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    幻想帝国の崩壊(遠未来長編SF・完結)

    あとがき「幻想帝国の崩壊の崩壊」

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    あとがき「幻想帝国の崩壊の崩壊」


    Q:はじめに、あれだけぶち上げて、作者としてのやる気もあった小説が、どうしてこのようになってしまったのかについてお聞きします。たしか一年かけて千枚の予定だったんでしたっけ?

    A:それが蓋を開けてみればだいたい四百枚というところだ。文章の量的にはもっと下だろう。しかし、こうなるしかなかったんだろうな、今のわたしでは。そうとしかいいようがない。

    Q:そう答えると思っていました。では、ここに至るまでの数々の要因についてひとつひとつお聞きしたいと思います。


    「皇子アヴェル・ヴァールについて」


    Q:彼は最初からああいう運命にするつもりだったのですか?

    A:もちろん。彼と続由美子のロマンスは書くつもりだった。もっと長くページを使うつもりだったが。

    Q:この小説を書く前の設定では?

    A:あの男を主人公に、何万年にもわたる冒険小説を書くつもりだったな、大学在学中は。相思相愛の皇女の幻を求めて生き続けるんだ。その設定は、ルジェのそれに一部使った。今となっては陳腐にすぎる。

    Q:それがどうしてああいうことに?

    A:物語の動因のひとつとして機能させるはずが、火がつくのが遅きにすぎたんだろう。ルジェの視点から書きすぎた。アヴェル・ヴァール視点で話を進めたほうが、物語にダイナミクスが生まれたかもしれない。だけれども、わたしにはこの皇子の内面がうまく書けなかった。皮肉屋で冷静なふりをしているが、内心はある意味激情家、という男を内面から書いたら、激情に溺れる人間であることが一行目からばれてしまうからな。もともとの構想段階というか妄想のころの冒険小説なら、そういう内面描写をしてもおかしくはなかったのだが。


    「ルジェとトリスメギストス師について」


    Q:ルジェについてお聞きしますが。

    A:皇子アヴェル・ヴァール視点で書こうとしてはつまづいた経験から、外部に視点を置いてみることにしたんだ。ある意味、観照者というところだな。とはいえ、続由美子の時代とは重ねることができなかった。良きにせよ悪しきにせよ傍観することしかできない男だから、彼を積極的に動かして物語を進めるという発想は初めからなかった。トリスメギストス師についても同じことだ。彼ら二人については、使いかたを完全に間違えたかもしれない。

    Q:トリスメギストス師ですが、あの人は物理帝国時代に生まれた新人類の第一号ということになってますね。

    A:最初のころは物理帝国の終末を見ていた人物、としか決めていなかったが、物語の流れでああなった。ルジェと同様、この小説をブログに書き出してから人物造形をしていった人物だ。トリスメギストスというのは、グノーシス主義の創始者といわれる、ヘルメス・トリスメギストス(三重に偉大なるヘルメス)から採用した。「三重に」というところに惹かれたということもあるけれど。

    Q:いまいち両者とも印象が薄いですね。

    A:もとの構想段階からいた人物じゃないからな。「結晶楼閣」そのものについては、おぼろげなイメージをもとに大学在学中にショートショートを書いた。今は散逸してしまって存在しないが。外部からの攻撃を受けて結晶楼閣が崩壊してしまう話だ。本来の構想では、その攻撃してくる存在が「統制官運動」だとするつもりでいたが、結局はあのように改変せざるを得なかった。ちなみに結晶楼閣のここでのイメージは、ウィトゲンシュタインが「論理哲学論考」を書いていたころに想像していたらしい「論理神学」とも呼べるイメージを採用している。まあわたしも入門書を読んだだけだが。


    「統制官運動について」


    Q:そのことですが、統制官運動って、なんだったんですか?

