ホームズ・パロディ

    ロンドンの片隅で

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     ロンドンの片隅で



     長身の男は空を見ていた。ロンドンの汚れた空を。

    「しくじったのかな」

     男はぶるっと首を振った。あいつみたいに度胸が据わって頭が回る男が、どうしてしくじるものか。

    「よう」

     背後からいきなり声をかけられ、男ははっと振り返った。その顔が安堵の表情になった。

    「ビル!」

     ビルと呼ばれたのはまだ若い男だった。ほんのわずか、額が汗ばんでいた。

    「指輪は?」

     ビルはポケットに手を入れ、金色に輝く指輪を取り出した。長身の男はその手からひったくるように指輪を奪い、両手で握り締めた。

     ビルは目を伏せ、首を振った。

    「偽物だ」

    「え?」

    「罠だよ。あのワトスンとかいう医者の家に住んでいるのは、そうとうなやつだ。おれが指輪を受け取って家を出るか出ないかのうちに、おれの後をつけようとしてきたんだ」

    「気のせいじゃないのか?」

    「いや。やつはマフラーを巻いて顔を隠していた。だが、あの背丈と体格、それに歩き方には特徴があった。医者の家で、鷹みたいな目でおれを観察していた男だ。間違いない」

     ビルは首筋をぬぐった。

    「婆さんに変装していなかったら、今ごろどうなっていたかわからない。なんたって、あの男は、おれの呼び止めた辻馬車の後ろにしがみついていたんだからな」

    「どうやってまいたんだ」

     ビルはにやりと笑った。

    「悪い予感がしたから、御者に金貨を一枚はずみ、『バカがきみの馬車にただ乗りしようとしているから、からかってやってくれ。方法は任せる』とささやいて、反対側の出口から出ただけだ。馬車の中でかつらを外して服を一枚脱ぎ、背筋を伸ばせば、たちまち婆さんから乞食に早変わりというわけだ。馬車が走り出してから振り返ったら、ほんとにあの男は馬車にしがみついていた。ドヤで完全に変装を落としたときは、用心というものはしておくものだ、と思ったよ。だから、それは、お前には悪いが、よくできた偽物だろう」

    「くそっ!」

     長身の男は指輪を投げ捨てようとしたが、ビルはそれを手で制した。

    「やめとけ。拾われて足がつくおそれがある。どうせ投げるなら川にしろ。腐った水を調べるやつはいないからな」

    「いったい、そのつけてきた男というのは誰なんだ? お前がそんな危険な思いをするなんて……」

    「うわさを聞いたところ、諮問探偵というやつらしい。サツでもないのに、犯罪事件に首を突っ込むのが仕事だそうだ」

    「すまん」

    「いいってことよ。お前さんは、おれの命の恩人なんだからな」

     ビルは長身の男の肩を叩いた。

    「だが、おれが手を貸せるのはここまでだ。もう一度あの男に出くわしたら、おれの身のほうが危ない。しばらく、ほとぼりを冷ますことにする」

     そういって、ビルは笑った。

    「安心しな、ダチは売らねえよ。命の恩人はいわずもがなだ」

     長身の男は手を差し出した。

    「うまくやれよ、ビル」

     ビルはちょっと驚いた顔をしていたが、それも一瞬だった。

    「あんたこそ、復讐の相手がまだひとり残ってるんだろ。無事にそいつを殺れることを祈っているぜ」

     ふたりの男は手を握り合った。

    「生きてるうちにまた会えるかな」

    「さあな。どこかの店で、ミルクとチーズケーキを前に、あんたの名前が載った新聞記事を読んでいるかもしれん……いないかもしれん。確実なのは、こちらが気づいても、お前のことは知らないふりをすることだけだ。お前もそうしてくれ」

    「ああ。ビル、ほとぼりを冷ましている間、なにをして暮らすつもりだ?」

     ビルはふたたびにやりとした。

    「探偵、というのも、道楽でやるなら面白いんじゃないかな。……ところで」

    「なんだい?」

    「別れの記念に、そこに巻きつけてある紐を一本くれないか」

    「どうするんだ?」

     困惑しながら手を離した長身の男に、ビルはいらだったようにいった。

    「結んでほどくに決まっているだろう。そのために紐はあるんだから!」



    ……「婆さんだって? くそくらえ!」ホームズは語気荒くいった。「まんまといっぱいくわされるなんて、僕らこそよぼよぼ爺さ。あいつはきっと若い男の変装だったにちがいない。若くて敏捷で、おまけに無類の役者だったんだ。ちょっとまねもできんような立派なメークアップだった。つけられたと知って、うまく僕をまいたのにちがいない」
    (コナン・ドイル「緋色の研究」延原謙訳より)



