趣喜堂茶事奇譚(うんちく小説シリーズ)
趣喜堂茶事奇譚/名犯人談戯(その1)
その日の漫画喫茶「趣喜堂」は、いつもと違う雰囲気で満ち満ちていた。
一触即発というか、真剣勝負というか。
「恨みっこなしですよ」
店主の捻原さん、人呼んでツイスト博士は、そういってぼくたち四人の顔を眺め渡した。ぼく、舞ちゃん、たまたま来ていた馬庭さん、そして、ひとりだけ「来るんじゃなかった」という顔色をあらわにしている井森。
そう。そもそもこの原因は……。
「趣喜堂」にいつものごとく遅れてやってきた井森は、鞄をどさりと店の床に置いた。レポートでも書いた後なのか、どことなく眠そうにしている。
ぼくと馬庭さんとツイスト博士は、気楽な気持ちで「ハルマ」リーグ戦をやっていたところだった。この、ダイヤモンドゲームのもととなった、縦横十六マスの正方形のボードで行なわれる、十九個の駒を敵陣に送り込むゲームは、慣れてくると病みつきになるのだ。ルールは簡単。どの駒も、将棋の王のようにひとマス動ける。さらに、敵でも味方でもいいから、隣に駒があり、そのひとマス先のマスが空いていたら、ぴょんとその駒を飛び越すことができる。そしてその飛んだ先のマスで、隣に駒があり、そのひとマス先のマスが空いていたら……ぴょんぴょんと連続してジャンプができるのだ。ただし、これは強制ではない。戦略的にまずいと思ったら、途中でジャンプをやめてもいいのである。
馬庭さんが、ぼくの守備の隙をついて、スーパーマリオのような華麗な連続ジャンプを決めてぼくの陣地に殴りこんできた。ぼくも連続ジャンプでそれに応じる。
井森はそんな、ゲームに熱中するぼくたちには目もくれず、料理の仕込みをしていた舞ちゃんに話しかけていた。その会話は、ぼくたちの耳にも漏れ聞こえてきた。
「舞ちゃん、昨日のテレビ見た?」
「ええ。面白かったですよ、『名探偵ポアロ』」
「じゃなくてさ、ほら、地上波でやってたじゃん、『刑事コロンボ』」
ぼくたちの表情が凍りついた。
「ああ、あの『新・刑事コロンボ』ですね」
「そうそう。舞ちゃんは見なかったの? やっぱり、コロンボは面白いなあ」
馬庭さんが動かしかけていたポーンを、指が白くなるまで握り締めた。馬庭さんがなにを考えているかは、ぼくにも理解ができた。ぼくも同様だったのだ。昨日、某局で放送されていた『コロンボ』は、名作と呼べる作品の少ない『新・刑事コロンボ』の中でも、指折りの駄作だったからだ。
「コロンボがどうやって犯人を見破ったかといえばねえ……」
「井森くん」
普段は物静かな馬庭さんが、やや上ずった声でいった。
「推理もので、トリックやロジックを、まだ見たり読んだりしていない人間にばらすのはルール違反だよ」
「ああ」
井森は頭をかいた。
「すみません、馬庭さん。だって、おれ、犯人が考え出したあのトリックに感心してしまって」
ぼくたちはいっせいに「あちゃー」という表情をしていたらしい。
「お、おれ、なにかまずいこといいました?」
「世の中にミステリと、犯人はたくさんいるけれど、その中でもあれは相当に間抜けなほうだぜ」
ぼくは「ハルマ」のボードに背を向けた。ミステリファンの前でミステリの話をするとは井森のやつもいい度胸だ。
「世の中のミステリには、お前もびっくりするような名犯人がわんさかいるんだ」
「名犯人? 名探偵じゃなくて?」
「そうだ。例えばな」
「きみ、きみまでルール違反をしようとしているぞ」
馬庭さんの言葉に、ぼくははっとした。
「すみません、馬庭さん。でも……」
「面白いかもしれませんね、皆さん」
ツイスト博士がにこにこしながらいった。
「どうです、ここで、ミステリにおける『名犯人』について話し合うというのは」
「面白いけれど……ネタバレになってしまいかねませんよ」
