「ショートショート」
SF
マヤ暦の終焉
二〇一二年も暮れようとしていた。十二月二十二日、今年はいつもより、この遺跡にあつまる見学者、いや見物人、いや野次馬が多い。
「あの予言のせいですよねえ」
わたしの助手のシルビアが、コーヒーを持ってきた。一年中、うだるように暑いジャングルのど真ん中なので、水分補給は必須なのだ。
「他になにが考えられる」
わたしは苦々しくいった。そうなのだ。マヤ暦の終わりが明日であることから、明日、この世界は終わりを告げるなどという馬鹿な噂が広まって、今の中南米の遺跡は、マヤ、インカ、アステカを問わず、観光客でごった返しているのだ。
「まったく、カレンダーの最後のページをめくったら、それで世界の終末が来るとでも思っているのかね。十二月三十一日の次は一月一日が来る、二十三時五十九分五十九秒の一秒後は零時零分だ。百年日記の二十世紀のページを全部埋めたら、新しく二十一世紀版を買ってくればいい。マヤ暦も同じだ。ひとつのサイクルが終わったら、また次のサイクルが始まるだけだ。それがわかっているはずなのに、誰も彼もが、なにか特別なことがあるのではないかと思いたがる……。しかし、この遺跡もこんなに見物人が来るとは思わなかったな。専攻を変えておくんだった」
シルビアは怪訝な顔をした。
「考古学のほかに、こんなところでなにをしようというんです?」
「わからんかね? 心理学だ。集団ヒステリーのもとで人はどんな馬鹿なことをしでかすかを調べて書けば、立派な論文ができただろうよ」
シルビアは苦笑いした。
「教授の心理学研究にぴったりのかたが、この近くにある、誰も使っていなかったおんぼろの小屋でぶつぶついっておりますわ」
「へえ?」
わたしはなぜか興味をひかれた。
「それは、見物人が集まっているだろうね」
シルビアは首を振った。
「それがさっぱり。垢じみた、浮浪者みたいな老人で、誰ひとり、相手にする人間はいませんわ。わたしも話をちょっと聞きましたが、変なことをいってるんですよ。この地には、知られていない文明があったって主張しているんです。先生の国でいう、『トンデモ』さんですね」
「どこでそんなことを覚えてきたんだ、シルビア」
わたしは呆れ顔になったらしい。シルビアの苦笑が、さらに大きくなった。
わたしは腰を上げた。
「どこへ行かれるんです?」
仮設小屋の扉を開けて、わたしはいった。
「その、謎めいた老人のところだよ。なに、一時間もあれば戻るさ」
その小屋は、すぐに見つかった。老人がぶつぶついっている小屋だ、誰だってすぐにわかる。
わたしは小屋の戸口をくぐった。
「なんじゃ……」
たしかに、予言者じみた老人だった。しゃべっていたのは明瞭なスペイン語だ。
「終末を黙って迎える気になったわしに、なんの用じゃ? まずは名乗れい」
「この遺跡と、このあたりの文明を調べている、八馬というものです。できれば、ご老人のおっしゃられる、このあたりに栄えていたという、知られざる文明についてお聞きしたいと思いまして……」
「ほう。口のききかたを心得たやつじゃな。よかろう。誰一人として信じなかろうが、教えて進ぜよう。かつて、この辺りには、地の底の国を支配する王、『マーイ・ヤー』を信ずる、平和を愛する人間たちが住んでおった」
地の底の国の王の話なら、たしかに、インディオの神話にある。神話では、邪悪な地の底の国の王は、父親を殺された二人の兄弟によって八つ裂きにされて復讐されたことになっている。いわゆる創世神話というやつだ。
しかし、『マーイ・ヤー』とははじめて聞く名だが……。
「『マーイ・ヤー』と、それに仕えるものたちは、平和な世界を好んでおった。そこへ、突如反旗を翻すものたちが現われた。それが、いわゆるマヤ文明の礎を築いた悪党どもじゃった」
わたしの知らない先住民の争いの話がまだ残っていたのか? もしそうだとしたら、面白いケースだ。わたしは興味深く話を聞いていた。
「平和を愛する『マーイ・ヤー』信徒は、悪党どもに殺されるだけじゃった。『マーイ・ヤー』の長は、心臓をつかみ出される前にこういったそうじゃ」
老人は、声を潜めた。
「我は甦る……我らは甦る……太陽と月が終末を告げ知らせたとき、我は……この大地の血の流れの中から甦らん!」
その声に、わたしは少しばかりぞっとするものを感じた。血の流れ、とは……遺伝子、のことだろうか? いや、そんなことがあるわけがない。考えすぎだ。
「『マーイ・ヤー』が、長の口を借りて言葉を述べられたのじゃろうなあ。その殺戮からかろうじて逃げ延びたのは、若者と娘のふたりきりじゃった。彼らは、船に乗り込み、そのまま行方知れずになってしもうた……」
