「紅探偵事務所事件ファイル」
    雑記録ファイル

    改築は遺産とともに

     ←THE LITERATURE TO END LITERATURE →断片219「考えてみれば簡単なことだった」
     その日、あたし、紅恵美は、紅探偵事務所の所長のくせに、仕事なんかしたくなかった。「フッセリアーナ」の最新刊が届いたのだ。「フッセリアーナ」というのは、現象学の祖、偉大なるドイツの哲学者フッサールが残した四万五千枚にものぼる難解な上に難読の草稿を解読し、まとめたものである。現在も編集、刊行中であり、完成した暁には現代思想がどういうことになっているか見当もつかない。今回刊行された巻は、噂ではフッサールとハイデガーとの関係について新たな視点をもたらすものだそうだ。思わずよだれが流れてくる。資産運用も仕事も読みかけのディーヴァーも放り出して没頭したい。あたしのこの思いをとどめられるものがあるとしたら、「復員殺人事件」とか、「エドウィン・ドルードの謎」なんかの作者本人による解決編が発見された、というニュースくらいだろう。

     幸か不幸かそういうニュースはなかったが、代わりに、あたしの前には、神経質そうな顔をした四十がらみの依頼人が座っていた。依頼人というのは、来てほしいときにはちっとも姿を見せず、来てほしくないときに限って現れるらしい。

    「遺産ですって?」

     不機嫌なのが外に漏れたらたいへんと、あたしは精一杯の愛想を使っていった。

     依頼人にはそれほど効果はなかったようだ。この小娘にどれだけのことができるものか、という内心が透けて見えた。どうして竜崎はこんなときにいないのよ。あいつがいれば、信頼できる、腕利きの、少なくとも大人の探偵が控えている、という印象を与えることができるのに。そういえばあいつは、出張に行くとき、ついでに遠距離恋愛中の恋人に会ってくる、なんて能天気なことをいっていたわね。この仕事がうまく行かなかったら、給料下げてやろうかしら。

    「遺産とおっしゃられましたが、倉本さん、それは、どういう?」

     依頼人、倉本秀樹は、あたしの問いに、ぼそりぼそりとしゃべりだした。

    「宝石類のちょっとしたコレクションです。粒は小さいものから中程度のものばかりで、台座にもはまっていない、ばらのものですが、見事なカットがほどこされた高品質のものが選りすぐられています。売却すれば一億はくだらないのでは」

     そのトーンから、こちらに対する疑念が消える気配はなかった。幼く見えるこの顔が恨めしい。成人式は来年なのでしかたがないといえばしかたがないけど。

     倉本秀樹の話はこうだ。

     彼の父親である、倉本正治郎は、ガス管や下水管などに使う、パイプ製造業の商売を起こしてひと山当てた、立志伝中の人物である。商売に関しては幻想を見ない男だったらしく、息子に経営の才能がないことを見抜くと、区役所に就職させ、自分は会社をバカみたいな高値で売却して楽隠居を決め込んだ。バブル崩壊直前の出来事である。

    「父を恨んじゃいません。わたしが後を継がされていたら、三年で路頭に迷っていたでしょう」

     その後正治郎は、趣味の宝石集めに没頭して余生を送ったが、半年前に入院し、ついこの間、死亡した。

    「その遺言書が人を食ったもので……」

     倉本秀樹は顔をゆがめた。

     倉本正治郎という男は、人に、たいへんユーモアがあると思われたがった男だった。マイヤー・マイヤーの父親みたいな側面のある人物だったらしい。息子の倉本秀樹が神経質で四角四面の男になったのは、もしかしたら父親からオヤジギャグをのべつまくなしに聞かされていたからではあるまいか。

     その遺書にいわく。

    『……秀樹には、わたしの家と、コレクションした宝石を遺産として遺す。ただし、宝石は、目につくところには置かれていない。わたしの建てた家の、屋根裏のどこかに隠してある。探し出せればお前のものだ。他のものは全て処分した。処分しきれなかったがらくたは、茶だんすからこたつから手製の犬小屋までそちらに送ったが、家具の中に遺産が隠されているなどと思ってはいけない。相続税はすでに納付済みだから、遺産を受け取れるも取れぬも、ひとえにお前の頭脳にかかっている。自信がなかったら広辞苑でも読んで勉強しろ。では、健闘を祈る』

