趣喜堂茶事奇譚(うんちく小説シリーズ)
趣喜堂茶事奇譚/十四分の海難(その1)
この店に来るのもひさしぶりだな、ぼくはそう思いつつ、漫画喫茶『趣喜堂』の立てつけの悪い扉をがらんがらんがらんと音を立てて開けた。
「いらっしゃいませ」
舞ちゃんがぼくに向かってほほ笑んだ。その前の椅子には、いつものように井森のやつが陣取っているのだった。
「井森、お前、就活してるのか。四年になってからすればよかったのは、二十年も前の話だぞ」
平服の井森に、呆れたような声でぼくが声をかけると、井森はぼくに空のグラスを振って見せた。
「してるさ。だから、こうしてたまに戦士の休息を取っているんじゃないか。お前こそ……お前は、今もしてるみたいだな」
井森はぼくの身体を頭の上から足の先まで眺めた。
「それにしてもお前、スーツが似合わんやつだなあ。哲学なんかやっているから、そんなところで変人の地が出るんだ」
「ぼくのどこが変人なんだ。……ツイスト博士、なんとかいってやってください」
この店の店主であるツイスト博士こと捻原さんが口を開く前に、舞ちゃんがいった。
「お客さんが変人だったら、このわたしも変人ですね」
井森は狼狽したようだった。
「い、いえ、舞ちゃんは、その、あの」
言葉に窮した井森は、真っ赤になってひとこといった。
「コーラおかわり」
ぼくは井森の前にコーラのグラスが置かれるさまをにやにやして眺めた。
それにしても暑い日だ。いつから日本というものはこんな妙な気候になってしまったのだ。
「ゲームでもするかね?」
ツイスト博士がいった。
「いや、今日はなにか面白い本を読みに来たんです。この暑さを吹き飛ばすような本で、それほど厚くもなく薄くもない本を一冊」
「そうだねえ」
ツイスト博士は考え込んだ。
「一冊、学生さんの好みにぴったりな本があるのだが、うーん」
「どうかしたのですか?」
「いや、タイミング的にどうかと。話の内容が話の内容なので」
「どんな話なんですか?」
ぼくは好奇心をそそられた。
「船が沈む話」
「へえ。それで?」
「いや、だから、十四分かけて船が沈むだけの話」
「…………」
「…………」
「……それだけ?」
「それだけ」
「短編ですか?」
「いや、立派な長編小説だよ」
「面白いですね。ぼくは哲学の徒として、ゲンはかつがないことにしているんです。それを読むことにします。作者名とタイトルは?」
「ブライアン・キャリスン『十四分の海難』。それほど厚い本ではない。学生さんの読むスピードだと、だいたい三時間もあれば……」
「決まりですね。舞ちゃん。ぼくにも何か飲み物を」
舞ちゃんは冷蔵庫に向かった。
「その本を読まれるのでしたら、これなんかいかがですか? 氷のように冷やした、ドライなうえにもドライなジンジャーエール。冬の北海が舞台の、男たちの物語ですから、ぴったりかと」
「おれもそれ」
井森も乗っかってきた。
ぼくはツイスト博士が持ってきた本のページを開いた。なじみ深い早川文庫NVである。
(この項つづく)
「いらっしゃいませ」
舞ちゃんがぼくに向かってほほ笑んだ。その前の椅子には、いつものように井森のやつが陣取っているのだった。
「井森、お前、就活してるのか。四年になってからすればよかったのは、二十年も前の話だぞ」
平服の井森に、呆れたような声でぼくが声をかけると、井森はぼくに空のグラスを振って見せた。
「してるさ。だから、こうしてたまに戦士の休息を取っているんじゃないか。お前こそ……お前は、今もしてるみたいだな」
井森はぼくの身体を頭の上から足の先まで眺めた。
「それにしてもお前、スーツが似合わんやつだなあ。哲学なんかやっているから、そんなところで変人の地が出るんだ」
「ぼくのどこが変人なんだ。……ツイスト博士、なんとかいってやってください」
この店の店主であるツイスト博士こと捻原さんが口を開く前に、舞ちゃんがいった。
「お客さんが変人だったら、このわたしも変人ですね」
井森は狼狽したようだった。
「い、いえ、舞ちゃんは、その、あの」
言葉に窮した井森は、真っ赤になってひとこといった。
「コーラおかわり」
ぼくは井森の前にコーラのグラスが置かれるさまをにやにやして眺めた。
それにしても暑い日だ。いつから日本というものはこんな妙な気候になってしまったのだ。
「ゲームでもするかね?」
ツイスト博士がいった。
「いや、今日はなにか面白い本を読みに来たんです。この暑さを吹き飛ばすような本で、それほど厚くもなく薄くもない本を一冊」
「そうだねえ」
ツイスト博士は考え込んだ。
「一冊、学生さんの好みにぴったりな本があるのだが、うーん」
「どうかしたのですか?」
「いや、タイミング的にどうかと。話の内容が話の内容なので」
「どんな話なんですか?」
ぼくは好奇心をそそられた。
「船が沈む話」
「へえ。それで?」
「いや、だから、十四分かけて船が沈むだけの話」
「…………」
「…………」
「……それだけ?」
「それだけ」
「短編ですか?」
「いや、立派な長編小説だよ」
「面白いですね。ぼくは哲学の徒として、ゲンはかつがないことにしているんです。それを読むことにします。作者名とタイトルは?」
「ブライアン・キャリスン『十四分の海難』。それほど厚い本ではない。学生さんの読むスピードだと、だいたい三時間もあれば……」
「決まりですね。舞ちゃん。ぼくにも何か飲み物を」
舞ちゃんは冷蔵庫に向かった。
「その本を読まれるのでしたら、これなんかいかがですか? 氷のように冷やした、ドライなうえにもドライなジンジャーエール。冬の北海が舞台の、男たちの物語ですから、ぴったりかと」
「おれもそれ」
井森も乗っかってきた。
ぼくはツイスト博士が持ってきた本のページを開いた。なじみ深い早川文庫NVである。
(この項つづく)
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Re: ぴゆうさん
じゃあ、なにかお祝いを考えないと(^^)
どうしようかな~(^^)