趣喜堂茶事奇譚(うんちく小説シリーズ)
趣喜堂茶事奇譚/赤江瀑耽溺週間(その2)
結局、ぼくはふらふらのへろへろになって趣喜堂を出た。なにか気の利いたことをいってやろうと思っていたが、赤江瀑の濃密な小説世界は、ぼくから言葉を奪っていた。
獣林寺妖変、禽獣の門、殺し蜜狂い蜜、恋怨に候て……あの本に収録されていたこれらの短編小説は、いずれも一級品の小説だ。その世界では人が死ぬ。人が死ぬが、それは必ずしも、ミステリとしての興味をそそるものではない。ミステリではなく……ミステリからずれているのはわかるが、いったいこれはなんなのだ……。
そんなことをぼんやりと考えながら趣喜堂を出て家へ帰った。そんなときでも帰りがけに古本屋に立ち寄ってしまうのが、ぼくの悪い癖である。
今回は、ぼくの悪い癖もプラスに働いた。
閉店間際の店内には、なんと赤江瀑の本があった。さっき読んだ「ニジンスキーの手」と同じくハルキ文庫版の、「オイディプスの刃」である。
震える手で本を棚からひったくり、ぺらぺらとめくると、「第一回角川小説賞受賞作品」であるらしい。一九七四年だから、今から四十年近く前か。
ぼくはもちろん、まっすぐにレジに走ってお金を払い、そのまま、半ばダッシュでもするかのように家へ帰った。
帰ったらやることはひとつだ。
ページを繰るのである。
これもまた、妖しく濃密な世界を描いた話だった。今回の縦糸は、「刀」と「香水」である。
ぼくは、こんな時のために買っておいたのではない九八円のカロリーメイトのコピー食品であるチョコレート味のスナックをぼりぼり食べながら読んだ。
夢中になって読んだ。
最後のページを読み、解説を読み、本を閉じたときは夜中の三時だった。
ぼくはトイレをすませて寝た。
がらんがらんがらん、と鐘の音を立て、ぼくは趣喜堂に入った。今日はまだ大学の授業日ではない。
「いらっしゃいま……」
さしもの舞ちゃんも絶句した。
「どうなさったんです? 目が真っ赤で、頭がぼさぼさですけど……」
ぼくは寝不足の原因たる「オイディプスの刃」を見せた。
「これのせいだよ。昨日は徹夜しちまった。だから、今日は一日かけて、一冊読みたい。とりあえず、カフェオレくれないか。いつもよりも濃いめに入れたコーヒーに、等量の牛乳で。カップはいつものマグカップよりでかい奴を頼む」
店の奥から、ツイスト博士が顔を出した。
「おや、学生さん、『オイディプスの刃』も読まれましたか。いかがでしたか、ご感想は?」
「赤江瀑は、ミステリを書こうとして小説を書いているのではない、ということがよくわかった……それでも話がミステリがかってくるのは、そうしないと売れない、という出版社の思惑とはまた別に、小説を書くためにはミステリがかった話にしなくてはならない、という、赤江瀑の内なる欲求があったんだろうと思う」
「と、いいますと?」
ツイスト博士はぼくの横に座った。
「赤江瀑が描き出そうとしているものは、『人間』の謎だ。『芸』や『芸術』は、それに対する触媒として働くものだろう。そして、その『人間』の謎は、作者の赤江瀑にも『表面的にしか』解決しえない。である以上、『謎』は『謎』のまま残ることになる。解かれた後の謎がね。それが……」
「ミステリの構造をまといながらも、ミステリではない存在ということですか」
「そういうことだよ。この『オイディプスの刃』で見せた、表層的な解答は、とうていミステリマニアの端くれであるぼくを満足させるものではない。しかし、その奥にある、主人公三兄弟の確執と、それに付随する形の周囲の人間の内心は、『謎』として残る……。赤江瀑は、そういう意味では、非常に優れたホワイダニット、『なぜ、やったか?』のミステリ作家であるといえるだろう。問題は、その解答が、作者や登場人物にとってさえ、『そうもいえるが本当にそうではなかったのではないか』という疑念抜きでとらえられないことだ。その視点からすれば、赤江瀑はミステリではない」