    A:すべてを文字と言語に変換し、意味を明確化して、そのうえで機能的なシステムに再構築しようという運動だ。フレキシビリティを国是とする幻想帝国にしては完全に物理帝国の発想のそれだ。そのために国家経営のシステムが硬直化し、動脈硬化を起こし、破綻をきたした、というのがわたしのこの小説における史観だ。

    Q:しかしそれだと……。

    A:もちろんだ。すべてが言語でできているスヴェル・ヴェルームの存在が二重に転倒してしまう。そもそも、それがSVELという言語の理解不能さで世界を統治しようともくろんだ現代日本のころの転倒を意味しているのだが。

    Q:現代日本が出てきましたね。SVELについては単なるガジェットでしょうから質問はしませんが、ほかのことについてお聞きします。

    A:ほかのことっていったらあれしかないよなあ。いいよどんどん聞いてくれ。


    「続由美子について」


    Q:本作のヒロインである続由美子ですが、彼女もああいう運命をたどることは?

    A:最初から決めていた。もちろん、大学在学中の構想段階では違う。

    Q:そのころはどのような人物のつもりだったのですか?

    A:SVELを開発した天才言語学者のつもりだった。現代日本から、SVELを通して未来にからんでくる。

    Q:それがどうしてこんなことに?

    A:どうやって未来にからんでくるのかがいつまでたっても不透明だったからだろう。わたしには、この続由美子という人物をどう使えばいいかそのころはわかっていなかったんだ。そのくせ、続由美子自体はわたしの中でこの小説のヒロインであり続けたのだから、なんというのかもう、惚れるというのは恐ろしい。

    Q:それにしては、ヒロインとしての魅力に欠けてますね。

    A:わたしの筆力が足りなかったせいだな。アヴェル・ヴァールとのわずか三日の逢瀬でめろめろになってしまうという点から、尻軽な女だと思われてしまったかもしれない。もっと気をつけて使うべきだったと思っている。だが、ここで断っておくが、続由美子とアヴェル・ヴァールが出会うまでにはもっと長い期間をかけるつもりだったんだ。本来なら、断片「×60」あたりで出会って、死ぬのは「×90」のころだったはずなんだが……。

    Q:それがどうして、あそこまで早くに?


    「詩人と砂河鹿について」


    A:第三の軸として設定した詩人の視点からの物語が、早く進みすぎたんだ。すべてが崩壊した後の世界をじっくり進みながら真実に近づくはずだったのに、あれよあれよという間に砂河鹿はしゃべり出すし、隠者は現れるし、スヴェル・ヴェルームと幻想帝国の歴史はこれ以上書いたら第一の軸でアヴェル・ヴァールが何か手を打つだろうというところまで明らかになってしまうし、と、こちらのコントロールがきかなくなってしまった。綿密なペース配分を怠ったわたしのミスだ。

    Q:詩人も構想段階から存在した登場人物なのですか?

    A:もちろん。皇子アヴェル・ヴァールの冒険小説というものが最初に頓挫して、別の視点から物語を書けばうまくいくんじゃないかという思いがあった。すべてが崩壊した後の世界で、詩人と醜い歌姫が……そのころは単に「河鹿」と呼んでいたが……が、巡礼のような旅をする話を考えてみたんだ。

    Q:それがなぜ頓挫したんですか?

    A:わたしがそこで書きたかったのは、「神がリアルな存在として死につつある世界と、その破滅そのもの」だったからだ。口でこういえば簡単だが、この構想には無理がありすぎた。なぜなら、「神がリアルな存在として死ぬ」って、どういうことだ、という問いにわたしは答えることができなかったからだ。今だって無理だ。頓挫して当たり前だろう。

    Q:砂河鹿についてですが。

    A:スヴェル・ヴェルームの「情報」の余波を受けて、人間のそれ以上の歌を歌うことができるようになった歌姫だ。本来だったら詩人と組んで荒廃した世界を歌って歩く重要な人物になるはずだったのだが、書いているうちにこうなってしまった。内心忸怩たるところだ。

    Q:それでは、また切り口を変えますか。生ける皇宮スヴェル・ヴェルームって、なんだったんです?


