「ショートショート」
ユーモア
この村に電話はこれしかない
知る人ぞ知る秘湯を求め、山奥の過疎の村を旅行中におれは自動車事故を起こした。居眠りしたのか立ち木に突っ込んだのだ。
おれは無事だったが、妻のほうはひどいものだった。自動車はもっとひどく、廃車にするしかなかったが、妻のほうが心配だ。
「骨折に伴う深刻な内出血じゃな。早く手術なりなんなりせんと、遅かれ早かれ腹膜炎じゃ」
といって、村にひとりしかいないという医者の老人は聴診器を置いた。途方に暮れるおれの視界に真っ先に飛び込んできたのがこの病院の看板で、おれは一も二もなく、妻を抱えて駈け込んだのだ。
おれは苦しむ妻を見て、たまりかねて老人に尋ねた。
「先生のお力で何とかならないのですか?」
老人はぶるぶる震える手を見せた。
「この齢になるともう、指先がしびれてな。ろくにメスひとつ鉗子ひとつ持てん」
「じゃ、じゃあ、早く病院を呼んでください! 救急車! 救急車はないんですか!」
「こんな過疎の村に救急車もないじゃろう。婆さん! 婆さん!」
「はいよ」
診療所の奥から、救急車どころか電動車椅子すら満足に動かせないような老婆が現れた。
「村長の六造さんに連絡を取ってくれんかな。急患を、ふもとの総合病院まで運んでくれるよういうてくれ」
「わかった。急いで行くからよう」
おれはほっとした。
「お願いします。どうか、お願いします」
「だけどよう」
老婆は答えた。
「村にひとつしかない車は、昨晩、村長の息子が『ど田舎なんとかサミット』とかいう集りに乗ってっちまったので、使えないぞ」
老人はぴしゃりと頭を叩いた。
「忘れとった。まあ、とりあえず伝えておいてくれんかのう」
「わかった」
老婆はよたよたと部屋を出て行った。おれの顔は蒼白になっていただろう。
「なんとかならないんですか! そうだ、電話、電話があった!」
おれは携帯を取り出し、老人に聞いた。
「それが噂の携帯か。すごいのう。村には、そんなもん一台もないぞ」
「そりゃどうも!」
119、とボタンを押しかけたおれは、液晶を見て、気が遠くなった。
『圏外』
たしかに村に携帯など一台もないのはほんとうだ。
「せ、先生、電話、電話を貸してください」
おれは、部屋の隅にあるダイヤル式の黒電話……いったいいつのものなんだ?……のそばに駆け寄り、受話器を耳に当てると、机の向こうでのほほんとしている老医師のほうに、泣きそうになりながら振り向いた。
「通じてませんね、この電話。ピーともブーともいわない」
「旦那さん、あんたもせっかちじゃなあ。わしが説明する前に行動するんじゃから……行動の前に、人の話は聞くもんじゃぞ」
「ええ聞きますよ聞きますよ。いったいどうして、使えない電話機なんか置いてあるんです!」
「今朝まではきちんと通じていたんじゃが、ついに寿命が来たらしくてのう」
「ほかに、この村で電話を持っているのは誰ですか? 村長さんですか?」
「この村に電話はこれしかない。村のもんは、みんな電話が嫌いじゃからのう」
おれは目の前が真っ暗になった。
「それにだいたい」
老医師は、ひとごとのようにいった。
「救急車なんかを待っておったら、日が暮れてしまうわい。それに、この患者は、救急車で運ぶのには危険すぎる」
おれは苦しむ妻の横にひざまずき、手を取って、泣いた。
「そ……そんな……しっかりしろ、しっかりしろ! お前がいなくなったら、おれは、おれは……」
妻が立てたプランとはいえ、こんなことになるのだったら命をかけても止めるのだった。いや、おれが運転を誤りさえしなければ。ちくしょう、ちくしょう、なんて理不尽なんだ、世界は!
