徘徊探偵・幸田忽太郎(掌編シリーズ)
追跡
わたしは女を追っていた。追うのに苦労しているのは、最近いささか息が切れかけている身体だからだというだけではない。普通に走って追っていたのでは百万年かかっても追いつけない速度で女は走っていた。車に乗っていたのである。
わたしがその女を追うことに、わざわざ理由を説明することもないだろう。純粋に仕事のため、それだけのことに過ぎない。そして行きがかり上、乗り捨ててある軽を無断拝借したことも、わざわざ理由を説明することもない。
わたしはアクセルを踏んだ。
軽はさすがに非力だが、それでも街を時速六十キロで走るのに不便はなかった。わたしはハンドルを操りながら、マナーの悪い通行人をののしった。急に出てきたりして、轢いたらどうするつもりなのだ。
何度目かの暴言の後、わたしは女を見失っていたことに気がついた。
いつの間にか土地勘のない地域まで来ていたが、わたしには経験に基づく知識があった。尾行されていることに気がついていない女は、この土地から一刻も早く遠ざかりたいと考えるはずだ。非常線が張られる前に高速に乗り、そして降りる。その後はもう誰も跡をつけることは不可能だ、ということになる。
わたしは目に付いた、いちばん手近にある高速に乗った。わたしに見えたということは、女にも見えたはずだ。これに乗ったということはじゅうぶんに考えられる。
わたしはアクセルをさらに踏んだ。すれ違ったトラックが、奇妙な蛇行運転をした。交通ルールがわからないのだろう。
女を追い、高速の出口を探した。なかなか見つからない。最初の出口で女は出ているはずなのだが。
パトカーのサイレンが聞こえてきた。目を上げると、警察が検問をしいていた。警察と争うのはあまり頭のいいやり方ではない。わたしは車のブレーキを踏み、車を停止させた。
うんざりしたような顔の警官が、世の中の役に立たない盲腸を見るような目でわたしを見た。
「幸田忽太郎さんだね?」
わたしはそうだと答えると、警官は検問所を片付け始めた。なぜ、わたしの名前を警察が知っているのか。いや、それ以前にわたしを捕らえるためだけにしかれたかのようなこの検問所はいったいなんなのだ。
わたしは有無をいわさぬとでもいわんばかりに車から引きずり出された。
見知らぬ男が警官に頭を下げていた。
「……ご迷惑をおかけして申しわけありません……ええ、認知症デイケアで……忘れ物をして買い物に行ったワーカーさんが……まさかキーを抜き忘れた車が近くにあったなどと……誰かを追うことは父の昔の日常で……本人は悪意は全くなく……」
警官も警官でわけのわからないことを答えていた。
「……とにかく……自動車を盗むだけでも……免許も返上していて持っていないってことじゃ……しかも出口から高速道路に……逆走……死人が出なかったからいいようなものの……」
なにを話しているのだろう。意味がまったくわからない。
まるでわたしが誰かを追っていたかのような口ぶりだが、誰が金も払ってくれないのにそんなことをしなければならないのか。
だが、もし自分が、一刻を争う非常事態に出くわしたら、いくらかの法に反する行為もするのではないか。そう思えるのも事実だ。
「道理が明白な正義しか行おうとしないうちは、まだ子供だ。道理が通らない正義ができるようになって、はじめて大人と呼ばれることができるのだ」
わたしは大人であるならば、そういう大人であり続けたいと思っている。だがそれは、果てしない悪路を進むような……俗ないいかただが、ハードボイルドな道なのだ。
わたしはかすかに笑うと、見知らぬ男と警官の後をついて行った。
わたしがその女を追うことに、わざわざ理由を説明することもないだろう。純粋に仕事のため、それだけのことに過ぎない。そして行きがかり上、乗り捨ててある軽を無断拝借したことも、わざわざ理由を説明することもない。
わたしはアクセルを踏んだ。
