「夢逐人(オリジナル長編小説)」
夢逐人
夢逐人 第三部 ノゾミ 16
おばさん、すなわち迫水さんのお母さん、の運転は、常軌を逸していた。湾岸なんとか、とか、頭文字なんとか、みたいな、漫画に出てくるスーパードライバーの運転に同乗したらこんな体験をすることになるのだろうか。警察に停止させられたらどうしよう、と、嫌な想像が頭をよぎったが、パトカーのサイレンが向かって来る様子はなかった。
ようやくおばさんがブレーキを踏んだ。頭が、全自動洗濯機にかけられた後のようにぐらぐら揺れていたが、なんとか車を這い出すことができた。深呼吸して吐き気をこらえる。
「冴子さんや」
老人が、運転席のおばさんにいった。
「店の中で、騒ぎが起こった、と感じたら、すぐに携帯で警察に連絡し、ここを離れてくれんか」
「そして、人通りの多いところにいればいいんですね」
「そうじゃ。ま、相手さんのほうも、そう、事を荒立てはせんじゃろう。たぶん、すぐに戻れるはずじゃ。ほれ、行くぞ、若いの」
ゴルフバッグを抱えた老人は、ぼくの前をすたすた歩き始めた。ぼくは、おっかなびっくりついていく。和服にゴルフバッグというのは、かなり、ちぐはぐだという感じがするが。
「あのう……。待ち伏せとかされていたら、どうするんです?」
「見るところは見とる。むしろ危険なのはお主のほうじゃ」
そういうことをいわれると、足が震えてくるんですけど。
『寒月楼』は、市でも有名な、高級料亭だった。ぼくが入るのは、これが初めてだ。ほんとに入っていいんだろうか。
老人は、ぼくをちょっと離れた位置に下がらせると、変な角度から扉を開けた。
「大丈夫じゃ。ついてこい」
「おじゃまします」
おそるおそる、中に入る。老人は、履物も脱がない。ぼくは良心がとがめたが、老人に一瞥されて、やめた。店の奥から、和服を着た、年配の女の人が、小走りに駆け寄ってきた。どうやら女将さんらしいが、どうしてこうまで?
「お客様?」
「店員に暇を出して、人員がおらんか。なに、平気じゃ。人を連れに来たのじゃよ」
女将さんは、それを聞くと、青ざめた。パニック状態に陥ったらしい。
「あの……その……そちらは?」
「お主のところでのびている、娘二人のPTAじゃ」
女将さんは、音声が切れたテレビ番組のアナウンサーのように、口を大きく動かしたものの、そこから言葉は出なかった。
「案内してくれるな?」
老人は、ゴルフバッグの横から、黒くて長い物を取り出した。いつでも中のものが取り出せるように、切込みが入れてあったのだ。中身は、むろん、刀である。
老人は、ちらりと刀を抜いてみせた。銀色の刃が、きらっと、光った。
女将さんに残っていた、意志というものは、それでもう種切れになってしまったようだった。ロボットみたいに歩き出す。
「あの……、いいんですか、あんなこといって? PTAのPってのは、ペアレンツのことですよ」
「誰がペアレンツだといった。わしはティーチャーじゃ。それに、このセリフ、一回いってみたかったんじゃよ」
そんなことだとは。ネタ本を聞くのはよしておこう。
老人は、服の腰に、刀を差し直した。いつでも抜けるように、ということらしい。
奥まで進み、角を曲がった。
ぼくは目を見開いた。
ぼくが見たことのある、わが青啓高校の先輩方や同級生が、あちこちの廊下や部屋に転がって、うんうんうめいていた。親しい仲の友人が一人もいなかったのにはほっとしたけど、いったいなにがあったんだ。
ぼくは老人を見た。
「あの、これって?」
老人は、こともなげにいった。
「晶じゃな」
「ひっ」
やっぱりだ。ぼくは、額の汗をぬぐった。五メートルで二秒というのは、どうやらほんとにほんとらしい。
つと、老人は部屋のひとつの前で立ち止まった。
「あのう」
女将さんがいった。
老人は、にこりと笑った。
「用を思い出した。開けてくれんかの」
「え? ここは」
「齡を取ると、気が短くなるのは、残念なことじゃ」
女将さんは、弾かれたみたいに襖に飛びつくと、開いた。
老人が、微妙に外れた位置から動かなかったので、好奇心にかられたぼくは、部屋の中を、のぞき込んだ。
自分が悪夢の続きを見ているのではないかと思った。
