趣喜堂茶事奇譚(うんちく小説シリーズ)
趣喜堂茶事奇譚/名犯人談戯(その5)
「そもそも、名犯人の名犯人たる最大の素質があるとしたら、学生さん、きみはどんなことだと思うかな」
馬庭さんはぼくにいった。
「そうですね……名探偵と対決することかなあ」
「それはさほど重視する必要はないと思う。例えば、短編ミステリの古典的傑作、『オッターモール氏の手』では、名探偵と呼ぶに値する人間は出てこないが、それでもあの小説の犯人は名犯人のひとりに数えられるし、おれも挙げるかどうか迷った。つまり」
「つまり……?」
舞ちゃんが、馬庭さんのほうへじりっと身体を動かした。
「名犯人と呼ばれるものが目指すのは、自らの手を汚さずに完全犯罪をすること、だと思う。その究極は、『合法的に犯罪を犯すこと』ではないかな?」
「『合法的に犯罪を犯す?』……どういうことですか、それ」
井森が混乱した顔つきになった。
「要するにだ。おれが『名犯人』の究極的存在とするのは、悪徳弁護士だ、ということさ。メルヴィル・ディヴィスン・ポーストの『罪体』で、見事に明白な殺人事件を法の手から逃れさせた、弁護士のランドルフ・メイスンこそ、『名犯人中の名犯人』だといっていいだろうね」
「『ランドルフ・メイスンと7つの罪』はぼくも読みましたよ」
ぼくは、どこか釈然としないものを感じていた。
「聞いた話じゃ、たしかあいつ、未訳のシリーズ後半の短編では正義の弁護士になっちまうんじゃありませんでしたっけ」
「おれはあくまで、『罪体』の話をしているつもりだよ、学生さん。まあ、あの短編集全体に拡大してもいいがね。『バールを持った男たち』なんか、そのやり口がなんとも芸術的じゃないか」
「そりゃあそうかもしれませんけど……」
「この知能犯罪に共通することは、すべて『合法的』だということだ。少なくとも裁判では『犯罪』とはみなされない。『合法的』である以上、しかも実行者は自分とは別である以上、犯罪プランナーとしてのランドルフ・メイスンは、大道を闊歩しようが、警察に捕まるおそれは微塵もないのだ。『Yの悲劇』の犯人も、『赤毛のレドメイン家』の犯人も、『マーン城の喪主』の犯人も、自ら手を下して、法の手にかかるかもしれない隙を作っている。ランドルフ・メイスンはそんな愚かな真似はしないのだ」
「それって」
井森が、目をぱちぱちさせた。
「ただの卑怯者の悪党、ということじゃないですか」
「卑怯者でけっこう。悪党でけっこう。おれたちは、『名犯人』について語っていたのではなかったのかね? しかもだ」
馬庭さんは、指を一本立てた。
「このランドルフ・メイスンは、この『罪体』で使ったトリックにより、現実の世界でも、法改正までやってのけてしまったのだ。『罪体』をまねた事件が多発したせいだが、実際の社会にまで影響を与えるというのは、犯人冥利につきる、というものではないかね?」
「そういわれると、反論はしにくいなあ」
ぼくはぼやいた。馬庭さんはわが意を得たり、という顔になった。
「そうだろう。審判を頼むとするか。舞ちゃん、どう評価する?」
あっ汚ねえ、とぼくは馬庭さんを見て思った。捻原さんが、敗北を認める苦笑いをした。気がつかないのは井森くらいのものだ。
舞ちゃんは、目をきらきらさせて、馬庭さんの言葉に大きくうなずいた。
「ええ、『マーン城の喪主』の犯人より、ランドルフ・メイスンのほうが、ミステリ史において重要な名犯人だというのに賛成です。ミステリ界でも最初の有能な悪徳弁護士ですもんね」
キャビアの魅力は馬庭さんみたいな、ハードボイルドが服着て歩いているような男でも、冷徹な策士に変えてしまうのか。美味とはそれほどに罪深いものなのか。ある意味、馬庭さんこそ、名犯人だよなあ、と、ぼくが思ったそのときだった。
