「ショートショート」
    その他

    最悪

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    「攻撃側としてはまさに最悪のタイミングで、痛恨のダブルプレーが出ましたね。チャンスをつぶしたドラゴンズ、最終回をどう迎えるか」

     わたしは枕元のラジオを消した。

     目をつぶり、考える。

     最悪のタイミングか……。



     二十年前。バブルが崩壊してからも、まだどこか余裕がある世の中だった。

     わたしは大学で三年目の春を送っていた。しかし気づかぬうちに、病魔はわたしの脳髄を蝕んでいた。

     それは講義への出席率に如実に現れていた。文学部ではあったが、教養課程から専門課程に移っていた。テクストを読み、プリントにまとめ、それを皆の前で発表し、互いに論評しあう。

     本を読んだり講義を聴いたりするのは楽しかったが、いざプリントの下書きを作るとなると、わけが違った。なにせ実習とはいえ学問の場である。作成した原稿にミスがあってはならない。しかも作るからには、当たり障りのないことを書くわけにもいかない。自分なりに新たな切り口を考え、そして質疑応答に耐えなければならないのである。

     入学当初から、「卒業したら大学院に入る」と宣言し公言してきた。アカデミックな世界かそれに隣接する世界でなければ生きていけないと思っていた。である以上、この時点でなんとか実習のAは欲しかった。のほほんとした文学部生活の印象とは裏腹に、わたしはプレッシャーに押しつぶされそうだった。

     たかが学部生が単位を取るために作るプリントである。冷静に考えれば誰も期待などしていない。にもかかわらず、わたしの脳髄に巣くう病魔は、わたしの思考を硬直させていた。

     それならば自分で書物を読破して勉強すればいいではないか、と思われるだろう。それはそうだ。だが、一年時と二年時のときに、わたしは「学者にとって本を読む」とはどんなことかの基礎の基礎を学ばされていた。一字一句たりとも、放置しておくことは許されない。「読み飛ばす」ことは許されないのだ。

     原文だけではわからない。訳書を読んだ。さらにわからない。論文を読んだ。まったくわからない。

     わたしは書物を読むことを放棄した。放棄してしまうと、教室の扉を開けることにためらいを覚えるようになってきた。

     なんとなく講義を欠席することが多くなってきた。

     そんなある日、わたしは一年時二年時のおり、いつも講義を最前列で聞いていた教授から声をかけられた。

     教授はライダースーツを着てヘルメットを持っていた。ちょうど帰るところだったらしい。わたしと教授は立ち話をした。

     思えば、ここがわたしの大学生活で最悪のタイミングだっただろう。

    「先生、これからお帰りですか」

    「そうだよ。ところでそろそろ時間じゃないのか。次の講義を受けないといけないだろうから、これで。なにしろきみは『努力家』だから……」

     わたしは自分の身体が硬直するのを覚えた。先生、違うんです。わたしは努力家なんかじゃありません。本を読めば三ページで放棄し、資料を探すこともせず、このところほとんどの講義を欠席している、どうしようもない怠け者の穀潰しです!

     そんなことを口に出すわけにもいかなかった。教授は駐車場への階段を降りていった。わたしは石にでもなったかのようにその背中を見送るように立ち尽くすだけだった。

     その日を境に、わたしは教室のドアノブに、どうしても触れることができなくなった。学食と生協の本屋、行けるところはそこだけだった。

     やがて昼夜は逆転し、わたしは夜の田舎道を徘徊するようになった。

     二年とせずに、わたしは病院にかつぎ込まれることとなる。



     気になって、わたしは真っ暗な中、再びラジオのスイッチを入れた。

     野球中継は終わっていた。

     九回に追いついたドラゴンズが、延長戦を制し、勝利していた。

     わたしは複雑な思いでラジオを切った。

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    Re: 椿さん

    まったくあのときはタイミングが悪かった。

    まあそうでなくても卒業は無理だったろうと思うけど……(´;ω;`)

    Re: ダメ子さん

    お姉さんがたのほうがそこらへんのかわしかたはうまいのではと思うので聞いてみてください。

    NoTitle

    ああ、すごく分かる。
    何気のない当たり前の一言、それがプラスの意味であっても何かを砕いてしまうことがある。
    私も似た経験をしてうつを発症しました(^_^;)
    人の心は危ういバランスで出来ている。
    (と、今回もカッコ良く締めてみる)

    NoTitle

    テストに出そうなところだけを覚えるのが、何だかいけないような気がして、関係ないところまでやってしまう私も将来こうなってしまうんでしょうか…><

    Re: かえるママ21さん

    本来だったらプラスになるはずのイベントが、手札が限りなく悪いとマイナスになるもんであります。

    もっとも、手札が悪いことを徹底してしまったら、それはそれでものすごいプラスのボーナス点がつくところが人生の面白いところであります。

    たとえばウィンドウズのアクセサリについてくるハーツとかみたいに。

    NoTitle

    他人には分からない苦悩があるのですよね。
    自分もそうです。
    傍目には分からない苦悩があっても。
    出口の見えない問題でも、自分しか解決は出来ませんものね。
    解決?どんな解決を、どんな自己表現を選ぶのか?
    「これが自分だ」と言える表現を出来れば、苦悩から解放されるのかもしれませんよね。「自己不一致」が苦しみの元の様に思います。

    Re: フラメントさん

    ファンタジーもお書きになってるじゃないですか(^^)

    ところで官能小説の続きは(爆)

    今晩は~

    あああ

    耳が痛いです

    私小説や官能小説ばかりのボクにはww

    Re: 面白半分さん

    同じ物ばかり書いているとネタが尽きまして。ネタ以前にやる気も薄れてきまして。

    でも私小説と時代小説と官能小説は、ネタが尽きた作家の最後のよりどころともいうしなあ(←ウソです)。デビューもしていないうちからネタが尽きた話をしてどうする、ではありますが(^^;)

    NoTitle

    ペヤング私小説に続くテイストですね。
    実は好きです。
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