荒野のウィッチ・ドクター(長編ファンタジー小説・完結)

    荒野のウィッチ・ドクター(7)

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    stella white12

     7 鞭



     ジャヤ教徒の神殿へ向かうまでの野営地。テマとアトのいるテントの中は、血のにおいでいっぱいだった。

     これで何度目になるだろうか、手足を縄で幾重にも縛りつけられたアトの裸の背中に、鞭が振り下ろされた。革と針金で編まれた、ささくれだった鞭である。

     同じく縛られたテマは憎悪がみなぎった瞳で、鞭を振り下ろす男を見つめていた。

     男は視線に対し、鼻で笑って返した。

    「殺しゃしねえよ」

    「だったら早くそいつを放せ。鞭で打つのも、やめたらどうだ」

    「そうはいかねえ」

     男はふたたび鞭を振り上げ、アトの背中をしたたかに打った。血が飛び、肉片が飛んだ。アトは猿轡をかまされた奥歯を噛み締め、痛みに耐えた。

     そうだ。こいつらが自分を解放するはずがない。

    「しかし兄貴も、頭がいい。この男に、絶えず生傷を作り続けておけば、この娘っ子も、気が狂うように痛えとかいう、傷を食う黒い獣を解き放つわけにはいかねえってことだからな」

     テマは低い声でいった。

    「……本気でそう考えているのか?」

    「本気だとも。嬢ちゃんにそれができるんだったら、昨日のうちにとっくにやってらあね。してねえってことは、できねえってことよ。この野蛮人の男を、気が狂うほどの痛みにさらすなんてこたあな!」

     テマは黙った。

     結局、そういうことになるのだ。アトが傷を受けながらも生きているかぎり、テマは力を使えない。

     当然、アトは死ぬことを考えたが、猿轡をかまされている以上、舌を噛み切るわけにもいかなかった。自分から気を狂わせることも考えたが、どうすれば自分から気を狂わせることができるかなどわからなかった。

    「あきらめたほうがいいみたいね」

     テマは声の調子を変えた。

    「おじさん、あたしと遊ばない?」

     男は大笑いした。

    「デムドの町でなにが起きたか、兄貴が知らねえとでも思っているのか? 誘惑されて口をつけたとたん、いきなり唇を噛み切られ、獣に食われて気が狂っちまったやつの話をよ? お前みてえな牝狐のうえに小便くさい小娘とやるくらいなら、銀貨の一枚も払えば、もっとマシで安全な女が買えらあ」

     テマは憮然とした顔で吐き捨てた。

    「ふん、そうとうに頭が切れるんだな、あんたの兄貴って」

    「おうよ。『敵を知り己を知れば、百戦して危うからず』とかいうありがたい言葉を、口癖にしているような男だからな。同じく、『君子は危うきに近寄らず』ともいってたな。それを守っていたから、おれもここまで生きて来れたのよ」

     これも兄貴というやつの考えなのか。手を出せる隙がまったくない。黙り込んだテマを見ていられなくなり、アトは目を閉じた。手足さえ自由ならば、こんなたるんだ肉体の男など、一撃で気絶させられるのに。

    「おい、三下」

     テマがいった。

    「せめて水くらい飲ませてやってくれないか。お前の鞭のせいで、あたしの従者は深刻な脱水症状を起こしている。この暑さなら、いつ死んでもおかしくないぞ」

     男は下卑た笑いを浮かべると、部屋の隅から皮袋を取ってきた。

    「まずは、身体を冷やしてやらないとな」

     皮袋の栓が抜かれ、中身の液体がアトの背中に振り掛けられた。

     アトは絶叫した。皮袋の中身は、きつい酒だったのだ。傷口に染みた酒は、猛烈な痛みを、その身体にもたらした。

    「この野郎、あたしの従者に、なんてことをしやがる!」

     テマは叫んだ。

    「おっと、すまねえすまねえ。口のほうだったな、口」

     男はアトの猿轡を外すと、右手を伸ばし、皮袋をその口のほうへ持っていった。

     アトはその瞬間を見逃さなかった。これまで縮めておいた首の筋肉を伸ばし、渾身の力で男の右手首に噛み付いたのだ。

    「げっ……!」

     アトの口に、塩辛く甘さを感じる液体が流れてきた。

     テマはにやりと笑った。

    「その体勢にしてはよくやった、アト。おい、三下、静脈を噛み裂かれた気分はどうだ」

    「て……てめえ、この」

     アトはわずかに噛み位置をずらした。それを見てテマは続けた。

    「そして今、アトの歯が当たっている位置が、お前の動脈だ。そこを噛み裂かれたら、赤い血が噴水のように噴き出し、お前は失血多量で死ぬ。アトもあたしも殺されるだろうが、お前も死ぬわけだ。捨て駒にしては長生きしたほうだが、ちょっとでも動いたり、叫んだりしたら、その長生きの記録も終わる」

     男の顔は蒼白になっていた。

    「生き残りたければ、その腰にある短剣をさやから抜いて、あたしのほうに蹴飛ばしな。みっつ数える前にあたしのところに届いてなければ、アトはお前の動脈を食い破る。脅しじゃない」

     ひと呼吸おいて、テマは数え始めた。

    「ひとつ……」

     みっつまで数える必要はなかった。左手で短剣を抜いた男は、それをテマのほうに蹴飛ばした。

     足で器用に短剣を受け止めたテマは、そのまま足の親指で短剣をつかみ、柔軟な身体で背中に持っていくと、縄を切り始めた。

     一本を切ったら、後は早かった。するすると縄から自由になったテマは、男を迂回するようにしてアトの足元へ行くと、その縄を切り、足を握った。

    「移れ……」

     テマの身体が燐光を発した。アトの身体にさんざんにくわえられていた傷が、みるみるうちに治っていく。それと同時に、テマは苦痛のうめきを発し、背中から血を流し始めたが、その顔には勝利の色があった。

