「ショートショート」
    ファンタジー

    パンにまつわる短い話

     ←人格者先生インタビュー →ささやかな慰霊
     おれは、自分が陸地に生きて流れ着いた、ということを、まだ心のどこかで信じられずにいた。つかまっていた、このアイスボックスが浮き輪代わりになったらしい。アイスボックスといっても、もはや氷がつまっているわけではないのだが。

     立ち上がって周りを見た。周りを見て、観念した。

     どこから見てもここは無人島である。

     マンガでよくある無人島には、たいていヤシの木が生えていて、実が二つ三つなっていたりして、とりあえずあの実を落としてジュースを飲もう、みたいなことになるのだが、残念ながら、この島はヤシの木が生えるには緯度が高すぎるらしかった。

     周りを見ても、何が食べられて何が食べられないかなど、その道には素人のおれにわかるわけがない。唯一見つかったのは、水場だった。どうやら飲めるらしい。らしいというのは、おれは耐えきれずに水をがぶがぶ飲んでしまったからだ。それで生きているのだから、どうやら飲めるらしい。

     しかし、水を飲んだだけでは腹の虫はおさまらない。

     というわけで、おれは当然のことながら、アイスボックスを開けて中を見た。

     気密性がよかったらしく、中は濡れていなかった。そして嬉しいことに、丸いパンが入っていたのだ。残念ながら一個しか入っていなかったが、パンはパンである。

     おれは手を伸ばしてパンをつかもうとした。

     そのときだった。

    「あたしを食べて、生き残ってね!」

     そんな声がした。年端もいかない少女の声だ。

     おれの手が止まった。

    「なにをしてるの? あたしを食べないと、お兄ちゃん、飢えて死ぬのよ?」

     おれはまじまじとパンを見た。

    「お前がしゃべっているのか?」

     おそるおそる声に出してみた。

    「そうよ。だから、早く……」

    「しゃべるような、気味の悪いものを食えるかっ」

     おれはアイスボックスを閉じようとした。

    「じゃ、黙ってるから! 黙ってるから、食べて! 食べないと、ほんとに死んじゃうよ」

    「……ほんと?」

    「ほんとだよ!」

     おれはそのパンをにらみながら十五秒待った。

    「……食べないの?」

    「だから、しゃべるなっ!」

     おれは頭を抱えた。

    「そもそも、どうして、パンのお前がしゃべるんだ。いったいお前はなにものだ」

    「なにものって、あたしは普通の黒パンだよ」

    「いや、普通の黒パンのはずはない。お前はきっと宇宙からやってきたイーストで作られたパンで、全人類を、『食べられる』ことにより内側から食って侵略しようとしているに違いないんだ。そういう小説を『クリスタルのなんとか』というブログで読んだことがある」

    「ひどいよ、お兄ちゃん。うわーん、わん、わん、わーん」

     パンは泣き出してしまった。柄にもなく、おれは慌てた。

    「す、すまない、すまない。いや、泣かせるつもりじゃなかったんだ」

    「えく。ひっく……うん。それに、あたし、イースト菌なんか使われてないよ」

    「え?」

    「だって、自然発酵のサワドウだもん」

    「なんだ、そりゃ?」

     そのとき黒パンがしゃべってくれたことを書いてもわからないだろうからここには詳述しない。興味のある人はウィキペディアでもなんでもいいから調べてほしい。

    「……なるほど、つまり、粉と水とを混ぜて室温でほっとくと、お前のパン種になるわけか」

     おれは信じられないものを見るように目の前のパンを見た。

    「まるでエジプト人になったみたいだ」

    「エジプト人だなんてひどいよ、お兄ちゃん。わかったところで、わたしを食べて」

     そんなこといっても、これだけ言葉を交わしていると、情というものが移ってしまう。

    「それなんだが……しばらく、話し相手になってくれないか? そのくらいなら、おれの腹も持つだろう。人間は、水さえ飲んでればなにも食わなくても一週間くらいは耐えられるそうだ」

