「ショートショート」
ファンタジー
真実を映す鏡
フリーマーケットとは、自由市場にあらずして、「ノミの市」という意味である。そりゃそうだ、自由な市場だったとしたら、大手スーパーとかが入ってきて、店を出してもいいことになってしまう。それじゃ興醒めだ。
かくしておれは、小さなスペースにシートを広げてものを売り買いするさまざまな人々を眺めて楽しみながら、フリーマーケットをひやかして歩いていた。
そんな中に、工場で大量生産されたような、まったく同じ形の手鏡を、うずたかく積んで売っている婆さんがいた。
興味を惹かれて、おれは立ち止まった。
「工場でもつぶれたのかい」
おれの言葉に、婆さんは気分を害したようだった。
「泣き売りなんかといっしょにしないで欲しいもんだね」
説明が必要だろう。「泣き売り屋」というのは、会社や工場がつぶれて良質な製品の大量の在庫が出た、と泣きながら話す役と、それに同情して助けてやろうとする役のふたりの人間がコンビを組んで、二束三文の品を言葉たくみにバカ高い値段で道行く通行人の客に売りつける商売である。一人前になるには、けっこう修行がいる。
「じゃあ、その鏡の山はなんだよ。きょうび、手鏡なんて百円ショップに行けばいくらでも買えるぞ」
「これは、ただの鏡じゃあない。『真実』を映す鏡だ」
婆さんは自信ありげな笑みを見せた。ドヤ顔というやつだ。婆さんには悪いが、おれはあまりのインチキくささにくらくら来た。
「マグリットにそんな絵があったな」
「そんなシュルレアリストのジョーク絵といっしょにするでない。買うのか、買わんのか」
「一枚いくら」
「おおまけにまけて、千円」
おれは鼻で笑った。
「だったら百円ショップで普通の鏡を買うよ」
「わかった。九百円」
「わかってない。百五十円」
婆さんは交渉がなかなかうまかった。五百五十円というのは、買い手としては敗北レベルだろう。
おれは財布から千円札を一枚抜いた。
「その鏡、二枚くれ。釣りはいらない」
婆さんは顔をしかめた。
「そんな根性だと、深淵に落ちるぞ。ニーチェの言葉を知らんのか」
「あいにくと仏教徒で、はじめから神は死んでるんだ」
「持って行け、泥棒。それにしても、二枚も買ってどうするんだい。彼女にプレゼントでもするのかい」
おれは笑った。
「やってみたいことがあるんだ。真実を映す鏡で合わせ鏡をしたらどうなるか、真実を映す鏡で真実を映す鏡を映したらどうなるのか、試してみたくなったのさ」
おれは気の利いたジョークをいったつもりで、買った鏡を向かい合わせにした。コミケでつまらない同人誌を一冊買うと思えば、千円で話の種ができたら安いものだ。おれは二枚の鏡の間に顔を突っ込み、ひょいと中をのぞき込んだ。
互いに写し合う鏡が、深淵みたいなものを作っていた。その奥底、無限遠の果てに、なにかがいた。
鏡から目をそらしたおれは、なにか、得体の知れないものを見る目で、婆さんを見た。
婆さんはにやりと笑った。
「ニーチェの言葉の意味がわかったかな?」
わかりすぎるほどわかった。おれは鏡を握り締めると、脱兎のようにその場を逃げ出した。
──怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。お前が長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくお前を見返すのだ。
おれの手許には、まだ二枚のあの鏡がある。しかしそれらは伏せられて、なにも映すことはない。
ときどき、おれは好奇心にかられる。あの鏡で、自分の顔を映してみるか。ただの鏡だ、婆さんにだまされたんだ、そう思って鏡に手をかけ……そしてあの「なにか」の視線を思い出して手を引っ込める。
好奇心は日を追うごとに、少しずつ強くなっていく。
おれはいつか来るだろうその日が怖い。しかし同時に、それを待ち望んでもいるのだ。
ほら……。
かくしておれは、小さなスペースにシートを広げてものを売り買いするさまざまな人々を眺めて楽しみながら、フリーマーケットをひやかして歩いていた。
そんな中に、工場で大量生産されたような、まったく同じ形の手鏡を、うずたかく積んで売っている婆さんがいた。
興味を惹かれて、おれは立ち止まった。
「工場でもつぶれたのかい」
おれの言葉に、婆さんは気分を害したようだった。
「泣き売りなんかといっしょにしないで欲しいもんだね」
説明が必要だろう。「泣き売り屋」というのは、会社や工場がつぶれて良質な製品の大量の在庫が出た、と泣きながら話す役と、それに同情して助けてやろうとする役のふたりの人間がコンビを組んで、二束三文の品を言葉たくみにバカ高い値段で道行く通行人の客に売りつける商売である。一人前になるには、けっこう修行がいる。
「じゃあ、その鏡の山はなんだよ。きょうび、手鏡なんて百円ショップに行けばいくらでも買えるぞ」