「カフェオレできました。熱々にしておきましたよ」
「機嫌がいいですね舞ちゃん」
「信者が増えそうで嬉しいんでしょう。カルト的な作家ですから」
「じゃ、布教活動の続行をしてくれませんか、ツイスト博士」
ぼくは「オイディプスの刃」をしまった。
「なにか、よくまとまったアンソロジーを読みたい」
「光文社から、三巻本の傑作短編集が出てます。解題つきです。それがよろしいかと」
「一冊持ってきてくれませんか。今日は読んで読んで読み倒しますからね」
(この項つづく)
獣林寺妖変、禽獣の門、殺し蜜狂い蜜、恋怨に候て……あの本に収録されていたこれらの短編小説は、いずれも一級品の小説だ。その世界では人が死ぬ。人が死ぬが、それは必ずしも、ミステリとしての興味をそそるものではない。ミステリではなく……ミステリからずれているのはわかるが、いったいこれはなんなのだ……。
そんなことをぼんやりと考えながら趣喜堂を出て家へ帰った。そんなときでも帰りがけに古本屋に立ち寄ってしまうのが、ぼくの悪い癖である。
今回は、ぼくの悪い癖もプラスに働いた。
閉店間際の店内には、なんと赤江瀑の本があった。さっき読んだ「ニジンスキーの手」と同じくハルキ文庫版の、「オイディプスの刃」である。
震える手で本を棚からひったくり、ぺらぺらとめくると、「第一回角川小説賞受賞作品」であるらしい。一九七四年だから、今から四十年近く前か。
ぼくはもちろん、まっすぐにレジに走ってお金を払い、そのまま、半ばダッシュでもするかのように家へ帰った。
帰ったらやることはひとつだ。
ページを繰るのである。
これもまた、妖しく濃密な世界を描いた話だった。今回の縦糸は、「刀」と「香水」である。
ぼくは、こんな時のために買っておいたのではない九八円のカロリーメイトのコピー食品であるチョコレート味のスナックをぼりぼり食べながら読んだ。
夢中になって読んだ。
最後のページを読み、解説を読み、本を閉じたときは夜中の三時だった。
ぼくはトイレをすませて寝た。
がらんがらんがらん、と鐘の音を立て、ぼくは趣喜堂に入った。今日はまだ大学の授業日ではない。
「いらっしゃいま……」
さしもの舞ちゃんも絶句した。
「どうなさったんです? 目が真っ赤で、頭がぼさぼさですけど……」
ぼくは寝不足の原因たる「オイディプスの刃」を見せた。
「これのせいだよ。昨日は徹夜しちまった。だから、今日は一日かけて、一冊読みたい。とりあえず、カフェオレくれないか。いつもよりも濃いめに入れたコーヒーに、等量の牛乳で。カップはいつものマグカップよりでかい奴を頼む」
店の奥から、ツイスト博士が顔を出した。
「おや、学生さん、『オイディプスの刃』も読まれましたか。いかがでしたか、ご感想は?」
「赤江瀑は、ミステリを書こうとして小説を書いているのではない、ということがよくわかった……それでも話がミステリがかってくるのは、そうしないと売れない、という出版社の思惑とはまた別に、小説を書くためにはミステリがかった話にしなくてはならない、という、赤江瀑の内なる欲求があったんだろうと思う」
「と、いいますと?」
ツイスト博士はぼくの横に座った。
「赤江瀑が描き出そうとしているものは、『人間』の謎だ。『芸』や『芸術』は、それに対する触媒として働くものだろう。そして、その『人間』の謎は、作者の赤江瀑にも『表面的にしか』解決しえない。である以上、『謎』は『謎』のまま残ることになる。解かれた後の謎がね。それが……」
「ミステリの構造をまといながらも、ミステリではない存在ということですか」
