「ショートショート」
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空が泣いている
一面の青空だった。雲ひとつない快晴。ぼくの大好きな時間だ。
「だろ? こいつを連れてきて、正解だったろ?」
須藤がいった。この、『秋の昭高山ハイキング』という、物好きしか参加しないような企画についてきた、大学のW級グルメサークルの連中も、うんうんとうなずいた。
W級グルメサークルの活動というのは、要約すれば簡単なものだった。大学から日帰りで行ける範囲で、歩き回ってうまい店を探す、というものである。ひたすら歩くから、ウォークのWでW級。できるだけインターネットに載っていない店を開拓し、誰かひとりでも、「うまい」と思った店があれば大成功。よくよく考えてみればくだらないにもほどがある遊びだ。メンバーのうち、ぼくも含めて、味がわかる人間がひとりもいるとは思えない。
春の発足から半年以上たち、市内のほとんどは歩きつくしてしまったので、今回初の遠出として、この昭高山にしたのであるが。
「まったく、晴男、お前のおかげで晴れてくれてよかったよ」
「はは……どうも」
そう。ぼくの名前は晴男といい、親兄弟知人友人、皆が認めるところの『晴れ男』なのだった。小学校のときから、運動会だの遠足だのといったイベントで、ぼくが参加して晴れなかった日は一日もないといわれて、伝説になっていたくらいだ。本人としては、けっこう雨に降られているような気がしないでもないが、周囲の評価では、『史上最強の晴れ男』だそうなのだ。
まあ、晴男なんて名をつけられたこともあって、ぼくは晴れた日が大好きだ。晴れた日の散策ほど、面白いことはないと思っている。
それにしても、今日はすばらしい。落葉樹はみごとに紅葉し、空の青さと絶妙なコントラストを見せている。風はさわやか、これで山の中腹に品のいい食堂や喫茶店があれば……。
「おい。あれなんだ?」
須藤が遠くのほうを見た。こいつはやたらと目のいいやつなのだ。
「どうした?」
「いや、看板がちらりと……」
いわれてぼくは双眼鏡を取り出し、須藤の視線の方向に向けた。
「避難小屋……紅茶とお菓子と軽食」
「貸してみろ」
須藤はぼくの手から双眼鏡を取り上げた。
「昭高山展望台……なるほど、行楽客向けの喫茶店ということか」
「やっているかな」
「わからん。でも、撤退はわがサークルの沽券にかかわる。前進あるのみだ!」
ぼくたちは食欲に突き動かされるようにして歩いた。健康というか馬鹿というか。
三十分の登山の末、ぼくたちはその店にたどりついた。
「開いてるみたいだな」
酒井が、息を切らせながらつぶやいた。
「注文が多い、とか書いていないか?」
須藤がにやにやしていった。会長だけあって、かなりの健脚なのだ。高校のころは山岳部員だったそうだが、山よりも飯のほうが好きでこのサークルを立ち上げた、と話していた。
「すみませーん」
ぼくは、副会長、すなわちサブリーダーとしての立場から、率先して店に入った。
入ってすぐ、ぼくの目は一点に釘付けになった。
「いらっしゃいませ!」
珠を転がすような声。すらりとした肢体に、まとめた長髪。そして、俗悪なメイド服などとは異なる、スマートで機能的なエプロン。
「あの、あの、あのあのっ、四人」
その娘……この店のウェイトレスは、くすりと笑った。
「窓際のお席が空いてます。どうぞお入りください」
ぼくは、ぎくしゃくと手足をロボットのように動かしながらその腰……じゃなくて、背中についていった。
席に着いたぼくたちは、そろって注文をした。
「ダージリンに、ぺペロンチーノ」
「じゃ、おれ、アッサムにドリアね」
「おれは……おれも、アッサムに、そうだな、カレーライスをもらおうか。お前は?」
ぼくははっと我に返った。
「アップルティーに、オムライス……」
ぼくは彼女の顔に、いや胸……じゃなかった腰……でもなく、ええいいいじゃないか、どこを見たって。とにかく、彼女のほうを見て注文をした。
「かしこまりました。マスター!」
ウェイトレス嬢は奥の厨房へと歩いていった。
「お前……」
須藤が訳知り顔でいった。
「ああいうのが好みのタイプだったのか」
