「夢逐人(オリジナル長編小説)」
夢逐人
夢逐人 第三部 ノゾミ 19
……
夢の中、泣きふせっている迫水さんのところに、蝶が飛んできた。蝶は、迫水さんの周りを、ふわふわと一周すると、すっとその膝元に舞い降りて、国枝さんの頭に止まった。
周囲の、紫色の粘液の壁が、ざわっと波打った。
粘液はゆっくりと溶け出してきて、迫水さんと国枝さんのもとに集まって来た。その色は、濁った紫色ではもはやなく、澄んだ、深みのある紫色になっていた。
『これが、あの夢膿と、本当に同じものなのか……!』
老人が、感に堪えたかのようにつぶやいた。
澄んだ液体が、迫水さんの腰と、国枝さんの頭を包んだ。
液体は、激しく泡立ち始めた。ぼくたちが呆然となって見守る中、やがて、液体は退いた。
後には、全裸の国枝さんの肢体が残された。
国枝さんは、うっすらと目を開いた。
「……アキラ?」
……
「国枝さんは、近くから、全てを見ていたんです。狂ってもいないし、死んだわけでもありません」
「……」
祖父は無言だった。
しかし、その顔は、憤怒の色に染まっていた。
「そういうことじゃ。やりあうのは、夢の中だけにしたいものじゃな。では失敬」
無表情に老人がいった。
祖父が口を開いた。
「迫水さん。最後に、ひとこといっておきたい」
「なんですかな」
「あなたは勝った……」祖父の声は、平坦そのものだった。内心の感情を、無理に押し殺しているのが、鈍いぼくにもわかる。「あなたは勝った、今日のところは。だが、お気をつけになることです。勝つときには、相手を殺しきらないといけない。これが原則です。しかし、あなたは、その原則を破った。これがどういう結果に終わるかは、きっとあなたもご存知のはずだと思いますが」
「今日、お主らが見せてくれたように、ですかな。それにしても、なにか勘違いをしておられるのではないかな? わしらは勝負に来たわけではない。単に、娘二人と、刀一本を帰してもらいに来ただけじゃ」
ぼくに目を向ける。
「行こうかの」
そういうと、老人は、ゴルフバッグに脇差と長刀を入れ、国枝さんの身体を、ひょいと抱えた。齢を感じさせぬ、ものすごい体力だった。
ぼくは、最後に、ちらっと、後ろを振り返った。
祖父と目が合った。血走った目だった。耐え切れず、視線をそらした。
悲しかった。
「そんな顔をするでない」
老人が、ぼくか祖父にか、どちらに聞かせるともなくいった。
「今日は、わしは、素晴らしいことを聞かせてもらって、とても喜んでおるんじゃ。わしは、正直、嬉しくてしかたがない。感謝しますぞ」
老人は、外へ出た。ぼくも、その後から、ついて行く。
車の運転席で、こわばった顔をしていたおばさんに、老人は笑いかけた。
「向こうもおおごとにはしないだろうといったじゃろうが」
おばさんは、ほおっと、長い吐息をついた。
車に、国枝さんと、迫水さんを乗せるのは、たいへんな作業になるかと思えたが、老人は、てきぱきと動いて、あっという間に二人を車に押し込んでしまった。運転免許を持っていたら、タクシー会社では、引く手あまたかもしれないな、と思った。ぼくがやったことといえば、ゴルフバッグを抱えて立っていただけだ。
「少年、早く乗れ」
ぼくは、急いで、おばさんの隣に座った。シートベルトを締める。
「ありがとうございます」
助手席で身をひねり、ぼくは、後部座席の老人にいった。
「なにがじゃ」
「祖父を斬らないでいてくれたことです」
「もとから斬るつもりなんぞないわ」
えっ。
「だって、その刀は?」
「あれか。持ってみい」
老人は、ゴルフバッグを指差した。
ぼくは、知った顔に見られたらどうしよう、などと考えながら、ゴルフバッグの横から手を入れ、闇切を持ってみた。
思ったよりも軽かった。夢の中での感触よりもさらに軽い。
待てよ。これ、隣の脇差、影切よりも軽いぞ。
「?」
後部座席の老人に視線を向ける。好奇心に負けた。
ちょっと、抜いてみた。
なんだ、これ?