「じゃからのう。人の話は……」
なにが人の話だ。おれは、この人でなしの医者をぶん殴ってやろうと身構えた。
そのとき。おれは、耳に爆音を聞いた。
「来よったか」
「え?」
「搬送用のヘリじゃよ。これで奥さんは安心じゃ」
「どういうことなんですか?」
「ここは、山奥じゃから、車で来るのが難しい。じゃから、わしらは、三年ほど前に村の森の一部を切り開き、簡単なヘリポートをこしらえたんじゃ。よかったのう、四年前じゃったら奥さんの命も危なかったところじゃぞ」
「でも……でも、連絡は?」
戸板を持った救急隊員が駆けつけてくる横で、おれは呆然としているしかなかった。
「ああ。村長がとってくれたんじゃろう。なにしろこの齢にもなると、村の皆は、ほとんど耳が遠くなってのう。みんな、電話をやめて、インターネットとメールに変えたんじゃ。ボタン一つでいやというほど画面を拡大できるし、便利じゃのう、最近の道具は」
「じゃあ、村に電話が一台しかないというのは」
「わしと婆さんくらいじゃよ、普通に人と会話ができるほど耳がいいのは。わしもパソコンを買ったほうがいいかのう。なんとなく、あの、キーボードというやつが気に食わんのじゃが」
おれはへたり込み、笑った。狂ったように笑った。安堵の笑いが、腹の底からこみあげてきたのだ。
「ところで旦那さん。……これ。これ!」
おれもヘリで帰ることになった。笑いすぎてあごの骨が外れたのである。
おれは無事だったが、妻のほうはひどいものだった。自動車はもっとひどく、廃車にするしかなかったが、妻のほうが心配だ。
「骨折に伴う深刻な内出血じゃな。早く手術なりなんなりせんと、遅かれ早かれ腹膜炎じゃ」
といって、村にひとりしかいないという医者の老人は聴診器を置いた。途方に暮れるおれの視界に真っ先に飛び込んできたのがこの病院の看板で、おれは一も二もなく、妻を抱えて駈け込んだのだ。
おれは苦しむ妻を見て、たまりかねて老人に尋ねた。
「先生のお力で何とかならないのですか?」
老人はぶるぶる震える手を見せた。
「この齢になるともう、指先がしびれてな。ろくにメスひとつ鉗子ひとつ持てん」
「じゃ、じゃあ、早く病院を呼んでください! 救急車! 救急車はないんですか!」
「こんな過疎の村に救急車もないじゃろう。婆さん! 婆さん!」
「はいよ」
診療所の奥から、救急車どころか電動車椅子すら満足に動かせないような老婆が現れた。
「村長の六造さんに連絡を取ってくれんかな。急患を、ふもとの総合病院まで運んでくれるよういうてくれ」
「わかった。急いで行くからよう」
おれはほっとした。
「お願いします。どうか、お願いします」
「だけどよう」
老婆は答えた。
「村にひとつしかない車は、昨晩、村長の息子が『ど田舎なんとかサミット』とかいう集りに乗ってっちまったので、使えないぞ」
老人はぴしゃりと頭を叩いた。
「忘れとった。まあ、とりあえず伝えておいてくれんかのう」
「わかった」
老婆はよたよたと部屋を出て行った。おれの顔は蒼白になっていただろう。
「なんとかならないんですか! そうだ、電話、電話があった!」
おれは携帯を取り出し、老人に聞いた。
「それが噂の携帯か。すごいのう。村には、そんなもん一台もないぞ」
「そりゃどうも!」
119、とボタンを押しかけたおれは、液晶を見て、気が遠くなった。
『圏外』
たしかに村に携帯など一台もないのはほんとうだ。
「せ、先生、電話、電話を貸してください」
おれは、部屋の隅にあるダイヤル式の黒電話……いったいいつのものなんだ?……のそばに駆け寄り、受話器を耳に当てると、机の向こうでのほほんとしている老医師のほうに、泣きそうになりながら振り向いた。
「通じてませんね、この電話。ピーともブーともいわない」
「旦那さん、あんたもせっかちじゃなあ。わしが説明する前に行動するんじゃから……行動の前に、人の話は聞くもんじゃぞ」
「ええ聞きますよ聞きますよ。いったいどうして、使えない電話機なんか置いてあるんです!」
