「紅探偵事務所事件ファイル」
    夕闇のメッセンジャー

    夕闇のメッセンジャー 1

     ←イギリス薬瓶の謎 →オタ句 5月25日



     秋の陽はつるべ落としというが、まさしくそのとおりだった。夕闇が迫っているというのに時計は六時にもなっていない。そんな中、外回りから帰ると、扉の前で疲れきった顔をした老人とすれ違った。探偵事務所に来てあんな顔をするのは依頼人か債権者だが、うちの所長が金銭でそんなドジを踏むはずはないから、依頼人に違いない。

     推理は当たった。事務所の扉を開けると、透き通るような声がこう言ったからだ。

    「竜崎、仕事が入ったわ」

    「たった今事務所の前で老人とすれ違いましたが、あの人が依頼人ですか?」

    「ええ、そうよ」

     わたしは荷物を椅子の上に置き、携帯を卓上の充電器に差し込むと、紅恵美の座る机の前に立った。

    「どんな仕事です? 苦労ばかりして儲からない仕事は嫌ですよ」

    「状況を説明するわね」

     この小さなビルのオーナーにして、わが紅探偵事務所所長であらせられる紅恵美はそう言うと、頑丈さだけが取り柄の事務机の上に肘をつき、両手を組み合わせた。その美貌のせいか金力のせいか、単にわたしの雇い主であるせいかは定かではないが、二十にもなっていない娘がとるポーズにしてはサマになっている。さすがは天下の総合商社、というより財閥の娘だ。

    「ことの起こりは、とある昔かたぎの……と本人たちは思っているかもしれないけど、単に価値観が古くて偏狭なだけね……暴力団の組長が溺愛する娘が、生業を嫌って家を飛び出したところから始まるわ」

    「性格は所長みたいな娘さんですな」

    「これが写真よ」

     眼の前に数枚のカラー写真が置かれた。なんともさえないカップルが写っていた。この女の方だろう。男と一緒に笑っている顔をしばし見る。

     ……顔の偏差値は三十八というところか。

    「竜崎、あなた、今最低なこと考えたでしょ」

    「いえ別に」

     わたしは慌てて言った。

    「ところで、この娘のお名前は?」

    「甲斐雪子。当年とって二十」

    「所長より年上じゃないですか」

    「親にとっては娘に間違いないから娘といったまでよ。なにかおかしなところが?」

    「理屈じゃそうですが……まあいいです。家を飛び出してどこへ?」

    「花の都のわれらが東京。なんでも芸能界入りを希望していたらしいわ」

     雪というよりは乾きかけのコールタールを丸めたような面と肌の色を見て、わたしは唸った。悪い意味でただのブス。カリスマ性のかの字もない。

    「思いとどまった方がいいのではないですか。風俗業でさえ採用するとは思えない」

    「やっぱり最低なこと考えていたわね。……本人もそこらへんはよくわかっていたし、当然ながら周囲もそこらへんをよくわかっていたのよ」

    「失礼。さっき、甲斐とおっしゃいましたよね。甲斐……甲斐というと、もしかしてあの甲紋会の?」

    「そうよ。『殺しの甲紋会』の泣く子も黙る組長、甲斐繁信がこの人の親御さんよ」

    「甲斐繁信の娘に生まれたんじゃ、どこぞの劇団にでも逃げ込みたくなるでしょうな。一年に何人刑務所に入るんです? 甲紋会の構成員は」

    「数えたくはないわね。もっとも甲紋会サイドで宣伝のために水増ししているのかもしれないけれど。話がそれたみたい。元に戻すわ。甲斐雪子も自分の容姿については何の幻想も抱いていなかった。そこで彼女は声で勝負することにしたわけ」

    「声? 歌でも?」

    「ボイスアクター、すなわち声優よ。彼女には天与の素晴らしい声と表現力が備わっていたらしいわ。この不況の中、バイトの口にも運良くありついて、切り詰めた暮らしをしながら養成所に通っていたそうよ。まあそんなことを知って、甲斐繁信はしばらく事態を静観することに決めた。大きな抗争の後で万事について控えていたというのも理由の一つだけど、ここで誰かが止めていればねえ……」

