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    名探偵・深見剛助(冗談謎解きミステリ掌編シリーズ)

    マイペースな子供

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     ぼくは忙しい家で育った。先祖代々、なにか時間に追われるような生きかたをしているのだ。

     まず朝食。うちの一家はほとんど早起きだが、最初に起き出した人間が、まず人数ぶんのトーストを焼いて、バターまで塗ってしまう。それに、ジャムやはちみつをめいめいにつけて食べることになっている。飲むものは、栄養強化された、インスタントミルクコーヒー。ウォーターサーバーから熱湯を注いで、かき混ぜれば十五秒かからずに栄養補給ができる。食べた人間から皿を食洗機に入れ、始発のバスやら電車やらで、職場なり学校なりに飛び出して行くのだ。

     低血圧のせいか、ぼくは早起きが苦手だし、行動もゆっくりだ。ぼくの前には冷めきって、固まったバターがてかてかしているトーストが一枚あるだけだ。たったひとりのキッチンで、ぼくはインスタントコーヒーを作り、それがぬるくなるのを待ちながら、冷え切ったトーストをかじる。個人的には、トーストは熱々で、コーヒーはほんのりとした温かさを残したぬるめというのが好みなのだが、一度無理して早起きし、家族といっしょに朝食を食べたときには、「いつまで食べているんだ! 遅刻するぞ!」とさんざん怒られたので、今はぬるめのコーヒーを味わうだけで満足している。

     遅刻といったって、ゆっくりと自分のペースを守って歩けば、授業の五分前に教室に到着できるラインを知っているし、そもそもぼくは遅刻というものを、どうもそこまで重い罪だとは思えないのだ。遅刻という行為に対し、抵抗感がまったくないというか。

     そんな生活をしていたせいか、大学にすれすれの成績で合格し、アパートを借りてひとり暮らしを始めたときは、天国だと思った。好きな時間に起きていいし、好きな時間に寝ればいい。好きな学部に入ったのだから、講義はすべて楽しいし、レポートを仕上げるのにも、提出日にさえ注意すれば、楽なものだった。マイペースで、どう考えても間に合うラインを設定しておき、ゆっくりゆっくり書いていくのだ。

     こうしてぼくは毎日を過ごしていたが、あるとき、恋に落ちた。しばらくは自分に恋愛だなんて、と思っていたが、勇気を出してデートに誘うと、なんとオーケーしてくれたのだ。大学の最寄りの駅に、午前十時待ち合わせ。日ごろマイペースを通してきたぼくも、これに備えて三十分前に駅に着けるようなラインを組んだ。待っている間は退屈だろうから、ヘーゲルの「精神現象学」の文庫本を鞄に入れておいた。

     駅に来て三十分、彼女は来ない。連絡を取ろうにも、彼女はぼくに携帯の番号もメールアドレスも教えてくれていなかった。向こうも向こうでなにか理由があるのだろう、ぼくはそう考えて「精神現象学」の続きを読んだ。