「あのう……おれも、発言していいですか? 金を払うことになっているので……」
井森が手を挙げた。
(この項・続く)
馬庭さんはぼくにいった。
「そうですね……名探偵と対決することかなあ」
「それはさほど重視する必要はないと思う。例えば、短編ミステリの古典的傑作、『オッターモール氏の手』では、名探偵と呼ぶに値する人間は出てこないが、それでもあの小説の犯人は名犯人のひとりに数えられるし、おれも挙げるかどうか迷った。つまり」
「つまり……?」
舞ちゃんが、馬庭さんのほうへじりっと身体を動かした。
「名犯人と呼ばれるものが目指すのは、自らの手を汚さずに完全犯罪をすること、だと思う。その究極は、『合法的に犯罪を犯すこと』ではないかな?」
「『合法的に犯罪を犯す?』……どういうことですか、それ」
井森が混乱した顔つきになった。
「要するにだ。おれが『名犯人』の究極的存在とするのは、悪徳弁護士だ、ということさ。メルヴィル・ディヴィスン・ポーストの『罪体』で、見事に明白な殺人事件を法の手から逃れさせた、弁護士のランドルフ・メイスンこそ、『名犯人中の名犯人』だといっていいだろうね」
「『ランドルフ・メイスンと7つの罪』はぼくも読みましたよ」
ぼくは、どこか釈然としないものを感じていた。
「聞いた話じゃ、たしかあいつ、未訳のシリーズ後半の短編では正義の弁護士になっちまうんじゃありませんでしたっけ」
「おれはあくまで、『罪体』の話をしているつもりだよ、学生さん。まあ、あの短編集全体に拡大してもいいがね。『バールを持った男たち』なんか、そのやり口がなんとも芸術的じゃないか」
「そりゃあそうかもしれませんけど……」
「この知能犯罪に共通することは、すべて『合法的』だということだ。少なくとも裁判では『犯罪』とはみなされない。『合法的』である以上、しかも実行者は自分とは別である以上、犯罪プランナーとしてのランドルフ・メイスンは、大道を闊歩しようが、警察に捕まるおそれは微塵もないのだ。『Yの悲劇』の犯人も、『赤毛のレドメイン家』の犯人も、『マーン城の喪主』の犯人も、自ら手を下して、法の手にかかるかもしれない隙を作っている。ランドルフ・メイスンはそんな愚かな真似はしないのだ」
「それって」
井森が、目をぱちぱちさせた。
「ただの卑怯者の悪党、ということじゃないですか」
「卑怯者でけっこう。悪党でけっこう。おれたちは、『名犯人』について語っていたのではなかったのかね? しかもだ」
馬庭さんは、指を一本立てた。
「このランドルフ・メイスンは、この『罪体』で使ったトリックにより、現実の世界でも、法改正までやってのけてしまったのだ。『罪体』をまねた事件が多発したせいだが、実際の社会にまで影響を与えるというのは、犯人冥利につきる、というものではないかね?」
「そういわれると、反論はしにくいなあ」
ぼくはぼやいた。馬庭さんはわが意を得たり、という顔になった。
「そうだろう。審判を頼むとするか。舞ちゃん、どう評価する?」
あっ汚ねえ、とぼくは馬庭さんを見て思った。捻原さんが、敗北を認める苦笑いをした。気がつかないのは井森くらいのものだ。
舞ちゃんは、目をきらきらさせて、馬庭さんの言葉に大きくうなずいた。
「ええ、『マーン城の喪主』の犯人より、ランドルフ・メイスンのほうが、ミステリ史において重要な名犯人だというのに賛成です。ミステリ界でも最初の有能な悪徳弁護士ですもんね」
キャビアの魅力は馬庭さんみたいな、ハードボイルドが服着て歩いているような男でも、冷徹な策士に変えてしまうのか。美味とはそれほどに罪深いものなのか。ある意味、馬庭さんこそ、名犯人だよなあ、と、ぼくが思ったそのときだった。