     言っている意味がどうもよくわからない。

    「聞いた限りではどこにも問題はないように思えますが。むしろ、祝福してやってしかるべきではないかと」

    「問題はここからなのよ」

     紅恵美はひらひらと手を振った。

    「甲斐雪子がありついたバイトの口というのはレストランの厨房、要するに皿洗いという比較的堅いものだったけど、そこで稼ぐだけのお金では演劇ないし声優活動のステップアップは難しいと踏んだのね。というわけで彼女は余った時間でさらに収入の増大を図った」

    「何をしたんです? オレオレ詐欺?」

    「成人向けのパソコンゲーム、いうところのエロゲーに声として出演したのよ。主演だったとか」

    「甲斐繁信の娘が? アダルトソフトに?」

    「そう。タイトルもふるっていたわ。『奴隷組長~肛虐の組織暴力』」

    「ああ」

     わたしは天を仰いだ。

    「アダルトとはいえパソコンゲームへの声の出演くらい、天人ともに恥じることはないわよね、確かに。それでも旧弊な倫理観に縛られているうえに面子が命のような商売をやっている甲紋会にとっては、身内のスキャンダルというだけにとどまらず一門全体の恥に思えたらしいわ。そうでなくても肛門と甲紋の語呂合わせ、甲斐雪子が親に対する意趣返しのつもりで演じることにしたのかどうかは知らないけれど、これは甲斐繁信でなくても激怒するわね」

    「市販されたんですか?」

    「されたどころか、作ったところもびっくりするような大ヒット。甲斐繁信の怒りは二乗よ」

    「……それで?」

    「怒り狂った甲斐繁信と甲紋会は、まず娘の身柄を拘束、実家に連れ戻すと、次は通っていた養成所を急襲、責任者をフクロ。最後は例のソフトの製作会社を襲撃、企画者と製作者を手当たり次第に拉致しては半殺しにし、しまいにはムチャクチャな言いがかりをつけて大金を奪い取ったそうよ」

    「甲斐繁信の気持ちもわかるような気がしますが……。それで、依頼人というのは?」

    「来栖泰造氏。メインのゲームデザイナー、来栖幸一のお父上よ」

    「来栖幸一も甲紋会に?」

    「例に漏れず半殺しの目に遭ってるわね。話では甲斐雪子と恋愛関係にあったそうだけど、助けにはならなかったみたい」

     わたしはもう一度数枚のカラー写真をよく見た。甲斐雪子と一緒に写っている男には二種類あった。髪の長いのと短いのだ。どちらも一目でオタクとわかるファッションと面構えをした、さえない雰囲気のメガネ男であることでは共通していたが、髪の短いほうが写っている写真は数枚のうちで一枚きりだった。

     多く写っているほうの髪の長い男を指差して尋ねた。

    「この男が来栖幸一ですか?」

     紅恵美はうなずいた。

    「もう一人は?」

    「この髪の短い男ね。あたしも来栖氏に尋ねてみたわ。彼の話によると、来栖幸一の高校の後輩にあたる長倉なんとかという男らしいわね。いちおうこの男についても調べてみるけど、写真に混ざっていたのは単なる偶然でしょうね」

    「来栖幸一のいたソフト会社に入っていたわけではないんですね」

    「専門学校を卒業したら加わるかもしれない、と来栖幸一は泰造氏に話していたそうよ。そういうわけで彼はどうやら甲紋会の報復リストから逃れたみたい。今のところあたしたちの仕事には関係ないとみて差し支えないでしょう」

    「わたしは何をすればいいんです」

    「あたしたち」

     紅恵美は念を押すようにそういうと、続けた。

    「簡単にいったらメッセンジャーよ。まずは行方知れずの甲斐雪子を探し出し、そして何とかしてコンタクトを取り、この手紙を手渡すこと。返事をもらってこられればなお良し」

     紅恵美は机の引出しを開けて一枚の色気のない定型の封筒を取り出した。

    「使者ですか。中には?」

     わたしの問いに彼女は首を振った。

    「さあね。手紙か写真かだとは思うけど、依頼人がどうしても直接彼女に、といっていたからそれ以上のことは差し控えたわ。違法な物や危険な物ではない、という言質は取ったから、それを信じるしかないわね」