「わわわ悪くないじゃないか」
ぼくの答えに、寺嶋と酒井も訳知り顔でうなずいた。
「まあ、お前の趣味としちゃ、上出来なほうだな」
「でも、苦労するのは目に見えてるぜ」
「なんだよそのいいかた」
ぼくはちょっとカチンときた。
「考えてもみろ、あの娘に会いに来るには、お前、それこそ毎日のように登山しなくちゃならん、ということだぞ」
「そんなこと、ぼくにだってわかってるさ」
そう。ぼくはわかっていた。
さすがに毎日この山に通えるほどの時間も金銭もなかった。ぼくはサークルに参加して店に入るときは必ず一番安い飲み物か料理にし、バイトに精を出し、ちびちびちびちび貯金をしては、二週間に一度くらいの割合で昭高山に向かっていた。
そしてもちろん、ぼくが昭高山へ向かうときは、昭高山は晴天なのだった。
やがて、冬がやってきた。登山道が一時的に閉じられる日になったのだ。
「露崎さん、冬はどうしているの?」
すっかりこの店の常連客となったぼくは、ウェイトレスの露崎さんとこういう口をきけるまでになっていた。
「冬は、いったん、実家のほうへ帰ります、晴男さん」
よし、いいぞ。ぼくは、心の中でガッツポーズをした。冬のうちに彼女に会えるだけ会い、なんとかしてその心を捕まえるのだ。
「へえ。実家って、どこにあるの?」
「長崎です」
会えるだけ会うには、ちょっと距離が遠すぎた。
「でも、登山道が開いたら、またこの店も開けますので、それまで待っていてくださいね」
「もちろん」
ぼくはここで、かねてより練習しておいた台詞を口にした。
「ぼくは好きになったよ、この山も、この店も、そして君も」
露崎さんの顔が赤く染まった。
「わ……わたし、その、晴男さんと」
「ぼくと?」
「この山の、一番すてきな光景を、いっしょに見られたらいいな、って思ってました」
「この山の一番すてきな光景? 見に来るよ。来年、いっしょに見ようよ」
脈ありだ。
「で、その、一番すてきな光景って?」
「雨の昭高山です」
「えっ……」
ぼくの表情がこわばった。露崎さんは、それに気がつかず、話を続けた。
「雨が降ると、植物も、動物も、虫たちも、みんな生き生きとし始めます。雨になると、山を包む香り自体が違ってくるんです。たいていのお客さんは、それに気がつかないようですけれど、雨の日、この店から、けぶり、かすむ山の景色を見ていると、ほんとうに、心が癒されるというか……晴男さんにも、一度お見せしたかったんですけどね」
「……そ、そうですか」
ぼくは、少し上ずった声でいった。
「いつか見にきます。絶対に」
方法はひとつしかなかった。
いくらぼくが、晴れ男だといっても、それだけで日本の降水確率が変化するわけではない。春になり、雪が溶け、登山道が再び開いたら、毎日通って、雨の日を待つのだ。
ぼくはそう決意し、冬休みの間、バイトにバイトを重ねた貯金を少しずつ使い、山開きの日が来るや否や、毎朝毎朝、一番の列車で昭高山とあの喫茶店を目指した。もちろん、防寒対策と防水対策はしっかりやったうえでだ。
春に三日の晴れなし、などというくせに、十三日間、日中の晴天が続いた。
十四日目、すでに出ていない授業の単位がヤバくなっているんじゃないかと思いながら、露崎さんの入れてくれたアップルティーを飲んでいたとき、ついに空が曇った。
「空が泣こうとしている」
ぼくはつぶやいた。
「でもそれは、嘆きの涙じゃないですよ」
露崎さんはぼくの手を取った。
ぽつり、ぽつりと雨が降り出した。
わかっている。その涙は。
「歓喜の涙だね、露崎さん」
ぼくは窓の外を、もやと雨で幽玄そのものに変わった窓の外を見た。
空が泣いている。
ぼくの心は晴れやかだ。
「だろ? こいつを連れてきて、正解だったろ?」
須藤がいった。この、『秋の昭高山ハイキング』という、物好きしか参加しないような企画についてきた、大学のW級グルメサークルの連中も、うんうんとうなずいた。
W級グルメサークルの活動というのは、要約すれば簡単なものだった。大学から日帰りで行ける範囲で、歩き回ってうまい店を探す、というものである。ひたすら歩くから、ウォークのWでW級。できるだけインターネットに載っていない店を開拓し、誰かひとりでも、「うまい」と思った店があれば大成功。よくよく考えてみればくだらないにもほどがある遊びだ。メンバーのうち、ぼくも含めて、味がわかる人間がひとりもいるとは思えない。