     ひどい親もあったものだ。

    「で、そのがらくたは?」

    「父が集中治療室へ運ばれたその日、引越し業者が持ってきました。おかげでうちは、現在、足の踏み場もありません」

     自分の家がそんな風になってしまったら、誰だって慌てる。

    「いったいなんでがらくたなんかをこっちによこしたのかと思って、葬式なんかの件もあるので父の家に行ったら……」

     倉本正治郎の家は、見栄えよりも、住みやすさと金のかからなさを選択した男によるものだった。猫の額ほどの借地に建った、小さな平屋建ての一軒家。

     そこが。

    「改築の真っ最中でした」

     半ば気分は「フッセリアーナ」に飛んでいたあたしも、そのひとことで現世に引き戻された。

    「なんですって?」

    「改築ですよ、改築。わたしが行ったときには、家が半分なくなってましたね」

    「秀樹さんのお母様は」

    「母はわたしが高校のころに亡くなりました。だから父は一人暮らしでした。同居していたのは、三年前に死んだ、柴犬のビリーだけでした。そうでもなければ、あんな好き勝手できやしません」

    「ということはその改築は?」

    「父の遺志です」

     ますますひどい親だ。

    「お父様は宝石を隠すために?」

    「そうとしか思えません」

    「工事が終わるのは?」

    「半年後です」

     倉本秀樹は沈痛な面持ちになった。

    「それまで待てない事情があるんです。妻が……知らないうちに先物取引で……膨大な損を出し……」

     珍しい話ではない。相場で大儲けしてこのビルを買った経歴のあるあたしは、いささかの後ろめたさを覚えながら、先をうながした。

    「設計図は見せてもらったのですか?」

    「もらいました。でも、ないんです」

    「ない?」

    「屋根裏なんかないんです。天井板がなくて、屋根がそのままがらんとした一間の空間の上に被さっている構造なんです。ちょうど山小屋みたいな」

    「最上階の部分はまるまる屋根裏とみなしていい、ということでしょうか?」

    「そうでしょうね。まず、わたしは建設業者に聞いてみました。父の意向で、なにか建材に埋め込んだようなものはなかったか」

    「それで?」

    「そんなものはない、と、言下に答えられました。そんなことをしたら、この家の構造では強度不足になる恐れがあるので、頼まれてもやらないと。なんなら、資材置き場に見に行くか、とまでいわれましたね。そんなの、素人が見たってわかるわけがないじゃないですか」

    「お父様はガス管とか下水管の会社をやっておられましたね。ガス管に隠す、というのは」

    「考えました。だが、設計図では、ガス管も水道管も撤去され、ついてなかったんです。この道楽のためにやったとしか思えません」

     あることに思い至って、あたしは机の引き出しから電子辞書を取り出し、キーを押して項目を読んだ。

    「コンクリートの土台に埋め込む、ということも考えましたが、取り出す手間を思うと、非現実的ですし、地面に埋めた、となると、遺言と矛盾しますし……」

     倉本秀樹は自分の考えをいっては打ち消し、いっては打ち消ししていたが、あたしには、どこにコレクションが隠されているかがわかったような気がした。

    「倉本さん」

    「は?」

    「なんで、お父様は改築なんかをなさったんだと思いますか?」

     倉本秀樹は質問の意味をつかみかねているようだった。

    「そりゃあ、家を改造して、宝石を隠すために」

    「思うんですけどね、お父様が家を改築なさったのは、家をそのままの形で秀樹さんに引き渡したかったからじゃないんでしょうか」

    「バカな! そんな逆説、聞いたこともありません」

    「話を変えましょうか。法隆寺を建てたのは誰か、という、古いパズルをご存知ですか?」

    「知りませんが、聖徳太子じゃないんですか?」

    「違います。『大工』です」

    「それがどうかしたんですか!」

    「お父様は大工でしたか?」

    「だから、下水管の製造業の社長ですよ。わたしをからかっているんですか?」

     やれやれ。まだ気づかないのか。

    「犬小屋は既製品ですか?」

    「いったでしょう。父の手製の……あっ!」

     あたしはゆっくりと両手を組んだ。

    「そうです。遺言に明記されていた、お父様が建てられた家とは、その犬小屋のことだったのでしょう」

     倉本秀樹は口許に右手を当て、真剣な表情になっていた。

    「犬小屋……そうだ。そうに違いない。でも待てよ?」

    「なにか?」

    「だめです。父はたしか、遺言書の中で、送りつけてきたものの中には宝石はないといっていたはずです」

     あたしが気づいていなかったと思っているのか。

    「遺言書をよく思い出してください。特にささいな言葉にまで気を配って。倉本さんのところに送られてきたのは、『がらくた』で、そのうち宝石が隠されていないのは『家具の中』です。広辞苑による定義では、『家具とは、日常の衣食住のための道具類』です。いろいろと異論はあると思いますが、犬小屋は、『家具』ですか?」