「今朝まではきちんと通じていたんじゃが、ついに寿命が来たらしくてのう」
「ほかに、この村で電話を持っているのは誰ですか? 村長さんですか?」
「この村に電話はこれしかない。村のもんは、みんな電話が嫌いじゃからのう」
おれは目の前が真っ暗になった。
「それにだいたい」
老医師は、ひとごとのようにいった。
「救急車なんかを待っておったら、日が暮れてしまうわい。それに、この患者は、救急車で運ぶのには危険すぎる」
おれは苦しむ妻の横にひざまずき、手を取って、泣いた。
「そ……そんな……しっかりしろ、しっかりしろ! お前がいなくなったら、おれは、おれは……」
妻が立てたプランとはいえ、こんなことになるのだったら命をかけても止めるのだった。いや、おれが運転を誤りさえしなければ。ちくしょう、ちくしょう、なんて理不尽なんだ、世界は!
「じゃからのう。人の話は……」
なにが人の話だ。おれは、この人でなしの医者をぶん殴ってやろうと身構えた。
そのとき。おれは、耳に爆音を聞いた。
「来よったか」
「え?」
「搬送用のヘリじゃよ。これで奥さんは安心じゃ」
「どういうことなんですか?」
「ここは、山奥じゃから、車で来るのが難しい。じゃから、わしらは、三年ほど前に村の森の一部を切り開き、簡単なヘリポートをこしらえたんじゃ。よかったのう、四年前じゃったら奥さんの命も危なかったところじゃぞ」
「でも……でも、連絡は?」
戸板を持った救急隊員が駆けつけてくる横で、おれは呆然としているしかなかった。
「ああ。村長がとってくれたんじゃろう。なにしろこの齢にもなると、村の皆は、ほとんど耳が遠くなってのう。みんな、電話をやめて、インターネットとメールに変えたんじゃ。ボタン一つでいやというほど画面を拡大できるし、便利じゃのう、最近の道具は」
「じゃあ、村に電話が一台しかないというのは」
「わしと婆さんくらいじゃよ、普通に人と会話ができるほど耳がいいのは。わしもパソコンを買ったほうがいいかのう。なんとなく、あの、キーボードというやつが気に食わんのじゃが」
おれはへたり込み、笑った。狂ったように笑った。安堵の笑いが、腹の底からこみあげてきたのだ。
「ところで旦那さん。……これ。これ!」
おれもヘリで帰ることになった。笑いすぎてあごの骨が外れたのである。
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~ Comment ~
クローズドサークル物が書きづらい時代になりましたね…。
外界と完全に遮断される場所ってあるのでしょうか。
外界と完全に遮断される場所ってあるのでしょうか。
Re: limeさん
そりゃ筋道は通ってますって(^^)
わたしの作品は、基本的に筋道が通っているものばかりです。
本人はそう信じているのですが(^^;)
わたしの作品は、基本的に筋道が通っているものばかりです。
本人はそう信じているのですが(^^;)
Re: 土屋マルさん
そういう話だったら、「ユーモア」ではなくて「SF」カテに入れてます(^^;)
オチは悩んだのですが……。
オチは悩んだのですが……。
ああ、私も、お婆さんがエスパーだった・・・かと^^;
ちゃんと筋道の通った感じが、逆に面白かったです。
しかし、実際私も田舎に帰ったら携帯が圏外で使えません。auは弱い~。
でも電波を探してうろうろ田舎道を歩きまわるのがちょっと、奇妙で楽しいですw
ちゃんと筋道の通った感じが、逆に面白かったです。
しかし、実際私も田舎に帰ったら携帯が圏外で使えません。auは弱い~。
でも電波を探してうろうろ田舎道を歩きまわるのがちょっと、奇妙で楽しいですw
ポールさん、こんばんは♪
タイトルから勝手に想像した私のオチ↓
・ばあさんがエスパーだった(笑)
・じいさんは機械だった(笑)
・妻は公衆電話だった(汗)
うん、何かアレですね、ご、ごめんなさいorz
ちゃんとしたオチだった、とても楽しく読めました!