唖然とするぼくに、老人は、解説してくれた。
「わしが持ってきたこの刀は、脅しに使うためのただの模造刀じゃ。模造刀以下じゃな。竹光に銀紙を貼っただけじゃから」
「ちっとも知らなかった」
刀を収め、ぼくはぼやいた。老人は笑った。
「晶といっしょにするでない」
おばさんも、ようやく、明るい笑い声をあげた。
老人が、ふと、思い出したようにいった。
「ところで、お主、家長に追い出されたようじゃな。で、これから、どうする気じゃ」
「あっ」
ぼくは、それのもたらす結果に気づいて、青ざめた。
今晩、どこで寝よう……。
夢の中、泣きふせっている迫水さんのところに、蝶が飛んできた。蝶は、迫水さんの周りを、ふわふわと一周すると、すっとその膝元に舞い降りて、国枝さんの頭に止まった。
周囲の、紫色の粘液の壁が、ざわっと波打った。
粘液はゆっくりと溶け出してきて、迫水さんと国枝さんのもとに集まって来た。その色は、濁った紫色ではもはやなく、澄んだ、深みのある紫色になっていた。
『これが、あの夢膿と、本当に同じものなのか……!』
老人が、感に堪えたかのようにつぶやいた。
澄んだ液体が、迫水さんの腰と、国枝さんの頭を包んだ。
液体は、激しく泡立ち始めた。ぼくたちが呆然となって見守る中、やがて、液体は退いた。
後には、全裸の国枝さんの肢体が残された。
国枝さんは、うっすらと目を開いた。
「……アキラ?」
……
「国枝さんは、近くから、全てを見ていたんです。狂ってもいないし、死んだわけでもありません」
「……」
祖父は無言だった。
しかし、その顔は、憤怒の色に染まっていた。
「そういうことじゃ。やりあうのは、夢の中だけにしたいものじゃな。では失敬」
無表情に老人がいった。
祖父が口を開いた。
「迫水さん。最後に、ひとこといっておきたい」
「なんですかな」
「あなたは勝った……」祖父の声は、平坦そのものだった。内心の感情を、無理に押し殺しているのが、鈍いぼくにもわかる。「あなたは勝った、今日のところは。だが、お気をつけになることです。勝つときには、相手を殺しきらないといけない。これが原則です。しかし、あなたは、その原則を破った。これがどういう結果に終わるかは、きっとあなたもご存知のはずだと思いますが」
「今日、お主らが見せてくれたように、ですかな。それにしても、なにか勘違いをしておられるのではないかな? わしらは勝負に来たわけではない。単に、娘二人と、刀一本を帰してもらいに来ただけじゃ」
ぼくに目を向ける。
「行こうかの」
そういうと、老人は、ゴルフバッグに脇差と長刀を入れ、国枝さんの身体を、ひょいと抱えた。齢を感じさせぬ、ものすごい体力だった。
ぼくは、最後に、ちらっと、後ろを振り返った。
祖父と目が合った。血走った目だった。耐え切れず、視線をそらした。
悲しかった。
「そんな顔をするでない」
老人が、ぼくか祖父にか、どちらに聞かせるともなくいった。
「今日は、わしは、素晴らしいことを聞かせてもらって、とても喜んでおるんじゃ。わしは、正直、嬉しくてしかたがない。感謝しますぞ」
老人は、外へ出た。ぼくも、その後から、ついて行く。
車の運転席で、こわばった顔をしていたおばさんに、老人は笑いかけた。
「向こうもおおごとにはしないだろうといったじゃろうが」
おばさんは、ほおっと、長い吐息をついた。
車に、国枝さんと、迫水さんを乗せるのは、たいへんな作業になるかと思えたが、老人は、てきぱきと動いて、あっという間に二人を車に押し込んでしまった。運転免許を持っていたら、タクシー会社では、引く手あまたかもしれないな、と思った。ぼくがやったことといえば、ゴルフバッグを抱えて立っていただけだ。
「少年、早く乗れ」
ぼくは、急いで、おばさんの隣に座った。シートベルトを締める。
「ありがとうございます」
助手席で身をひねり、ぼくは、後部座席の老人にいった。
「なにがじゃ」
「祖父を斬らないでいてくれたことです」
「もとから斬るつもりなんぞないわ」
えっ。
「だって、その刀は?」
「あれか。持ってみい」
老人は、ゴルフバッグを指差した。
ぼくは、知った顔に見られたらどうしよう、などと考えながら、ゴルフバッグの横から手を入れ、闇切を持ってみた。
思ったよりも軽かった。夢の中での感触よりもさらに軽い。
待てよ。これ、隣の脇差、影切よりも軽いぞ。
「?」
後部座席の老人に視線を向ける。好奇心に負けた。
ちょっと、抜いてみた。
なんだ、これ?
唖然とするぼくに、老人は、解説してくれた。
「わしが持ってきたこの刀は、脅しに使うためのただの模造刀じゃ。模造刀以下じゃな。竹光に銀紙を貼っただけじゃから」
「ちっとも知らなかった」
刀を収め、ぼくはぼやいた。老人は笑った。
「晶といっしょにするでない」
おばさんも、ようやく、明るい笑い声をあげた。
老人が、ふと、思い出したようにいった。
「ところで、お主、家長に追い出されたようじゃな。で、これから、どうする気じゃ」
「あっ」
ぼくは、それのもたらす結果に気づいて、青ざめた。
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~ Comment ~
NoTitle
殺しきることができなければ勝つことではないのが戦場ですが。。。
まあ、それはそれです。
勝ちさえすればよいという考えもありますからね。
もう一度やるときに油断しなければいいだけの話ですしね。
・・・・これからどうなるんでしょうねえ。
まあ、それはそれです。
勝ちさえすればよいという考えもありますからね。
もう一度やるときに油断しなければいいだけの話ですしね。
・・・・これからどうなるんでしょうねえ。
- #13184 LandM
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- 2014.04/16 22:37
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Re: 山西 サキさん、LandMさん
たはは。