     おれはよっこいせ、と水場に向かい、水を飲んだ。

     それから三日間、おれはパンを相手に話をした。生まれ故郷のこと、友達のこと、高卒後、就職も進学もできずにふらふらした生活を送っている情けない自分のこと……。

     パンはいい話し相手になってくれた。

     そして、先に限界が来たのはおれのほうだった。漂流中に体力を消耗してしまっていたのか、おれは栄養失調を通り越した飢餓により、目の焦点さえ合わなくなってきたのだ。

    「お兄ちゃん……」

     パンはいった。

    「お願い。あたしを食べて。このままじゃ、お兄ちゃん、死んじゃうよ」

    「だが……」

    「それに、あたしもひからびちゃう……もう、しゃべることもできないくらいに、疲れているんだ……」

     おれは愕然とした。死にかけているのは、おれだけではなかったのだ。

     動かすのもやっとの手で、おれはパンをつかんだ。

    「食べて……いいのか……」

     パンは答えなかった。

     おれは思い切ってパンにむしゃぶりつき、咀嚼し、飲み込んだ。涙は流れてこなかった。心はこんなに泣いているのに、涙は二、三滴しか流れてこなかったのだ。

     自分の手の中にパンがなくなっていることに気づいたときには、すでになにもかもが終わっていた。

    「おい?」

     答える声はなかった。

    「……おい?」

     誰ひとりとして答える声はなかった。

     そのとき、なにかの音が聞こえた。飛行機だ。おれは空のかなたに点を見つけると、そちらに向かい、外しておいたベルトのバックルを鏡代わりにして、気づいてくれることを願いながら、光を反射させて信号を送った。モールス信号もなにもわからなかったが、とりあえず光に気づいてくれることを祈った。

     聞いたこともないような国の海軍の快速艇がやってきて、ボートを出してくれたのはそれから五時間後だった。

     おれはボートを見て泣いた。嬉し泣き、と、その国の水兵さんは思ったようだったが、実際はそうではないことをわからせるのは不可能だということは、火を見るより明らかだった。

     そして。

     日本に生きて帰ってきたおれは、土下座に土下座を重ねて、パン屋に弟子入りし、パン作りの修行を始めた。今は、海辺の町に小さな店を構えて、普通の客に売るよりも、船にパンを納入することで生計を立てている。もちろん、イースト菌を使わない、自然発酵のパン専門だ。

     もしも君が難破して、独りぼっちになった時、パンが口をきいたなら、それはおれの工房のものかもしれない。そうだとしたら、どんなことをいっていたか、おれに教えてくれないか。お前のほかにも、世の中には無数の兄弟姉妹がいるのだぞと、おれは自分の息子に教えてやりたくてたまらないんだ……。
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    ~ Comment ~

    Re: ぴゆうさん

    作者としては、「もうネタがないよ~」と泣きながら(笑)書いたので、みなさんからここまで評価していただけるとありがたいです。

    最初の構想では、ここまで切ないエンディングではなかったのですが、いざ書いていろいろと調べてみると、認識に誤ったところがあったりして迷走の挙句、こういうエンディングに。

    最初の構想は、別なところで別な形で使うことにするであります。

    いい話だァ~

    心が切なさと温かさに包まれたなぁ。
    記憶に残る話だと思う。
    輪ゴムに負けてない。

    Re: 矢端想さん

    ジャムおじさんもバタコさんもチーズも、「妖精」だという話じゃなかったでしたっけ? この前行われた公式発表では。

    アンパンマンの「心」がどこに宿っているのかを考えるとき、それしか有り得ないでしょう。それともエーテル体のように全体を包んでいるのか。

    「神は『われわれのかたちにわれわれをかたどって人を造り』」(創世記)
    だからアンパンマンはジャムおじさんにそっくりなのです。そう考えると深いなあ。

    ・・・しつこくてすみませんでした。

    Re: 矢端想さん

    実はあの顔はアンパンマンにとってはただの「栄養バルブ」で、本体は首から下にある説(笑)

