「ショートショート」
    ファンタジー

    お帰りなさい

     ←今日はわたしは早く寝るのだ →今日はなんの日?
    「ただいま」

     ぼくはそういって、アパートのドアを開けた。出迎えてくれたのは静寂だけだった。

     こんなはずではなかったのだ。少なくとも、二年前の冬の日までは、ぼくを出迎えてくれるふたつの声があった。酔っ払いが運転していたワゴン車が、妻と娘をコンクリート壁に押しつぶすまでは、ぼくの生活もこんなに灰色ではなかったのだ。

     靴を脱いで、がらんとした部屋に入った。ふたりの持ち物は、ほとんどを処分した。断腸の思いだったが、そうしないと、ぼくは自分がだめになることを、うすうすながら感じ取っていたのだ。思い出はいつだって、現実よりも甘く暖かく、そして淋しい。淋しさ以上に、人間を閉じ込めるのにかっこうの牢獄はない。

     お湯をわかして、ぼくはカップ麺を作った。そのまま、コタツの上に置いてあるパソコンの前に座り込む。インターネットのオンラインゲームにのめりこむことで、ぼくは悲しみを忘れようとした。その試みは、まず、八割がた成功していた。

     いつもの通りにサイトにアクセスすると、エラーメッセージが出てきた。なんてことだ。ぼくはぶつぶついいながら、なにか復旧までに暇をつぶすものがないか、パソコンのファイルから適当なゲームを探した。

     ふと見ると、『sound』というファイルがあった。覚えがない。消し忘れたファイルだろうか。とりあえずぼくは、再生してみることにした。

    「おかえりなさい! もういちど、ね、クミちゃん」

    「おかえりなさい!」

    「録れてるかしらね。パパに、見てもらいま」

     間違いなく、妻と娘の声だった。オンラインゲームで二重三重に作っていたぼくの心の防壁は、そのわずかな量の音声データだけでもろくも崩壊した。ぼくはモニターを抱きかかえるようにして泣いた。



    「仕事の時くらい、ICレコーダーを聞くのをやめて、イヤホンを耳から外すべきじゃないの」

     智香がいった。同僚のOLである。

    「仕事はきちんとやってるよ。文句をいわれる筋合いはないさ」

     ぼくは答えた。

    「そういわれたらそうだけど……何が入っているの?」

    「死んだ女房と娘の声だ。エンドレスで聞いている。聞くと仕事がはかどるんだ」

    「入谷くん、ちょっと!」

     課長が怒鳴っていた。ぼくはなごり惜しさを覚えつつ、イヤホンを耳から外して課長の席へ行った。

     たっぷりと小言を食って帰ってくると、智香が真っ青な顔をしていた。

    「どうしたんだい?」

    「奥さんとお嬢さんは、なんていってるの?」

    「え? そりゃ、『お帰りなさい』って。パソコンにデータが残っていたんだ。それより、きみも仕事に戻れよ」

    「戻るけど……ね、今夜飲まない?」

     ぼくは首を振った。

    「いや、家で二人の声を聞いてるよ。さあ、仕事、仕事!」

     ぼくはイヤホンをし、書類の山との格闘に戻った。



     三日後、急に会社の飲み会が入ることになった。ぼくとしては、家でパソコンの音声データを聞いているほうがよかったのだが、会社員としてはそうはいかない。

     無礼講、という建前だったが、やっぱりここでも課長が偉いのだった。サラリーマン社会というのはそういうものなのだ。

    「入谷くん、きみはいつもなにを聞いているんだね。ちょっと聞かせてくれはせんかね」

    「ですから、死んだ女房と娘の声ですよ。課長が聞いたってつまらないと思いますよ」

    「そんなことは、ないっ!」

     課長はそうとう酔っているみたいだった。ビールを三杯しか飲んでいないのに、酩酊度合いがすごい。なにか嬉しいことでもあったのだろうか。

    「だから、きみ、聞かせてくれたまえ!」

    「はあ」

     ぼくはいやいやながらイヤホンを外し、課長に渡した。

    「ほう! 『お帰りなさい』か! ……いい奥さんだったんだろうなあ」

     課長は、ちょっとしんみりしたようにいうと、ぼくにイヤホンを返してくれた。ぼくは耳にはめた。

    「とにかく、今日は飲め! 入谷! 奥さんに乾杯!」

     あまり気は乗らなかったが、ぼくはビールから焼酎から、片っ端から飲まされた。



    「うう、そ、そこを右」

    「大丈夫、入谷さん?」

    「大丈夫じゃない。みんな、無理に飲ますんだから、おっとっと」

     智香の肩につかまりながら歩いていたぼくは、よろめいてたたらを踏んだ。飲みすぎた女をかついで家まで送る、というのは聞いたことがあるが、飲みすぎて女に家までかつがれて帰る、というのは聞いたことがない。

     智香という女、こんなに酒が強かったんだっけ? 疑問を覚えたが、胃袋の中身を全部吐き出しそうな今となってはどうでもよかった。アパートの前の側溝で、ぼくは耐えきれなくなってとうとう嘔吐してしまった。