    「心証はどうですか?」

    「きれいなものよ。嘘をいったり、よけいな隠し事をしている様子はなかったわ。あたしが経験不足でダマされているのかもしれないけど」

     ……わずか十六のときに違法ギャンブルおよび先物取引でビルと店子と探偵事務所を徒手空拳から手に入れた天才的頭脳の持ち主が何をいっているんだ。経験だと? 下手をすればわたしよりも豊富だぞ、あいつは。

     とは思ったが口には出さず、わたしは封筒を手に取ってためつすがめつすることで知らんふりをした。封筒の重さを量るのにもすぐに飽き、紅恵美に尋ねる。

    「何時の電車に乗ればいいでしょう?」

     甲斐繁信の本拠は確かN県上原市にあったはずだが……。そんなこちらの思考を読んだかのように紅恵美は答えた。

    「出入りが近いから、いつまでも自宅に甲斐雪子を置いていない可能性があるわ。これから甲紋会のコンピュータをハックして彼女のその後のおおまかな移動先を推測するから、その作業が終わるまでは動かないほうがいいわね」

    「わかりました」

    「それと竜崎」

    「はい」

    「特売の『缶詰どれでも一個五十円』セール、買えるだけ買ってきたでしょうねえ!」

     もちろんだった。わたしは椅子の上に置いたスーパーの戦利品を持ち上げた。

     的確な投資と資産運用で金には不自由していないはずのこの娘は、どうでもいいようなところでケチなのである。


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    Re: にゃむにゃむさん

    ありがとうございます。

    いつの間にかこういう語り口の小説は絶滅危惧種になっていたのでしょうか(^_^;)

    リューインのアルバート・サムスンとかグリーンリーフのジョン・タナーとか大好きなんですけれど。

    わたしのこのシリーズは、ショートショートもいくつかあるので、「雑記録ファイル」をよかったらお読みになってくだされるとありがたいです。

    いつかは長編も書きたいです。

    どうぞご贔屓に……。

    NoTitle

    アルファポリスからきました!!!
    ミステリー色強めのハードボイルドの王道パターンって感じで面白かったです!!!この路線のハードボイルドってネットではあんまり見かけないですよね!文章もうまいと思いました!!!

    Re: limeさん

    いえ、基本的にこの二人組は「冒険小説」の主人公として設定しました。竜崎くんが内閣調査室あがりなのはそういう理由です。

    デビューさせたのは二十年以上前の大学在学時で、そのときは檜原村に隠蔽された、ナチス政権下のドイツから大戦中に密かに持ち込まれた原爆つきのV2号ミサイルを使って東京に大規模テロを起こそうとするネオナチのテロリストの一団とことを構えることになる、という話だったのですが、残念ながら散逸してしまいました。会誌にまとめた前半部は大学のサークルの部室に眠っているかもしれませんが、ウケが悪く会誌にさえまとめられなかった後半部はもうどこにもありません。

    たぶんいまなにかの拍子で出てきても自分でボツにするでしょうね。二十年前ならまだいくばくかのリアリティはあったでしょうが、戦後七十年の今では幼稚園生でも納得させられないもんなあ……。

    NoTitle

    これが、紅恵美探偵の本編なんですね?
    テンポが良くて元気があって、面白いなあ。
    なんだか、アルファさん好きそう^^
    秘蔵のお話がまだまだたくさんありそうで、うらやましいです。
    つづきも楽しみにしていますね。

    Re: 椿さん

    これはワープロからパソコンに移り、ワードで書いた最初の小説です。目標は、「できるだけ長く書こう」まあリハビリみたいなもんですな(^_^;)

    そのために大学時代に設定したキャラクターを掘り出したところ、これで意外とコピー同人誌一冊が埋まるくらい書けたので、「あっ、けっこうまだなんとかなるんじゃないかおれ?」と錯覚して「エドさん」や「ナイトメアハンターの掟」や「夢逐人」を書きだした、という。

    ここでUPすることにしたのは、

    「今度のアルファポリスのミステリー小説賞に送ろう」

    という下心が……(^_^;)

    ちなみに全八回。来月頭には終わりますのでご安心。

    NoTitle

    紅探偵事務所だ! 恵美ちゃんだ、竜崎さんだ!
    なかなか剣呑な事件になりそうですが、どう展開するのか楽しみにしております!
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