     平山雄一先生に敬意とともに本編を捧げる。



     「わけがわからないよ!」という人のために追記あり。ただし、世の中には、知らないほうがいいこともあるのである。特にホームズ・パロディでは。





     この小説に出てくる「ビル」は、もちろんバロネス・オルツィの作り出した名探偵で、安楽椅子探偵のはしりともいえる、「隅の老人」その人である。ついこの間出てミステリファンを狂喜させた「隅の老人・完全版」(作品社刊)を読めばわかると思うが、この隅の老人、謎だらけ、というか、怪しさだけでできているような人なのであった。

     名探偵であるから、当然、頭は切れる。老人とは思えないほどの素早い動きをする。二十年の不在のあとでも、別れた時とまったく同じような風貌で語り手の前に登場する。結びやすそうな紐を見つけると結び目を作らずにはいられない。迷宮入り事件の謎解きをしてみせるくせに、犯罪者のほうに肩入れするかのような発言を繰り返す……。

     ある人は、「隅の老人」は実は生きていたモリアーティー教授ではないか、という説を唱えられていたが、わたしはそれは違うと思った。年齢と性格から、とても二人の像がだぶらないのである。だが、隅の老人の知力は、ホームズその人に劣るとも思えない。

     わたしの頭に浮かんだのは、「緋色の研究」でホームズにまんまと一杯食わせながら、シリーズの最後まで逮捕はおろか正体すらつかませずに逃げ切った、謎の男のことであった。その男については「緋色の研究」を読んでいただくのがいちばん手っ取り早いのであるが、それもめんどうくさいという人のために、作中のホームズのセリフを引用しておいた。

     まず、年齢。1880年代のはじめと推定される「緋色の研究」で20そこそことすると、1901年の登場時は40そこそこ。それから二十年後の1920年代には60そこそこで、1901年の登場時は老人の変装をしていたとすれば、矛盾なく年齢と体力(もろもろの理由で伏せておかなければならないが、老人はかなりの体力を後年まで保持していたと思われるのである)についての説明がつくのである。

     ホームズの説明の繰り返しになるが、頭が切れて、敏捷で、変装の達人で、犯罪がらみの仕事に手を染めているこの男、「隅の老人」の正体でなかったら誰だというのだ、である。先ほど挙げた「隅の老人」の特徴を思い出していただきたい。すべてがぴたりぴたりと当てはまるはずだ。

     残念ながら、わたしは論文を書けるほどの頭はない。根拠をもっと詰めるだけの知識もない。ということでショートショートに仕立ててみた。小説というのは便利である。

     面白かったら幸いだ。とりあえず、平山先生と、sugataさんと、化夢宇留仁さんと、その他一部の人たちに楽しんでもらえればそれでいい。……考えてみればギャグ以外のホームズ・パロディって、このかたがた以外に楽しんでくれる人、いるのかなあ。コメント欄のぞくの怖いなあ。

     誰だ、「結局、謎の老人の正体は謎の男だということがわかっただけだ」などといっているのは。そのとおりだけど。
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    ~ Comment ~

    Re: 山西 サキさん

    緋色の研究は、ホームズが捜査しているところはかっこいいんですけれど、あの挿話が陰惨で救いがなにもないというのがつらいですね(^^;)

    でもどういうわけかドイルって、長編ではああした二部構成を採ることが多いんです。

    同じような二部構成だったら、後年の「恐怖の谷」のほうが面白いです。ちょっとラストシーンがやりきれないのですが。


    「隅の老人」は短編集ですから、気軽に読めますよ。作者のオルツィ女男爵は歴史ロマン「紅はこべ」を書いたことでも知られるように、読みやすくて面白い作品を書ける人ですから。

    「完全版」はその名の通り短編集を三冊すべて集めた文字通りの完全版です。

    弁当箱みたいに大きくて重いのが難点(^^;)

    NoTitle

    「緋色の研究」読んでしまいました。
    とても面白かったのですが、残念ながらサキにとって中途半端な読書になってしまいました。
    どうしてもルーシーの部分を読み進めることができなかったんです。
    サキはこういう話は読めないんですよ。(アレルギーでしょうか?)
    でも読み飛ばしてもなんとか探偵物として成立しているので、面白かったというわけです。
    そして何より良かったのは、ポールさんのこの作品の意図が理解できたと言うことですね。
    あ、そういうことね。という感じでようやくスッキリしました。
    でも今度は「隅の老人」が気になってきました。
    完全版か……長そうだなぁ。

    Re: 青井るいさん

    この小説に出てくる「長身の男」っていうのは、「緋色の研究」の犯人です。名前を明かすとこれから読む人に悪いですから伏せておきました。

    馬車にしがみついてビルを追っていたのはホームズです。尾行をまかれてイライラしてベーカー街に帰ってきたときにワトスンに向かって叫んだセリフが、引用のところです。

    このホームズをも翻弄した謎の男、正体は誰も知りません。なぜなら、正体を知る唯一の人物である犯人は、「緋色の研究」の結末に至っても、この人物について口を割らなかったからです。

