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    ささげもの

    リクと李歐とニジンスキーと

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     この小論は、高村薫「わが手に拳銃を」「李歐」、テリー・ホワイト「真夜中の相棒」、赤江瀑「ニジンスキーの手」を参照することにより、lime氏の「RIKU」「白昼夢」に代表される一連の作品のテーマを読み解き、赤江・ホワイト・高村との、その共通する水脈を探り、肯定的に批判することによって、lime氏の作品がどこへ向かおうとしているかを考察する試論である。



    (ネタバレ注意! これ以降において、上掲作品の内容に振れる記述があります。上掲作品を楽しみたいかたは、これから先をお読みになる前に、そちらに触れられることをお勧めいたします)



     結論からいえば、lime氏の作品の一貫したテーマは、「純粋さを保ったまま大人になろうとした少年の物語」であり、その人物像は、赤江の「ニジンスキーの手」における弓村高、ホワイトの「真夜中の相棒」におけるジョニー、そして「わが手に拳銃を」のリ・オウ、およびそのリライトである「李歐」の李歐のそれと、逸脱しながらも重なる。



     赤江の「ニジンスキーの手」における、主人公の弓村高は、天才的な舞踏家としてわれわれの前に姿を現す。

     作品の結末で明らかとなるが、弓村の舞踏における才能は、彼を肉体的・精神的に追い込むことで、言葉を変えれば虐待することにより開花するのである。

     かといって、弓村は受動的な人間としては描かれていない。むしろ、能動的で行動的な男性として描かれている。

     だからこそ、作品の結末において、その根本にある受動性が暴露されることにより、われわれは驚愕し、「芸」の世界の妖しさと恐ろしさを垣間見た気分になるのである。

     赤江作品における「芸」の分析はおくことにして、本論でとりあげる論点は、弓村の持つ、その才能の発露に必要不可欠な「虐待」の存在と、それから必然的に弓村が抱く「反抗心」である。

     これは、「芸」の問題ではなく、第二次反抗期を迎えた少年と、それを取り巻く学校その他の社会の隠喩であると考えるべきであろう。学校や社会は、少年の心を破壊することにより、その潜在的才能を掘り出し、「大人」へと作り変えようとする。対して、少年は自分の「矜持」を保つため、自分を取り巻く外的世界と戦おうとする。

     もちろん、例外はあるだろうが、たいがい「少年」は敗北し、「矜持」を捨てて、「大人」へと変わっていく。

     このわれわれにも馴染み深い「物語」に対し、「克服して完成された大人になる」ことが現実的に不可能な、「芸」というものを対置することで、「矜持を捨てたらそれは敗北である」という状況を作り出したところに、赤江の卓越したところがある。すなわち、終わることなき「虐待」と「上昇」の連鎖を設定することにより、弓村高という「大人になることを許されない少年」を描き出すことに成功したのである。



     ホワイトの「真夜中の相棒」におけるジョニーは、また違った意味で「大人になることを許されない少年」である。

     ジョニーが、「大人」になることを不可能にしているのは、彼に刻み込まれた「依存」のシステムである。ベトナム戦争で精神的に傷を負ったということになっているジョニーは、常に「共依存」となってくれる人物を探さないではいられない。それは、最初はマック、そして結末ではサイモンの存在として描かれる。マックの場合は、ジョニーのマックに対する依存と対比して、マックのジョニーに対する依存も描かれているため、両者が互いに依存し合っていることはすぐにわかるが、マックがジョニーに対する「保護者」としか見えない形で描かれているため、精神的なイニシアティブを握っているのはむしろジョニーであることが巧妙に隠されている。そしてその事実は、結末において、新たにジョニーがサイモンを「相棒」にするシーンで読者の眼前に突きつけられることになる。そこで描かれるのは、どちらがどちらに依存しているのかを無化し、相手に依存することによって生きている人間にとっても、「依存」は「幻想」であるのを示すことにほかならない。ジョニーは永遠の「純粋な」少年である。そしてそれは、ある意味ジョニー自身が自ら選んだことでもあるのだ。



