「ショートショート」
    SF

    人魚姫異聞

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     え?

     恋バナ? わたしに、恋バナだって? あんたもムチャクチャなことふるねえ。

     ないわけがないって……そりゃ、わたしも既婚者だしね。

     空美、お茶三つ持ってきて。

     で、そのことなんだけど。アンデルセンの「人魚姫」は知ってるよな。

     うん。それにからんで、ちょっと不思議な話があるんだ。

     あ、空美、ありがとう。急須と湯呑みと……じゃ、お茶をそこに置いて、君もこたつに。

     わたしの仕事は知っているだろう?

     うん。海洋生物学者。まだ講師だが、今に准教授以上になってみせるぞ。

     あれは、わたしがまだ院にいたころだった。今から十年前だ。

     なに? 九年前? ごめん。間違えてた。こういうことがあったら、空美、フォロー頼む。

     当時、わたしは、一年の半分は船に乗っていたようなものだった。

     え? 三分の二以上? 細かいね君も。ええと、一年の三分の二は船の上で生活していたようなわたしには、どうしても見つけたいものがあった。

     海洋生物学者が見つけたいものといったら、あれしかないだろ。新種の生物。

     というわけで、わたしは、毎日のようにドライスーツに身を包んで……ウェットスーツじゃないかって? そんなこといってると空美に笑われるぞ。ウェットスーツっていうのは、中に水着を着て、ある程度水で身体を濡らしてから着る服だ。安くて脱ぎ着も楽だけど、あれはけっこう、寒いんだ。ドライスーツは、完全に身体を密封できる服で、中に普通の防寒服を着て潜る。ほら、前にジェームズ・ボンドの映画かなんかであっただろ。水中で潜水服を着て格闘戦をやってたスパイだったかエージェントだったかが、勝利を収めて船上へ戻って潜水服を脱ぐと、中にばりっとしたタキシードを着こんでいるってシーン。

     そんなことはどうでもいいんだ。

     ま、そういうことで、わたしはドライスーツを着て毎日のように潜っていた。ネッシーなんか探していたわけじゃないが、生物学界を驚天動地に落とし込むような大発見を夢見ていたことは確かだね。

     そんなある日。冬だったかな。

     わたしは潜水中にとんでもない事態に遭遇してしまった。

     エアを送る装置が故障してしまったんだ。

     知らないだろうから説明すると、ドライスーツというのは、完全密閉されたスーツの中に、呼吸する空気を送り込み、それで膨らませて、水圧に耐え、浮力を生み出すシステムになっている。もしこれで、空気循環のシステムが故障してしまったら……わかるだろ? 呼吸もできずに沈む一方になり、おだぶつだ。

     わたしは自分にできる限りのことをした。つまり、パニックに陥ったんだ。情けないったらありゃしないねえ。

     目がくらんで、気が遠くなって、ひたすら苦しくて……気がついたら、病院のベッドに寝かされていた。

     自分が助かったことが信じられなかったね。だって、いくら岸に近いところでダイビングしていたからっていって、病院の人間がいっていたように、岸に打ちあげられて助かったのだったら、普通は助かる前に息が詰まって死んでいる。

     自分の幸運にわたしが頬をつねっていたときに、扉を開けて入ってきたのは、若い娘だった。顔? えー……まあ、十人並みというところかな。空美、そんなに怖い顔でにらむのはやめてくれ。

     聞けば、海を漂うわたしを見つけて、泳いで抱えて戻ってきたということだった。素性を知って驚いたね。世界的にも有名な、海洋学の権威である、某大学教授のお嬢さんじゃないか。

     わたしはすぐに退院したが、そのうち、まあ、そのお嬢さんと親しく口を利く関係になったんだ。要するにつきあい始めたわけだ。

     しかし、スポーツ万能の娘さんだったね。家で、様々な写真を見せてくれたよ。自転車とか、ソフトボールとか、フェンシングとか。なにをやらせてもうまいんだよなあ。わたしも自信があった卓球で挑戦したが、こてんぱんにやられてしまった。