    だからこそこんなネタで遊ぶことができるのですが(^^)



    それはそれとして、やっぱりわたしはコメディに生きるべきなのか。そういえば最近のショートショート、真っ暗なものだったからなあ。反省……。

    NoTitle

    最近、イギリスドラマのシャーロックを見た僕の脳内では長身の彼がほくそ笑む姿が浮かびます。

    知識不足を嘆いておられるようですが、ポールさんにコメディタッチの物を書かせたら対等に渡り合える人はそれこそプロだと思いますが。
    僕からすればポンポン話が出て来るその頭脳がうらやましす。

    Re: sugataさん

    高評価ありがとうございます!

    謎の男のシリーズは書いてみたい魅力的な題材ですが、よほど知識がないと、手を出すとやけどしそうです。

    これもショートショートだからぼろが目立たないだけで。

    隅の老人と思考機械は出せたから、今度は隅の老人譚からマーチン・ヒューイットを探し出してみようかな(ムリ(笑))

    NoTitle

    面白かったです。それこそ隅の老人ものの短編集で、プロローグとかに使われそうな設定でいいですね。あるいは謎の男の物語をシリーズ化しておいて、この話をエピローグとして使うのもお洒落かも。

    Re: LandMさん

    どの作品のことを指しているのかよくわかりませんでしたが、最近の作品なのでしょうか?

    小学生のころ児童向けリライトで「ルパン対ホームズ」というタイトルを見つけ、ルパンとホームズがいっぺんに読めるなんて最高だ、と思って借りたらガッカリものの内容だったことを今でも覚えています。(^_^;)

    Re: カテンベさん

    喜んでくださって嬉しいです。(^_^)

    もうこれは、「最初に見つけたやつの勝ち」みたいなところがありますので、誰か先に発言するやつがいるのではないかとはらはらしていました。

    ロンドンのことにもっと詳しければ短編ミステリにしてどこかの賞に送るところなんですけど……わたしにはこの五枚もないようなショートショートが限界です。とほほ。

    クトゥルフバイガスライト買おうかなあ……。

    NoTitle

    久々にホームズを見たくなってきたぜえ。。。( ;∀;)
    という感じですね。
    最近、マイブームで、漫画の初代ルパンVSシャーロックにはまっております。初代ルパンもシャーロックもあまりにカッコよすぎて惚れ惚れします(*^-^*)。シャーロックもカッコよいですよね。

    お見事やわ〜

    カチッときれいにハマッてて、もう「隅の老人」てのが、ホームズ作品からのスピンオフ作品に思えてきてしまうわ^ ^

    Re: レバニラさん

    これを書くために「緋色の研究」を本棚から引っ張り出して読んでみました。けっこう面白くて熱中してしまいました。

    この人物が「隅の老人」ではないかというのは「完全版」を読んでまもなくのことでしたが、さあ書くぞ、となったときに意外な伏兵が。ホームズがしがみついていた馬車から、どうやって気づかれずに脱出できたのか?

    ここで詰まって悩んだことを覚えています。結局、古い手に頼ってしまった(^_^;)

    テレビのホームズは、うーん、でした。コレジャナイ感が漂ってました。

    うーん。

    Re: ひらやまさん

    楽しんでいただけてなによりです。

    初登場時に老人に見えたのは、きっとこれはあれですよ。

    「ホームズに見つかるのが怖かった」からですね。おお、見事につじつまが合う(笑) やっぱりこいつしかいない!

    こういうアイデアを論文にしたり短編ミステリにできたりしたらいいんですけど、わたしにはショートショートが精一杯です。知識の不足でしょうねえ。うむむ(汗)

    NoTitle

    どうも、こんばんはです。

    何かの因果か、今日NHK総合でやってた人形劇「シャーロックホームズ」を見ていたんですよ、
    三谷幸喜脚本で「もしも、シャーロックホームズが学園ドラマだったら?」ってな感じのアレンジがされていた奴ですね、
    しかも今日のエピソードはこれまた偶然にも「緋色の研究」でした。

    ・・・私が認めます、
    ポールさん、これはあなたの勝ちだ、
    こっちの方が面白い(笑)

    NoTitle

    おお、いいですね。
    ビル、ときたとたんにニヤリとしました。
    やりますなあ。
    西洋人の年齢はわかりませんから、「隅の老人」初出時に40歳というのは…なくもないか。
    「コンバット」のサンダース軍曹は二十代だったけれども、あのオヤジぶりでしたからねえ。
    世を忍ぶ仮の姿で老人に変身していた、のかも。
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