趣喜堂茶事奇譚(うんちく小説シリーズ)
趣喜堂茶事奇譚/赤江瀑耽溺週間(その6)
テストを終え、ぼくはふらふらになって趣喜堂の扉を開けた。
カウンターでは、舞ちゃんが「いらっしゃ……」といいかけ、口をOの字にした。
「顔色が悪いですよ! なにがあったんですか!」
「ただの栄養不良だ……」
ぼくは答えた。
「何か冷たいのくれる?」
舞ちゃんはマグカップに少量の熱湯を入れて、砂糖とインスタントコーヒーを溶き(そんなものまであったのか)、その上から冷たい牛乳をたっぷりと注いだ。
「どうぞ。疲労困憊したかたへの蛋白質およびカフェイン補給の特効薬です」
ぼくはその冷たくて甘くて苦いコーヒー牛乳を飲んだ。
「ふう、生き返る」
「テストはどうだったんですか?」
「あ……まあまあ、だった」
「赤江瀑先生でどんなことを?」
「え……それなんだが」
ぼくが答えかけたとき、がらんがらんがらん、と扉の音を立てて誰かが入ってきた。
「よう。来てたのか」
「井森……」
変なこというんじゃないぞ、とぼくがいう前に、井森はしゃべっていた。
「今回の文学のテスト、明治の小説家について論ぜよ、ということだったんだって? 気をつけろよ、あの教授、厳しいそうだから」
「え?」
舞ちゃんは、驚いてぼくを見た。
「ああ……まあ……」
ぼくはそこでなんとしてでも井森を止めるべきだった。しかし、ぼくの反応速度は遅すぎた。
「それにしても、あの女とはうまく行ってるのか? ほら、なんとかいう、赤江……赤江……」
舞ちゃんが答えた。
「赤江瀑」
「そう、その赤江瀑のファンという女。きれいな娘だったじゃないか」
「ほほう」
店の奥からツイスト博士が顔を出した。
「なるほど、それであんなに熱心に赤江瀑を」
「ううっ……博士、そんなことより暮地さんとのチェス勝負はどうなったんですか」
「一勝一敗一ステールメイトですよ。で、学生さん……」
ここまで来たら、逃げ場はない。ぼくはまな板の上の鯉の気分で、次の当然の質問を待った。
「結局、どうだったんです?」
舞ちゃんたちが興味津々という表情で見つめる中、ぼくは口を開いた。
「ぼくは、この前ここに来た後、博士の言葉をよく考えた……。欠けているのは動力因だそうだ。小説全体にみなぎるあのパワーのもとは何かを考えて……結論が出た」
「意味がさっぱりわからんが」
井森が首をひねった。
「博士、こいつ、テスト前に何の話をしてたんです?」
ぼくは無視して続けた。
「すなわち、『芸の魔性』の奥に『男と女』があるのなら、『男と女』のそのさらに深部に、『芸の魔性』があってもいいはずだ。その無限の往還運動にも似た力……それが赤江瀑の小説から感じられる力なのではないか、と……」
「それで?」
ツイスト博士が続きをうながした。
「で、意気揚々とぼくは、その結論を、例の赤江瀑ファンの女の子にぶつけてみたんだ……」
ぼくは頭を抱えた。
「するとあの娘は、『わたし、そんな分析をしたいんじゃないわよ。赤江瀑ファンとして、春睦と雪政はどっちがかっこいいか、とか、獣林寺妖変のふたり、いいよねー、とか、そういう話をしたかったんだから! せっかく、そういう話ができる人だと思っていたのに、あなた解剖学者か何かのつもりなの? ふん!』って……」
沈黙が降りた。
「肘鉄か」
井森がつぶやいた。
舞ちゃんが、考え考えいった。
「ひとりのファンとしてあたしは思うんだけど……その子……」
「あの娘が?」
「その子にAプラスあげたいわね」
「うわああああああっ!」
ぼくは頭をかきむしって絶叫した。どんな物事にも、重層構造は隠れているものである。
(この項終わり)
赤江瀑が好きな人のために補足:『禽獣の門』の続編にあたる『阿修羅花伝』は学研M文庫の『赤江瀑名作選』に収録されているので興味がある人は読んでみよう。ぼくもこの日、趣喜堂で読んだのだが、先に読んでいればもうちょっとあの娘と。うわああああああっ!