「そこは各人で、ネタバレにならないよう、頭を使って紹介してみてください。そうだ、賞品があったほうがいいな。舞?」
「なんですか?」
「わたしの専用の冷蔵庫の中から、キャビアを取り出してくれないか。黒いほうでいいから」
「キャビア!」
ぼくと馬庭さんの目が、ばちっと火花を散らしたかのように思えた。
「最高の名犯人の名を挙げたものが、このキャビアを食べられる、という趣向はどうですか。お代はここにいる全員から徴収ということで」
「面白いですね」
ぼくはいった。
「キャビアが市価の三分の一で食べられるということですね? 乗りました」
「きみはもう自分が勝った気でいるのかね」
ぼくと馬庭さんはにらみ合った。
この事態を招いた元凶である井森は、ひとりだけ逃げようとしていた。
「あの、おれ、レポート書かなくちゃならないんで」
「お前がいなければ、ぼくたちの払いが増える。火をつけた以上、覚悟してつきあえ」
「ひぃぃぃぃ」
かくして、「自分の考える最高の名犯人」の披露会が始まったのである。
思えばそれが……。
(この項・続く)
一触即発というか、真剣勝負というか。
「恨みっこなしですよ」
店主の捻原さん、人呼んでツイスト博士は、そういってぼくたち四人の顔を眺め渡した。ぼく、舞ちゃん、たまたま来ていた馬庭さん、そして、ひとりだけ「来るんじゃなかった」という顔色をあらわにしている井森。
そう。そもそもこの原因は……。
「趣喜堂」にいつものごとく遅れてやってきた井森は、鞄をどさりと店の床に置いた。レポートでも書いた後なのか、どことなく眠そうにしている。
ぼくと馬庭さんとツイスト博士は、気楽な気持ちで「ハルマ」リーグ戦をやっていたところだった。この、ダイヤモンドゲームのもととなった、縦横十六マスの正方形のボードで行なわれる、十九個の駒を敵陣に送り込むゲームは、慣れてくると病みつきになるのだ。ルールは簡単。どの駒も、将棋の王のようにひとマス動ける。さらに、敵でも味方でもいいから、隣に駒があり、そのひとマス先のマスが空いていたら、ぴょんとその駒を飛び越すことができる。そしてその飛んだ先のマスで、隣に駒があり、そのひとマス先のマスが空いていたら……ぴょんぴょんと連続してジャンプができるのだ。ただし、これは強制ではない。戦略的にまずいと思ったら、途中でジャンプをやめてもいいのである。
馬庭さんが、ぼくの守備の隙をついて、スーパーマリオのような華麗な連続ジャンプを決めてぼくの陣地に殴りこんできた。ぼくも連続ジャンプでそれに応じる。
井森はそんな、ゲームに熱中するぼくたちには目もくれず、料理の仕込みをしていた舞ちゃんに話しかけていた。その会話は、ぼくたちの耳にも漏れ聞こえてきた。
「舞ちゃん、昨日のテレビ見た?」
「ええ。面白かったですよ、『名探偵ポアロ』」
「じゃなくてさ、ほら、地上波でやってたじゃん、『刑事コロンボ』」
ぼくたちの表情が凍りついた。
「ああ、あの『新・刑事コロンボ』ですね」
「そうそう。舞ちゃんは見なかったの? やっぱり、コロンボは面白いなあ」
馬庭さんが動かしかけていたポーンを、指が白くなるまで握り締めた。馬庭さんがなにを考えているかは、ぼくにも理解ができた。ぼくも同様だったのだ。昨日、某局で放送されていた『コロンボ』は、名作と呼べる作品の少ない『新・刑事コロンボ』の中でも、指折りの駄作だったからだ。
「コロンボがどうやって犯人を見破ったかといえばねえ……」
「井森くん」
普段は物静かな馬庭さんが、やや上ずった声でいった。
「推理もので、トリックやロジックを、まだ見たり読んだりしていない人間にばらすのはルール違反だよ」
「ああ」
井森は頭をかいた。
「すみません、馬庭さん。だって、おれ、犯人が考え出したあのトリックに感心してしまって」
ぼくたちはいっせいに「あちゃー」という表情をしていたらしい。
