趣喜堂茶事奇譚(うんちく小説シリーズ)
趣喜堂茶事奇譚/赤江瀑耽溺週間(その5)
ぼくは貧乏性である。日がな漫画喫茶に入り浸っているが貧乏性である。貧乏性らしく、ぼくは一度読んだ本を頭の中で何度も読み返すことがある。やったことないかな? コンビニで立ち読みした漫画を、頭の中で何度も思い出して笑うっていうやつ。……暗い? ああそう。
暗いかどうかは別にして、ぼくはカレーを食べ終えた後ですぐに『趣喜堂』を後にした。
暮地さんの言葉が頭に残ってしかたがなかったからだ。
ぼくは、表層のミステリの下に、人間ドラマがあって、さらにその下に「芸の魔性」がある重層構造を持つ小説だと思ってこの小説家の作品を読んでいた。
「芸の魔性」の下に、さらになにかがあるというのか……?
風呂に入って、考えた。
ううん……。
寝つけなかった。
その日の午後、『趣喜堂』を訪れたぼくは、舞ちゃんからぎろっと睨まれた。
「聞きましたよ」
「え? なにが?」
「土曜日にテストがあるそうじゃないですか。文学の。昼食を食べに来た井森さんがそういってました」
「あ、ああ。でも、大丈夫だよ。授業には毎回きちんと出ていたし、教授の話も理解したつもりだから、なにが問題に出てきても答えられるつもりだ」
「それならいいですけど、赤点とって留年、なんてことになったら許しませんからね」
「まあ、留年はないと思うけど。一般教養だし、ほかの授業は全部去年のうちにレポート提出済みだし」
「だからといって、まじめにテストに臨まない人は、あたしは」
「すみません……で、死刑囚への最後のチャンスと思って、『灯籠爛死行』読ませてください……。あの『恐怖編』ってやつ」
「いいですけど、読み終えたらすぐに勉強に戻ってくださいね。井森さんは、わたしがそういったら、すぐにしゃきっとなって帰られましたから」
井森らしい、というか、単純なやつだ。
「いちおう、勉強道具は持ってきた」
ぼくはスマートフォンと、これまで授業で執拗に執拗に取ったノートを見せた。
「あの本を読み終わった後、暮地さんに会うまでの時間は、これでつぶすさ」
「ならいいですけど……」
舞ちゃんは怖い顔で、三巻本の最後の巻、『灯籠爛死行』を持ってきた。
ぼくは重々しくページをめくった。
「花帰りマックラ村 雛の夜あらし 影の風神 七夜の火 海贄考 忍夜恋曲者 原生花の森の司 宵宮の変 鬼会 砂の眠り 艶めかしい坂 海婆たち 灯籠爛死行 …… か。表紙の絵はどれをモチーフにしているのかな」
ぼくは表紙をもう一度見た。
そのとき、ぼくは悟るものがあった……。
新たな発見に興奮しながら読み終えたぼくは、かすかに放心しながら暮地さんを待っていた。
ツイスト博士は、チェスの駒を並べていた。
「昨日は結局、どっちが勝ったんです?」
「暮地さんですよ」
「今日は?」
「相手の考えていることはわかりました。今日と土曜日は、わたしが勝ちます」
「なんでそんなに言い切れるんですか?」
「暮地さんは堅い手で来る人です。一度採用した布陣は、必ずもう一度採用します。そのぶんだけ、こちらも研究をします」
「セブンアップを飲んだら変わって来るんじゃないですか?」
「……学生さん、セブンアップ飲みますか?」
「……いえ」
「暮地さんも、ここが勝負どころだとわかってますから、こちらで出さないとなったら、自前のセブンアップをペットボトルで持ってくるでしょう。だったら、うちで用意した方がお金になりますし」
意外としっかりしているなこの人。
「じゃ、暮地さんが来るまで勉強につきあいますよ」
「それよりも、暮地さんに話す前に、博士に聞いてもらいたいんですけど」
「なにかつかめたのですか?」
「ぼくは思い違いをしていたみたいです」
「ほう?」
「この表紙を見た後で、『宵闇の変』を読んで確信しました」
「あれですか」