春の発足から半年以上たち、市内のほとんどは歩きつくしてしまったので、今回初の遠出として、この昭高山にしたのであるが。
「まったく、晴男、お前のおかげで晴れてくれてよかったよ」
「はは……どうも」
そう。ぼくの名前は晴男といい、親兄弟知人友人、皆が認めるところの『晴れ男』なのだった。小学校のときから、運動会だの遠足だのといったイベントで、ぼくが参加して晴れなかった日は一日もないといわれて、伝説になっていたくらいだ。本人としては、けっこう雨に降られているような気がしないでもないが、周囲の評価では、『史上最強の晴れ男』だそうなのだ。
まあ、晴男なんて名をつけられたこともあって、ぼくは晴れた日が大好きだ。晴れた日の散策ほど、面白いことはないと思っている。
それにしても、今日はすばらしい。落葉樹はみごとに紅葉し、空の青さと絶妙なコントラストを見せている。風はさわやか、これで山の中腹に品のいい食堂や喫茶店があれば……。
「おい。あれなんだ?」
須藤が遠くのほうを見た。こいつはやたらと目のいいやつなのだ。
「どうした?」
「いや、看板がちらりと……」
いわれてぼくは双眼鏡を取り出し、須藤の視線の方向に向けた。
「避難小屋……紅茶とお菓子と軽食」
「貸してみろ」
須藤はぼくの手から双眼鏡を取り上げた。
「昭高山展望台……なるほど、行楽客向けの喫茶店ということか」
「やっているかな」
「わからん。でも、撤退はわがサークルの沽券にかかわる。前進あるのみだ!」
ぼくたちは食欲に突き動かされるようにして歩いた。健康というか馬鹿というか。
三十分の登山の末、ぼくたちはその店にたどりついた。
「開いてるみたいだな」
酒井が、息を切らせながらつぶやいた。
「注文が多い、とか書いていないか?」
須藤がにやにやしていった。会長だけあって、かなりの健脚なのだ。高校のころは山岳部員だったそうだが、山よりも飯のほうが好きでこのサークルを立ち上げた、と話していた。
「すみませーん」
ぼくは、副会長、すなわちサブリーダーとしての立場から、率先して店に入った。
入ってすぐ、ぼくの目は一点に釘付けになった。
「いらっしゃいませ!」
珠を転がすような声。すらりとした肢体に、まとめた長髪。そして、俗悪なメイド服などとは異なる、スマートで機能的なエプロン。
「あの、あの、あのあのっ、四人」
その娘……この店のウェイトレスは、くすりと笑った。
「窓際のお席が空いてます。どうぞお入りください」
ぼくは、ぎくしゃくと手足をロボットのように動かしながらその腰……じゃなくて、背中についていった。
席に着いたぼくたちは、そろって注文をした。
「ダージリンに、ぺペロンチーノ」
「じゃ、おれ、アッサムにドリアね」
「おれは……おれも、アッサムに、そうだな、カレーライスをもらおうか。お前は?」
ぼくははっと我に返った。
「アップルティーに、オムライス……」
ぼくは彼女の顔に、いや胸……じゃなかった腰……でもなく、ええいいいじゃないか、どこを見たって。とにかく、彼女のほうを見て注文をした。
「かしこまりました。マスター!」
ウェイトレス嬢は奥の厨房へと歩いていった。
「お前……」
須藤が訳知り顔でいった。
「ああいうのが好みのタイプだったのか」
「わわわ悪くないじゃないか」
ぼくの答えに、寺嶋と酒井も訳知り顔でうなずいた。
「まあ、お前の趣味としちゃ、上出来なほうだな」
「でも、苦労するのは目に見えてるぜ」
「なんだよそのいいかた」
ぼくはちょっとカチンときた。
「考えてもみろ、あの娘に会いに来るには、お前、それこそ毎日のように登山しなくちゃならん、ということだぞ」
「そんなこと、ぼくにだってわかってるさ」
そう。ぼくはわかっていた。
さすがに毎日この山に通えるほどの時間も金銭もなかった。ぼくはサークルに参加して店に入るときは必ず一番安い飲み物か料理にし、バイトに精を出し、ちびちびちびちび貯金をしては、二週間に一度くらいの割合で昭高山に向かっていた。
そしてもちろん、ぼくが昭高山へ向かうときは、昭高山は晴天なのだった。
