ノイズ(連作ショートショート)

    ぽつり。

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     ぽつり。

     雨が降ってきたのか、と笠倉咲は外を見た。曇り空だ。灰色の空。しかし、雨が降ってきた様子はない。

     このファミレスで働き始めて三か月。夫の収入だけでは老後に不安がある、と昼間の求人募集に応募したのだ。

     とうがたった主婦には無理かな、と思ったら、決まるのはすんなりだった。だが、やってみたら、これはもう、学生くらいに体力がないと深夜の勤務などやっていけない、という結論に達した。フルタイムなど無理だろう。

     洗濯をしていないだけよかったか、と、笠倉咲は勤務に戻った。厨房とウェイトレスとレジ打ちの掛け持ちである。要するに、手が空いた人間は現在取り込み中の仕事のサポートに回れ、ということだ。つまり、休みはほとんどないに等しい。

     客は少なかった。この暑いのに、黒いワンピースを着た女がひとり、スパゲティのランチを食べている。スパゲティは日本伝統のトマトソースだったが、その隣にあるグラスには、アイスコーヒーが、深い闇の色をたたえて注がれていた。

     ……闇の色?

     ワンピースの色の加減で、アイスコーヒーの色がより暗く見えているのだ、ということに気づくまでさほど時間はかからなかった。

     ぽつり。

    「雨かしら?」

     咲の心臓が跳ね上がった。私語が厳禁であるこの職場では、無駄口をたたいただけで、給料に影響してくる。咲は振り返り、声の主である、どこかぼんやりとした瞳の鴫沢加奈子に、鋭い声でいった。彼女も、いくばくかの現金収入を求めて応募してきた中年の主婦であった。

    「鴫沢さん!」

    「……あ、ああ、ごめんなさい。つい、子供のことを考えて」

    「しっかりしてくださいよ」

     咲はそうとだけいって、新しく入ってきた家族連れを迎えるため、戸口へ向かった。

    「いらっしゃいませ。何名様でしょうか?」

    「三名」

     ぼうぼうとした髪の、テレビで見る一昔前のフォークシンガーのような陰気な面をした男と、その妻であろう、完全に身体の線が崩れた女、そして二人の間に、ロズウェル事件のグレイのように手をつながれた三歳程度の男の子……。

     ぽつり。

    「……どうしました?」

     咲ははっと顔を上げた。

    「い、いえ、すぐにご案内します。お煙草はお吸いになられますか?」

     吸わないということだったので、咲は禁煙席に案内した。とはいえ、混む時間帯でもないので、席はがらがらである。好きなところに座ってもらっていいのだが。

     咲は外を見た。外は相変わらず、灰色の雲の覆う、灰色の町だった。

     ……翔。

     勤務時間が終わったら、迎えに行こう。雨が降りそうだし、雨道を歩いて帰るのは、小学三年生には酷な話だ。

     幸いにも、今日は三時でシフトが終わる。

     三時?

     ぽつり。

     今は一時五十分。三時までは、一時間十分もある。そして、三時になって、大急ぎで制服から私服に戻り、車を飛ばして小学校に……。

    「笠倉さん」

     食器のセットを持った鴫沢加奈子が、不安そうな声でいった。

    「顔が青いですよ。休んだほうが」

    「大丈夫よっ!」

     声が大きくなってしまった。慌てて咲は声を小さくした。

    「……大丈夫。大丈夫。今日はシフトが終わったら早く帰るから」

    「そうしたほうがいいわ」

     ぽつり。

     翔。

     この妙な胸騒ぎはなんなのだ。

     なにかが、翔の身に起きているのではないか。雨。暗い。車。スリップ。

     車のトップが電柱にひしゃげ、黄色い長靴が宙に舞うのを、咲はまざまざと眼前に見る思いだった。

     翔!

     母の直感だ。居ても立っても居られない。まだ一時間ある勤務時間が、果てしなく恨めしかった。

     ブザーが鳴った。咲は心臓をわしづかみにされたかのように感じた。

     鏡に映った自分を見る。顔色がばかに白い。

     あの家族連れの席に行った。

    「ご注文は」

    「デミハンバーグのランチふたつと、この子のためにお子様カレーを」

    「注文承ります」

     頭を下げて一礼した咲は、注文を読み上げようとして、そのテーブルで、子供がナイフを逆手に握っているのに気づいた。蛍光灯の反射で、ナイフの刃がぎらっと光った。

     ……翔!

     なにも考えられなくなり、咲は言葉にならぬ悲鳴を上げ、表へと飛び出していった。

    「笠倉さん!」

     鴫沢加奈子の声。それを聞いた時は遅かった。

     直線道路をまっすぐに飛ばしてきた自動車が、急に車道に出てきた咲の姿にコントロールを誤り、咲の身体を電柱に押しつぶした。車の前方部分がひしゃげ、黄色いネームプレートが宙に舞った。

     黒いワンピースの女は、レジの前で、何も起こらなかったように支払いを済ませた。千円札を受け取った鴫沢加奈子は、震える声でいった。

    「……なにが、なにが起こったのか……お客様、申し訳ありません」

     女は寂しげに笑った。

    「よくあることよ」

     女は店から出ていった。誰が呼んだのか、パトカーのサイレンが聞こえてきた。

     鴫沢加奈子は空を見た。

     ……ぽつり。

     雨が降ってきたのだ。今度は本物の……。
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    ~ Comment ~

    Re: YUKAさん

    というわけで続きを書いてみた。

    ほんとにそんなに怖いかなこの話(^^;)

    NoTitle

    ああ、ノイズ。

    うんうん、これはホラーssですw
    ひたひたと感じる怖さがある。

    でも面白い。
    連作ていうのがまたいい。
    続けてください(願望

    Re: 椿さん

    そんなに怖いかな(^^;)

    書いている方としては、薄気味の悪いサスペンス小説にしたかったんですが、われながら結末はちょっとやりすぎたかも。

    よしもっとやるぞ(えええ?)

    NoTitle

    怖いです;; 怖くて、何が起こったのか確かめたくて二度読み;;
    そして更に怖い;;;
    勤務中、子供が心配な気持ち、よく分かりますので、余計にシンクロしてしまった。
    連作なんですね。ゾクゾク(・。・;

    Re: limeさん

    どうしてわたしがサスペンスを書いたらホラーになるんだろう(笑)

    しばらくこの線で書いてみようと思います。

    夢と冒険いっぱいの児童文学が行き詰ってしまったので(^^;)

    NoTitle

    あ、ノイズ(笑)
    このタイトルでやっぱり書かれたんですね、そして連作?
    これは怖いSSですね。ホラーですよ。
    ・・・あ、そうか、この黒い女が、ノイジーな人なんですね。
    この人の行く先々で、心乱される人が次々と・・・。

    ううん、こんな迷惑な女は取っつかまえてください><
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