「お、おれ、なにかまずいこといいました?」
「世の中にミステリと、犯人はたくさんいるけれど、その中でもあれは相当に間抜けなほうだぜ」
ぼくは「ハルマ」のボードに背を向けた。ミステリファンの前でミステリの話をするとは井森のやつもいい度胸だ。
「世の中のミステリには、お前もびっくりするような名犯人がわんさかいるんだ」
「名犯人? 名探偵じゃなくて?」
「そうだ。例えばな」
「きみ、きみまでルール違反をしようとしているぞ」
馬庭さんの言葉に、ぼくははっとした。
「すみません、馬庭さん。でも……」
「面白いかもしれませんね、皆さん」
ツイスト博士がにこにこしながらいった。
「どうです、ここで、ミステリにおける『名犯人』について話し合うというのは」
「面白いけれど……ネタバレになってしまいかねませんよ」
「そこは各人で、ネタバレにならないよう、頭を使って紹介してみてください。そうだ、賞品があったほうがいいな。舞?」
「なんですか?」
「わたしの専用の冷蔵庫の中から、キャビアを取り出してくれないか。黒いほうでいいから」
「キャビア!」
ぼくと馬庭さんの目が、ばちっと火花を散らしたかのように思えた。
「最高の名犯人の名を挙げたものが、このキャビアを食べられる、という趣向はどうですか。お代はここにいる全員から徴収ということで」
「面白いですね」
ぼくはいった。
「キャビアが市価の三分の一で食べられるということですね? 乗りました」
「きみはもう自分が勝った気でいるのかね」
ぼくと馬庭さんはにらみ合った。
この事態を招いた元凶である井森は、ひとりだけ逃げようとしていた。
「あの、おれ、レポート書かなくちゃならないんで」
「お前がいなければ、ぼくたちの払いが増える。火をつけた以上、覚悟してつきあえ」
「ひぃぃぃぃ」
かくして、「自分の考える最高の名犯人」の披露会が始まったのである。
思えばそれが……。
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Re: 面白半分さん
「撃墜マーク」とかいって、印つけを未だにやっているヌルい男です。ベスト100のほうは東西併せてコンプリートまであと5冊、というところまで来ましたが、「ベスト101以下の海外ミステリー」のほうはなかなか読む機会がなく、三分の一くらいしか埋まっていない……(^^)
とにかく、何度チャレンジしても最初の3ページで飽きてしまうデュ・モーリアの「レベッカ」と木々高太郎の「人生の阿呆」の二冊ををなんとかクリアしたいものだ(^^;)
とにかく、何度チャレンジしても最初の3ページで飽きてしまうデュ・モーリアの「レベッカ」と木々高太郎の「人生の阿呆」の二冊ををなんとかクリアしたいものだ(^^;)
文春文庫の「東西ミステリーベスト100」が出てきましたが
わたしもこれでミステリーをチェックし
読んだものに印をつけていたことを思い出しました。
いまこの本はどこかへいってしまいましたが
この書名で検索すると
結構多くの方がこのランキングをホームページ等に載せてくれています。
わたしもこれでミステリーをチェックし
読んだものに印をつけていたことを思い出しました。
いまこの本はどこかへいってしまいましたが
この書名で検索すると
結構多くの方がこのランキングをホームページ等に載せてくれています。
- #5486 面白半分
- URL
- 2011.10/27 22:02
- ▲EntryTop
Re: ゆういちさん
ピーター・フォーク氏ですね。コロンボには当たり外れがあるけれど、初期の作品はどれも面白かったなあ。
最初の作品である「殺人処方箋」では、コートもよれよれではなかったし、髪もしっかりセットしてあったことは知ってますか?
