「ショートショート」
    SF

    多摩の休日

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     わたしはこの娘をどうしたものか扱いかねていた。

     若い娘なんだから化粧のひとつもしろ、といいたくもなるようなすっぴんの顔、ぼさぼさの髪、そして着ているものといったら、男物のジャージに運動靴である。これじゃ、下着も男物じゃないかと邪推してしまうが、胸のふくらみの位置から見れば、それもありえない話ではなかった。どう見たって、これはノーブラだ。

    「記憶はまだ戻らないのか?」

    「うん……よくわからない。ここは、だいたいどこらへん?」

     わたしはいらいらしながら、電柱に貼り付けられた文字を示して見せた。

    「多摩だよ。多摩センター。どこから歩いてきたんだか知らないが、親御さん、きっと心配しているぞ。そのジャージの汚れ方からいうと、夜通し歩いてきたんだろうけどな」

    「夜通し……?」

    「そんなところから記憶がないのか。警察に行ったほうがよさそうだな、こりゃ」

     わたしは天を仰いだ。そのとたん、娘は瞳におびえた色を浮かべ、取りすがってきた。

    「警察……警察はやめて。警察、怖い。怖い……」

    「離れろ。わかった。警察はとりあえずやめる。だから、とにかくわたしに抱きつくのはやめろ。このままじゃ、完全に不審人物だ。所持金は? ……ないな。あったら、歩いたりしないで電車やバスやタクシーを使って移動しているもんな」

    「あの……おじさん?」

    「そのいいかたはちょっと背徳的だからよしてくれ。秋葉先生、とか、講師、とか呼んでくれ。そうすれば、なにかあったとしても、講師と教え子の大学生でいいわけが……きくとも思えないが、いいわけをしようとしたことで残念賞くらいはくれるかもしれん」

    「じゃ、講師」

    「なんだ」

    「頭がぼさぼさだから、なんとかしたいんですが」

     わたしは頭を抱えた。悪いことに、わたしの財布はいつもよりいくらか膨れていた。

    「立て替えておくが、後で代金は払ってもらうからな」

     わたしは目に留まった美容室に娘を連れて行った。



     平凡な大学講師であるわたしが、その娘を見かけたのは、徹夜マージャンから始発電車で帰ろうとしていたときのことだった。大勝ちの余韻を快く噛み締めながら、まだ暗い早朝の道を歩いていると、うつろな目をして歩いているこの娘を見かけたのだ。

     そのまま無視して行き過ぎればよかったのだが、その身なりと歩き方からは、どこか尋常ではないものが感じられた。わたしは、思わず声をかけていた。

     で、その結果がこれというわけだが。

     ……まだか。美容室の待合室で、三十男がつまらぬ女性誌を読みながら時間をつぶしているというのは異様な光景であることくらいわかっている。しかし、あの娘が心配だ。わたしは世話焼きに過ぎるのだろうか。別れた彼女にも、それが原因で愛想を尽かされたんだった。いやな思いをしながら、スターの乱れた私生活に関する記事を読んでいると、声がかけられた。

    「あの……講師?」

    「遅いぞ」

     わたしは女性誌から顔を上げ、目を見張った。わたしがかつて見たこともないような美少女が……いや、体格からすれば美女といっていいだろうが、そんな美少女が目の前に立っていたのだ。

    「お前、いったいいくつだ」

    「よく覚えていない……」

     もし十七以下だった場合、わたしは不審者を通り越して犯罪者扱いされかねない。体格から、女子大生かOLと見当をつけていたが、もしかしたら高校生かも。全身に寒気が走った。

    「きみ」

    「なんですか?」

    「これが終わったら服を買いに行くぞ。ジャージ姿じゃ、完全に不審者だ」

     わたしは財布から一万円札が次々と羽根を生やして飛んでいくのを思って涙した。



     大手スーパーが近くにあったのは幸運だった。ほしいもの以外はなんでもある、と揶揄されがちなスーパーだが、わたしがほしいのは、一見したところ不審に見られない上下ひとそろいと、脱いだジャージが入る紙袋だったので、それでよかったのだ。