     楽しい時間を過ごすうち、わたしは、その家の運転手が、小さな女の子を連れているのを知った。そのときは、娘さんだろうと思ったんだが。

     その子は、わたしを見ると、いつも、口をぱくぱくするんだ。

     どうしたのか、と、わたしは運転手氏に尋ねた。

     しゃべれないんです、運転手氏はそう答えた。

     いつから? 運転手氏はわたしの問いに首を振った。わかりません、とのことだった。いつの間にか、運転手氏のそばにくっついていたらしい。どこの誰ともわからない。施設に送ろうにも、どこもいっぱいだ。しかたがないから雇い主の教授に頼み込み、しばらく世話をさせてもらっている、とのことだった。

     わたしは、その女の子が気の毒になった。座って、目の高さを同じにすると、女の子は懸命に、口をぱくぱくするんだが、言葉はなにも出てこない。

     なんと呼んであげればいいのですか、と、わたしは聞いた。

     マー子、と呼んでいます、今は。でも、そのうち、身の振り方も決まったら、もっといい名前を誰かが考えてくれるでしょう、運転手氏はそういった。

     それだけだ。わたしになにができたというんだ。ただの院生だぞ。

     話を戻そう。

     わたしとお嬢さんとの仲は進んでいった。そのうちに、向こうから、結婚話が持ち上がってきた。これはチャンスだった。学者というものも人間だ、社会的生物だから群れを作る。かくして学閥というものができるのだ。そこに食い込めれば……。

     わたしがアパートで、受諾の手紙をどう印象的に書くか悩んでいたとき、部屋の扉がノックされた。扉を開けてみると、そこにはあの小さな女の子が、ここまで歩いてきたのか、ぼろぼろの姿で立っていた。

     なにかいおうとするまえに、女の子はメモを差し出した。そこには、今、字を覚えたばかりのような汚い字で、こう書いてあった。

     わたし あなた たすけた あの ひと うそつき

     こんな小さな子でも嫉妬するのか、と、わたしはつらい気持ちになった。

     大人をからかうんじゃない、と、わたしは怖い顔でいった。女の子は、顔をくしゃくしゃにすると、泣きながら外へ駆けていった。

     わたしはあわてて後を追った。まだ小さい娘だ、事故にでも巻き込まれたらたいへんだ。

     女の子は意外に足が速かった。わたしがついていくのがやっとなんだ。

     どこへ向かっているのか……。

     あたりを眺めるまでもなかった。そこは、海だったんだ。

     わたしがその手をつかもうとする前に……女の子は海へ飛び込んだ。

     目を疑ったのはその後だ。

     海から泡が立ちのぼり……女の子は消えていた。

     わたしは急いで警察に連絡した。連絡したものの、警察にもどうしようもなかった。女の子は、完全に消えていた。はじめから存在すらしていなかったように。

     とにかく、やるべきことは決まっていた。一刻も早く、教授の屋敷へ行き、運転手氏に詫びねばならない。それからお嬢さんと……。

     ん?

     そのとき、わたしは、これまで気がつかなかった、あることに気づいたんだ。

     もっとも、頭のいい人間なら、すぐにわかったんだろうね。有名作家の有名な作品に、同じトリックがあったそうだから。

     わたしは、お嬢さんに尋ねた。

     あなたが、水泳をやっているところの写真を見せてほしいと。

     お嬢さんが、風呂に入ることすら奇跡的、というようなひどいかなづちで、一メートルも泳げない、ということを白状するまでの時間は、わたしがこれまで生きてきた中で、いちばん嫌な思いをした時間だった。

     あの女の子を屋敷に置くことを許したのも、岸でわたしを引っ張っているその子が、よけいなことをしないかどうか監視するためだったんだ。

     わたしは、ひとりの少女の命を失わせてしまったことに落胆した。

     縁談は破談だ。

     そして……。

     なんだ。もう帰るのか。

     そんな人魚姫の蒸し返しを聞いてるんじゃない?

     困ったな。ここからがいいところなのに。

     話は終わりだろうって?