「あのう……おれも、発言していいですか? 金を払うことになっているので……」
井森が手を挙げた。
(この項・続く)
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~ Comment ~
Re: limeさん
「犯罪者なのに憎めない」やつらですか。
横綱はドナルド・E・ウェストレイクの「ジョン・ドートマンダー」だな。いつも天才的な犯罪計画を立てるのに、予想外の事態によりいつも失敗してしまう、ユーモア・ミステリの主人公。映画にもなった「ホット・ロック」などで主人公してます。手に入れやすいものでは、こないだ出た早川の「泥棒が1ダース」という短編集が面白いのではないかと。死ぬほど腹がよじれます。
大関は、ヘンリー・スレッサーの「怪盗ルビイ・マーチンスン」。こちらは、プロの犯罪者にあこがれる、悪ぶった若者。相棒の語り手を引き込んで知能犯罪を狙うのだが、いつも失敗して、犯罪自体が成立しない、という、どちらかといえばペーソスのある話でありました。ラストの銀行強盗の話なんか、もう、笑っていいんだか泣いていいんだか(^^)
関脇はジェラルド・カーシュの「犯罪王カームジン」。こちらは引退した天才的なプロの犯罪者、と自称している貧乏人。毎回、自分がかつて起こした知能犯罪をユーモアたっぷりに語ってくれるのだけど、どれだけ本当なのか眉唾ものだという代物。たっぷり笑えます。
小結はユーモア・ミステリ連作の古典的作品、ジョンストン・マッカレーの「地下鉄サム」。主人公のプロのスリ、その名も「地下鉄サム」が、しつこくサムをつけねらうクラドック警部と、ユーモアたっぷりのやりとりを見せてくれます。古い本ですが、わたし大好き。
前頭筆頭はE・D・ホックの「怪盗ニック・ヴェルヴェット」だな。この泥棒、「価値のない」ものしか盗まない。しかも、依頼料は2万ドル(^^) なぜ依頼人は価値のないものを欲しがるのか? そしてニックはどうやって不可能と思われる依頼をこなしていくのか? それが実にスリリングで、ニックがヒーローに見えてくる、という。プールいっぱいの水を盗んでくれ、という依頼がくる「プールの水を盗め」とか、依頼料を受け取ったものの、依頼人が事故にあってしゃべれなくなってしまい、まあいいか、と忍び込んでみた部屋が空っぽで(笑)、いったい何を盗めばいいのかニックが途方に暮れる「からっぽの部屋」なんかが面白いであります。日本では「怪盗ニックを盗め」などの短編集四冊にまとまっていますが、このシリーズ全80作以上あるんだよなあ。全編日本語訳してほしいものだなあ。状況はギャグみたいなものだけど、しっかりしたロジックに基づく謎解きもので、ユーモア・ミステリというわけではないので前頭。
……あっいかんそのまま『趣喜堂』のネタに使えるのに、こんなところで書いてしまった(^^;)
やっぱ動揺しているわたし(^^;)
こうして西の上位は書いたから東だけれど、うーん、なかなかいいものが思いつかん。宿題にしといてください。
横綱はドナルド・E・ウェストレイクの「ジョン・ドートマンダー」だな。いつも天才的な犯罪計画を立てるのに、予想外の事態によりいつも失敗してしまう、ユーモア・ミステリの主人公。映画にもなった「ホット・ロック」などで主人公してます。手に入れやすいものでは、こないだ出た早川の「泥棒が1ダース」という短編集が面白いのではないかと。死ぬほど腹がよじれます。
大関は、ヘンリー・スレッサーの「怪盗ルビイ・マーチンスン」。こちらは、プロの犯罪者にあこがれる、悪ぶった若者。相棒の語り手を引き込んで知能犯罪を狙うのだが、いつも失敗して、犯罪自体が成立しない、という、どちらかといえばペーソスのある話でありました。ラストの銀行強盗の話なんか、もう、笑っていいんだか泣いていいんだか(^^)