「そういうことだよ。この『オイディプスの刃』で見せた、表層的な解答は、とうていミステリマニアの端くれであるぼくを満足させるものではない。しかし、その奥にある、主人公三兄弟の確執と、それに付随する形の周囲の人間の内心は、『謎』として残る……。赤江瀑は、そういう意味では、非常に優れたホワイダニット、『なぜ、やったか?』のミステリ作家であるといえるだろう。問題は、その解答が、作者や登場人物にとってさえ、『そうもいえるが本当にそうではなかったのではないか』という疑念抜きでとらえられないことだ。その視点からすれば、赤江瀑はミステリではない」
「カフェオレできました。熱々にしておきましたよ」
「機嫌がいいですね舞ちゃん」
「信者が増えそうで嬉しいんでしょう。カルト的な作家ですから」
「じゃ、布教活動の続行をしてくれませんか、ツイスト博士」
ぼくは「オイディプスの刃」をしまった。
「なにか、よくまとまったアンソロジーを読みたい」
「光文社から、三巻本の傑作短編集が出てます。解題つきです。それがよろしいかと」
「一冊持ってきてくれませんか。今日は読んで読んで読み倒しますからね」
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~ Comment ~
るるさん・・・ほのぼの系だったんですね。↑
ああ、わかるなあ。
赤江作品は、推理・ミステリーでは決してないです。
ミステリーっぽくなってしまうのは、人間の思考の奥深さ、不可解さを描こうとするからで・・・。
人間自体が、ミステリー要素なんですよね。
そして、そこに愛憎と切なさが織込められてて。
そこに魅かれてしまうんです、私など。
殺伐とした、人間のうわべの行為をたどるミステリーとは、全く違いますからね。
そして、読者にやさしい。
登場人物の言葉は、す~っと読むこちら側に伝わってきます。
わざと難解な言い回しをしない。
ここに、また惚れます^^
さて、次は何が出てきますか。楽しみです。
(「オイディプスの刃」、これもKEEPしておこう!)
最近、また一冊、私の好きそうな(わかりますよね)世界の本を買ったんですが、どうもダメで、半分でやめてしまいました。
優しげで、甘いだけの文体だけではダメなようで・・・。(最後まで読むべきだとは思いつつ・・・)
やっぱり、なかなかビシッと心に来る本との出会いは、そうそうないんですね。
(乱読できない悲しさ・・。)
ああ、わかるなあ。
赤江作品は、推理・ミステリーでは決してないです。
ミステリーっぽくなってしまうのは、人間の思考の奥深さ、不可解さを描こうとするからで・・・。
人間自体が、ミステリー要素なんですよね。
そして、そこに愛憎と切なさが織込められてて。
そこに魅かれてしまうんです、私など。
殺伐とした、人間のうわべの行為をたどるミステリーとは、全く違いますからね。
そして、読者にやさしい。
登場人物の言葉は、す~っと読むこちら側に伝わってきます。
わざと難解な言い回しをしない。
ここに、また惚れます^^
さて、次は何が出てきますか。楽しみです。
(「オイディプスの刃」、これもKEEPしておこう!)
最近、また一冊、私の好きそうな(わかりますよね)世界の本を買ったんですが、どうもダメで、半分でやめてしまいました。
優しげで、甘いだけの文体だけではダメなようで・・・。(最後まで読むべきだとは思いつつ・・・)
やっぱり、なかなかビシッと心に来る本との出会いは、そうそうないんですね。
(乱読できない悲しさ・・。)
Re: るるさん
ほかにどうやってカフェオレを作れというんですか(笑)
このシリーズ、「ぼく」はカフェオレばかり飲んでいます。好物なんでしょう(^^)
このシリーズ、「ぼく」はカフェオレばかり飲んでいます。好物なんでしょう(^^)
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Re: limeさん
そのことについては、今後の記事を。今週は強化週間ですから……(^^)