しかし、日本でコロンボの人気を不動のものにしたのは、やはり吹き替えのかたがただったと思います。あんな絶妙な声、ほかにないぞ(^^)
最初の作品である「殺人処方箋」では、コートもよれよれではなかったし、髪もしっかりセットしてあったことは知ってますか?
しかし、日本でコロンボの人気を不動のものにしたのは、やはり吹き替えのかたがただったと思います。あんな絶妙な声、ほかにないぞ(^^)
Re: 西幻響子さん
温故知新という言葉がありますが……。
「古典」は面白い、という言葉をいちばんヴィヴィッドに感じられるのは、ミステリかもしれません。
わたしは中学生のころ、文春文庫の「東西ミステリーベスト100」という本を読み、無性に冒険小説やハードボイルドが読みたくなり、そして実際に読んでみたらムチャクチャ面白かった、という経験と感動が、いまだに生き生きと心の中に蘇ります。
ああ読むものすべて面白かったあの頃よ(^^)
本格ミステリも面白かったなあ。
「古典」は面白い、という言葉をいちばんヴィヴィッドに感じられるのは、ミステリかもしれません。
わたしは中学生のころ、文春文庫の「東西ミステリーベスト100」という本を読み、無性に冒険小説やハードボイルドが読みたくなり、そして実際に読んでみたらムチャクチャ面白かった、という経験と感動が、いまだに生き生きと心の中に蘇ります。
ああ読むものすべて面白かったあの頃よ(^^)
本格ミステリも面白かったなあ。
こんばんはー
コロンボの俳優の方がお亡くなりになって残念です……
一時は家族でよくコロンボ映画の映画を見ました。
当時は、推理物に全くと言って興味無かったのですが一度見始めると気になって最後まで見てしまう系の内容でしたね
印象的なのは、歯医者に行ったコロンボが言い訳したけど結局虫歯を削られてイタイイタイしているところ。
一時は家族でよくコロンボ映画の映画を見ました。
当時は、推理物に全くと言って興味無かったのですが一度見始めると気になって最後まで見てしまう系の内容でしたね

印象的なのは、歯医者に行ったコロンボが言い訳したけど結局虫歯を削られてイタイイタイしているところ。
- #5483 ゆういち
- URL
- 2011.10/27 20:04
- ▲EntryTop
「思えばそれが・・・」?「何の」始まりになるんでしょう?
「名犯人」とは、おもしろそうですね!
西幻はミステリは好きなんですが、いわゆる「名作」というのは殆ど読んだことがないんですよね ^^;
「名犯人」とは、おもしろそうですね!
西幻はミステリは好きなんですが、いわゆる「名作」というのは殆ど読んだことがないんですよね ^^;
Re: limeさん
いちおう作品は、名作と呼ばれているものの中でも、特に有名なものか、またはあまり知られていないものでも容易に入手可能なものを中心にチョイスしたつもり……です。
ここでちらりとでも名前が出てきた本は、いくら登場人物が悪口をいっていたとしても、すべて「二重丸のおすすめ」本です。機会があったら手に取ってみてください。
ここでちらりとでも名前が出てきた本は、いくら登場人物が悪口をいっていたとしても、すべて「二重丸のおすすめ」本です。機会があったら手に取ってみてください。
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Re: ルルさん
わたしは一冊しか読んでいません。やっぱりドラマのほうが面白いもんなあ。コロンボは。
「信濃のコロンボ」などというシリーズの二時間サスペンスがテレビで流れることがありますが、コロンボを名乗るんだったら倒叙にしろよ、とわたしは激しく……(^^;)