     あんた、アンデルセンの「人魚姫」を通して読んだことがないだろう。

     人魚姫は、海の泡になって、消滅したわけじゃないんだぜ。

     海の泡になって、その身体は天に昇り、空気の精となってあらゆる恋人たちを見守る存在になるんだ。

     空気の精だよ。

     まったく、破談になってから三か月後、傷心の身で船上にいるわたしの目の前で、風の中からあの女の子が現れた時はほんとうに、肝が潰れるかと思うくらいに驚いた。

     質量保存の法則は知ってるな。

     その女の子は、人間じゃなかったということさ。

     ある時は液体、ある時は固体、そしてある時はガス状の気体に変化することができる、未知の知的生命体だった、ということだよ。

     気体だからといって、質量がないわけがないだろう? まあそういうことだ。

     そんなことを信じたのかって?

     そりゃそうだよ。あの女の子の顔と体型のまま、大人くらいの大きさに拡大されて現れたんだから。

     今度は、声帯も作ってきたようで、きちんと話もできた。

     結局、わたしは、その女の子……いや、知的生命体を、学会に報告するのはやめておいた。

     けなげさに胸を打たれたんでね。

     まあ、とりあえず姿は変えてもらった。問題は名前だ。

     空気の精だから、「空美」にした。海にちなんだ名前なんかつけて、海へ帰られたりしたら嫌だからな。

     それが、今の家内で……。

     証拠を見せろ?

     あんたね。それって、空美のヌードを見せてくれっていってるのも同じだぞ。どうしてわたしが空美の……。

     それでも証拠がなくちゃ信じない。

     じゃ、これで信じてくれるかな。船で撮った、肉体を変える前の空美が、普通の少女の三倍近い体積のある、大人の大きさでわたしの前に現れたときの記念写真だ。身にまとうものはその場のものでこしらえたから大丈夫……。

     しっかりしろ。おい、しっかりしろ。

     空美、ブランデー。きついの持ってきて。料理用だろうとなんだろうとかまわないから……。そう。童話で魔女が渡した薬みたいに、口がきけなくなるかと思えるほど強いやつを。
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    ~ Comment ~

    Re: YUKAさん

    殺伐とした話にも魅力を覚えますが、こういうハッピーエンドも好きです。

    でもまさか、人魚姫の原典では空気の精になって恋人たちを見守る存在になるとは思わなかったであります。

    調べてみるものであります。

    というか、悲恋だの悲劇だので終わらせると、精神衛生に悪くて……(これまで作品で人類を何回滅ぼしたか覚えていない人間の書く台詞じゃないな(笑))

    こんばんは♪

    おお!
    素敵ですね~~^^

    人魚姫の童話が、素敵なラブストーリーになってる^^
    あのお話は悲恋で終わってますが、これはいいですね。

    本当に上手いなぁ。。。

    Re: fateさん

    素敵なラブストーリィを書いたほうが読後感がいいのはわかっています。

    わかっているのにッ!

    気がついたら地獄の釜の蓋を開けて中をのぞくみたいな話を書いていたりする(^^;)

    「紅蓮の街」は……最後までお読みになっていただいてからご判断ください(^^;)

    いい話っていいですね(^^)

    ううむ、さすが、ポールさん。
    さすがですよ。
    素敵なラブストーリィに仕上がってますな~(^^)

    っていうか、↑のコメ返に笑いました。
    まさにそのヒトコトです。
    いい話っていいです!
    fateは変態だけど、グロイ話や、人間の負の部分を強調した物語ってダメですので。
    負はダメで‘闇’は良いのか? とか華麗に突っ込むのは止めてください(ーー;

    Re: 秋沙さん

    fateさんの作品を読んで、それに魅了されて、気がついたら書いていた作品です(^^)

    あれ面白かったんで……。

    その旨はfateさんのブログにもコメントしてます。

    いい話っていいですね(^^)

    わ~お!

    人魚姫のお話を題材としたストーリーは数多くありますが、これは私の読んだ中でベスト3に入りますね~!

    え?なぜ1位じゃないのかって?
    これは失礼しました。
    いや、fateさんがお書きになっていた「人魚姫」のお話も素晴らしかったんですよ~。


    それにしても、「少女の姿のままで大人の大きさに拡大された」って、どんなだろうって想像して笑っちゃいました。
    昔、漫画の描き方の本で、大人と子供の体型の違いの説明があって、同縮尺で赤ちゃんから子供を並べるとどうなるかっていうのがあったんですよ。
    それを思い出しました(^^;
    そりゃ、写真見たら気を失うわ(笑)。
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