「ナイトメアハンター桐野(二次創作長編小説シリーズ)」
3 吸血鬼を吊るせ(完結)
吸血鬼を吊るせ 1-4-1
4
夢の中に入る。口でいうのは簡単である。だが、実際そこで何が起きているのかは、わたしにもよくはわからない。物理的に脳の状態を同じように持って行き、同調させるのか、ユングの「集合的無意識」が何らかの関わりを持っているのか、古代からの神話や伝承が正しく、われわれのよく知る三次元のこの世界とは別に、「夢の世界」というまったく別次元の豊穣な世界が広がっているのか……。もう、何とでも思ってくれ、だ。
まあ、わたしとしては実際に、精神を集中してある種の「相」に達したとき、対象となる患者(厳密には違うがわたしにとってはみんな患者みたいなものだ)の見ている夢と同一の世界を認識でき、こちらからもその夢の中で、いくらか患者に対して働きかけることができるということだけで十分だ。
夢の中では気楽なものか、というとそうでもない。気楽どころか危険だらけである。だからこそわたしも仕事になるわけだが。
それにしてもこれが遥流子の夢か。
暗黒。ただ暗黒が支配している空間。わたしの身体はそこに浮いていた。音に注意を向ける。何も聞こえない。触感も何も感じない。
だが、そこで強烈に感じられたのは。
むせ返るような血の臭いと味!
何だ、これは!
遥流子の自我はこの闇と血の世界のどこにいるのだ?
わたしは周囲を見た。いや、見ようとした。
見えなかった。何も。遅まきながらようやく気がついた。闇なのではない。視覚が、聴覚が、そして触覚がいずれも封じられ、意識からすっぱりと切断されている。
わたしは何物かにすっぽりと飲み込まれていたのだ!
焦った。手足があったらばたばたと動かすところだが、今のわたしには嗅覚と味覚だけしかない。
進む。どこへ? 退く。どこへ? どこへも行きようがない。基準となるべき不動の点がないのだからそれも当然だ。上も下も右も左も、いまのわたしには存在しないのだから。
血の味と臭いが濃くなってきたような感じがした。気のせいか? だが、慣れてきたのならかえって味と臭いは薄くなるはずだろう。
そこまで考えて慄然とした。
わたしはこの何物かに消化されかかっているのではあるまいか? 食虫植物に捕らえられたハエの連想が浮かんだ。そんなのは願い下げである。
なんとかしなくてはなるまい。
精神を集中した。頭の中で医学的な知識をフル回転させ、眼と視神経をイメージする。イメージすることにより夢の中の自分を変容させるのだ。わたしはこの作業を「物象化」と呼んでいる。
「眼」を開けた。依然として暗闇である。眼を作るのに失敗したのだろうか。
灯りが欲しい。光球をイメージし、身体のそばに置いた。
作った眼は確かに良くできていた。光球を「見る」ことができたのだから。
精神をさらに集中し、光球の明度を上げていく。
周囲の様子がわかってきた。わたしは、不透明な液体のまっただなかにいた。それが血液であることは考えるまでもない。液体ということは周囲を何かで囲まれているのだろう。そこをぶち破れば、状況もはっきりするに違いない。
問題はそれが、誰の、血液かということである。もしも遥流子のものだとしたら、ここから下手に動くと精神を傷つけてしまいかねない。よくてトラウマ、悪くて廃人、最悪で眠りから二度と目覚めない身体になってしまう可能性がある。
悩んだ。
わたしは光球をそばに従えながらそろそろと前進(?)した。どこかに遥流子の自我があるはずだ。それがあるとしたら中心か外辺部であろう。乱暴な推論だが、わたしが侵入した点を、この血の海の中心だとすれば、外周をたどって行けば遥流子に出会える可能性も高い。この血の海自体が自我そのものという可能性は切り捨てた。もしもそうならば、必要なのは精神科医であって、ナイトメア・ハンターではない。確かにわたしも精神科医だった時代はあるが……。過ぎた過去は忘れよう。
しばらく進むと、光球はそれ以上前進しなくなった。どうやら壁に来たらしい。精神力で「手」を作る。触覚をイメージするのだ。
精神力が形となってきた。だんだんと周囲の粘っこくて生暖かい液体の感じを感じ取れるようになってくる。おぞましい経験だ。我慢して「手」を伸ばした。
触れた。壁である。手触りは弾力があった。それだけではない。
拍動を感じた。
生きている?