     高村が「わが手に拳銃を」を「李歐」にリライトした背景には、「大人になることを拒否する少年」をどう表現するかについて、ある種の解答を出したことが関わっている。

     「真夜中の相棒」におけるジョニーのごとく、高村のどちらの作品でも李歐は「自分で」純粋な少年のまま大人になることを拒否する生き方をしている。しかし、ジョニーと李歐が決定的に違うのは、ジョニーが大人になることを自分から拒否するのは、戦場における精神の障害という「外的な」理由による、半ば「受動的」なものなのに対して、李歐は「自ら選び決断して」大人になることを拒むのである。そのために高村が李歐に取らせた戦略こそ、「裏社会」という「非日常的」「非現実的」なものにその立場を固定させることにあった。その点で、李歐は「ピーター・パン」と相似する点がある。すなわち、ファンタジーの世界の住人となることにより、読者(ここでは副主人公である一彰)の住む現実世界と本質的な面で決定的に切り離された存在として、「少年」であることを通すことができるのである。

     「わが手に拳銃を」と「李歐」の決定的な相違点は、「わが手に拳銃を」では、リ・オウがあくまでもファンタジー世界の住人として、一彰を自分と同じ世界に引き込み、現実世界から切り離そうとするのに対し、「李歐」での李歐は、一彰の世界に自分から歩み寄り、現実世界と非現実なファンタジー世界との「中間」に、またひとつのファンタジー世界、いわゆる「理想郷」を建設することにより、二項対立の弁証法的な止揚をやってのけたということにある。いわば、「李歐」では、李歐がその道を走り抜ける限り走り抜け、「純粋な少年であることを守ったまま大人になる」ことを成立させてしまったのだ。



     さて、lime氏の作品、特に「RIKU」「白昼夢」「KEEP OUT」のリクと陽、それに春樹に顕著に見られることだが、彼らは、「李歐」のように自らの「少年としての純粋性」を保ったまま、現実世界と和解しつつ、あるいは敵対しない距離をとりつつ「大人」としての位置につこうとしている人間である。しかし、李歐のような超人ではない以上、彼らは「真夜中の相棒」のジョニーにおけるマックのような保護者を必要とし、「ニジンスキーの手」における弓村のごとく、自分に対する敵意むきだしの「外界」と戦わねばならない。

     その結果として、彼らには「ニジンスキーの手」の終幕で暗示されたように、破滅の運命から逃れられないことを暗示または明示される。

     すなわち、陽は任務の遂行過程において死亡し、春樹は「KEEP OUT3」の最終章において、愛する女性はおろかどんな人間とも永遠に結ばれない運命にあることが暗示される。

     陽の死は、「少年としての純粋性」を保ちつつ大人になることに挫折してのものと解釈すべきだろう。春樹の運命は、「少年としての純粋性」を、「外的世界」と折り合いをつけることを諦め、「保護者のもとで生き続ける」ことを選んだことを暗示する。無論、その選択が安定したまま全うされることがないことは明白である。

     「ラビット・ドット・コム」における宇佐美と稲葉の関係は、稲葉からの視点で描かれているため惑わされるかもしれないが、「保護者=被保護者」関係は、宇佐美と稲葉の間で成立していることがわかるだろう。さらに、李々子と宇佐美との間で「保護者=被保護者」関係も成立しているのだが、それについては、あくまでも副次的なものにとどまる。なぜなら、稲葉が本格的に主人公として活躍する「電脳うさぎとココロのありか」最終章において明らかにされるように、宇佐美は李々子を対等のパートナーとして受け入れることにより、本質的に「少年」のままの存在として規定される稲葉に対して、「大人」であることを示すからにほかならない。この連作においては、稲葉の持つ「少年」としての性格が「大人」なり「外的世界」なりと対決することが微妙な形で回避されていることに気付くべきであろう。「高校教師」である「疑似大人」としての稲葉は、「少年」としてのロジックと倫理で、事件を収束に導くからである。その点において、稲葉は陽や春樹の前段階の階梯にいるといえるだろう。

     彼らに対し、「RIKU」におけるリクには、まだ不確定ではあるにしても、「より幼い自分」と現在の自分とを止揚することにより、「大人」に至る道が残されている。その可能性があるだけ、陽や春樹より、さらに一歩進んだ存在である、といえるだろう。しかし、それは「RIKU」内では不完全なものにとどまっている。リクは、真犯人との戦いにおいて、自分の中にいた、より幼い「岬璃久」との融合ないし止揚には成功するものの、それが、リクが「大人」になったことを示すものかどうかについては明示されていない。すなわち、宇佐美と李々子のように、互いを対等のパートナーとみなす、という関係性を、リクが長谷川との間に構築できたかが語られていないからである。それは玉城との間にもいえる。その能力と資格についてはおくものの、玉城はリクの「保護者」として考えその立場でふるまう。そして、「RIKU」最終章においても、なお玉城とリクの間には「保護=非保護」の関係がほの見えるのだ。リクが玉城の絵を描くのは、一種の保護者に対する報酬であり代償といえよう。

