「ショートショート」
その他
米粉サブレー
進路をどうするか決めろ、という季節になってきた。平凡な中学三年生のぼくも、担任からそう申し渡された。
「まあ、お前の場合、成績も悪くないんだし、県立のR高にでもしておくか?」
「いえ、その。もう少し考えさせてください」
「っていうことは私立のJ高? お前なら合格しても不思議じゃないが、危険な賭けになるぞ。第二外国語の授業まであるそうじゃないか」
「ええ、ですから、もう少し考えさせてくださいと。すみません先生、失礼します」
正直な話、ぼくはほんとうに迷っていた。両親はR高でいいといってくれるのだが、今、入院している七十を越えた祖父が、J高と主張して譲らないのだ。熟練した菓子職人で、学歴で人を値踏みするようなことはしないタイプだと思っていたのだが。
ぼくは、今日こそひとりで面会に行き、真情を聞き出そうと思っていたのである。
いざ、病室にたどり着くと、祖父の顔色はそう悪くは見えなかった。
「良介か。まあここに座れ」
「いわれなくても座るよ。でさ……」
「話しておきたいことがある」
祖父は、いつになく真面目な声でいった。
「戦後まもなくのことじゃ」
「?」
「わしはそのころ、今でいう小学校を卒業させられたばかりじゃった。わしの祖父は病気、父は出征から未だ帰らず、母は働きに働き詰めじゃった。敗戦国の悲惨を噛み締めたのは、庶民ばかりというわけじゃ」
「でも、おじいちゃんのお父さん、ひいおじいちゃんは無事に帰国できたんでしょ?」
「帰るまでには二年かかった。それまでわしら三人がどういう暮らしをしておったか、お前に話しても想像の埒外だろう」
ぼくはとりあえず、「うん」と答えた。去年の夏だったけど、ついうっかり「火垂るの墓」という、救いがなにもないアニメを見て、次の日は一日中暗い気持ちになったものだ。
「そんな中でも、ある日、わしらにもいいことがあった。旧軍の倉庫に、友達の悪ガキ数人と、命がけで夜間に忍びこみ、とにかくつかめるものをつかんで、後ろも見ずに逃げ出したのじゃ」
「それって、泥棒……」
「闇物資を頑として食わなかった裁判官が、餓死して大問題になるような時代じゃったからな。それに、わしがそこまで大掛かりな泥棒をしたのは、そのときが最初で最後じゃ」
「どうして?」
ぼくの問いに、祖父は真顔で答えた。
「そのときの騒動で、わしと同い年くらいの悪ガキが、銃で撃たれて死んだのじゃ。闇夜に鉄砲とはいうが、それでも当たれば死ぬ」
ぼくは黙った。
「命からがら逃げてきたわしは、ようやく安全な場所まで来てから、袋の中を見て歓声を上げたくなったな。中には、米粉がいっぱいに詰まっていたのじゃ。これだけあれば、お粥が食える。病気のじいちゃんも、いくらか元気がつくじゃろう。母はわしを叱るには疲れすぎとった。祖父もそうじゃった。今思えば、撃たれて死んだあいつは、死んでわしを悪の道から救ってくれたのかもしれん。その場限りのつきあいしかない、戦災孤児じゃったが」
「それで、お粥は食べられたの?」
「祖父は、わしはいらん、といった。代わりに、自分の取り分の米粉を、闇市かどこかで、サブレーとかいうお菓子と交換して来てくれ、といったのじゃ」
「サブレーって、あれでしょ? クッキーみたいな」
「そうじゃ。しかしそのときは、サブレーなど、聞いたことはあっても、見たことはなかった。野菜くずをからからになるまで炒って、代用砂糖だなどと本気でいっていたからな、戦中は。だからだと思うが、母は猛反対した。もしかしたら、祖父の思いがわかっていたのかもしれん。もう、長くないという……」
「おじいちゃん!」
「わしの祖父の話じゃ。一緒にするでない。冷静に考えたら、ガキひとりが持ち運べる量の米粉程度でサブレーが買えたわけがない。なにせどこにもないんじゃから。でもわしは怒った。米粉をひとすくい、さっとすくって襤褸で作った袋に入れると、外へ飛び出したのじゃ」