「望。お前にここまで根性があったとは思わなかったぞ。できる限り、柔弱に育てたつもりだったのだがな」
中にいた人物の言葉に、ぼくは目をつぶった。
「知り合いか」
老人がいった。
「祖父です」
ぼくは、言葉を押し出すようにしてそう答えた。
そこで静かに座っていたのは、たしかに、ぼくの祖父、時形弘太郎だった。
ようやくおばさんがブレーキを踏んだ。頭が、全自動洗濯機にかけられた後のようにぐらぐら揺れていたが、なんとか車を這い出すことができた。深呼吸して吐き気をこらえる。
「冴子さんや」
老人が、運転席のおばさんにいった。
「店の中で、騒ぎが起こった、と感じたら、すぐに携帯で警察に連絡し、ここを離れてくれんか」
「そして、人通りの多いところにいればいいんですね」
「そうじゃ。ま、相手さんのほうも、そう、事を荒立てはせんじゃろう。たぶん、すぐに戻れるはずじゃ。ほれ、行くぞ、若いの」
ゴルフバッグを抱えた老人は、ぼくの前をすたすた歩き始めた。ぼくは、おっかなびっくりついていく。和服にゴルフバッグというのは、かなり、ちぐはぐだという感じがするが。
「あのう……。待ち伏せとかされていたら、どうするんです?」
「見るところは見とる。むしろ危険なのはお主のほうじゃ」
そういうことをいわれると、足が震えてくるんですけど。
『寒月楼』は、市でも有名な、高級料亭だった。ぼくが入るのは、これが初めてだ。ほんとに入っていいんだろうか。
老人は、ぼくをちょっと離れた位置に下がらせると、変な角度から扉を開けた。
「大丈夫じゃ。ついてこい」
「おじゃまします」
おそるおそる、中に入る。老人は、履物も脱がない。ぼくは良心がとがめたが、老人に一瞥されて、やめた。店の奥から、和服を着た、年配の女の人が、小走りに駆け寄ってきた。どうやら女将さんらしいが、どうしてこうまで?
「お客様?」
「店員に暇を出して、人員がおらんか。なに、平気じゃ。人を連れに来たのじゃよ」
女将さんは、それを聞くと、青ざめた。パニック状態に陥ったらしい。
「あの……その……そちらは?」
「お主のところでのびている、娘二人のPTAじゃ」
女将さんは、音声が切れたテレビ番組のアナウンサーのように、口を大きく動かしたものの、そこから言葉は出なかった。
「案内してくれるな?」
老人は、ゴルフバッグの横から、黒くて長い物を取り出した。いつでも中のものが取り出せるように、切込みが入れてあったのだ。中身は、むろん、刀である。
老人は、ちらりと刀を抜いてみせた。銀色の刃が、きらっと、光った。
女将さんに残っていた、意志というものは、それでもう種切れになってしまったようだった。ロボットみたいに歩き出す。
「あの……、いいんですか、あんなこといって? PTAのPってのは、ペアレンツのことですよ」
「誰がペアレンツだといった。わしはティーチャーじゃ。それに、このセリフ、一回いってみたかったんじゃよ」
そんなことだとは。ネタ本を聞くのはよしておこう。
老人は、服の腰に、刀を差し直した。いつでも抜けるように、ということらしい。
奥まで進み、角を曲がった。
ぼくは目を見開いた。
ぼくが見たことのある、わが青啓高校の先輩方や同級生が、あちこちの廊下や部屋に転がって、うんうんうめいていた。親しい仲の友人が一人もいなかったのにはほっとしたけど、いったいなにがあったんだ。
ぼくは老人を見た。
「あの、これって?」
老人は、こともなげにいった。
「晶じゃな」
「ひっ」
やっぱりだ。ぼくは、額の汗をぬぐった。五メートルで二秒というのは、どうやらほんとにほんとらしい。
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NoTitle
五メートルで二秒って遅え。
ま、それはともかく。
根性は若者の特権なんでしょうが。
まだまだ根性だけで生きているのがLandMの才条 蓮ですが。
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Re: LandMさん
真に受けて脅えるノゾミちゃんもノゾミちゃんですけどね(^^;)
迫水家の人間が本気で動けば、二秒どころの話ではないでしょうね。気がついたときには冥界の門をくぐってます(笑)