     連絡がないまま、時間だけは過ぎていく。なにかトラブルでもあったのだろうか、まあ、なにかあったらなにかあったで、そのうちに連絡がくるだろう。

     ぼくは「精神現象学」のページを繰り続けた。

     下巻の最後の部分にとりかかったときには、すでに外は真っ暗で、終電の時間だった。

     いきなり、パトカーのサイレンが鳴り響き、警官たちがばらばらと降りてきて、「このやろう」だとか「逮捕する」だとかいう声が辺りで起こった。

    「加瀬さんですね」

     時代錯誤のジャンパーに、時代錯誤の帽子を被った男が、頭をかきかき近づいてきた。

    「はあ」

    「ぼくは、深見剛助という、一種の犯罪研究家、みたいなものです。あなたのおかげで、殺人事件がひとつ、未遂で終わりました」

    「殺人事件? 狙われていたのは誰なんです?」

    「あなたですよ」

     深見剛助と名乗る男の言葉に、ぼくは動転した。

     深見剛助は続けた。

    「あなたは大学院生ですよね」

    「ええ……大学に入ってから何年になるかは忘れましたが、今は博士課程を履修しています」

    「それに、あなたのレポートや論文は、指導教授からたいへん高い評価を与えられています。学内の噂では、ゼミでも一番の、この大学に間違って入ってきた天才とか」

    「そうなんですか? ぜんぜん気づかなかった……」

     深見剛助は苦笑いした。

    「あなたは、自分がどれほど狙われていたのかがわかっていないようですね。あなたの今取りかかられている論文は、画期的なものだそうじゃないですか」

    「リーマン予想に対する私見レベルですよ、今のところ」

    「その手の本はなんです」

    「ああ、退屈しのぎに持ってきた、専門外の本ですよ。それにしてもヘーゲルってやつは面白いこと考えますねえ」

     そういった後、ぼくは我に帰った。

    「ぼくはどうやって殺されるはずだったんですか」

    「初恋の相手に手ひどく裏切られた末の、絶望からくる自殺、というのが筋書きでした。この駅から一歩でも出たたら、目撃者がいないところであなたは拉致され、行方不明になる、という手はずだったんです。発見されるのは、富士の樹海か、東尋坊か。しかし、誰も思わなかったんでしょうね、来ない女を待って、十五時間も駅に立ち続ける男がいるなんて。改札口で駅員に見られるおそれがあるから、誰も手出しができなかったんです」

    「すると……」

    「彼女の身元は確保したそうです。この一連の犯行計画を練ったイケメンと、マンションの一室でよろしくやっていましたよ。欲しかったのはあなたの数式だけだったらしいですが、それを手に入れるのにドジを踏んだので、逮捕に至ったんです」

    「そうですか……」

     ぼくは彼女の色香に手もなく騙された。しかし不思議と、彼女に対する恨みはわいてこなかった。ただ悲しいだけだった。もしかしたら、これがぼくにとって、大人になる、ということかもしれなかった。

    「深見さん」

    「なんでしょうか」

    「お時間があったら、どこかの店で一杯やりませんか? ヘーゲルから、リーマン予想に対する新たなアプローチのアイデアを思いついたんですが……」

    「ぼくに理解できるとは思いませんが、いいですよ。真理の海岸で貝を拾って遊ぶ子供になるのも、たまにはいいですね」

     ぼくは一生大人になれないらしい。

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    ~ Comment ~

    Re: 椿さん

    もうこのときは毎日深見剛助を更新しなければならん、という強迫観念じみたものに取りつかれていたせいもあり、深見剛助が紅恵美向けの事件を解決してしまいました(^^;)

    まあ紅恵美なら、事件発覚後十分でこういう結論に達していたでしょうからそういう意味では深見剛助向けだったかもしれませんね(^^)

    それとも稲井警部ものにするべきだったかなあ。うちのショートショートでも二、三篇くらいしか活躍していない人ですが、うーむ、あの人もジャンルが違うか。

    人情ものミステリ難しい(^^;)

    NoTitle

    マイペースが命を救ったんですね。
    それでも、何だかもの悲しさが残る味わいのある短編です。
    語り手さんのキャラが良いのかな。

    君は、そのままでいいよ。
    いつか、ちゃんと分かってくれる人に出会えるから。
    そう言いたくなりました。

    Re: かえるママ21さん

    昔、会社の入社試験であったそうですね。入社希望者を、ファミレスかどこかで、面接するから待ち合わせ、といっておいて、物陰から「いつ怒って退席するか」を延々と監視・観察する、っていうやつ。

    そこから思いつきました。こういう入社試験だったら、文庫本さえあればいくらでも粘れるのにな、と思いましたが、よく考えると、これはブラック企業の人材登用システムでしたなあ……。

    NoTitle

    これは非常に面白かったです。
    引き込まれました。
    周りから見える自分と、本当だと思ってる自分・・・違うのかもしれませんよね、。誰かが教えてくれない限り・・・

    (ずれたコメントだったかな?)(~_~;)

    Re: 面白半分さん

    このところ深見剛助が普通に名探偵している……いいのかなこれで(^_^;)

    Re: カテンベさん

    そういやこういう人いたなあ。

    自由惑星同盟の元帥で……(笑)

    NoTitle

    お得意?の恋愛モノに
    深見剛助が渋く絡んできましたね。

    切なく味わいのある一篇ですなあ

    おー、すごーい(((o(*゚▽゚*)o)))

    時間に対する感覚が人と違うとどないやねん?て思たけど
    意図せず人の予想を越えていけるもんになってるとはねー
    気概ややる気なんてのが表に出ないタイプにみえるんやろねぇ
    まわりの人が対抗心燃やしてみても、肩すかし食らった気分にしかならへんねやろねー
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