    「サイズはわかるんだろうな?」

     女子の下着のサイズなんて、わたしにわかるわけがない。前の彼女とは、そこまでたどり着かないうちに別れてしまったからだ。それに、下着のサイズを思い出すことで、娘が自分の過去についての記憶を取り戻してくれれば、という思いもあった。

     娘は良心的だった。一番安い下着と、上着と、スラックスと、靴下と、靴と……そういうのを選んだうえでの万札の飛び方を考えると、ファッション業界に対して文句のひとつも飛び出してくるというものだ。

    「あいにくだが風呂はあきらめてくれ。わたしはこのキャリアを棒に振りたくはない。貧乏な学者は、生活の資を得るための手段も限られたものなんだ」

     わたしはマクドナルドのテーブルで一番安いセットふたつを囲みながら、娘に意見した。

    「そもそも、まったく自分のことについて覚えていないというのは、嘘なんじゃないのか? きみは、自分のサイズについて知っていたし、その服を見ると、コーディネートのセンスも、暑くもなければ寒くもない服を選ぶ選択眼も持っている。ここまでかかわった以上、怒る気も叱る気もないから、安心して話せ。きみはいったい、どこの誰だ?」

    「よく覚えていない……」

     またか。わたしはフライドポテトの最後の一本を口に入れてから、娘に指を突きつけた。

    「そこを思い出してもらわないと困るんだ」

    「思い出せないけど……」

    「けど?」

    「このあたりを歩き回っていれば、何か思い出せるかもしれない」

    「このあたり?」

     娘は窓の外を指差した。わたしは、この休日に、多摩全土を歩くことを思って、どっと疲れが出てくるのを感じた。



     それでどうしたかといって、わたしに足が棒になるまで多摩市内を歩き回ること以外の何ができたというのか。

     まあ、隣にこのような美少女を従えて多摩を案内することが楽しくなかったといえばうそになる。女に縁のない生活を送っているとこうなるのだろうが。

     コンビニで甘いものを買い、食べながら、うららかな日差しの中を散歩するというのもなかなかいいものだ。桜の季節ということもあり、見るものには不自由しなかった。

     それでも。

    「いいか、きみがいくら嫌だといっても、日が落ちて何も思い出せなければ、わたしはきみを警察に連れて行く。わたしは明日、講義があって、本来ならば今日はその下準備でひいこらいっていなければならないんだから」

     娘は神妙な顔でうなずいた。

    「……うん。わかってる」

     わたしはその表情といいかたに、なんとはなしに胸が締め付けられる思いがした。それほどまでに、その声はさびしげだったからだ。なにを考えている、わたしは自分にそういい聞かせた。こんな小娘ひとりのために、生活のすべを失ってもいいのか。

    「秋葉先生」

    「な、なんだ」

    「わたし、日が落ちるまでに、思い出します。絶対。ご迷惑はかけません。だから、今は、このまま」

    「このままにする以外にどうしろというんだ」

     わたしは答えたが、身体の中の血液が、顔のほうに集中してくるのをなんとすることもできなかった。ほほの辺りが妙に熱いのだ。

     気の迷いだ。六根清浄。わたしは先に立って歩き始めた。娘が駆け寄り、わたしの腕を取った。腕を振りほどくのもあんまりなので、わたしはそのままにしておいた。



     午後四時をまわった。あと二時間もすれば、日が落ちる。わたしたちは、病院を近くに臨む桜並木の下で、ぼんやりと傾いていく太陽を見つめていた。

    「秋葉先生」

     娘がぽつりといった。わたしはふっと顔を上げた。

    「なんだい」

    「あの病院に行かせてください」

    「かまわないが、きみはあの病院の入院患者かなんかだったのかい」

     わたしはそう尋ね返した。そうすると同時に、いくつかの要因が、ぱちりぱちりとはまって行くのが感じられた。似合わないジャージを着ていた点、夜道を長いこと歩いていた点、その他その他が、病院の脱走患者と仮定すると符合してくるのだ。