「サブレーは手に入ったの?」
「だからいったじゃろ、入るわけがない。駆け回って、もとは菓子屋だった店で、ようやく砂糖と交換できた。グラニュー糖ではないぞ、ザラメじゃ。わしは思ったんじゃ。サブレーとは、サクサクしたお菓子だとか。だったら、カルメ焼きみたいなものだろう、サブレーのかわりに、カルメ焼きを思いきり食べさせてあげよう」
「それで?」
「交換したザラメを、足元を見られながらカルメ焼き屋に焼いてもらい、半分ほどの量のカルメ焼きを持って家に帰った」
「おじいちゃんのおじいちゃんは?」
「帰ってみたら、容態が急変しとった。わしは、サブレーだよ! と叫んで祖父の口にカルメ焼きのかけらを含ませた。祖父の目から、涙がつうっと垂れ、それが祖父の最期じゃった」
「おじいちゃん……」
祖父は口を挟む間も与えずにしゃべり続けた。
「それから何年かして、日本もなんとか持ち直してきた。わしも十八になろうとしておった。そんなある日、わしは、サブレーを食べる機会に巡り会った。ひと口食べた瞬間、わしは、自分がどれだけ祖父にひどいことをしたのかわかったのじゃ。わしは、その足で、菓子職人に弟子入りした。米粉でサブレーを作る、そんな無茶な思いでな」
祖父はぼくの目を見た。
「なぜわしが、J高にこだわるのか、わかるじゃろ?」
「うん」
ぼくは答えた。よくわかったからだ。
必死の勉強の末、J高に入学して、ぼくはさらに猛勉強した。
近場で第二外国語を高校からやっているのはここくらいだったからだ。
「そんなにフランス語ばかり勉強して、将来、翻訳家にでもなる気か?」
「いや、パティシエになるつもりだよ」
友人のほとんどが、ぼくの言葉を冗談だと思っている。だがぼくは本気だ。
ちなみに、ネットで、米粉でサブレーを作るレシピを探したら、山ほどヒットした。そのうちのどれが祖父の原案のレシピなのかは、わからない。
それでもいい。ぼくはぼくで、自分の米粉サブレーのレシピを探す。そしていつかは祖父に、食べてもらうのだ。
「まあ、お前の場合、成績も悪くないんだし、県立のR高にでもしておくか?」
「いえ、その。もう少し考えさせてください」
「っていうことは私立のJ高? お前なら合格しても不思議じゃないが、危険な賭けになるぞ。第二外国語の授業まであるそうじゃないか」
「ええ、ですから、もう少し考えさせてくださいと。すみません先生、失礼します」
正直な話、ぼくはほんとうに迷っていた。両親はR高でいいといってくれるのだが、今、入院している七十を越えた祖父が、J高と主張して譲らないのだ。熟練した菓子職人で、学歴で人を値踏みするようなことはしないタイプだと思っていたのだが。
ぼくは、今日こそひとりで面会に行き、真情を聞き出そうと思っていたのである。
いざ、病室にたどり着くと、祖父の顔色はそう悪くは見えなかった。
「良介か。まあここに座れ」
「いわれなくても座るよ。でさ……」
「話しておきたいことがある」
祖父は、いつになく真面目な声でいった。
「戦後まもなくのことじゃ」
「?」
「わしはそのころ、今でいう小学校を卒業させられたばかりじゃった。わしの祖父は病気、父は出征から未だ帰らず、母は働きに働き詰めじゃった。敗戦国の悲惨を噛み締めたのは、庶民ばかりというわけじゃ」
「でも、おじいちゃんのお父さん、ひいおじいちゃんは無事に帰国できたんでしょ?」
「帰るまでには二年かかった。それまでわしら三人がどういう暮らしをしておったか、お前に話しても想像の埒外だろう」
ぼくはとりあえず、「うん」と答えた。去年の夏だったけど、ついうっかり「火垂るの墓」という、救いがなにもないアニメを見て、次の日は一日中暗い気持ちになったものだ。
「そんな中でも、ある日、わしらにもいいことがあった。旧軍の倉庫に、友達の悪ガキ数人と、命がけで夜間に忍びこみ、とにかくつかめるものをつかんで、後ろも見ずに逃げ出したのじゃ」