    「大丈夫?」

     智香が背中をさすってくれた。

    「大丈夫、じゃ……ううっ」

     そのまま、ぼくは智香に引っ張られるようにしてアパートの階段を上がった。

    「入谷さん、鍵、貸してくれる?」

    「大丈夫。自分で開けられる」

     ぼくは背広のポケットからキーホルダーを取り出そうとし、手をすべらせて床に落とした。

    「だめじゃない。拾ってあげるから」

     智香は酔っているとは思えない動きで床から鍵を拾い上げると、アパートの扉を開け、先に入って、手探りで電気をつけた。

     ぼくはいつもの調子でいった。

    「ただいま」

     智香は答えた。

    「お帰りなさい」

     ちょっと、沈黙があった。

    「智……」

    「お帰りなさい、入谷さん。まだ、そのレコーダーから、声は聞こえる?」

    「当たり前じゃないか!」

    「当たり前じゃないのよ」

     智香は、ぼくを抱きかかえるようにしていった。

    「三日前、わたしは、入谷さんが課長に呼ばれて席を立ったとき、そのイヤホンを耳に当ててみたの。まったくの無音、なにも聞こえなかったわ」

    「……嘘だ」

     ぼくはイヤホンからエンドレスで聞こえてくる妻と娘の声に支えられるようにいった。

    「聞こえなかったのはわたしだけじゃない、課長もそうよ。無理いって飲み会を開いてもらい、課長にも聞いてもらったの。最近、入谷さん、普通以上にミスが多いし、課長も心配していたのよ。うまく理屈をつけ、イヤホンを取り上げて聞いてみたら、課長もなにも聞こえなかったって。飲み屋の廊下で話してくれたわ」

    「……嘘だ」

    「入谷さん、あなたが幻聴を聞いているとは、わたしは思いたくないの。だけど、これ以上ミスが続き、あなたがそのイヤホンから離れられないのならば、あなたは心療内科に行かなくちゃいけないわ。だから、わたしはここまで来たの。ソフトドリンクだけ飲むようにして、あなたのパソコンへ、あなたの奥さんと娘さんにお願いをしに。入谷さんを解放してあげてくださいって……」

    「嘘だ!」

     ぼくは叫んだ。そのとたん、イヤホンから聞こえる、妻の声の調子が変わった。

    『こんなことが、長く続くわけもなかったのね。わかっていたけれど、わたしは……』

    「なにをいっているんだ!」

    『智香さんが、どうしてここまで来たのか、あなたもわかっているはずよ。わたしも保証するわ、智香さんは、いい人です。わたしよりは、ちょっと落ちるけど』

    「やめてくれ!」

    『ほら、クミ、パパにバイバイしましょうね』

    『バイバイ、パパ!』

    「行くな、クミ!」

    『さようなら、あなた。愛しているわ……』

     その妻の声を最後に、ICレコーダは無音になった。ぼくは智香の胸に顔をうずめて泣いた。いつまでも泣き続けた。



     涙をぬぐうと、すぐその場で、ぼくはパソコンを調べてみたが、「sound」のファイルは見つからなかった。最初から、そんなファイルは存在していなかったかのように。

     ぼくはいつも通りの生活に戻った。アパートに帰ってくると、ぼくは「ただいま」というが、妻とクミの答えはない。

     その代わりに、智香の明るい、「お帰りなさい」という声が聞こえてくる。式は、二か月後に開くことになっている。

     ぼくの生活はもう灰色ではないのだ。
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    Re: レルバルさん

    冷たいですか……。

    やっぱりちょっと非情だったかな?

    そんなことをふと考えてしまう自信のない男(^^;)

    Re: レバニラさん

    それは気の毒ですねその子(^^;)

    でも怒る親の気持ちもわかります。父の葬式で位牌を蹴散らし、重臣を切腹させた信長でもあるまいし(^^;)

    Re: yamanishi sakiさん

    たまには泣いたっていいじゃないですか。

    たまにはわたしの小説で泣いたっていいじゃないですか。

    たまにしかこんなの書けないんだから(^^;)

    これは……。
    悲しいですね。
    でも暖かい。

    でも冷たい。
    そんな感じがします。

    そういやこの間、親戚の婆ちゃんの法事に行った時、
    そこの家の5歳になる子が仏前に立って親戚一同の前で婆ちゃんのものまねを披露して大爆笑をかっさらって行ったなぁ・・・

    笑うと同時に「ああ、婆ちゃんはここに生きているんだなぁ・・・」とでも思えば良い話で終わるんだけど、
    その子、その後お母さんに怒られてて、あれは可哀想だった(^^;

    Hello!

    soudesune.
    iihanashidakedo,yappari,zuruidesu……

    naiteshimaumono……

    Re: ダメ子さん

    でもこの話、人が死なないと成立しないしなあ。

    最近の流行りの小説は読んでないです。♪じだい~おく~れの~おとこに~なり~たい~♪

    よかったよかった
    でも、人が死んじゃう話はずるいです
    とはいえ最近そういう話流行ってないなあ

    Re: YUKAさん

    ほんとうは怪談話を書こうと思ったのですが、どういうわけか「悲しい話」になってしまいました。ちょっとあざとい話になってしまったかと反省しております(^_^;)

    でも、愛した人間を死に至らしめるって発想には、善人だったら向かわないと思うんですよねえ……。

    こんばんは^^

    哀しい話だったけど、救いがあって良かった^^


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