「これは、ただの鏡じゃあない。『真実』を映す鏡だ」
婆さんは自信ありげな笑みを見せた。ドヤ顔というやつだ。婆さんには悪いが、おれはあまりのインチキくささにくらくら来た。
「マグリットにそんな絵があったな」
「そんなシュルレアリストのジョーク絵といっしょにするでない。買うのか、買わんのか」
「一枚いくら」
「おおまけにまけて、千円」
おれは鼻で笑った。
「だったら百円ショップで普通の鏡を買うよ」
「わかった。九百円」
「わかってない。百五十円」
婆さんは交渉がなかなかうまかった。五百五十円というのは、買い手としては敗北レベルだろう。
おれは財布から千円札を一枚抜いた。
「その鏡、二枚くれ。釣りはいらない」
婆さんは顔をしかめた。
「そんな根性だと、深淵に落ちるぞ。ニーチェの言葉を知らんのか」
「あいにくと仏教徒で、はじめから神は死んでるんだ」
「持って行け、泥棒。それにしても、二枚も買ってどうするんだい。彼女にプレゼントでもするのかい」
おれは笑った。
「やってみたいことがあるんだ。真実を映す鏡で合わせ鏡をしたらどうなるか、真実を映す鏡で真実を映す鏡を映したらどうなるのか、試してみたくなったのさ」
おれは気の利いたジョークをいったつもりで、買った鏡を向かい合わせにした。コミケでつまらない同人誌を一冊買うと思えば、千円で話の種ができたら安いものだ。おれは二枚の鏡の間に顔を突っ込み、ひょいと中をのぞき込んだ。
互いに写し合う鏡が、深淵みたいなものを作っていた。その奥底、無限遠の果てに、なにかがいた。
鏡から目をそらしたおれは、なにか、得体の知れないものを見る目で、婆さんを見た。
婆さんはにやりと笑った。
「ニーチェの言葉の意味がわかったかな?」
わかりすぎるほどわかった。おれは鏡を握り締めると、脱兎のようにその場を逃げ出した。
──怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。お前が長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくお前を見返すのだ。
おれの手許には、まだ二枚のあの鏡がある。しかしそれらは伏せられて、なにも映すことはない。
ときどき、おれは好奇心にかられる。あの鏡で、自分の顔を映してみるか。ただの鏡だ、婆さんにだまされたんだ、そう思って鏡に手をかけ……そしてあの「なにか」の視線を思い出して手を引っ込める。
好奇心は日を追うごとに、少しずつ強くなっていく。
おれはいつか来るだろうその日が怖い。しかし同時に、それを待ち望んでもいるのだ。
ほら……。
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読書日記

~ Comment ~
真実の鏡ねえ・・・。
あまり興味がないですね。
虚構と現実が織り成す世界だからこそ面白く愉悦と考える性格ですからね。あったら、私は問答無用で割りますね。
私ごとですが、連載開始!!です。
グッゲンハイムです。今回はポールさんの要望もあったので、ポールさん好み(?)になっております。今回はポールさんぐらいしか読まないじゃないかというぐらいの意気込みで書きました。
あまり興味がないですね。
虚構と現実が織り成す世界だからこそ面白く愉悦と考える性格ですからね。あったら、私は問答無用で割りますね。
私ごとですが、連載開始!!です。
グッゲンハイムです。今回はポールさんの要望もあったので、ポールさん好み(?)になっております。今回はポールさんぐらいしか読まないじゃないかというぐらいの意気込みで書きました。
- #11012 LandM
- URL
- 2013.08/09 09:42
- ▲EntryTop
Re: 大海彩洋さん
そんな鏡がほんとうにあったら、わたしためらわずに覗きます。(^^)
失うものがほとんどない人間なもので(そうか?(^^;))
それにしても深淵の奥底にいたものはなんなのでしょうか。やはり、人間には理解不能なものだったのではと思います。真実とはそういうものなのでは……。
失うものがほとんどない人間なもので(そうか?(^^;))
それにしても深淵の奥底にいたものはなんなのでしょうか。やはり、人間には理解不能なものだったのではと思います。真実とはそういうものなのでは……。
うぅ
『真実』の最大公約数、もしくは最小公倍数。
あるいは無限大乗の『真実』……大きくなりすぎてビッグバンみたいに破裂する?
あるいは逆に、自分が無限大に小さくなっていく感じがする。
吸い込まれていきそう。
…家にそんな鏡があったらいやだなぁ。
でも、納戸の奥とかにありそう(/_;)
あるいは無限大乗の『真実』……大きくなりすぎてビッグバンみたいに破裂する?