「それって、泥棒……」
「闇物資を頑として食わなかった裁判官が、餓死して大問題になるような時代じゃったからな。それに、わしがそこまで大掛かりな泥棒をしたのは、そのときが最初で最後じゃ」
「どうして?」
ぼくの問いに、祖父は真顔で答えた。
「そのときの騒動で、わしと同い年くらいの悪ガキが、銃で撃たれて死んだのじゃ。闇夜に鉄砲とはいうが、それでも当たれば死ぬ」
ぼくは黙った。
「命からがら逃げてきたわしは、ようやく安全な場所まで来てから、袋の中を見て歓声を上げたくなったな。中には、米粉がいっぱいに詰まっていたのじゃ。これだけあれば、お粥が食える。病気のじいちゃんも、いくらか元気がつくじゃろう。母はわしを叱るには疲れすぎとった。祖父もそうじゃった。今思えば、撃たれて死んだあいつは、死んでわしを悪の道から救ってくれたのかもしれん。その場限りのつきあいしかない、戦災孤児じゃったが」
「それで、お粥は食べられたの?」
「祖父は、わしはいらん、といった。代わりに、自分の取り分の米粉を、闇市かどこかで、サブレーとかいうお菓子と交換して来てくれ、といったのじゃ」
「サブレーって、あれでしょ? クッキーみたいな」
「そうじゃ。しかしそのときは、サブレーなど、聞いたことはあっても、見たことはなかった。野菜くずをからからになるまで炒って、代用砂糖だなどと本気でいっていたからな、戦中は。だからだと思うが、母は猛反対した。もしかしたら、祖父の思いがわかっていたのかもしれん。もう、長くないという……」
「おじいちゃん!」
「わしの祖父の話じゃ。一緒にするでない。冷静に考えたら、ガキひとりが持ち運べる量の米粉程度でサブレーが買えたわけがない。なにせどこにもないんじゃから。でもわしは怒った。米粉をひとすくい、さっとすくって襤褸で作った袋に入れると、外へ飛び出したのじゃ」
「サブレーは手に入ったの?」
「だからいったじゃろ、入るわけがない。駆け回って、もとは菓子屋だった店で、ようやく砂糖と交換できた。グラニュー糖ではないぞ、ザラメじゃ。わしは思ったんじゃ。サブレーとは、サクサクしたお菓子だとか。だったら、カルメ焼きみたいなものだろう、サブレーのかわりに、カルメ焼きを思いきり食べさせてあげよう」
「それで?」
「交換したザラメを、足元を見られながらカルメ焼き屋に焼いてもらい、半分ほどの量のカルメ焼きを持って家に帰った」
「おじいちゃんのおじいちゃんは?」
「帰ってみたら、容態が急変しとった。わしは、サブレーだよ! と叫んで祖父の口にカルメ焼きのかけらを含ませた。祖父の目から、涙がつうっと垂れ、それが祖父の最期じゃった」
「おじいちゃん……」
祖父は口を挟む間も与えずにしゃべり続けた。
「それから何年かして、日本もなんとか持ち直してきた。わしも十八になろうとしておった。そんなある日、わしは、サブレーを食べる機会に巡り会った。ひと口食べた瞬間、わしは、自分がどれだけ祖父にひどいことをしたのかわかったのじゃ。わしは、その足で、菓子職人に弟子入りした。米粉でサブレーを作る、そんな無茶な思いでな」
祖父はぼくの目を見た。
「なぜわしが、J高にこだわるのか、わかるじゃろ?」
「うん」
ぼくは答えた。よくわかったからだ。
必死の勉強の末、J高に入学して、ぼくはさらに猛勉強した。
近場で第二外国語を高校からやっているのはここくらいだったからだ。
「そんなにフランス語ばかり勉強して、将来、翻訳家にでもなる気か?」
「いや、パティシエになるつもりだよ」
友人のほとんどが、ぼくの言葉を冗談だと思っている。だがぼくは本気だ。
ちなみに、ネットで、米粉でサブレーを作るレシピを探したら、山ほどヒットした。そのうちのどれが祖父の原案のレシピなのかは、わからない。