カウンターでは、舞ちゃんが「いらっしゃ……」といいかけ、口をOの字にした。
「顔色が悪いですよ! なにがあったんですか!」
「ただの栄養不良だ……」
ぼくは答えた。
「何か冷たいのくれる?」
舞ちゃんはマグカップに少量の熱湯を入れて、砂糖とインスタントコーヒーを溶き(そんなものまであったのか)、その上から冷たい牛乳をたっぷりと注いだ。
「どうぞ。疲労困憊したかたへの蛋白質およびカフェイン補給の特効薬です」
ぼくはその冷たくて甘くて苦いコーヒー牛乳を飲んだ。
「ふう、生き返る」
「テストはどうだったんですか?」
「あ……まあまあ、だった」
「赤江瀑先生でどんなことを?」
「え……それなんだが」
ぼくが答えかけたとき、がらんがらんがらん、と扉の音を立てて誰かが入ってきた。
「よう。来てたのか」
「井森……」
変なこというんじゃないぞ、とぼくがいう前に、井森はしゃべっていた。
「今回の文学のテスト、明治の小説家について論ぜよ、ということだったんだって? 気をつけろよ、あの教授、厳しいそうだから」
「え?」
舞ちゃんは、驚いてぼくを見た。
「ああ……まあ……」
ぼくはそこでなんとしてでも井森を止めるべきだった。しかし、ぼくの反応速度は遅すぎた。
「それにしても、あの女とはうまく行ってるのか? ほら、なんとかいう、赤江……赤江……」
舞ちゃんが答えた。
「赤江瀑」
「そう、その赤江瀑のファンという女。きれいな娘だったじゃないか」
「ほほう」
店の奥からツイスト博士が顔を出した。
「なるほど、それであんなに熱心に赤江瀑を」
「ううっ……博士、そんなことより暮地さんとのチェス勝負はどうなったんですか」
「一勝一敗一ステールメイトですよ。で、学生さん……」
ここまで来たら、逃げ場はない。ぼくはまな板の上の鯉の気分で、次の当然の質問を待った。
「結局、どうだったんです?」
舞ちゃんたちが興味津々という表情で見つめる中、ぼくは口を開いた。
「ぼくは、この前ここに来た後、博士の言葉をよく考えた……。欠けているのは動力因だそうだ。小説全体にみなぎるあのパワーのもとは何かを考えて……結論が出た」
「意味がさっぱりわからんが」
井森が首をひねった。
「博士、こいつ、テスト前に何の話をしてたんです?」
ぼくは無視して続けた。
「すなわち、『芸の魔性』の奥に『男と女』があるのなら、『男と女』のそのさらに深部に、『芸の魔性』があってもいいはずだ。その無限の往還運動にも似た力……それが赤江瀑の小説から感じられる力なのではないか、と……」
「それで?」
ツイスト博士が続きをうながした。
「で、意気揚々とぼくは、その結論を、例の赤江瀑ファンの女の子にぶつけてみたんだ……」
ぼくは頭を抱えた。
「するとあの娘は、『わたし、そんな分析をしたいんじゃないわよ。赤江瀑ファンとして、春睦と雪政はどっちがかっこいいか、とか、獣林寺妖変のふたり、いいよねー、とか、そういう話をしたかったんだから! せっかく、そういう話ができる人だと思っていたのに、あなた解剖学者か何かのつもりなの? ふん!』って……」
沈黙が降りた。
「肘鉄か」
井森がつぶやいた。
舞ちゃんが、考え考えいった。
「ひとりのファンとしてあたしは思うんだけど……その子……」
「あの娘が?」
「その子にAプラスあげたいわね」
「うわああああああっ!」
ぼくは頭をかきむしって絶叫した。どんな物事にも、重層構造は隠れているものである。
(この項終わり)
赤江瀑が好きな人のために補足:『禽獣の門』の続編にあたる『阿修羅花伝』は学研M文庫の『赤江瀑名作選』に収録されているので興味がある人は読んでみよう。ぼくもこの日、趣喜堂で読んだのだが、先に読んでいればもうちょっとあの娘と。うわああああああっ!
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Re: 矢端想さん
すでにお話ししたかもしれませんが、
「人類の文明がこのままだと地球が滅亡しますよね!」
といった女の子に、
「地球は滅亡しない。滅亡するのは人類。百歩譲っても生物。そもそも地球が滅亡するってどういうことなのか。粉々に砕けちりでもしない限り、地球はそっくりそのまま惑星として太陽の周りを回ってるのではないか」
といってひんしゅくをかって二度と話しかけてもらえなかったことがありますトホホ。
「人類の文明がこのままだと地球が滅亡しますよね!」
といった女の子に、
「地球は滅亡しない。滅亡するのは人類。百歩譲っても生物。そもそも地球が滅亡するってどういうことなのか。粉々に砕けちりでもしない限り、地球はそっくりそのまま惑星として太陽の周りを回ってるのではないか」
といってひんしゅくをかって二度と話しかけてもらえなかったことがありますトホホ。
Re: limeさん
ちなみに「ぼく」ですが、名前はありません。
アノニムな存在にしておいた方がぴったりくるように思えたので……。
アノニムな存在にしておいた方がぴったりくるように思えたので……。
Re: limeさん
このオチにしようというのは、最初から決めてありました。