関脇はジェラルド・カーシュの「犯罪王カームジン」。こちらは引退した天才的なプロの犯罪者、と自称している貧乏人。毎回、自分がかつて起こした知能犯罪をユーモアたっぷりに語ってくれるのだけど、どれだけ本当なのか眉唾ものだという代物。たっぷり笑えます。
小結はユーモア・ミステリ連作の古典的作品、ジョンストン・マッカレーの「地下鉄サム」。主人公のプロのスリ、その名も「地下鉄サム」が、しつこくサムをつけねらうクラドック警部と、ユーモアたっぷりのやりとりを見せてくれます。古い本ですが、わたし大好き。
前頭筆頭はE・D・ホックの「怪盗ニック・ヴェルヴェット」だな。この泥棒、「価値のない」ものしか盗まない。しかも、依頼料は2万ドル(^^) なぜ依頼人は価値のないものを欲しがるのか? そしてニックはどうやって不可能と思われる依頼をこなしていくのか? それが実にスリリングで、ニックがヒーローに見えてくる、という。プールいっぱいの水を盗んでくれ、という依頼がくる「プールの水を盗め」とか、依頼料を受け取ったものの、依頼人が事故にあってしゃべれなくなってしまい、まあいいか、と忍び込んでみた部屋が空っぽで(笑)、いったい何を盗めばいいのかニックが途方に暮れる「からっぽの部屋」なんかが面白いであります。日本では「怪盗ニックを盗め」などの短編集四冊にまとまっていますが、このシリーズ全80作以上あるんだよなあ。全編日本語訳してほしいものだなあ。状況はギャグみたいなものだけど、しっかりしたロジックに基づく謎解きもので、ユーモア・ミステリというわけではないので前頭。
……あっいかんそのまま『趣喜堂』のネタに使えるのに、こんなところで書いてしまった(^^;)
やっぱ動揺しているわたし(^^;)
こうして西の上位は書いたから東だけれど、うーん、なかなかいいものが思いつかん。宿題にしといてください。
『合法的に犯罪を犯す』かあ。
なるほど、できなくはなさそうですね。
あとはどれ程「犯罪ものなのに犯罪者にエールを送りたくなる」ほどの爽快感を残せるか、ですよね。
やっぱり、悪が勝つ的な物語は、納得できないし。
いつか、「犯罪者なのに憎めない」談義、してほしいです。
ああ、キャビアが食べたくなった・・。
(って、本物の味を知ってるのか?私)
なるほど、できなくはなさそうですね。
あとはどれ程「犯罪ものなのに犯罪者にエールを送りたくなる」ほどの爽快感を残せるか、ですよね。
やっぱり、悪が勝つ的な物語は、納得できないし。
いつか、「犯罪者なのに憎めない」談義、してほしいです。
ああ、キャビアが食べたくなった・・。
(って、本物の味を知ってるのか?私)
Re: 秋沙さん
はたして井森君はミステリー不勉強者の救世主たりうるか。一抹の疑問とともに次回へ続く(笑)。
あうー(ToT)
恥ずかしながら海外ミステリーをほとんど読んだことがないので、全然わかりましぇん。
でも「罪体」、読んでみたくなりました。
だ、だけど井森くんが何か言おうとしているぞ!?
頑張れ井森くん!ミステリー不勉強者の期待の星だ!!
(笑)
恥ずかしながら海外ミステリーをほとんど読んだことがないので、全然わかりましぇん。
でも「罪体」、読んでみたくなりました。
だ、だけど井森くんが何か言おうとしているぞ!?
頑張れ井森くん!ミステリー不勉強者の期待の星だ!!
(笑)
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Re: 面白半分さん
これでオチがつけられなかったら……井森くんに腹を切ってもらうか(笑)