「ショートショート」
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君はなにを見ていたのか?
君はぼくに答えてくれなかった。なにひとつとして。
君は……あの夕陽に、いったいなにを見ていたのか?
麻奈はぼくの前で服を着ると、髪をまとめた。
「ありがとう」
ぼくは心からいった。
「これで新人賞はいただきだ」
麻奈は苦笑いした。
「新人賞にヌード写真で挑戦するなんて。昔は定番だったかもしれないけど、現代人の感性からすれば、前時代的、というところよ。せいぜい、過去の遺物ね。しかもデジカメのご時世にフィルムだなんて」
「過去の遺物でもいい」
ぼくはカメラやその他撮影器具をしまいながら、熱い口調で続けた。
「君の肌はフィルムに映える。フィルムでなくては、その魅力を十分に生かすことができないんだ」
麻奈の苦笑いはますますひどくなった。
「そういうセリフは、もうちょっと実績を積んでから吐いたほうがいいわね。たぶん、一次選考すら、引っかかりもせずに落ちてしまうでしょ。あら残念、ということで」
「馬鹿にするなよ。無名のルーキーが、気がついたらMVPになっていた、なんてことは、けっこうあるものなんだからな」
「はいはい」
麻奈はサングラスをかけ、コートを羽織った。サングラスはわかるが、コートはもうちょっと落ち着いた色にしてほしいものだ。これではどこか浮ついてしまう。
「で、話はわかっているはずよね?」
「もちろん。このあたりでいちばん夕陽がきれいな場所、だろう? すぐに行きたいかい?」
「愚問だわ」
麻奈はゆっくりと歩いた。
「今すぐにでも行きたい。あなたの車で」
助手席で、麻奈はまっすぐ前を見つめていた。
「例のサークル活動は、まだ続けているのかい?」
「あのボランティア? まだやってるわよ」
「よくできるなあ、あんな大変なこと」
「慣れれば簡単よ。慣れてみる?」
ぼくはハンドルを握りながら、わずかに肩をすくめた。
「新人賞を獲ってから考えさせてくれ」
夕焼けを見るには絶好の、雲ひとつない空だった。人によっては、夕陽にかぶさる雲に興趣を感じるタイプもいるかもしれないが、ぼくは、太陽と空気と地球、それだけで十分だと考えるほうだった。
「ここだ」
ぼくは、管理人に門を開けてもらい、駐車スペースに車を停めた。
そこは、海に向かって開かれた空き地だった。先は崖になっており、防護フェンスなんていう風情を解さぬ物もなかったので、沈む夕陽がダイレクトに見える。
「ここが?」
「そう。ここが、ぼくの知る最高の夕陽の観賞スポットだ。母方のおじが経営する会社の土地で、もとはなにか工場を誘致するはずだったのが、この不況でぽしゃったものだ。今はこのとおり更地になっている。ぼくのいちばんのお気に入りさ。海と、荒野と、夕陽と、そして廃材などが絶妙に組み合わさって、見事な景色を作り出しているのでね」
麻奈はサングラスを外し、ドアを開けた。
「行けるところまで行ってみたいわ」
「どうぞ。でも、フェンスがないから崖には気をつけ……おい、なにをしているんだ!」
麻奈は服を脱ぎ始めたのだ。そして、ぼくの顔から目をそむけ、夕陽だけを見ながら、静かにいった。
「撮って。わたしを撮って。いつでも写真が撮れるように、カメラには常にフィルムが準備されているっていってたでしょう? それは嘘なの?」
「う、嘘じゃないが……」
上半身裸になった麻奈は、サモトラケのニケのようにすっと背筋を伸ばし、夕陽に向かってまっすぐ歩いていった。
それは、美の女神というよりは戦いの女神、アテナを髣髴とさせた。
この光景を見て写真を撮らないのは、カメラマンとして身を立てようとする人間にとっては罪悪に等しかった。
ぼくは夢中でシャッターを切った。
麻奈に関する思い出はここで終わりだ。この日を境に、麻奈はぼくの前から、永遠に姿を消したのだから。