    「生ける皇宮スヴェル・ヴェルームについて」


    A:構想のはじめとしては、人間が、人間には高度すぎて使用不可能な言語を使うコンピュータを作り、それが成長して神になったものというイメージだった。もちろん、大学在学中の妄想段階の話だ。それが、詩人が崩壊した世界を放浪する話の段階では、「ラヴクラフトの描く邪神が死んだような存在」にまで変化してしまった。当時のわたしが、スヴェル・ヴェルームについて曖昧模糊としたイメージしか持っていなかったことが一発でわかる。それから延々とスヴェル・ヴェルームについて考えるうち、「スヴェル・ヴェルームは神ではない」ことが出しぬけにわかってしまった。皮肉なことに、「これなら『幻想帝国の崩壊』が書ける」と思ったのがそのときだ。

    Q:あの妙な思想がかかわってくるわけですね。そのことについてもお聞きします。作中のあの思想、いったいどこまで信じているんですか?


    「決定論について」


    A:あそこで議論されている、というか、自分では議論したと思っている思想についてのことなら、わたしは完全にそれを信じているといっていいだろう。物理的因果関係による自由意志の存在の否定は、「決定論」と呼ばれ、「自由意志論」と長いこと論争を続けているが、いまだに決定的な回答は出ていない。わたしはアマチュアにせよ小説を書くものとして、哲学科在学中は決定論に対して反発を覚えてきたが、中退後スピノザの「エチカ」を読んで、深く共感することになった。今では、決定論はこの自由意志の存在非存在の問題に対するそれこそ「決定的」な回答だと思っている。

    Q:自由意志が存在しない、というのは行き過ぎてはいませんか?

    A:それについての議論を主だったところでも書きだしたら、それこそ哲学の専門書が一冊書き上がってしまうだろうな。そのくらいの難物な議論が、哲学の世界では繰り広げられている。中退者のわたしがどうこういえるものではないからここでは行き過ぎているかどうかは書かない。わたしがこの小説で主張したかったのは、「宇宙が決定論的に閉じていると仮定すれば、人類が神ではなく、人類の進化の末に神になったり高次の存在になれるわけもなく、神を作り出せるすべもない」という事実だ。神の本質を、「自由意志」と置くことで、わたしはこの難問にひとつのアプローチを試みたつもりだ。すでにある議論かどうかは知らないがね。

    Q:それにしては夢も希望もなにもない憂鬱な思想ですね。

    A:哲学を愛する人間が愛しているのは、夢や希望やなにかではなくて、「真実」だからな。それが常識といくら乖離していても憂鬱極まりなくても、それが真実だったら受け入れる。そういうものだ。そしてわたしは決定論を真実だと考えている、というだけの話だ。この小説で、人間には理解できないまでに高度な言語を使える存在があったとしてもそれは神ではなく基本的に人間と変わるところはないことは語った。決定論には、他にも倫理に関わる問題、例えば、自由意志が存在しなければ、「責任」はどうなるのか、ある人間が他の人間を殺したとしても、それは様々な要因が機械的に引き起こした事故のようなものだから責任は問われないのではないか、などといった興味深い議論もあるが、それについてはここでは書かない。いくら書いても足りないと思われるからだ。

    Q:世界が全て情報だということは?

    A:実際のところは、「宇宙の全ては物質的存在の位置と状態の情報として記述可能だ」という確信だ。もちろん不確定性原理についても知っているが、究極のところでは、宇宙がこういう形で存在するという時点で、宇宙は宇宙というキャンバスの上に記述が可能だと思っている。わたしはそういう意味で一元論者だ。全てが情報だとしても、情報以外の確固としたなにかが実在するとしても、人間にはそれらを区別するのは不可能だろうし、無意味な問いだろう。情報の高密度な処理が特異点を形成してうんぬんというのは単なるSFとしてのトリックというかアイデアだから、信用してはいけないのはもちろんだが。

    Q:そういうことが書きたかったんですか?

    A:思いついたら書かざるを得なかったというのが正しい。そこらへんはいつものわたしのパターンと同様、結論向かって一直線、という書き方になってしまった。バランスを崩したのもそのせいかもしれない。


    「構成について」


    Q:思想についてはこのへんにしておきます。話を変えますが、どうしてあのような形式になったんですか?