あるいは逆に、自分が無限大に小さくなっていく感じがする。
吸い込まれていきそう。
…家にそんな鏡があったらいやだなぁ。
でも、納戸の奥とかにありそう(/_;)
Re: ROUGEさん
ありましたね、そういう話。(^_^)
わたしが最初に、逢魔が時に合わせ鏡をすると悪魔が出て来る、という話を聞いたのは、「うる星やつら」の初期のエピソードでした。なんとなく記憶の底に残っています。
でもなんか、悪魔や魔物は「いるらしいことはわかるけれど出てこない」ほうが怖いような気もします。こと、小説では。これが視覚に訴えかけられる漫画や映画だったら違うのでしょうけど。小説ではあれだけ魅力的なラヴクラフトの邪神でも、イラストになったらかわいいタコ頭ちゃんになってしまいますからねえ……。
わたしが最初に、逢魔が時に合わせ鏡をすると悪魔が出て来る、という話を聞いたのは、「うる星やつら」の初期のエピソードでした。なんとなく記憶の底に残っています。
でもなんか、悪魔や魔物は「いるらしいことはわかるけれど出てこない」ほうが怖いような気もします。こと、小説では。これが視覚に訴えかけられる漫画や映画だったら違うのでしょうけど。小説ではあれだけ魅力的なラヴクラフトの邪神でも、イラストになったらかわいいタコ頭ちゃんになってしまいますからねえ……。
合わせ鏡って異世界に通じるとかも言いますよね。
逢魔ヶ時には合わせてはいけないとか・・・
色々想像をかきたてられる素敵なお話ですね。
実際の映像が目に浮かぶようです(*^_^*)
逢魔ヶ時には合わせてはいけないとか・・・
色々想像をかきたてられる素敵なお話ですね。
実際の映像が目に浮かぶようです(*^_^*)
Re: YUKAさん
いや、お忙しいのはわかりますし、執筆がかなりの精神的労働であることもわかっておりますが、まじめに心配しておりました。
そういえばお料理ブログもやっておられたな、と思い出してのぞいてみたら、お元気なようで安心しました(^_^)
わたしもこんな鏡が二枚あったら、好奇心からやってしまうと思います。好奇心は猫をもなんとやらです。(^_^;)
またいらしてくださいね~♪
そういえばお料理ブログもやっておられたな、と思い出してのぞいてみたら、お元気なようで安心しました(^_^)
わたしもこんな鏡が二枚あったら、好奇心からやってしまうと思います。好奇心は猫をもなんとやらです。(^_^;)
またいらしてくださいね~♪
Re: 山西 サキさん
「よくわからないなにか」です。
カントのいう「物自体」に直接アクセスしてしまったのかもしれません。
なにせ「真実」ですから(^_^)
カントのいう「物自体」に直接アクセスしてしまったのかもしれません。
なにせ「真実」ですから(^_^)
Re: カテンベさん
「真実を映す鏡で真実を映す鏡を写したらどうなるかな」という思いつきから、そもそも真実ってなんだろう、という解答が出るわけがない疑問に踏み込み、こういう結末に(^_^;)
お婆さんが普通にしてられるのは、すでに「ほんものの狂気」にとらわれているからだったりして(^_^;)
お婆さんが普通にしてられるのは、すでに「ほんものの狂気」にとらわれているからだったりして(^_^;)
こんばんは。
すみませんでした~~
最近優芽の樹がおろそかになっていて^^;
また来させてくださいませ♪
読ませて頂きました。
どうなるのかってちょっとドキドキしながら^^
私もこの好奇心に勝てる気がしない。
そして、見た後に激しく後悔する気がする(笑)
絶対平気なのに、
この後ウチの鏡を見るのも、ちょっとドキドキしそうです。
すみませんでした~~
最近優芽の樹がおろそかになっていて^^;
また来させてくださいませ♪
読ませて頂きました。
どうなるのかってちょっとドキドキしながら^^
私もこの好奇心に勝てる気がしない。
そして、見た後に激しく後悔する気がする(笑)
絶対平気なのに、
この後ウチの鏡を見るのも、ちょっとドキドキしそうです。
こんにちは
左右逆さまにならない、他人が見ている自分が映る鏡、なんてのかと思たけど、そんなもんではないんですね
真実というのは本来的にはこうです。とか、本質的にはこうです。とか、捻じ曲げられていてもそんなもんなのよ、とか、ひとつしかなさそうなのに、どないとでも言えてしまいそうな感じもあるので狂気に導かれていくのかなぁ?て思てまいました(^^)
きっとのぞいてみたことのあるお婆さんは何故普通にしていられるんでしょうね?
真実というのは本来的にはこうです。とか、本質的にはこうです。とか、捻じ曲げられていてもそんなもんなのよ、とか、ひとつしかなさそうなのに、どないとでも言えてしまいそうな感じもあるので狂気に導かれていくのかなぁ?て思てまいました(^^)
きっとのぞいてみたことのあるお婆さんは何故普通にしていられるんでしょうね?
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Re: LandMさん
LandMさんの新作も先を期待しつつ読んでおりますよ~!