例の夕陽を背にした麻奈のセミヌード写真を始めとする一連の写真は、批評家の絶賛を浴びた。ぼくには当然のごとく最優秀新人賞が与えられた。
だけど、ぼくはそんなことなどどうでもよかった。麻奈を探し回るので精一杯だったからだ。
賞を獲り、一本立ちできたら、正式にプロポーズしようと思っていたぼくは、なんとしても麻奈を探し出そうと、血眼になっていた。
どこを探しても、麻奈の足取りはわからなかった。最後に残ったのは、麻奈の所属していた、点訳ボランティアのサークルだった。
サークル代表の中年婦人は、ぼくにお茶を勧めると、しみじみとした声でいった。
「麻奈ちゃん? いい子だったわねえ」
「その後どうしたかわかりませんか?」
「やめちゃったわよ」
「なにかあったんですか?」
「さあねえ……病気が重かったから、田舎かどこかに帰ったんじゃないかねえ」
「病気?」
「そうよ。あの娘、隠してたけど、目が悪かったのよ。近眼じゃなくて、目の病気。緑内障よりたちの悪い、なんとかいう病気だったそうだけど。やめたときには失明寸前じゃなかったのかねえ……」
ぼくは、麻奈が姿を消した理由を、これ以上なくまざまざと突きつけられ、なんと返事をしたらいいかもわからなかった。
麻奈。
生きていたら、ぜひともぼくに教えてくれ。
君はあの日、最後の光景として網膜に焼き付けた夕陽に、なにを見たのだ?
ぼくは写真しか、君にはもう見ることすらできない写真しか撮れないが、それでも、君を撮りたい。君と話したい。君の心をわかりたい。
だから教えてくれ麻奈。ぼくはどうしても、心の目でともに見たいのだ。
君がその見えない目で、夕陽の中に見つけたそれが、いったいなんだったのかを。
君は……あの夕陽に、いったいなにを見ていたのか?
麻奈はぼくの前で服を着ると、髪をまとめた。
「ありがとう」
ぼくは心からいった。
「これで新人賞はいただきだ」
麻奈は苦笑いした。
「新人賞にヌード写真で挑戦するなんて。昔は定番だったかもしれないけど、現代人の感性からすれば、前時代的、というところよ。せいぜい、過去の遺物ね。しかもデジカメのご時世にフィルムだなんて」
「過去の遺物でもいい」
ぼくはカメラやその他撮影器具をしまいながら、熱い口調で続けた。
「君の肌はフィルムに映える。フィルムでなくては、その魅力を十分に生かすことができないんだ」
麻奈の苦笑いはますますひどくなった。
「そういうセリフは、もうちょっと実績を積んでから吐いたほうがいいわね。たぶん、一次選考すら、引っかかりもせずに落ちてしまうでしょ。あら残念、ということで」
「馬鹿にするなよ。無名のルーキーが、気がついたらMVPになっていた、なんてことは、けっこうあるものなんだからな」
「はいはい」
麻奈はサングラスをかけ、コートを羽織った。サングラスはわかるが、コートはもうちょっと落ち着いた色にしてほしいものだ。これではどこか浮ついてしまう。
「で、話はわかっているはずよね?」
「もちろん。このあたりでいちばん夕陽がきれいな場所、だろう? すぐに行きたいかい?」
「愚問だわ」
麻奈はゆっくりと歩いた。
「今すぐにでも行きたい。あなたの車で」
助手席で、麻奈はまっすぐ前を見つめていた。
「例のサークル活動は、まだ続けているのかい?」
「あのボランティア? まだやってるわよ」
「よくできるなあ、あんな大変なこと」
「慣れれば簡単よ。慣れてみる?」
ぼくはハンドルを握りながら、わずかに肩をすくめた。
「新人賞を獲ってから考えさせてくれ」
夕焼けを見るには絶好の、雲ひとつない空だった。人によっては、夕陽にかぶさる雲に興趣を感じるタイプもいるかもしれないが、ぼくは、太陽と空気と地球、それだけで十分だと考えるほうだった。
「ここだ」
ぼくは、管理人に門を開けてもらい、駐車スペースに車を停めた。