     だが。

    「あの病院は、脳外科だぞ。最近の脳外科は、長距離を歩けるような人間を入院させておくのか?」

    「すべて話します。だから、一緒に行ってください」

     わたしは気おされるものを感じ、娘とともに病院へ向かった。

    「あなたは、宇宙生物というものを、信じますか?」

    「何かと思ったら宇宙人か。変な理屈をつけるんだったら、もっといろいろな」

     わたしがまぜっかえそうとしたのを、娘は遮った。

    「この娘は重度のガス中毒でこの病院に運ばれてきました。酸素の欠乏で、脳細胞のかなりの部分にダメージが残り、廃人となるのは避けられませんでした。そういう存在ほど、わたしにとっては扱いやすいのです」

    「どういうことだ?」

    「わたしはある程度高度な神経細胞を持つ生物に寄生して情報を得ることで生きている寄生生物です。寄生とはいっても、その生物としての構造上、寄生した状態で長時間自我を保ち続けることはできません。わたしの身体を構成する蛋白質は、脳や神経を再生させることで情報を得ますが、その過程において宿主のそれと同化してしまうのです」

     わたしは鼻で笑った。

    「それは意味が通らない。それじゃ、子孫を残すことも捕食をすることもできないじゃないか。そんな生物が寄生して、いったい何の得があるというんだ」

    「わたしは、同化した生物の感覚器官が感じた刺激や、情報システムが構成したイメージを、遠く離れた母体に送信することで、母体に、あなたがたの言葉でいう、娯楽、を提供しているのです。いわばこれは、わたしの母体にとっての、休日、なのです」

     娘はわたしの前で立ち止まり、唇に軽くキスをした。

    「あなたにできる返礼は、これしかありません。事故前のこの娘には、恋人がいました。相思相愛の恋人です。しかし、わたしはこの娘を裏切った。あなたに会ってしまったからです。わたしとこの娘は、完全に重なるようでいて重ならない部分もあります。わたしは今は完全に思考することができます。この娘の脳細胞が、かなりの程度まで修復されたからです。しかし、修復が完全に行われると、わたしはこの娘の思考に飲み込まれ、完全に一体化してしまいます。わたしは……」

    「やめろ、そんなでたらめなことをいうのはやめろ!」

     わたしは娘の手を捕らえようとした。娘はするりとわたしの手を逃れ、病院へ向かって走り出し……くず折れた。

     それからなにをしたかって? 気を失った娘の身体を担ぎ上げ、病院の門をくぐったに決まっているじゃないか。診療時間はすでに過ぎていたが、娘の顔を見た瞬間、飛び出してきた看護婦は真っ青になり、五分後にはわたしは病院の一室で、駆けつけてきた警官に職務質問を受けていた。

     わたしはスーパーと美容室のレシートを叩きつけて病院を後にした。調べたいんなら勝手に調べろだ。病院の外はすでに真っ暗になっていた。ポケットに手を突っ込み、後ろを振り向きもせずに歩き始めると、まだ肌寒い春の風がわたしのほほを嘲るようになでていった。

     休日は終わったのだ。
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    ~ Comment ~

    Re: 宵乃さん

    「真実の口」で、アドリブであの演技をぶつけたグレゴリー・ペックはひどいやつだ(笑)

    だからそれをほうふつとさせるネタも入れるはずだったのだけれど、すっかり忘れてしまったであります。

    ちょっとそれが心残り(^_^;)

    NoTitle

    お~、切ない終わり方が素晴らしいです。
    わたしも哀愁漂う背中を想像してしまいました。
    「ローマの休日」を観て書かずにはいられなかったんですね。わたしもイラストを描きたい衝動に駆られたし、なんとなく気持ちはわかるかも。