    A:滅びに向かう道をじっくり書いて行きたかったからだ。話のスパンが長すぎるため、ひとつの視点ではカバーしきれない。長編を三つ書いてもよかったんだが、各話には連関を持たせたかったのでこうなった。断片形式になったのは、筒井康隆先生の「驚愕の曠野」からの影響が大きい。あの作品はすごい。

    Q:その他に影響を受けたのは?

    A:ジョン・スラデックとバリー・マルツバーグ。よく考えてみれば、影響を受けてはいけない人からばかり影響を受けているなあ。

    Q:聖書の一節については?

    A:はじめから入れることを決めていた。今にして思えば、最初にも一節を引いておくんだった。しかし、土浦の図書館には文語訳聖書がなかったのだ。引用はネットからやった。ちょっと後ろめたい。


    「小説について」


    Q:この小説に満足していますか?

    A:不満足だ。不満だらけだ。だけれども、今のうちに、体力があるうちに書いておかなければ、という思いはあった。小説は、最後まで書かないと評価してもらえないというあせりもあったな。

    Q:あせりですか?

    A:わたしも若くないということだ。それだけでわかるだろう。この齢になれば、十年経てば人間は変わる、ということがリアルなものとして実感されてくるんだ。イヤな具合に。

    Q:あまり突っ込まないことにします。最後に、神は存在すると思っているかどうか、正直なところを教えてください。

    A:神は宇宙だ。事物の総体だ。目の前に宇宙がこうして広がっている以上、それを「神」と呼んでなにが悪い、とスピノザ先生だったらいうだろうし、わたしもそう思う。

    Q:ありがとうございました。

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    ~ Comment ~

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    Re: ダメ子さん

    問題があるとしたら、自分の意志の背後に他の「意志を持つ存在」を置いて自由意志の証明にしようとしたら、「無限後退」に陥ってしまうことではないでしょうか。われわれのレベルでの自由意志の議論が、そっくりそのまま全部、背後の世界で繰り返されてしまい、「因果的必然」の連鎖の一部になってしまうのです。

    背後の世界にいるそれらが「神」であるとの仮定もできますが、そうだとしても「自由意志」がなんたるかについてはわれわれには理解不能であることには変わりがないような。

    かくして話はよりぐちゃぐちゃな世界へ入って行くのであった! バーン!(効果音)

    不確定性原理だと確率の発生の仕組みは知りえないので
    例えば、裏の部分で私を使ってるプレーヤーが
    60%しかない海行く券をゲットしようとがんばってたり…
    ってことを否定することはできないんじゃないかなあと
    思いますです

    それが私の自由意志と呼べるか微妙だし(呼べないか)
    そもそもわざわざそんな仮定をする必要性がないですが

    というか、どっちにしろ知りえないんだったら
    確率情報が根本ってことでいいかw

    Re: ダメ子さん

    不確定性原理により神がサイコロを振っているのが正しいと、人間は「確率の奴隷」になってしまうのであります。

    例えば、「夏休みに旅行に行くとき、海へ行くのが60パーセント、山へ行くのが35パーセント、やっぱり考えを変えて家でごろごろすることにするのが5パーセント」な反応をする人間がいたとしましょう。

    この人間を300万人、クローンかなにかの技術で完全コピーし、すべて同じ条件「夏休みで、旅行に行くつもりになっている」という状態に環境を整えたとします。

    そうした場合、近似値としてこの300万人の人間のうち、1800万人は海へ行き、1050万人は山へ行き、150万人は家でごろごろしている、という選択をする、という結果が出てくるはずです。実験の回数を多くすれば多くするほど、この値は60パーセント、35パーセント、5パーセントに近くなっていくはずです。

    そうした場合、「行為者の意志」ははたしてどこにからんでくるか、というのが問題です。神の振るサイコロに合わせて、機械的に反応しているだけではないのか、と、自由意志の否定論者はいうことでしょう。

