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    趣喜堂茶事奇譚(うんちく小説シリーズ)

    趣喜堂茶事奇譚/熱い太陽、深海魚(その2)

     ←趣喜堂茶事奇譚/熱い太陽、深海魚(その1) →老後
     夕食をどうしようかなんて考えはすっぽり頭から抜け落ちていた。

     何時間もの間、ぼくは夢中になってこの「熱い太陽、深海魚」のページをめくっていた。

     読み終わってページを閉じ、ふっと息を吐き出すと、ぼくはようやく、隣で井森がカウンターにもたれてぐっすり眠っているのに気がついた。

    「ありがとう」

     ぼくは、コーヒーを飲んでいた舞ちゃんに本を返して、心の底からいった。

    「面白かった」

    「八十年代SFの、はしりのような作品でしょう? 七六年にこれが書けたというのは、先駆的というか、予言的ですね、いま思うと」

    「うん」

     ぼくは指を立てて注文した。

    「カフェオレ。いつもの」

     舞ちゃんは鍋に向かうと、牛乳を沸かし始めた。喫茶店なんだから当然、コーヒーはある。

    「それにしても、ネット社会というものが到達するひとつの臨界点がこれかもしれないな」

    「そう思うかね?」

     いつの間に帰ってきたのか、ツイスト博士がいった。

    「ええ」

     ぼくはうなずいた。

    「人間の脳が電脳化されるということは、それを積極的に兵器として使用される可能性をも秘めています。あの『攻殻機動隊』みたいに、攻勢防壁だとか、電脳を焼ききってやれ、とかいうレベルではないんです」

    「ほう」

    「攻勢防壁、つまり人間の頭にかけるファイアウォールも、便利な概念ですが、事実上、それは、家庭の戸締りを厳重にしよう、程度のものでしかありません。一度公権力が動き出したら、そういった戸締りなんてなんの役にも立たないでしょう。集団としての人間の脳髄そのものを戦場としての、ウイルスとウイルス、コンピュータ兵器同士のぶつかり合いとなるでしょうね。人間の頭が直接コンピュータネットにつながる、というのは、そういうことです」

    「カフェオレできました」

    「ありがとう」

     ぼくは、そのコクと苦味と、それからどこかかすかな甘みを感じる液体を飲んだ。乾いた喉にそれは快かった。

    「アウタースペースだけの戦争でももてあまし気味なのに、そこにインナースペースも物理的に巻き込む総力戦になったら……それこそ、人類は滅びますよ」

    「君は電脳化には?」

    「もちろん反対です。サイバーパンクやその後継者が描いてみせる最悪のディストピアさえ、成立している以上それはユートピアでしょう」

     ぼくはツイスト博士の表情をうかがった。

    「そのユートピアには、あの『熱い太陽、深海魚』の悪夢めいた世界さえもが含まれます。ある意味、あの小説は楽観的すぎますね。熱い太陽と、深海魚の真実を悟ったうえで滅びられるのですから」

    「楽観的か」

     ツイスト博士は、時計を見た。

    「そろそろ閉店だが……君もほんとうに小説が好きだね。六時間もぶっとおしでこの難解な本を読むんだから」

    「今を逃したら、また舞ちゃんに、本棚に鍵をかけられてしまいかねませんからね」

     ぼくは伸びをした。

    「そういや、代金を払っていませんでしたね。食事と飲み物と、それから基本料金で、いくらです? 腹が減ってないから、なにか食ったと思うんですが、本が面白くて忘れちゃって」

     頭をかくぼくに、舞ちゃんはレジをかたかたやってレシートを渡してくれた。

    「これだけです」

     ぼくは財布を取り出した。

    「いつもに比べて安いですね。ええと……ああそうか。夕食の食事の代金が抜けているんだ。……黙ってりゃよかったかな」

     ぼくは苦笑いを浮かべた。

     だが……。

    「いいえ、サービスですよ。気にしないでください」

    「サービス?」

     悪い予感がした。

    「わたしも調理師免許を取ってから長いことなるが……」

    「免許持ってたんですか博士!」

     そちらのほうが驚きだ……いや。待てよ。ということは。まさか!

    「わたしの作ったおにぎりを、あんなにうまそうに次々と食べてくれたのは、君が初めてだ!」

     ぼくは口をぽっかり開けてその言葉を聞いていた。

    「舞ちゃん……?」

    「ほんとうですよ。次から次へと、むしゃむしゃと」

     ぼくは変な汗をかいて席から立ち上がった。

    「帰ります」

    「井森くんも連れて行ってくれないか。寝ているようだから」

     ぼくは代金を払うと、井森を起こして、かつぐように店を出た。

     三日後、ぼくは下痢をした。大学の病院で医者に診てもらうと、「別に異常はありませんね。冷えたのでしょう」ということだった。

     ぼくはあの医者の言葉を信じていない。あの小説に出てきた、いかにも腹に一物ありそうな、怪しげな医者よりももっと信じていない。

    (この項おわり)
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    ~ Comment ~

    Re: limeさん

    あれは原作のコミックを読まないとなにをいってるんだかさっぱりわかりません。

    そもそも原作のコミックがわかりづらい内容なのですが。

    それに耐えて、SFガジェットの中身や組織間の構図などを頭に叩き込んでから見ると、ムチャクチャ面白い映画であります。「イノセンス」はマイベスト映画の一本です。

    テレビシリーズは、DVDを借りてきて、その映像特典によるキャラクター紹介を頭に叩き込んでから見るのがコツでしょうね。

    口の悪い人は「あれは攻殻じゃなくて『はぐれ刑事電脳派』」だなんていってますが。

    なんか、この本の内容が、電脳化に関する、重い内容なのだろうと言うイメージは伝わりましたが・・・読んでみないとはっきりは分からないと言う事ですね。

    それにしても。
    実は私、『攻殻機動隊』を最後まで観れた事が無いんです。
    3回トライしましたが、3回とも半分くらいで寝てしまうんです。
    これは、なんでしょう。脳の拒否反応でしょうか。
    未だに結末を知りません。

    この世には、面白いアニメと、面白くないアニメと、観ることができないアニメが存在するってことでしょうか。

    Re: ミズマ。さん

    じゃ、ぜひ石川県に(^^)

    よく考えたら、喫茶店を出して食事をふるまうには調理師免許がないとねえ、と……。

    どうやって取ったのかは考えたくもないですが(笑)。

    ちなみに、医者のいうとおり、「ぼく」の下痢は、ただの『冷え』によるものです(ホントか?(^^;))

    ツイスト博士、調理師免許持ってるんですね^^;
    それにしてもおにぎりでお腹壊すって……どんなおにぎりなんでしょうか、気になります。
    けれど食べたいとは決して思いません!←

    ツイスト博士のおにぎりと気づかずに食べてしまうほど熱中できる本なら、ぜひ読んでみたいです^^
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