老人はクツクツ笑った。
「それ以来じゃ、マヤのものどもがむきになって暦と天体を調べ始めたのは。そして、導き出したのがあの終末暦……明日、ということじゃな」
「それであなたは」
わたしは尋ねた。
「『マーイ・ヤー』が甦ってくる、なにかのしるしを待っているのですか」
「いいや」
老人の笑みが大きくなった。
「わしは、『何も起こらない』のを待っているのじゃ。お前さんに、わしの気持ちがわかるかな?」
わからなかった。なぜだか知らないが、その言葉を老人が吐いたとき、わたしは、『聞いてはいけないもの』を聞いてしまったような気がした。
わたしは小屋を出ると、逃げ出すようにテントへ戻った。
「どうでした?」
シルビアがいった。
「不気味な爺さんだな」
わたしは額の汗をぬぐった。
「それで、どうします? 研究のデータをまとめるんでしょう?」
「これだけ人が増えるとなんだなあ。まあ、いいか」
わたしはパソコンを立ち上げると、今度の紀要に発表するための論文の続きを、徹夜で書き始めた。
次の朝が来た。老人のいうとおりに、『なにかが起こった』兆しもしるしも、なにもなかった。当たり前の話だが。
人々は、三々五々、遺跡から帰っていった。
わたしは、半分ほど書いた論文を、ちらりとながめた。
あと半分か。
まあ、いいや。今日、無理してやることもないし……。
『かくて人類の進歩と競争と戦争の日々は終わりを告げぬ。人類は、求めていた、長きにわたる平和と平穏と安定を獲得せり。
そも、平和とは何ぞや。そは停滞と退歩の別名ではあらずや。競争も戦争も、いわゆる争いの消え去りし世界に、人間の進歩がある道理はなし。
世界の総人口はゆるやかに、しかし確実に減少せり。今となっては何人なのかも判然とせず。栄華を極めていたと聞くかつての都市は、そのほとんどが植物により覆われたり。
文明の退歩はいわずもがな。我ら残されし人類は、いまや意味すらもわからなくなった詩句を口にするのみ。
「スイス百年の平和がもたらしたものは何ぞや? 鳩時計なり!」
かくて栄光の日々は去り、人類が手には二度と戻ることなし』
(西暦五六〇〇年ごろに刻まれたと思われる碑文より転写)
「あの予言のせいですよねえ」
わたしの助手のシルビアが、コーヒーを持ってきた。一年中、うだるように暑いジャングルのど真ん中なので、水分補給は必須なのだ。
「他になにが考えられる」
わたしは苦々しくいった。そうなのだ。マヤ暦の終わりが明日であることから、明日、この世界は終わりを告げるなどという馬鹿な噂が広まって、今の中南米の遺跡は、マヤ、インカ、アステカを問わず、観光客でごった返しているのだ。
「まったく、カレンダーの最後のページをめくったら、それで世界の終末が来るとでも思っているのかね。十二月三十一日の次は一月一日が来る、二十三時五十九分五十九秒の一秒後は零時零分だ。百年日記の二十世紀のページを全部埋めたら、新しく二十一世紀版を買ってくればいい。マヤ暦も同じだ。ひとつのサイクルが終わったら、また次のサイクルが始まるだけだ。それがわかっているはずなのに、誰も彼もが、なにか特別なことがあるのではないかと思いたがる……。しかし、この遺跡もこんなに見物人が来るとは思わなかったな。専攻を変えておくんだった」
シルビアは怪訝な顔をした。
「考古学のほかに、こんなところでなにをしようというんです?」
「わからんかね? 心理学だ。集団ヒステリーのもとで人はどんな馬鹿なことをしでかすかを調べて書けば、立派な論文ができただろうよ」
シルビアは苦笑いした。
「教授の心理学研究にぴったりのかたが、この近くにある、誰も使っていなかったおんぼろの小屋でぶつぶついっておりますわ」
「へえ?」
わたしはなぜか興味をひかれた。
「それは、見物人が集まっているだろうね」
シルビアは首を振った。
「それがさっぱり。垢じみた、浮浪者みたいな老人で、誰ひとり、相手にする人間はいませんわ。わたしも話をちょっと聞きましたが、変なことをいってるんですよ。この地には、知られていない文明があったって主張しているんです。先生の国でいう、『トンデモ』さんですね」
「どこでそんなことを覚えてきたんだ、シルビア」
わたしは呆れ顔になったらしい。シルビアの苦笑が、さらに大きくなった。
わたしは腰を上げた。
「どこへ行かれるんです?」
仮設小屋の扉を開けて、わたしはいった。
「その、謎めいた老人のところだよ。なに、一時間もあれば戻るさ」