     倉本秀樹は、はじかれたように立ち上がった。

     その晩、あたしの事務所へ倉本秀樹から電話がかかってきた。宝石のコレクションは、木目調のプラスチックケースに詰め物と共に入れられた状態で、犬小屋の屋根の裏側にテープで貼り付けてあったそうだ。

     倉本秀樹は、電話口で何度も何度も礼を繰り返していたが、すでに相談料はもらっていたし、だいいちフッサールに没頭していたあたしにはどうでもいいことだった。

     竜崎も明日には戻ってくるだろう。戻ってきたら、この臨時収入を使って、イタリア料理でも奮発しようかしら。思い切って、「サイゼリヤ」のスパゲティペペロンチーノなんてどうかなあ。

     満ち足りた気分のときのあたしは気前がよくなるのだ。

     みんなそうだよね?
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    ~ Comment ~

    Re: 椿さん

    紅恵美「なんならミラノ風ドリアでもいいよ」(← 外道(笑))

    死ぬ前に一度書きたし本格ミステリ長編……。

    NoTitle

    恵美ちゃん……。
    最後の、「みんなそうだよね?」が可愛すぎです。
    サイゼの、しかもペペロンチーノ縛りですか(笑)
    そうでなくてはお金は貯まらないのですね! 勉強になります!

    遺産隠しものは結構好きです。宝探しなわけで、ミステリの中でもロマンがありますね。

    Re: 小説と軽小説の人さん

    面白がってやる、というより、酔狂ものの意地だと思います。遺産一億円をどぶに捨てるつもりで酔狂をしてみせたのです。

    恐ろしい親かもある意味(^^;)

    紅恵美ちゃんは、わたしがこしらえた登場人物のうち、一二を争う「ケチ」で「根性悪」な娘です。そうでないと探偵なんかやってられません。いや、探偵で財産なんか作れません(笑) そのツッパリぶりが作者のわたしにとってはかわいいんですけども、みんな「なんてイヤな女だ」と……(^^;)

    こういう事をする人って、面白がってやるのか、見つけて欲しいと思ってやったのかどちらなのでしょうね。
    読者としては、けったいな謎は面白いですけど。

    にしても、サイゼって(笑)
    くすねる気満々じゃないですかー
    • #9925 小説と軽小説の人 
    • URL 
    • 2013.02/11 22:57 
    •  ▲EntryTop 

    Re: 真城 青瑛さん

    いや、これは数寄者の最後の意地でしょう。

    こういう人に限って、「嫁さんはしっかりした人だから大丈夫」だと思って天国へ行ったりするものです。けっこう人間、大事なところで目が見えなかったりしますからねえ……。

    Re: 火消茶碗さん

    原稿に詰まったので、昔書いたものをUPしました。

    このお父さんは、最後まで酔狂者としての意地を張って生を全うできたんですから、けっこう幸せだったのではと思います。

    紅恵美ものにするよりも、お父さんの心理を中心にして書けば、一種の悲喜劇としてペーソスが漂ったかな、と今にしてちと後悔。

    ユーモアがある親父さまですね(笑)
    息子は大事だけれど、甘い顔は見せられないから、あえて偏屈な父親を演じて、仕掛けを用意したんですかねぇ

    だけれど、遺産はすぐに大損をした埋め合わせに使われたのでしょうか?
    と言うか、親父さんは息子さんがお金に困ることまで見越していたとか(笑)

    おとうさん。わざわざいろいろな段取りをしてから、入院したんですかね。もはや自分の死は覚悟していたと。
    どのタイミングで息子にガラクタ贈ろうと決めたんだろ。
    いよいよやばい!とおもってからなんでしょうかね。
    困ったおとうさんで。
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