それでもいい。ぼくはぼくで、自分の米粉サブレーのレシピを探す。そしていつかは祖父に、食べてもらうのだ。
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Re: 山西 左紀さん
山口良忠判事の話は、有名だと思ったのですが。
味方にはしたいけれど、友達にすると閉口しそうな人みたいです。
ちなみに、作中で触れている「代用食」ですが、わたしが持っているミリタリ関係の同人誌には読むだけでも恐ろしいレシピがいろいろあって……戦争絶対反対! マジです。
味方にはしたいけれど、友達にすると閉口しそうな人みたいです。
ちなみに、作中で触れている「代用食」ですが、わたしが持っているミリタリ関係の同人誌には読むだけでも恐ろしいレシピがいろいろあって……戦争絶対反対! マジです。
いいお話ですね!嬉しくなってしまいます。
ところで戦後のエピソード、知識が半端ないですね。
裁判官の話とか……。
「火垂るの墓」ほんとうに救いがなにもないアニメですね。
二度は見れません。
ところで戦後のエピソード、知識が半端ないですね。
裁判官の話とか……。
「火垂るの墓」ほんとうに救いがなにもないアニメですね。
二度は見れません。
いい話でした。
何としてでも、あと4年はおじいちゃんに生きていてもらいたいですね。食べてもらわにゃ。
こういう優しい子は、好きです。
何にしても、人生で一度は何かに向けて猛勉強する時期って必要ですよね。できれば若いうちが良い。
今となってはもう・・・「よく学生の時50分も机に座っていられたよなぁ」と思うくらい、集中力が無くなっちゃいましたが。
(でも、仕事辞めたら大学の聴講生とかになってみたい・・・)
こういう優しい子は、好きです。
何にしても、人生で一度は何かに向けて猛勉強する時期って必要ですよね。できれば若いうちが良い。
今となってはもう・・・「よく学生の時50分も机に座っていられたよなぁ」と思うくらい、集中力が無くなっちゃいましたが。
(でも、仕事辞めたら大学の聴講生とかになってみたい・・・)
Re: YUKAさん
お気に召してよかったです。
将来、「ぼく」ならぬ良介くんがどんな冒険をするのかはわかりませんが、彼ならやりとげられると思っています。
将来、「ぼく」ならぬ良介くんがどんな冒険をするのかはわかりませんが、彼ならやりとげられると思っています。
Re: ミズマ。さん
苦しい勉強の末に難関私立高校に入って、三年目の進路指導で「パティシエになります」といわれ、両親涙目(^_^;)
人生だなあ。(笑)
人生だなあ。(笑)
おはようございます^^
いい話です><。
進路を決める、という人生の岐路をこうして決めた彼は
迷いながらもきっと頑張れる気がします。
一日頑張ろうって思えました^^
進路を決める、という人生の岐路をこうして決めた彼は
迷いながらもきっと頑張れる気がします。
一日頑張ろうって思えました^^
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Re: レルバルさん
「ああ、レバニラさんのところのお米、おいしかったなあ」
「そういや、ドーナツ、食いたいなあ」
という二つの思いからアイデアがわき、突貫工事で仕上げたものです……というとぶち壊しかなあ。
だから細かいところに間違いがたくさん。そもそも山口判事が栄養失調から肺炎になって亡くなったのからして昭和22年10月のことですし。
なぜドーナツがサブレーになったのかというと、戦後まもなく、あの鳩サブレーをもう一度作ろう、と会社の有志がありあわせの材料で「なんとかした」ところ、似ても似つかぬ真っ黒焦げのものができ、創業者からえらく怒られた、という実話を思い出したからです。菓子箱に入っていたしおりに書いてあったから実話でしょう。