     男は、ようやく事態の何たるかを察した。叫ぼうとした時は遅かった。アトが動脈を噛み切ったのだ。血が激しく噴き出すのと同時に、テマは叫んだ。

    「食え!」

     黒い触手のようなものが、地面から湧き出し、テマと、男の身体をついばみ始めた。

     テマはよろけながらもアトの両手首の縄を切った。つい先ほど、身体の傷を移し取られ、手の痺れまでもが治り、完全に健康体に戻ったアトは、テマの身体を抱えると、テントを飛び出した。

     とにかく、このいまいましい土地を抜け、一刻も早くどこか安全な場所に行かなくてはならない。

     アトは走った。走れるだけ速く走った。闇の中を、どこまでも走った。

    「おい、アト……」

     ようやく全ての傷を獣が食べ終わったのか、テマは弱々しい声でいった。

    「どこか、行く場所にあてでもあるのか?」

    「ないようである。あるようでない」

     アトはそう答えた。

    「つまり、それって」

    「おれは精霊の導きのままに走る。それだけだ。もし、考えたりしたら、相手の罠にはまりに行くようなもの。それならば、精霊が示す道を行くほうが、たとえ罠に陥ることになっても、おれの気持ちが納得する」

     テマは白い顔で笑った。

    「ほんと、めんどくさいやつだな、お前って……」

     悪態もそれが限界だったらしい。

     アトがその顔に目を向けると、いつの間にか、テマは眠っていた。



    「こんな簡単な仕事をねえ」

     くちゃくちゃと葉を噛みながら、そのわずかに中年の域にさしかかったポンチョの男は、うなだれる手下たちを見ていた。

    「す、すまねえ、兄貴」

     まるまると太った男は、頭を下げた。

    「まさか、ビグの野郎が、あんなへまするとは思わなかったんで……」

    「ビグはどこにいる?」

    「へまの責任を取らせようと、仕置きいたしやした」

     中年男は目をしばたいた。

    「お前の独断でか、デム」

    「へい」

    「独断で殺したのか……ってことは、お前も認めるんだな、このへまは、ぶっ殺されても文句ひとついえねえほどの重さがあるってことをよ」

     デムと呼ばれたその太った男の顔が、真っ青になった。

    「へ、へえ」

    「信賞必罰って言葉を、お前は知ってるか。兵書にいわく、『君子は賞罰を明らかにすべきなり。薄きには薄きを、厚きには厚きをもって報いらば、兵はいかようにも動く物なり』ってな」

    「へ、へい……」

    「この野営地の責任者としておれが指名したのは、デム、てめえだ。責任者ってえのは、責任を取るから責任者、てえんだ。ビグはたしかに阿呆だったが、自分の不始末は自分の身体で償った。あのふたりに逃げられたってえことは、頭をおかしくされたか身体をおかしくされたか、どっちかだろう。それに対してお前はどうだ? 逃げられた責任は手下に押しつけ、ぶっ殺し、自分は口で謝りゃあいいと思ってる。違うか?」

    「へ、へ、へい……」

     男は噛んでいた葉をぺっと地面に吐き捨てた。

     その瞬間。

     男の右腕がすばやく動いた。短剣を抜きざま、すばやく振り回したのだ、とデムが気がついたのは、自分の左の耳が、ぼたり、と地面に落ちてからのことだった。

    「これで、ちったあ頭も軽くなっただろ」

    「……ぎい!」

     男は短剣に、ぼろきれで拭いをかけた。

    「いっておくが、二度目はない。暇なやつ、デムの手当てをしてやれ。塩でももみこめば、いくらか頭もよくなるだろうからな」

     男は、不審そうな顔で足跡を見た。

    「しかし……」

     首をひねる。

    「たとえ逃げるにしても、どこからどう逃げても、おれの罠にひっかかるように陣を組んだんだがな。そのことごとくをすり抜けていきやがった。いったい、あいつらの後ろには、どんな悪魔がくっついているんだ」

     まあいい。

     とりあえず、あの娘らの持っていた、金貨三百十八枚は手に入れた。一千枚とはいかないが、これだけでもたいした収穫だ。男は馬にまたがると、金貨百枚の入った袋を手下たちに放り投げた。

    「てめえらの取り分だ。好きに分けろ。そのうえで、ついてくるかこないか決めな。判断は自由だぜ。じゃな。はあっ!」

     男は馬に鞭をくれた。馬は走っていく。どこへ? ……どこか罠と策謀の迷路へと。



    (来月に続く)
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    Re: 山西 サキさん

    前回のピンチになったシーンを書いたとき、「どうやってそこから脱出するか」をまるで考えていなかったのは秘密だ!(笑)

    まったく身体が柔らかい娘でありますテマちゃん。

    でも、次回はこの手が使えないからなあ……。ううう頭が(^_^;)

    月末までに書けるのか、わたし?(^_^;)

    NoTitle

    おお!足の親指ですか?テマが器用に足の指を使う様が目に浮かびます。まるでジムシーみたいですね。
    ほんとうに起死回生、そして危機一髪でした。このコンビのお互いを思いやり、息の合う様子が面白いですよ。お互いにお互いを必要としているコンビになってきているのですね。傷を移してそれを食わせて痛みに耐えるそのテマの精神力に驚きますし、アトに抱かれて眠るテマの様子が可愛いですし、アトの能力に高さに感心します。
    “兄貴”もずいぶん冷静で非情で、頭が切れるようですがテマの切れとの勝負が楽しみになってきました。
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