、しかも飲み屋の主人として陸で死ぬことにしたんじゃ」

    「どういうことだい?」

     客は混乱しているようだった。

     バクソス元船長はいたずらっぽい目になった。

    「二階にあるわしの部屋のベッドには、なんと書かれておるか知っとるか?」

    「さあ?」

    「わしの使っておるベッドの名前はな、『海の上』というんじゃよ」

     わっはっはっと大声を上げて笑うこの元船長に対し、客はぎこちない愛想笑いをして、酒のおかわりを頼んだ。

     船乗りに法螺話はつきものというが……。



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    ~ Comment ~

    Re: 椿さん

    この人ももっと活躍させるはずだったのですが。(こればっかりだな(^_^;))

    書けなかった海洋ロマンのほうをいくらか、と……。いつか書きたい続編。

    一年先か三年先か十年先か……(^_^;)

    NoTitle

    バクソスさんの九死に一生エピソード。
    ラスト豪快でいいなあ。

    NoTitle

    家は親父の話。
    徴兵で海軍志望だったそうな。
    親父は中指の先を怪我でなくしていた。
    体力では問題なく合格だったそうだけど、
    目ざとく見つけた上官に「お前はロープを長時間掴んでいられないだろう」と言われたんだと。
    それでダメだったんだって、海軍なら死んでいたものね。
    いろいろあるよね。

    Re: ゆういちさん

    こちらもリンクさせていただきました。

    これからもよろしくお願いします。

    こんばんは②

     相互リンク了解しました~
     早速リンクいたしますv-290

     ウチのじいちゃんたちは両方とも運がよかったと思います。
     あの戦争を、生きて乗り越えましたから。

    Re: ゆういちさん

    いいですよー(^^)

    こんなところでよかったらどうぞ。こちらも喜んで相互リンクさせていただきます。

    ボカ沈したら生きて帰れない、というのが海軍や船で運ばれる陸軍の運命ですからねえ。

    よほど天運があったのでしょうねお爺様。

    こんばんはー

     コメントいつもありがとうございます!
     よろしければリンクさせていただこうと思うのですが、いかがでしょうか?



     死んだ私のおじいちゃんは、戦時中に母艦が大破しリアル漂流、更にマラリアにかかって大ピンチのところをアメリカ軍に助けられたって聞いた事があります。これも海の女神に愛されたと言うべきか……ここでもし助かってなかったら私は今ここにいないと思いますし……

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