「紅探偵事務所事件ファイル」
    夕闇のメッセンジャー

    夕闇のメッセンジャー 8

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    「……!」

     甲斐雪子はけらけらと笑っていた。無垢な喜びの声とも、悪意に満ちた黒い笑いとも決めかねる声で。長倉友則はそれを呆然と見ていた。

     ぴたりと笑いは止み、甲斐雪子はまっすぐわたしを見据えていった。

    「これが返事です」

    「それだけでいいのですか?」

    「はい。来栖幸一のご家族に伝えてください」

    「雪子! 何が書かれていたんだ!」

     甲斐繁信がいった。

    「探偵さん……?」

    「あなたがいいのならば、当然、誰に見せようとかまいません」

     甲斐繁信は手紙を甲斐雪子から受け取ると、読んだ。

    「雪子! なんだこれは! まあいい。人の娘に手を出した応報というやつだ」

    「失礼ですが……いったい手紙には何と書かれてあったのですか?」

     わたしはこらえきれなくなって甲斐雪子に尋ねた。

    「探偵さん、知りたいですか?」

    「ええ」

    「来栖幸一の病状が悪化、ここ一週間がヤマ、乗りきったとしても将来に渡って広範囲で障害が残ることは確実。あなたも幸一の恋人なら、せめて何か言葉をかけてやってほしい、ということが書かれてありました」

    「そうか……」

     わたしの頭の中で紅恵美の言葉と今の手紙の内容がシンクロした。

    「例のソフトの本当の企画立案者は、あなただったんですね。来栖幸一と何があったのかは知りませんが、彼のグループに仕事を回すよう、少なくともそのふりだけはするようになじみの企業を動かしてソフトを作らせたのはあなただ。後は来栖幸一が迷わず引用するだろう、暴力団についての該博な知識を餌にして内容を自分の思う通りの方向へ持って行く。それも甲斐繁信氏が怒り狂い、暴力の矛先を向けずにはいられなくなるような方向へと。父親の性格を熟知しているあなたには簡単だったでしょう。ソフトが想像以上に売れたことと、暴力が周囲に広がりすぎたということを除いては全てあなたの思惑通りに進み、今や来栖幸一は瀕死の状態だ。違いますか?」

    「……!」

    「そんなっ!」

     甲斐繁信は絶句した。長倉友則は絶叫した。甲斐雪子は静かな声で答えた。

    「あの人はわたしを抱いた後にいいました。お前は臭い、使ってやるのは声のためだけなんだから自分の声に感謝しろと」

     沈黙。

    「そんなことをいっておきながら、あの人は研修生のわたしを使えば安くソフトが作れるとの、わたしの言葉にほいほいと乗っかってきて……馬鹿な人。本当に、馬鹿な人!」

     甲斐雪子は目に涙をにじませて、ふたたび笑った。天使はそこにはいなかった。ただ虚無だけが、深い口をあけていた。

    「それだけです、探偵さん。わたしはかつてのわたしに完全な形で決別したかったのです。使者として、わたしのこの笑いを、確かに伝えてくれますか?」

    「あなたの怒りと虚無感はもっともかもしれません。しかし、巻き添えを食った人たちはどうなります。彼らにはあなたは何の恨みもなかったはずです」

    「そうかもしれません。探偵さんのおっしゃることの方が正しいのでしょう。けれどわたしは結局は父の娘なのです。どうせ破壊するのであれば派手に派手にやる、後のことは気にはしません。気にしてたまるものですか!」

     フィリップ・マーロウならこんなとき切れ味鋭い警句を発するのだろうが、わが脳味噌にはそんな文才はなかった。どのみち甲斐雪子が本当に語りかけている相手には、つまらぬ警句など無用だろう。

    「わかりました。伝えましょう」

     それだけいうのが精一杯だった。わたしは奪い取った拳銃は構えたまま、盾にしていた男の身体を解放した。どさり、と男は崩れ落ちた。

    「てめえっ!」

    「よさねえか!」

     今にも発砲しそうだった構成員たちを、甲斐繁信が一言で制した。

    「探偵」

    「なんですか」

    「これからどうする」

    「依頼者に返事を伝えます」

    「正直に?」

    「正直に」

    「そうか」

     甲斐繁信は黙り込んだ。十は老け込んだように思えた。

    「探偵、仕事は済んだんだな」

    「写真を一枚くらい撮らせてください。あるとないとじゃ信憑性に差が出るのでね」

     拳銃は放さずに、左手でポケットから携帯を取り出した。片手で操作するわたしに、甲斐繁信はいった。

    「好きに写せ」

     お言葉に甘えて甲斐雪子の写真を撮った。どうせなら取り巻きや甲斐繁信もまとめて写したかったが、来栖泰造氏をショック死させてもまずい。

    「撮りましたよ」

    「それじゃすぐに帰れ。二度と上原には来るな」

    「努力します。その前にそちらで虚脱状態になってる若いのも解放してやっていただけませんか。もうバカなことは考えないでしょう」

    「おい」

     甲斐繁信が一声かけると、構成員が長倉友則の身体を放した。長倉友則はよろよろと、這うようにしてこちらへ歩いてきた。わたしはその肩を支えた。今日はよく人の肩を支える日だ。