そうだった。血をいっぱいに飲み込んだそいつは、生きていたのである。
遥流子か。だとしたらこれを傷つけるわけにはいかない。
夢魔か。だとしたらこれを何とかして打ち破らなくては。
どちらだ。
わたしは判断を棚上げした。何であれ、これが血液ということは必ずやどこか、吸入ないし排出する穴があるに違いない。そこから出られれば。
ポーの「陥穽と振子」のように、生きている独房の壁を這いずりまわった。文字通り手探りである。
そのうちに、形がおぼろげながらわかってきた。どうやら、紡錘形をしているらしい。ならばその頂か基部に出口がある可能性が高い。カーブの角度を触感で確かめつつ、頂のほうに進むことにする。
血の臭いと味はますます強くなってきた。早くしないとこちらも危ないかもしれない。
カーブの角度が急になった。いよいよ頂だ。
「手」で探った。あった。ここから外につながりそうな穴である。きつく閉じられているが、「手」を突っ込んでみると、入ることができるらしい。
どうするか。
もしかしたらもうひとつ出口に当たるものがあるかもしれない。この穴はほっておいて、さらにこの閉鎖空間を探ってみるか。
ここの穴が安定的に存在するとはいえない。好機を逃さず、今のうちにここを通って事態の打開を目指すべきかもしれない。
心を決めた。
夢の中に入る。口でいうのは簡単である。だが、実際そこで何が起きているのかは、わたしにもよくはわからない。物理的に脳の状態を同じように持って行き、同調させるのか、ユングの「集合的無意識」が何らかの関わりを持っているのか、古代からの神話や伝承が正しく、われわれのよく知る三次元のこの世界とは別に、「夢の世界」というまったく別次元の豊穣な世界が広がっているのか……。もう、何とでも思ってくれ、だ。
まあ、わたしとしては実際に、精神を集中してある種の「相」に達したとき、対象となる患者(厳密には違うがわたしにとってはみんな患者みたいなものだ)の見ている夢と同一の世界を認識でき、こちらからもその夢の中で、いくらか患者に対して働きかけることができるということだけで十分だ。
夢の中では気楽なものか、というとそうでもない。気楽どころか危険だらけである。だからこそわたしも仕事になるわけだが。
それにしてもこれが遥流子の夢か。
暗黒。ただ暗黒が支配している空間。わたしの身体はそこに浮いていた。音に注意を向ける。何も聞こえない。触感も何も感じない。
だが、そこで強烈に感じられたのは。
むせ返るような血の臭いと味!
何だ、これは!
遥流子の自我はこの闇と血の世界のどこにいるのだ?
わたしは周囲を見た。いや、見ようとした。
見えなかった。何も。遅まきながらようやく気がついた。闇なのではない。視覚が、聴覚が、そして触覚がいずれも封じられ、意識からすっぱりと切断されている。
わたしは何物かにすっぽりと飲み込まれていたのだ!