「そうです。あの痛烈なまでにビターなラブストーリー。……つまり、赤江作品は、表層の下に、人間ドラマがあり、その下に『芸の魔性』があり、その下には……『男と女』が常にいるのです」
「それはどうですかね。『獣林寺妖変』は?」
「その作品が典型例でしょう」
ぼくは熱を帯びた口調で続けた。
「赤江瀑作品で描かれている人物どうしの関係は、すべて、同時に、男と女の関係に転化して読まれるべきです。この三冊の表紙のイラストで、描かれている人物は『女性』しかおらず、それを食らうかのように男をシンボライズした生物がいるということから気づくべきでした」
「つまり、赤江瀑作品は、すべて……」
「男と女の物語、として読むべきなのです。それが赤江瀑作品の核心なのです。芸も、人間たちのドラマも、ミステリも、すべてが、男と女の関係を描き出すための道具なのです。描かれる男の中には常に女が潜んでいます……あたかも歌舞伎の女形のように。その精神的な絡み合いがあの妖しい世界を作っているのです。」
「なるほど、それなら、あの暮地さんもこういうでしょうな……」
博士はちょっと間を置いた。
「Aマイナス」
「Aマイナスですか?」
「まあ、わたしが暮地さんだったら、の話ですよ。暮地さんだったら、Bプラス、というかもしれませんけれど」
「なにが足りないんですか!」
「あなたの論には、動力因というか、論を動かすためのパワーが足りない、ということですな。これ以上のことは、テストに影響するかもしれないからいいませんが。だめですよ、授業の理解を深めるためじゃなくて、テストに備えてわたしたちと討論しようだなんて」
「ぼくはそんなことは……」
いいかけたぼくは、ぐっとつまり、小声になった。
「テストまで家で頭を冷やします」
ぼくは暮地さんに会うのはおろか、夕食を取るのさえも忘れて家に帰った。
ひとりものにとって、永谷園のお茶漬け海苔は偉大な発明である。
(この項つづく)
暗いかどうかは別にして、ぼくはカレーを食べ終えた後ですぐに『趣喜堂』を後にした。
暮地さんの言葉が頭に残ってしかたがなかったからだ。
ぼくは、表層のミステリの下に、人間ドラマがあって、さらにその下に「芸の魔性」がある重層構造を持つ小説だと思ってこの小説家の作品を読んでいた。
「芸の魔性」の下に、さらになにかがあるというのか……?
風呂に入って、考えた。
ううん……。
寝つけなかった。
その日の午後、『趣喜堂』を訪れたぼくは、舞ちゃんからぎろっと睨まれた。
「聞きましたよ」
「え? なにが?」
「土曜日にテストがあるそうじゃないですか。文学の。昼食を食べに来た井森さんがそういってました」
「あ、ああ。でも、大丈夫だよ。授業には毎回きちんと出ていたし、教授の話も理解したつもりだから、なにが問題に出てきても答えられるつもりだ」
「それならいいですけど、赤点とって留年、なんてことになったら許しませんからね」
「まあ、留年はないと思うけど。一般教養だし、ほかの授業は全部去年のうちにレポート提出済みだし」
「だからといって、まじめにテストに臨まない人は、あたしは」
「すみません……で、死刑囚への最後のチャンスと思って、『灯籠爛死行』読ませてください……。あの『恐怖編』ってやつ」
「いいですけど、読み終えたらすぐに勉強に戻ってくださいね。井森さんは、わたしがそういったら、すぐにしゃきっとなって帰られましたから」
井森らしい、というか、単純なやつだ。
「いちおう、勉強道具は持ってきた」
ぼくはスマートフォンと、これまで授業で執拗に執拗に取ったノートを見せた。
「あの本を読み終わった後、暮地さんに会うまでの時間は、これでつぶすさ」
「ならいいですけど……」
舞ちゃんは怖い顔で、三巻本の最後の巻、『灯籠爛死行』を持ってきた。
ぼくは重々しくページをめくった。