    いつか回復したお嬢さんと再会して、この日の事を覚えてなくてもいいから、笑顔で挨拶を交わすような未来を想像してしまいました。

    Re: YUKAさん

    あの作品、見た後でここまで影響を受けるというのは、やはり名作なのかなあ(^_^;)

    グレゴリー・ペックがポケットに手を突っ込んで宮殿を後にするところが妙に印象に残ってます。あの映画はそういうエンディングだからいいんです(^_^)

    果たして作中の秋葉講師に待っているのは、苦い結末のままなのか、甘い結末なのか?

    リドル・ストーリーになっちまった(^_^;)

    自炊日記を読んでからの多摩の休日だったので
    あ、ローマの休日?と思ってました^^

    面白かったです。
    どうなるんだろうと思いながら読み進めてましたが
    ポケットに手を突っ込んで、なんとなく背中を丸めて歩く感じを想像しました。
    最後にちょっと切ない感じでしたね。
    真実はわからないところがいいのかも。
    こういうお話好きです^^

    すでに23時を回り。。。
    私の休日も終わりを告げようとしてます(笑)

    Re: 矢端想さん

    すまん、ヒドゥンを見ていないので、どうボケればいいかわからないのだ!(ボケること前提(笑))

    ガジェットのアイデア的には「20億の針」とティプトリーJr.の一編を参考にしました。

    なにせ実体験に乏しいのでどうしてもドライにあっさりと……(汗)

    意外と長い!

    どんなロマンチックな、あるいはどんな鮮やかな真相が・・・とワクワクしながら読みましたが・・・なーんだ、ヒドゥンだったか(違う)。ちょっと残念。
    こういうさらりとドライな終わり方も嫌いじゃないですが。
    でも物語の続く可能性を残している気がします。

    Re: limeさん

    先にも書きましたが、この小説は元ネタが「ローマの休日」ですので、男はふられる運命にあるのです。

    わたしががらにもなく悲恋ものを書こうとするとたいていこういうわけのわからないものに……(^^;)

    Re: らすさん

    きちんとけりをつける終わらせ方ができなかっただけという話も(^^;)

    結果として、いろいろと想像させる余地ができたからいいか!

    ケガの功名(^^;)

    Re: 火消茶碗さん

    どうなんでしょうねえ……。

    こういう話は束の間のことだから良い、というのもありますし。

    うむむ。(^^;)

    Re: 山西 サキさん

    元ネタが「ローマの休日」ですからねえ。

    最後の先生のシーンはグレゴリー・ペックのそれです。

    ……にしては雰囲気が出ない(^^;)

    ロマンチックで物悲しい、いいラブストーリーですね。
    こういうの、好きです。

    私は、この寄生生物の話を信じます^^
    そのほうが素敵だから。

    休日は終わったのだ。

    いいですね~。
    あまりにも短い、淡い恋物語です。

    こんにちは(´∀`)

    面白かったです(*^^*)
    途中からSFっぽい話になってきたと思いましたが…

    彼女が語る話が本当なのか、嘘なのか、
    その真偽を読者の想像に委ねる終わらせ方も良いですね(*^^)v

    読ませていただきました。面白かったです。

    以下、妄想。
    実は娘は恋人に振られ自殺未遂。
    もう一度死のうとして病院を飛び出し、あてもなく街をさまよう。
    男に親切にされる。記憶喪失と嘘をつくが、死ぬ気がなくなる。
    病院に戻る時、男にさらなる大嘘。(宇宙人?)

    その後、きっと男を探して、嘘をあやまりいい仲に。
    だといいな、と思ってしまいました。
    そうでないと、男がかわいそうで。

    とても面白かったです。
    こういうストーリー大好きです。
    六根清浄…ですか、いいですね!
    でも本当に宇宙生物だったんでしょうか?
    先生を応援してしまいますが、
    休日は終わったんですね。

    サキ
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