     「大人」になることが「保護者の庇護を必要としなくなる」ということであれば、ここでのリクは大人になるための通過儀礼に失敗した、単なる敗残者に過ぎない。

     では、李歐やリ・オウのごとく、「自らをファンタジーの世界に固定」することにより、いわばそれらを精神的な「保護者」とすることにより、「少年の純粋さを保ったままの大人」として、「成熟しないままに大人になる」可能性はないのか。

     その可能性があるとしても、それは「RIKU」にとどまらず、今後lime氏が書く作品に求めるべきである。



     氏の作品の主人公が、人間としての次の段階に至るためには、lime氏は自身の作品のこの隠されたテーマを、何らかの形で解決する必要があるであろう。それは、李歐のように、「少年のまま」自らの生存圏を現実から離れた世界に確立することにあるのか、それとも多くのビルドゥングズ・ロマンのように、「少年であることを捨てて」大人になる道を選ぶのか、「外的世界と調和の取れる形で少年の純粋さを保ったままの大人になる」ことを描き切ってしまうのか。

     それはまだわからないが、lime氏の小説の、これからの展開に目が離せないことだけは事実である。lime氏の作品の登場人物が、真の意味で「大人」になったとき、そこにわれわれはいかなるものを見るのだろうか。

     今後のlime氏の作品に、大いに期待したい。
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    ~ Comment ~

    Re: 秋沙さん

    これを書いて、「書評家にはなれない」ことを深く実感。

    これなら普通にショートショートを書いていたほうが楽だよ~!!(笑)

    論理に破綻がないようにしよう、と思いながらどこかで深刻な破綻をきたしているような気もしますし。

    アカデミックな世界に生きるのは無理だったんだなあ、とひしひしと(^^;)

    シリーズ化? 無理です……。

    Re: limeさん

    ぜひとも読みたいですよ、limeさんの描く「骨太な大人」。

    すごい作品になると思うんだけどなあ。

    書評ですが……「なにか」が頭に舞い降りてこない限り無理です(笑)。

    うううむむむむむ。
    いやはや、ひたすら感嘆。

    なるほど、論文とはこういうふうに書くのか・・・
    っていや、そこじゃなく(^^;)

    素晴らしいです。
    かくも見事にlimeさんの物語の世界を論じてしまうとは!!!

    少しだけ長く、こちらの皆様よりもlimeさんの作品に触れ、あまりにも魅せられてスピンオフまで書いてしまっている私ですが、ここまで語ることはできませんでしたわ(^^;)

    なるほど、なるほど、と何度も頷きましてございます。
    そうなんだ、limeさんの物語に感じる「透明感」は大人になっていない「少年の持つ純粋さ」に感じるものだったわけですね。
    そして「保護・被保護」の関係・・・。
    limeさんのお話の登場人物には、確かに必ずこの関係が出てくるんですねぇ。
    だけどそれが、単純に「大人」なものが「少年性」を持つものを保護しているだけではなくて、内面的には逆転しかねない、非常に危うい関係性の上に成り立っている所が物語を深くしているのだと思われます。

    それにしてもポールさん、なんという洞察力・・・。
    愛されてるなぁ、limeさん(*^_^*)

    (あ、いや、変な意味ではなく)(^^;)

    この「論評」、ぜひともシリーズ化していただきたいものですよ。(え?大変だって?|(-_-)|キコエナイ)


    再びおじゃまします。

    遅くなっちゃいましたが、私の方にもご案内をさせていただきました^^。
    冒頭に、ポールさんの一文を抜粋させてもらいましたが、良かったですか?

    それにしても、何度も読みなおしましたよ。
    なにしろ、めったにレビューを書かないポールさんが、私の好きな本の書評をされてるんですもん!

    李歐とリ・オウの違い!まさにそうですよね。
    最初は李歐にぞっこんだったんですが、リ・オウに更に魅かれたのは、そんな要因もあったのかも。
    あの李歐のやんちゃでありながら崇高でいられるのは、ファンタジーの世界を纏っているから・・・。これは、目からうろこ。
    あの緻密でリアルな高村作品の住人ににファンタジーを感じる!これは・・・でも、なぜか納得。

    弓村高についても、あらためて「自分が魅かれる場所」を確認できました。“終わることなき「虐待」と「上昇」の連鎖。”その中で全てを見方につけ、屈せず、けれども純粋に登りつめる。ここですよ!