「花帰りマックラ村 雛の夜あらし 影の風神 七夜の火 海贄考 忍夜恋曲者 原生花の森の司 宵宮の変 鬼会 砂の眠り 艶めかしい坂 海婆たち 灯籠爛死行 …… か。表紙の絵はどれをモチーフにしているのかな」
ぼくは表紙をもう一度見た。
そのとき、ぼくは悟るものがあった……。
新たな発見に興奮しながら読み終えたぼくは、かすかに放心しながら暮地さんを待っていた。
ツイスト博士は、チェスの駒を並べていた。
「昨日は結局、どっちが勝ったんです?」
「暮地さんですよ」
「今日は?」
「相手の考えていることはわかりました。今日と土曜日は、わたしが勝ちます」
「なんでそんなに言い切れるんですか?」
「暮地さんは堅い手で来る人です。一度採用した布陣は、必ずもう一度採用します。そのぶんだけ、こちらも研究をします」
「セブンアップを飲んだら変わって来るんじゃないですか?」
「……学生さん、セブンアップ飲みますか?」
「……いえ」
「暮地さんも、ここが勝負どころだとわかってますから、こちらで出さないとなったら、自前のセブンアップをペットボトルで持ってくるでしょう。だったら、うちで用意した方がお金になりますし」
意外としっかりしているなこの人。
「じゃ、暮地さんが来るまで勉強につきあいますよ」
「それよりも、暮地さんに話す前に、博士に聞いてもらいたいんですけど」
「なにかつかめたのですか?」
「ぼくは思い違いをしていたみたいです」
「ほう?」
「この表紙を見た後で、『宵闇の変』を読んで確信しました」
「あれですか」
「そうです。あの痛烈なまでにビターなラブストーリー。……つまり、赤江作品は、表層の下に、人間ドラマがあり、その下に『芸の魔性』があり、その下には……『男と女』が常にいるのです」
「それはどうですかね。『獣林寺妖変』は?」
「その作品が典型例でしょう」
ぼくは熱を帯びた口調で続けた。
「赤江瀑作品で描かれている人物どうしの関係は、すべて、同時に、男と女の関係に転化して読まれるべきです。この三冊の表紙のイラストで、描かれている人物は『女性』しかおらず、それを食らうかのように男をシンボライズした生物がいるということから気づくべきでした」
「つまり、赤江瀑作品は、すべて……」
「男と女の物語、として読むべきなのです。それが赤江瀑作品の核心なのです。芸も、人間たちのドラマも、ミステリも、すべてが、男と女の関係を描き出すための道具なのです。描かれる男の中には常に女が潜んでいます……あたかも歌舞伎の女形のように。その精神的な絡み合いがあの妖しい世界を作っているのです。」
「なるほど、それなら、あの暮地さんもこういうでしょうな……」
博士はちょっと間を置いた。
「Aマイナス」
「Aマイナスですか?」
「まあ、わたしが暮地さんだったら、の話ですよ。暮地さんだったら、Bプラス、というかもしれませんけれど」
「なにが足りないんですか!」
「あなたの論には、動力因というか、論を動かすためのパワーが足りない、ということですな。これ以上のことは、テストに影響するかもしれないからいいませんが。だめですよ、授業の理解を深めるためじゃなくて、テストに備えてわたしたちと討論しようだなんて」
「ぼくはそんなことは……」
いいかけたぼくは、ぐっとつまり、小声になった。
「テストまで家で頭を冷やします」
ぼくは暮地さんに会うのはおろか、夕食を取るのさえも忘れて家に帰った。
ひとりものにとって、永谷園のお茶漬け海苔は偉大な発明である。
(この項つづく)
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Re: 綾瀬さん
「これがオレ流かんたんパスタ」ってCMでさんざん見ました。
個人的にはS&Bスパイスミックスのペペロンチーノが好きです。うまいんだよなあれ。