    余計気持ち悪くなってしまったぞアンパンマン!(笑)

    それにしてもこのパン、かわいそうなことをしたなあ……ある意味究極のアガペーだなあ……。

    パンが萌えボイスで「おにいちゃん」はイカンだろー!
    反則だ!イカン!断じてイカン!(←落ちつけ)

    ♪生きてるパンをつくろう~(by増岡弘asジャムおじさん)

    子供と一緒にアンパンマン観ていた大人二人この歌に震撼したものです。
    なんて恐ろしい・・・。

    Re: 卯月 朔さん

    そういうどんでん返しが思いつかず切ない話に……。

    読み返してみたけれどパンちゃん思った以上にかわいいなあ。これじゃほんとに食えんなあ……。

    主人公の作ったパンは自然発酵の普通の黒パンですが、しゃべることができたとしても、漂流中とか、そういう『非常時』でないとしゃべらないと思いますよ(^^;)

    イースト菌発酵の、ふわふわのパンに慣れたわれわれにとって、このどっしりと重いパンはちょっとつらいんじゃないのかなあ……(^^;)

    だめだ、油断するな、ポールさまのお話だからこのあときっと『Σ(O_O;)』ってなるようなどんでん返しがあるに違いない気を抜くな――

    と、思いながら読んでしまった卯月をゆるしてくださいorz

    パンちゃん可愛いですパンちゃん!
    幼女ボイスでお兄ちゃんとかたまりません!(オイ、

    主人公のつくったパンを食べたいですね、おいしそう。
    でもそうかしゃべるのか……幼女ボイスなら食べられなくなりそうですが、空気読んでイケメン声だったら可愛くないので齧れそうかな(笑)

    Re: limeさん

    「お前はこれまで自分が食ったパンの枚数を覚えているかッ?」

    いきなりDIO様ごっこ(笑)

    最初はほんとにギャグショートショートを書こうと思っていたのがどうしてこんな切ない話になってしまったのでしょうか。うむむ(^^;)

    わたしもパンは大好きです。アツアツのバタートーストをチーズをかじりながら食べる喜びに目覚めてからはジャムも蜂蜜もどっか行け状態になりました。ごくごくたまにカマンベールのひとかけが食卓に並ぶと……ああ至福の時(^^)

    切ない話しでした。
    でも、なんか、それぞれが天命を全うした充足感もあり。

    しかし。食べられる為に生まれたパンに、命を吹き込んじゃだめですよお~。
    なんか、明日からパンが可哀想で、食べられなくな・・・らないかな。(私、無類のパン好き)

    主人公の男には、立派な晩職人になってほしいもんです。でも、もうそのパンを手放したく無くなるんじゃないかな?

    Re: 土屋マルさん

    最初はギャグショートショートを書こうと思っていたのですが、こんなせつない話になってしまいました(^^;)

    このやりとりが、疲れ切った語り手の妄想だったかどうかは、ご想像にお任せします……って、わたしはなぜファンタジーにカテゴライズを?(笑)

    何というSF的キャスト・アウェイ(笑)
    映画のあの人は、バレーボールに顔を描いて喋りかけていましたが、こちらは「パン」‥‥。
    人間、どうしようもない状況で孤独を紛らわそうとする時は、いろんなものを想像する(想像できる)ものみたいですが、パンは食べ物。
    当然、最後にはなくなってしまうのですよね(´・ω・`)ショボーン

    ラストが秀逸でした♪
    心優しい不思議なパン、主人公の彼は、作れるようになったのでしょうか?
    そこが曖昧にぼかされているところが、さらに夢を描かせてくれます。
    素敵なお話でした。
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