    これもまた厄介な問題で、哲学の世界では延々と議論が行われています。

    自由意志は果たして存在するのかしないのか、自由意志論者には分が悪いのではないかと思えてなりません。

    やっぱりわれわれは神学的ゾンビじゃないのかなあ。

    私は実証主義的なので見つからない自由意志は
    ないものとしておいてはいるけれど
    不確定性原理から人間の延長では
    ないことは実証できないのかなあと思ってますです
    とはいえ自意識過剰な私はある意味ではデカルト的な
    私を信じてるとも言えるけど…

    まさか相手が皇子だったとは…
    でも二人が会えたのは良かったのかな?
    とこれも情報の掌の上なんだろうけど…
    皇宮の崩れる様子とか映像で見たくなる話でした

    えっと他にも何か書こうかと思ったけど
    難しくてうまく書けなかったので
    これぐらいにしますです
    この文章も決まっていたことだし…w

    Re: 矢端想さん

    面白いとおっしゃってくださってどうもありがとうございます。

    これはもうなんというか、「いい年の今になって書いた若気のいたり話」みたいなものだったりするので、ちょっとしばらく距離を置こうと思っています。

    書き直したいのはやまやまですが、なにをどう書いても恥ずかしくなる、そんな精神状態なので。

    しばらくは小説から離れるかもしれません。たはは(^_^;)

    どこに書こうか迷ったので、とりあえずここに。

    まずは完結おめでとうございます。

    ラスト、まさかあんな意表をつく展開になるとは。まさにセンスオブワンダー。
    しかもその先にはさらに「はじめにことばあり~」で済ませてしまう(ヘタすれば読者をコケさせてしまうw)とんでもないオチ(?)

    この世に存在するすべては記述可能な情報(=言葉)。そして情報の集積は現象としての物質にも転換できるというのか。少年少女の肉として。彼ら二人の生がもともと情報によって存在したのであるなら、なんら不思議ではない。
    やはり僕は「色即是空」が頭から離れません。それは僕に多大な影響を与えている世界観です。

    これだけでも充分世に問える作品だと思いますが、今後ライフワークとして「完全版」を目指して欲しいところです。今作は荒っぽい分、解釈の幅を大きく残しているところが値打ちかも知れないですが。
    面白かったです。

    Re: 火消茶碗さん

    情熱だけで書いたのはやはりまずかった、という。

    あのふたりの少年少女が、生ける皇宮の嫡子としての正当性を主張できるかについては、この小説の中で語れることではないし、語ることでもないと思っています。むしろ嫡子としての正当性の有無は、この小説の「外部」で語られることではないかと。

    そういう意味で、この小説の描く未来像は閉じているか開いているのかも、読者の想像にゆだねられています。

    断片XXXの最後で、「出力終了」という言葉が出てきたことからもわかるように、この文書は単なるなにかのアウトプットにすぎません。そういった観点からすると、この小説自体が「信頼できない語り手」の語るそれであるともいえます。

    はぐらかしているようですが、そうとしか語りようがないのであります。

    作品に不満足なことは事実ですが、今のところ改稿も続編も考えられる状況にはないですね。なにせ疲れ果てているので……。

    正直なところ、体力を根こそぎ奪う長編SFはしばらくやめて、軽いショートショートに走ろう、などと考えていたりもします。

    それでも書くことがあるとしたら……わたしがどうしようもないくらいのオールドタイプのSFファンだ、ということですね。そして因果はめぐる。

    これまで長いことこの小説を読んでくださってありがとうございました。

    読ませていただきました。

    正直、難しかったです。
    作者の情熱は伝わって来ました。力作といっていいと思います。

    生ける皇宮という言葉の使い方から、ああ、皇宮は死ぬのだな、そして子を残すのだな、と思ったのですが、最後の二人がその子供という解釈で正しいのでしょうか?

    この作品に不満足ということは、改定や続編は考えているんでしょうか?

    見当はずれな質問だとしたらすみません。
    長編を書けない人なので、そのへんはお許しを。
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