     後ずさりしながら鍵を開けて外へ出、扉を閉めた。手元には拳銃が残った。わたしは指を立てるとちょいちょいと廊下の隅にいた三下を呼んだ。

    「てめえ、何の……」

    「これを中の男に返しておいてくれ。泥棒じゃないんでね」

     三下にブローニング・ハイパワーを押し付け、わたしは背中を向けて階段へ歩いた。もしかしたら撃ってくるかもしれないな、とは思ったが、それはそれでいいような気もした。少なくとも、あの老人と紅恵美にどう伝えるか、ということで悩まなくても済む。

     撃ってくる者も、追ってくる者もいなかった。わたしたちはコーポ平巣台を出て、最寄りのバス停に向かった。

    「探偵さん」

     長倉友則が話しかけてきた。

    「すみませんでした」

    「気にしちゃいませんよ」

     少し歩いた後、再び長倉友則がいった。

    「放してくれませんか」

    「一人で歩けますか?」

    「歩けます。いえ、歩かなければならないんです」

     わたしは肩を放した。長倉友則は目の前で偶像が二つも崩壊したばかりの人間に能う限りの威厳を用いて歩き始めた。
    後は無言の道行きが続いた。こちらも喋りたい気分ではなかったので、これはちょうどよかった。

     停留所で長々と待たされたあげくにようやく来たバスに乗って外を見た。気がついたらもう夕闇が迫ろうとしていた。

     烏が鳴いていた。


    ――了


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    ~ Comment ~

    Re: 西幻響子さん

    いやしくもミステリーなんだから人の背後をつついてびっくりさせたくなるもので……。

    この手の小説に出てくる私立探偵というものは、ひねくれたユーモア精神を持っていると相場が決まっているのです(笑)


    ……それにしても長倉くんには悪いことしました(´・ω・`)

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    NoTitle

    なるほど、そういうオチだったのですか。
    気の毒なのは長倉くん。
    人の心の闇をまともにつきつけられてしまいましたね(^^;

    所々散りばめられたポールさんらしい洒脱かつコミカルなやりとりや文章が、楽しい作品でした。
    アルファポリス、投票しましたよ~(*^^)v

    Re: limeさん

    続編というか本編というかは散逸してしまって……。

    書きたい気はやたらとあるのですが。

    冒険小説になるか謎解き小説になるかはわかりませんが……。

    NoTitle

    やっぱり竜崎さんは最後までぴきっと光っていますね。
    余分なダメダメ感が無いところが潔くて、ポールさんの理想が集約されているような小気味よさがありました。
    前半紅恵美がものすごい存在感だったので、彼女との掛け合い的物語になるのかと思っていましたが、今回は竜崎さんパートだったのですね。
    続編、まだあるのでしょうか。
    また竜崎さんの活躍、見て見たいです^^

    Re: 八少女 夕さん

    わたしだって次々と書きたいんですが、いかんせんアイデアと体力が。

    閉ざされた山荘で連続殺人、なんてやってみたいですけど、現在の警察の鑑識能力はすごいものがあるので、いかに天才といえど私立探偵が出張れる世の中じゃないし(^_^;)

    キャラクターよりもロジックとトリックだ! と考えている時点で時代錯誤なのかもしれませんとほほ。

    Re: 大海彩洋さん

    作者の理想が小説に投影されるとしたら、こんな女性像ばかりが浮かぶってことは自分はもしかしてひどいMかもと思う(笑)

    あ。

    読みはじめてすぐに氣がつきました。7まで発表直後に読んでた。なぜラストだけ読み落としたんだろう。
    そうか、そういうオチでしたか。
    ちょっと哀しいですよね。
    かっこいい探偵さんだけれど、ボスにはまったく逆らえなさそうなところがいいですね。
    そして、ボスも切れ者だけれど、ケチだったりなかなか面白いキャラ。このシリーズ、どんどん増えるのでしょうか。だとしたらいいなあなどと思っています。
    ご健闘をお祈りします!

    拝読しました(^^)

    なるほど、女は強し、なんですね。
    いや、こちらのお嬢さんの場合は血は争えない、いや育ちの方かも? 確かにこの先どんな『極道のおんな』になるのか(つま、よりも仕切るのが似合うか)、ちょっと行く先が怖い気がしました。
    男性陣は痛い目に遭っているか、尻に敷かれているか……頑張っているのに何か足りない哀愁が漂っていますね。アメリカ舞台のドラマみたいで、言葉の端々がウィットに富んでいて、ポールさんらしいなぁと思いました。
    楽しく拝読いたしました(^^)

    Re: 椿さん

    竜崎くんがメインのハードボイルド探偵小説もいくつか書いてみようとしたけど挫折……そのプロットのいくつかは「残念な男」で使いました。同じような主人公しか書けないであります(^^;)

    Re: カテンベさん

    その後甲斐雪子が女優として独り立ちをするストーリーを書いてみようかと思ったけど挫折しました(^^;)

    かといって「極道の妻たち」をやってもしかたがないですし。

    どうしたらよかったのかな。うむむ。

    NoTitle

    結局、自分で自分を家に縛りつけてしまったんだなあ。
    気持ちは分かるけど、哀しい。
    とにかく竜崎さんがカッコいいシリーズでしたね! 最後まで堪能いたしました!

    雪子のその後も気になりますね〜
    親父の後を継いで、一家を拡大、とかしていったりできてしまうのかなぁ?

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