そこは、海に向かって開かれた空き地だった。先は崖になっており、防護フェンスなんていう風情を解さぬ物もなかったので、沈む夕陽がダイレクトに見える。
「ここが?」
「そう。ここが、ぼくの知る最高の夕陽の観賞スポットだ。母方のおじが経営する会社の土地で、もとはなにか工場を誘致するはずだったのが、この不況でぽしゃったものだ。今はこのとおり更地になっている。ぼくのいちばんのお気に入りさ。海と、荒野と、夕陽と、そして廃材などが絶妙に組み合わさって、見事な景色を作り出しているのでね」
麻奈はサングラスを外し、ドアを開けた。
「行けるところまで行ってみたいわ」
「どうぞ。でも、フェンスがないから崖には気をつけ……おい、なにをしているんだ!」
麻奈は服を脱ぎ始めたのだ。そして、ぼくの顔から目をそむけ、夕陽だけを見ながら、静かにいった。
「撮って。わたしを撮って。いつでも写真が撮れるように、カメラには常にフィルムが準備されているっていってたでしょう? それは嘘なの?」
「う、嘘じゃないが……」
上半身裸になった麻奈は、サモトラケのニケのようにすっと背筋を伸ばし、夕陽に向かってまっすぐ歩いていった。
それは、美の女神というよりは戦いの女神、アテナを髣髴とさせた。
この光景を見て写真を撮らないのは、カメラマンとして身を立てようとする人間にとっては罪悪に等しかった。
ぼくは夢中でシャッターを切った。
麻奈に関する思い出はここで終わりだ。この日を境に、麻奈はぼくの前から、永遠に姿を消したのだから。
例の夕陽を背にした麻奈のセミヌード写真を始めとする一連の写真は、批評家の絶賛を浴びた。ぼくには当然のごとく最優秀新人賞が与えられた。
だけど、ぼくはそんなことなどどうでもよかった。麻奈を探し回るので精一杯だったからだ。
賞を獲り、一本立ちできたら、正式にプロポーズしようと思っていたぼくは、なんとしても麻奈を探し出そうと、血眼になっていた。
どこを探しても、麻奈の足取りはわからなかった。最後に残ったのは、麻奈の所属していた、点訳ボランティアのサークルだった。
サークル代表の中年婦人は、ぼくにお茶を勧めると、しみじみとした声でいった。
「麻奈ちゃん? いい子だったわねえ」
「その後どうしたかわかりませんか?」
「やめちゃったわよ」
「なにかあったんですか?」
「さあねえ……病気が重かったから、田舎かどこかに帰ったんじゃないかねえ」
「病気?」
「そうよ。あの娘、隠してたけど、目が悪かったのよ。近眼じゃなくて、目の病気。緑内障よりたちの悪い、なんとかいう病気だったそうだけど。やめたときには失明寸前じゃなかったのかねえ……」
ぼくは、麻奈が姿を消した理由を、これ以上なくまざまざと突きつけられ、なんと返事をしたらいいかもわからなかった。
麻奈。
生きていたら、ぜひともぼくに教えてくれ。
君はあの日、最後の光景として網膜に焼き付けた夕陽に、なにを見たのだ?
ぼくは写真しか、君にはもう見ることすらできない写真しか撮れないが、それでも、君を撮りたい。君と話したい。君の心をわかりたい。
だから教えてくれ麻奈。ぼくはどうしても、心の目でともに見たいのだ。
君がその見えない目で、夕陽の中に見つけたそれが、いったいなんだったのかを。
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切ない~~
うわぁ~~~
昨日と一転、切ない。。。。
彼女が見たものは何だったのか。。。
彼女はすごい。
「ぼく」の心の中にずっと居続けられますからね。
昨日と一転、切ない。。。。
彼女が見たものは何だったのか。。。
彼女はすごい。
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Re: YUKAさん
やっぱり難しいですね。このあたりの日々は、毎日恋愛ものばかり書いていたような気がします。