    そして、私の物語。
    (いやあ、こんな高名な先生と同じ舞台で論じてもらえるなんて、一生に一度ですね)

    そうーーーーーーかああ!
    いままで、自分のテーマ性とか、掘り下げて考えずに描いてきたんですが(ごめんなさいi-201)彼らは、私(作者)によって、そんな運命を歩かされていたんですね。
    でも、確かにそうかも。
    大人にしたくない。純粋で、愚かで、未完成のまま、永遠であってほしい。

    ものすごい主人公のエゴですね。
    そして、きっと陽は、その一番の被害者かも・・・。

    さあ、これから、私の作品は変わって行くのか。
    少年の殻を脱ぎ捨てて、骨太な大人に成長する人物を描くのか!描けるのか!
    ・・・まったく自身がありません(爆

    いつまでも同じことを繰り返すわけにもいきません。
    けれど、きっとこれからも心に芽生えた人格と語りあい、戯れ、自分の心に響く物語を紡いでいくというスタイルは、変わらないだろうと思っています。

    そして・・・これから再始動します『KEEP OUT』、果たしてポールさんの予想道理の展開になるのか!!
    どうぞ、見ててやってください^^

    それからそれから、応援&コメント下さった、ぴゆうさん^^
    嬉しいお言葉に、帰りのバスの中で小躍りしてました。
    ぴゆうさんのコメも、本当に素敵。

    物語を書いていながら、こういう時、気のきいたコメも残せない自分が酷く情けないですが。
    みなさん、ありがとう!
    これからも、がんばります!
    ポールさん、また面白い本、どんどん教えてくださいね。
    そして、ポールさんも、またこんな書評書いてください!!

    Re: ぴゆうさん

    正直なところ、相談に応じてくれたぴゆうさんが背中を押してくれたからこうして発表できた、という側面もあるので、まことにお礼を申し上げます(^^)

    だって、こんな大学のレポートみたいなもの、下手をしたらlimeさんを傷つけてしまいかねないもんなあ。

    一生懸命書いたけど、お蔵入りかなあ、などと悩んでいたもので。

    とりあえずご助言を受けてこうして発表し、limeさんに喜んでもらえただけで、書いてよかったと思えたであります。

    とはいえ、こういうのは、ある意味長編よりも書くのがたいへんなものなので量産がきかないのがつらいところですが。

    Re: limeさん

    こういうのはいわば一種の「後出しジャンケン」みたいなものですから、どこをどう書いても「上から目線」になってしまうのがつらいところであります(^^;)

    ああ学生のころにこういうものを人目とか反論とかを恐れずにばりばり書けていたら、もっとましな人生を送れていたかもしれぬものを(^^;)

    哲学科のかわりに国文学科に入ればよかったのかもしれん(笑)。

    またよく練り込んでいますなぁ。

    最初に拝読した時よりも簡潔にそして何より刃が研がれたような。

    lime作品が持つ、ピュアに見える。敢えて見えると言いたい。
    少年たちのそれぞれが持つ過去、心の葛藤、生き様を

    高村薫「わが手に拳銃を」「李歐」、
    テリー・ホワイト「真夜中の相棒」、
    赤江瀑「ニジンスキーの手」

    と巧みに対比させつつ、全ての作品をバラバラに噛み千切り、噛み砕いてみせた。
    それによりlime作品の主人公たちが持つ、一種の危うさ、脆さがより一層の切なさと哀愁を呼ぶ。

    茫漠とした中に何か一点を見出したように感じた。
    物語とは所詮、作者の分身。
    まったく異質なものは書けないと私的には考える。
    どこかにいや色濃く反映しているであろう自身。
    そしてlimeさんが偶に語る自身、
    ほんの一部であろう小さな細片。
    彼女の内なるものでできたモザイクの中のピースを覗きみたようにさえ思う。
    しかし言葉で言い切るのは彼女に対して失礼だろう、そんな事はありえないのだから、だがこの論文にどうしようもない心地よさを感じてしまうのを許してもらえるだろうか。

    素晴らしい作品を読まさせて戴いた。
    ありがとう。

    おお!あがってる!!e-267

    か、帰ってからまたゆっくりと書き込みに来ます^^
    うずうず。
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