その小屋は、すぐに見つかった。老人がぶつぶついっている小屋だ、誰だってすぐにわかる。
わたしは小屋の戸口をくぐった。
「なんじゃ……」
たしかに、予言者じみた老人だった。しゃべっていたのは明瞭なスペイン語だ。
「終末を黙って迎える気になったわしに、なんの用じゃ? まずは名乗れい」
「この遺跡と、このあたりの文明を調べている、八馬というものです。できれば、ご老人のおっしゃられる、このあたりに栄えていたという、知られざる文明についてお聞きしたいと思いまして……」
「ほう。口のききかたを心得たやつじゃな。よかろう。誰一人として信じなかろうが、教えて進ぜよう。かつて、この辺りには、地の底の国を支配する王、『マーイ・ヤー』を信ずる、平和を愛する人間たちが住んでおった」
地の底の国の王の話なら、たしかに、インディオの神話にある。神話では、邪悪な地の底の国の王は、父親を殺された二人の兄弟によって八つ裂きにされて復讐されたことになっている。いわゆる創世神話というやつだ。
しかし、『マーイ・ヤー』とははじめて聞く名だが……。
「『マーイ・ヤー』と、それに仕えるものたちは、平和な世界を好んでおった。そこへ、突如反旗を翻すものたちが現われた。それが、いわゆるマヤ文明の礎を築いた悪党どもじゃった」
わたしの知らない先住民の争いの話がまだ残っていたのか? もしそうだとしたら、面白いケースだ。わたしは興味深く話を聞いていた。
「平和を愛する『マーイ・ヤー』信徒は、悪党どもに殺されるだけじゃった。『マーイ・ヤー』の長は、心臓をつかみ出される前にこういったそうじゃ」
老人は、声を潜めた。
「我は甦る……我らは甦る……太陽と月が終末を告げ知らせたとき、我は……この大地の血の流れの中から甦らん!」
その声に、わたしは少しばかりぞっとするものを感じた。血の流れ、とは……遺伝子、のことだろうか? いや、そんなことがあるわけがない。考えすぎだ。
「『マーイ・ヤー』が、長の口を借りて言葉を述べられたのじゃろうなあ。その殺戮からかろうじて逃げ延びたのは、若者と娘のふたりきりじゃった。彼らは、船に乗り込み、そのまま行方知れずになってしもうた……」
老人はクツクツ笑った。
「それ以来じゃ、マヤのものどもがむきになって暦と天体を調べ始めたのは。そして、導き出したのがあの終末暦……明日、ということじゃな」
「それであなたは」
わたしは尋ねた。
「『マーイ・ヤー』が甦ってくる、なにかのしるしを待っているのですか」
「いいや」
老人の笑みが大きくなった。
「わしは、『何も起こらない』のを待っているのじゃ。お前さんに、わしの気持ちがわかるかな?」
わからなかった。なぜだか知らないが、その言葉を老人が吐いたとき、わたしは、『聞いてはいけないもの』を聞いてしまったような気がした。
わたしは小屋を出ると、逃げ出すようにテントへ戻った。
「どうでした?」
シルビアがいった。
「不気味な爺さんだな」
わたしは額の汗をぬぐった。
「それで、どうします? 研究のデータをまとめるんでしょう?」
「これだけ人が増えるとなんだなあ。まあ、いいか」
わたしはパソコンを立ち上げると、今度の紀要に発表するための論文の続きを、徹夜で書き始めた。
次の朝が来た。老人のいうとおりに、『なにかが起こった』兆しもしるしも、なにもなかった。当たり前の話だが。
人々は、三々五々、遺跡から帰っていった。
わたしは、半分ほど書いた論文を、ちらりとながめた。
あと半分か。
まあ、いいや。今日、無理してやることもないし……。
『かくて人類の進歩と競争と戦争の日々は終わりを告げぬ。人類は、求めていた、長きにわたる平和と平穏と安定を獲得せり。
そも、平和とは何ぞや。そは停滞と退歩の別名ではあらずや。競争も戦争も、いわゆる争いの消え去りし世界に、人間の進歩がある道理はなし。
世界の総人口はゆるやかに、しかし確実に減少せり。今となっては何人なのかも判然とせず。栄華を極めていたと聞くかつての都市は、そのほとんどが植物により覆われたり。
文明の退歩はいわずもがな。我ら残されし人類は、いまや意味すらもわからなくなった詩句を口にするのみ。
「スイス百年の平和がもたらしたものは何ぞや? 鳩時計なり!」
かくて栄光の日々は去り、人類が手には二度と戻ることなし』
(西暦五六〇〇年ごろに刻まれたと思われる碑文より転写)
- 関連記事
-
- のど元まで出かかっているんだが
- マヤ暦の終焉
- 落ちる
スポンサーサイト
もくじ
風渡涼一退魔行