最後、アゴが外れて一緒にヘリに乗るところとか、いいですね~。
タイトルから勝手に想像した私のオチ↓
・ばあさんがエスパーだった(笑)
・じいさんは機械だった(笑)
・妻は公衆電話だった(汗)
うん、何かアレですね、ご、ごめんなさいorz
ちゃんとしたオチだった、とても楽しく読めました!
最後、アゴが外れて一緒にヘリに乗るところとか、いいですね~。
Re: 山西 左紀さん
うーんやっぱりオチが弱いですか。
悩んだのですが、これしか思いつかず、行っちまえ、と見切り発車を(汗)
精進します……。
悩んだのですが、これしか思いつかず、行っちまえ、と見切り発車を(汗)
精進します……。
- #7874 ポール・ブリッツ
- URL
- 2012.05/01 21:53
- ▲EntryTop
ウ~ンそうきましたか!
どうなるのかなと思ってはらはらしておりました。
良かったです。上手いなあ。
でもオチがもう一捻り欲しかったかも…(すみません)
どうなるのかなと思ってはらはらしておりました。
良かったです。上手いなあ。
でもオチがもう一捻り欲しかったかも…(すみません)
Re: ウゾさん
アマゾン便利ですもんね。
これでもしインターネットが麻痺したらどうなるか、考えただけでも恐ろしいです。
これでもしインターネットが麻痺したらどうなるか、考えただけでも恐ろしいです。
- #7871 ポール・ブリッツ
- URL
- 2012.05/01 16:17
- ▲EntryTop
Re: LandMさん
意外と社会派だったりする当ブログ。
いや単に、筒井康隆先生の作品みたいなブラックジョークをやりたかったのですが、良識的ストーリーになってしまった(^^;)
世の中うまくいかないもので……。
いや単に、筒井康隆先生の作品みたいなブラックジョークをやりたかったのですが、良識的ストーリーになってしまった(^^;)
世の中うまくいかないもので……。
- #7870 ポール・ブリッツ
- URL
- 2012.05/01 16:13
- ▲EntryTop
こんにちは。
うん 確かに… うちの近所 本屋がどんどんと潰れる
本屋がないから アマゾンで本を買う 余計に本屋が潰れるという
状態が続いている。
アマゾンの箱 色々な処で 見るようになったな…
田舎ほど ネットで買い物するからなぁ…
うん 確かに… うちの近所 本屋がどんどんと潰れる
本屋がないから アマゾンで本を買う 余計に本屋が潰れるという
状態が続いている。
アマゾンの箱 色々な処で 見るようになったな…
田舎ほど ネットで買い物するからなぁ…
- #7869 ウゾ
- URL
- 2012.05/01 14:58
- ▲EntryTop
壮絶なギャグというかなんと言おうか。
逆に最近は私も携帯電話で話をしないですね。。
メールのやり取りが多いです。
結構 何気に今の社会を反映している作品ですね。
逆に最近は私も携帯電話で話をしないですね。。
メールのやり取りが多いです。
結構 何気に今の社会を反映している作品ですね。
- #7868 LandM
- URL
- 2012.05/01 08:48
- ▲EntryTop
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Re: tomokoさん
有栖川先生はミステリ研シリーズの最終作の舞台をどこにするんだろう。