ヒントになったのは、「鋼の錬金術師」の主演をしていた朴璐美さんが、「BSマンガ夜話」の「鋼の錬金術師」の回に招かれたとき、キャラクターやストーリーの魅力についてしゃべろうと準備していたところ、同席していたパネラーが皆、「鋼の錬金術師」の分析だの評論だのを始めたため、なにもいうことができなかった、とラジオで愚痴っていたことであります。寝ながらゲラゲラ笑いましたが、今にして思えば、うーむ、でしたなあ……。
それと、「赤江瀑名作選」はもうアマゾンでポチりましたか? 新品なのに定価1680円という、貴様文庫本のくせになめておるのか、みたいな値段がついておりますが……(^^;)
ヒントになったのは、「鋼の錬金術師」の主演をしていた朴璐美さんが、「BSマンガ夜話」の「鋼の錬金術師」の回に招かれたとき、キャラクターやストーリーの魅力についてしゃべろうと準備していたところ、同席していたパネラーが皆、「鋼の錬金術師」の分析だの評論だのを始めたため、なにもいうことができなかった、とラジオで愚痴っていたことであります。寝ながらゲラゲラ笑いましたが、今にして思えば、うーむ、でしたなあ……。
それと、「赤江瀑名作選」はもうアマゾンでポチりましたか? 新品なのに定価1680円という、貴様文庫本のくせになめておるのか、みたいな値段がついておりますが……(^^;)
Re: 黄輪さん
知人と小説やマンガや映画で盛り上がりたいときは、「どこで」盛り上がりたいのかを明確にしておくべきですな(^^)
「マルタの鷹」で盛り上がるときなんか、焦点が「スペードの生きかたにしびれるよなあ」なのか「ボガート好演してたよね」なのか「現代文学の一ページを刻んだ革新性がある」なのかがばらばらだとそれはそれはひどい悲劇に(笑)。
「マルタの鷹」で盛り上がるときなんか、焦点が「スペードの生きかたにしびれるよなあ」なのか「ボガート好演してたよね」なのか「現代文学の一ページを刻んだ革新性がある」なのかがばらばらだとそれはそれはひどい悲劇に(笑)。
Re: ミズマ。さん
いや、いったんハマると底なしですよあの世界。
だって気がつくと図書館から借りてきた未読作品がまた五冊(笑) 古本屋で買ってきた分厚い長編が一冊(笑)
どれから読もうかな(^^)
だって気がつくと図書館から借りてきた未読作品がまた五冊(笑) 古本屋で買ってきた分厚い長編が一冊(笑)
どれから読もうかな(^^)
く~~~^^
最高のオチでした!!
いやあ、楽しかった。その赤江先生ファンの女の子に、私もAプラスをあげます^^
え?・・・まさか、私がモデルじゃないですよね!(汗
でも、私も物語の真髄を掘り下げて分析しながら読むタイプじゃなく、瞬間的にその描写に酔って惚れてしまうから、似たようなもんですね。
じゃあ、Aプラス、ください!
だって、獣林寺妖変で真っ先にボンと思い出すのは、あのお風呂場のシーンで・・・。(赤面)
ず・・ずるい~、と思いましたもんw。(つかみは、大事です!)
でも、「ぼく」(ごめんなさい、名前、なんでしたっけ。探したんだけど)の分析も、さすが!だと思いました。なるほど、「それら」がメビウスの輪ように、ぐるぐると・・・。
剥ききれない玉ねぎですね。
それが一つの、赤江先生の世界。
私もたまには、分析しながら読んでみようかな・・・。
いや、きっと無理かな^^;
最高のオチでした!!
いやあ、楽しかった。その赤江先生ファンの女の子に、私もAプラスをあげます^^
え?・・・まさか、私がモデルじゃないですよね!(汗
でも、私も物語の真髄を掘り下げて分析しながら読むタイプじゃなく、瞬間的にその描写に酔って惚れてしまうから、似たようなもんですね。
じゃあ、Aプラス、ください!
だって、獣林寺妖変で真っ先にボンと思い出すのは、あのお風呂場のシーンで・・・。(赤面)
ず・・ずるい~、と思いましたもんw。(つかみは、大事です!)
でも、「ぼく」(ごめんなさい、名前、なんでしたっけ。探したんだけど)の分析も、さすが!だと思いました。なるほど、「それら」がメビウスの輪ように、ぐるぐると・・・。
剥ききれない玉ねぎですね。
それが一つの、赤江先生の世界。
私もたまには、分析しながら読んでみようかな・・・。
いや、きっと無理かな^^;
余計な解釈を加え過ぎてヘンな方向に思考が飛んでしまったんですね。
深みにはまって失敗する、まさに典型的な展開。
……無念でしょうねw
深みにはまって失敗する、まさに典型的な展開。
……無念でしょうねw
今回の趣喜堂をじっくり追い続けていたのですが、
……私も、その子にAプラスを差し上げたい(笑)
赤江瀑先生の本は残念ながら拝読したことがないのですが、機会があれば手にとってみたいと思いました。
しっかし、学生さん、良いところ見せようとして面白いように失敗しましたんですねぇ(笑)
……私も、その子にAプラスを差し上げたい(笑)
赤江瀑先生の本は残念ながら拝読したことがないのですが、機会があれば手にとってみたいと思いました。
しっかし、学生さん、良いところ見せようとして面白いように失敗しましたんですねぇ(笑)
- #6797 ミズマ。
- URL
- 2012.01/21 00:24
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Re: 綾瀬さん