焦った。手足があったらばたばたと動かすところだが、今のわたしには嗅覚と味覚だけしかない。
進む。どこへ? 退く。どこへ? どこへも行きようがない。基準となるべき不動の点がないのだからそれも当然だ。上も下も右も左も、いまのわたしには存在しないのだから。
血の味と臭いが濃くなってきたような感じがした。気のせいか? だが、慣れてきたのならかえって味と臭いは薄くなるはずだろう。
そこまで考えて慄然とした。
わたしはこの何物かに消化されかかっているのではあるまいか? 食虫植物に捕らえられたハエの連想が浮かんだ。そんなのは願い下げである。
なんとかしなくてはなるまい。
精神を集中した。頭の中で医学的な知識をフル回転させ、眼と視神経をイメージする。イメージすることにより夢の中の自分を変容させるのだ。わたしはこの作業を「物象化」と呼んでいる。
「眼」を開けた。依然として暗闇である。眼を作るのに失敗したのだろうか。
灯りが欲しい。光球をイメージし、身体のそばに置いた。
作った眼は確かに良くできていた。光球を「見る」ことができたのだから。
精神をさらに集中し、光球の明度を上げていく。
周囲の様子がわかってきた。わたしは、不透明な液体のまっただなかにいた。それが血液であることは考えるまでもない。液体ということは周囲を何かで囲まれているのだろう。そこをぶち破れば、状況もはっきりするに違いない。
問題はそれが、誰の、血液かということである。もしも遥流子のものだとしたら、ここから下手に動くと精神を傷つけてしまいかねない。よくてトラウマ、悪くて廃人、最悪で眠りから二度と目覚めない身体になってしまう可能性がある。
悩んだ。
わたしは光球をそばに従えながらそろそろと前進(?)した。どこかに遥流子の自我があるはずだ。それがあるとしたら中心か外辺部であろう。乱暴な推論だが、わたしが侵入した点を、この血の海の中心だとすれば、外周をたどって行けば遥流子に出会える可能性も高い。この血の海自体が自我そのものという可能性は切り捨てた。もしもそうならば、必要なのは精神科医であって、ナイトメア・ハンターではない。確かにわたしも精神科医だった時代はあるが……。過ぎた過去は忘れよう。
しばらく進むと、光球はそれ以上前進しなくなった。どうやら壁に来たらしい。精神力で「手」を作る。触覚をイメージするのだ。
精神力が形となってきた。だんだんと周囲の粘っこくて生暖かい液体の感じを感じ取れるようになってくる。おぞましい経験だ。我慢して「手」を伸ばした。
触れた。壁である。手触りは弾力があった。それだけではない。
拍動を感じた。
生きている?
そうだった。血をいっぱいに飲み込んだそいつは、生きていたのである。
遥流子か。だとしたらこれを傷つけるわけにはいかない。
夢魔か。だとしたらこれを何とかして打ち破らなくては。
どちらだ。
わたしは判断を棚上げした。何であれ、これが血液ということは必ずやどこか、吸入ないし排出する穴があるに違いない。そこから出られれば。
ポーの「陥穽と振子」のように、生きている独房の壁を這いずりまわった。文字通り手探りである。
そのうちに、形がおぼろげながらわかってきた。どうやら、紡錘形をしているらしい。ならばその頂か基部に出口がある可能性が高い。カーブの角度を触感で確かめつつ、頂のほうに進むことにする。
血の臭いと味はますます強くなってきた。早くしないとこちらも危ないかもしれない。
カーブの角度が急になった。いよいよ頂だ。
「手」で探った。あった。ここから外につながりそうな穴である。きつく閉じられているが、「手」を突っ込んでみると、入ることができるらしい。
どうするか。
もしかしたらもうひとつ出口に当たるものがあるかもしれない。この穴はほっておいて、さらにこの閉鎖空間を探ってみるか。
ここの穴が安定的に存在するとはいえない。好機を逃さず、今のうちにここを通って事態の打開を目指すべきかもしれない。
心を決めた。
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~ Comment ~
ドキドキの展開に、私も血の臭いと味が感じられるような気さえしてしまいました(〃゚д゚;A
これから桐野センセイがどうなってしまうのか。続きも楽しみにしています♪
これから桐野センセイがどうなってしまうのか。続きも楽しみにしています♪
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ありがとうございます。どうもわたしは描写という奴が苦手で、この悪夢もリアルに描けていたかどうかと思っていたのですが、そうおっしゃってくださると嬉しいであります。
>ネミエルさん
わたしも血は苦手ですねえ。その割りに指の先を傷つけて血を出すことはしょっちゅうですけど
σ(--;)イタイ…