もくじ
はじめにお読みください

もくじ
ゲーマー!(長編小説・連載中)

もくじ
5 死霊術師の瞳(連載中)

もくじ
鋼鉄少女伝説

もくじ
ホームズ・パロディ

もくじ
ミステリ・パロディ

もくじ
昔話シリーズ(掌編)

もくじ
カミラ&ヒース緊急治療院

もくじ
未分類

もくじ
リンク先紹介

もくじ
いただきもの

もくじ
ささげもの

もくじ
その他いろいろ

もくじ
自炊日記(ノンフィクション)

もくじ
SF狂歌

もくじ
ウォーゲーム歴史秘話

もくじ
ノイズ(連作ショートショート)

もくじ
不快(壊れた文章)

もくじ
映画の感想

もくじ
旅路より(掌編シリーズ)

もくじ
エンペドクレスかく語りき

もくじ
家(

もくじ
家(長編ホラー小説・不定期連載)

もくじ
懇願

もくじ
私家版 悪魔の手帖

もくじ
紅恵美と語るおすすめの本

もくじ
TRPG奮戦記

もくじ
焼肉屋ジョニィ

もくじ
睡眠時無呼吸日記

もくじ
ご意見など

もくじ
おすすめ小説

もくじ
X氏の日常

もくじ
読書日記

~ Comment ~
おはようございます^^
結局予言は当たった、ということですね。
何もしなくても滅びる。。。
何かしても滅びる。。。
平和が人にもたらすものは、無気力?
なんだか、何かをして滅びるよりも切ない話です^^
何もしなくても滅びる。。。
何かしても滅びる。。。
平和が人にもたらすものは、無気力?
なんだか、何かをして滅びるよりも切ない話です^^
Re: 土屋マルさん
これを書いたときは、光瀬龍先生の「たそがれに還る」が頭にありました。
それがどうしてこうなったかは永遠の謎です。
それがどうしてこうなったかは永遠の謎です。
- #7660 ポール・ブリッツ
- URL
- 2012.04/10 00:00
- ▲EntryTop
新作の『ヒューマン・ファクター』にお邪魔したのに、左バーの一覧でこちらを発見した私|ω・`)
マア、イイヤというセリフは一体いつ言われるんだろうと、わくわくしていたのに予想を裏切り、しんねりとしたラストでしたね(笑)
何をしなくても勝手に滅ぶのが文明‥‥切ないッス><
それとも、地の底の王自身が、マア、イイヤで人類を滅ぼす予定をスルーしたのでしょうか?(笑)
私的には、こっちの方が読後に引きずるクスクス笑いが大きいかもです(*´艸`*)
しかして、ネーミングが最高でした♪
マア、イイヤというセリフは一体いつ言われるんだろうと、わくわくしていたのに予想を裏切り、しんねりとしたラストでしたね(笑)
何をしなくても勝手に滅ぶのが文明‥‥切ないッス><
それとも、地の底の王自身が、マア、イイヤで人類を滅ぼす予定をスルーしたのでしょうか?(笑)
私的には、こっちの方が読後に引きずるクスクス笑いが大きいかもです(*´艸`*)
しかして、ネーミングが最高でした♪
Re: LandMさん
まあなにもしなくても、現生人類は十万年後までには絶滅しているでしょうな。たぶん。
世の中そんなもんです(^^)
世の中そんなもんです(^^)
世界が滅ぶ予言ってたくさんありますよね。
まあ、滅ぶのは滅ぶのかもしれませんし、遥か彼方先の未来が滅ぶと言っているので、予言した本人は間違っていても知ったこっちゃね~よ・・・みたいな感じで予言を・・・しているわけないか。
まあ、滅ぶのは滅ぶのかもしれませんし、遥か彼方先の未来が滅ぶと言っているので、予言した本人は間違っていても知ったこっちゃね~よ・・・みたいな感じで予言を・・・しているわけないか。
~ Trackback ~
卜ラックバックURL
⇒
⇒この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
Re:YUKAさん
光瀬龍先生の本、また読みたくなってきたなあ!