やがて、冬がやってきた。登山道が一時的に閉じられる日になったのだ。
「露崎さん、冬はどうしているの?」
すっかりこの店の常連客となったぼくは、ウェイトレスの露崎さんとこういう口をきけるまでになっていた。
「冬は、いったん、実家のほうへ帰ります、晴男さん」
よし、いいぞ。ぼくは、心の中でガッツポーズをした。冬のうちに彼女に会えるだけ会い、なんとかしてその心を捕まえるのだ。
「へえ。実家って、どこにあるの?」
「長崎です」
会えるだけ会うには、ちょっと距離が遠すぎた。
「でも、登山道が開いたら、またこの店も開けますので、それまで待っていてくださいね」
「もちろん」
ぼくはここで、かねてより練習しておいた台詞を口にした。
「ぼくは好きになったよ、この山も、この店も、そして君も」
露崎さんの顔が赤く染まった。
「わ……わたし、その、晴男さんと」
「ぼくと?」
「この山の、一番すてきな光景を、いっしょに見られたらいいな、って思ってました」
「この山の一番すてきな光景? 見に来るよ。来年、いっしょに見ようよ」
脈ありだ。
「で、その、一番すてきな光景って?」
「雨の昭高山です」
「えっ……」
ぼくの表情がこわばった。露崎さんは、それに気がつかず、話を続けた。
「雨が降ると、植物も、動物も、虫たちも、みんな生き生きとし始めます。雨になると、山を包む香り自体が違ってくるんです。たいていのお客さんは、それに気がつかないようですけれど、雨の日、この店から、けぶり、かすむ山の景色を見ていると、ほんとうに、心が癒されるというか……晴男さんにも、一度お見せしたかったんですけどね」
「……そ、そうですか」
ぼくは、少し上ずった声でいった。
「いつか見にきます。絶対に」
方法はひとつしかなかった。
いくらぼくが、晴れ男だといっても、それだけで日本の降水確率が変化するわけではない。春になり、雪が溶け、登山道が再び開いたら、毎日通って、雨の日を待つのだ。
ぼくはそう決意し、冬休みの間、バイトにバイトを重ねた貯金を少しずつ使い、山開きの日が来るや否や、毎朝毎朝、一番の列車で昭高山とあの喫茶店を目指した。もちろん、防寒対策と防水対策はしっかりやったうえでだ。
春に三日の晴れなし、などというくせに、十三日間、日中の晴天が続いた。
十四日目、すでに出ていない授業の単位がヤバくなっているんじゃないかと思いながら、露崎さんの入れてくれたアップルティーを飲んでいたとき、ついに空が曇った。
「空が泣こうとしている」
ぼくはつぶやいた。
「でもそれは、嘆きの涙じゃないですよ」
露崎さんはぼくの手を取った。
ぽつり、ぽつりと雨が降り出した。
わかっている。その涙は。
「歓喜の涙だね、露崎さん」
ぼくは窓の外を、もやと雨で幽玄そのものに変わった窓の外を見た。
空が泣いている。
ぼくの心は晴れやかだ。
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読書日記

~ Comment ~
WってW大かと思った…イメージがこんな感じです
やっぱり山に毎日登るぐらいの熱意じゃないと
恋愛は厳しいのかなあ…
同じ日に山に登ってたらきっと私には嘆きの涙に
見えてたと思いますです
やっぱり山に毎日登るぐらいの熱意じゃないと
恋愛は厳しいのかなあ…
同じ日に山に登ってたらきっと私には嘆きの涙に
見えてたと思いますです
Re: YUKAさん
たぶん雨の降る間は喫茶店の窓から外を眺め、雨が上がればその精気で満ち満ちた空気を吸うんでしょうな。
くそうわたしもこんな彼女がいれば(^^;)
くそうわたしもこんな彼女がいれば(^^;)
おはようございます^^
雨を待つ。。。素敵な話でした^^
外は雨、心は晴天?^^
雨の登山なんて、え?と思うぐらいあり得ないと思いましたが
鬱々な雨も恋がかかると素敵ですね~~
外は雨、心は晴天?^^
雨の登山なんて、え?と思うぐらいあり得ないと思いましたが
鬱々な雨も恋がかかると素敵ですね~~
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Re: ダメ子さん
まったくあっちのほうは山ばっかりで(^^;)