軽はさすがに非力だが、それでも街を時速六十キロで走るのに不便はなかった。わたしはハンドルを操りながら、マナーの悪い通行人をののしった。急に出てきたりして、轢いたらどうするつもりなのだ。
何度目かの暴言の後、わたしは女を見失っていたことに気がついた。
いつの間にか土地勘のない地域まで来ていたが、わたしには経験に基づく知識があった。尾行されていることに気がついていない女は、この土地から一刻も早く遠ざかりたいと考えるはずだ。非常線が張られる前に高速に乗り、そして降りる。その後はもう誰も跡をつけることは不可能だ、ということになる。
わたしは目に付いた、いちばん手近にある高速に乗った。わたしに見えたということは、女にも見えたはずだ。これに乗ったということはじゅうぶんに考えられる。
わたしはアクセルをさらに踏んだ。すれ違ったトラックが、奇妙な蛇行運転をした。交通ルールがわからないのだろう。
女を追い、高速の出口を探した。なかなか見つからない。最初の出口で女は出ているはずなのだが。
パトカーのサイレンが聞こえてきた。目を上げると、警察が検問をしいていた。警察と争うのはあまり頭のいいやり方ではない。わたしは車のブレーキを踏み、車を停止させた。
うんざりしたような顔の警官が、世の中の役に立たない盲腸を見るような目でわたしを見た。
「幸田忽太郎さんだね?」
わたしはそうだと答えると、警官は検問所を片付け始めた。なぜ、わたしの名前を警察が知っているのか。いや、それ以前にわたしを捕らえるためだけにしかれたかのようなこの検問所はいったいなんなのだ。
わたしは有無をいわさぬとでもいわんばかりに車から引きずり出された。
見知らぬ男が警官に頭を下げていた。
「……ご迷惑をおかけして申しわけありません……ええ、認知症デイケアで……忘れ物をして買い物に行ったワーカーさんが……まさかキーを抜き忘れた車が近くにあったなどと……誰かを追うことは父の昔の日常で……本人は悪意は全くなく……」
警官も警官でわけのわからないことを答えていた。
「……とにかく……自動車を盗むだけでも……免許も返上していて持っていないってことじゃ……しかも出口から高速道路に……逆走……死人が出なかったからいいようなものの……」
なにを話しているのだろう。意味がまったくわからない。
まるでわたしが誰かを追っていたかのような口ぶりだが、誰が金も払ってくれないのにそんなことをしなければならないのか。
だが、もし自分が、一刻を争う非常事態に出くわしたら、いくらかの法に反する行為もするのではないか。そう思えるのも事実だ。
「道理が明白な正義しか行おうとしないうちは、まだ子供だ。道理が通らない正義ができるようになって、はじめて大人と呼ばれることができるのだ」
わたしは大人であるならば、そういう大人であり続けたいと思っている。だがそれは、果てしない悪路を進むような……俗ないいかただが、ハードボイルドな道なのだ。
わたしはかすかに笑うと、見知らぬ男と警官の後をついて行った。
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Re: 椿さん
この小説を書き始めたときは、「おかしくてそして悲しき」シリーズにしようと思っていたのですが、書いていると極端にシリアスに振れてしまって「こんなはずじゃなかった」と。
主人公の認知症の探偵を、リュウ・アーチャーみたいなやつじゃなくてマイク・ハマーみたいなやつにしておいたほうがよかったかも……いやマイク・ハマーは無しだな(^^;)
主人公の認知症の探偵を、リュウ・アーチャーみたいなやつじゃなくてマイク・ハマーみたいなやつにしておいたほうがよかったかも……いやマイク・ハマーは無しだな(^^;)
Re: らすさん
やっぱり自家用車による移動を前提としていると、田舎は壊死していく一方だと思うのですよねえ……。
壊死をふせぐためには血液を循環させる公共交通機関を充実させるしかないと思うのですが、そんなカネどこにもないしなあ。
自動運転装置つきの電気自動車による無人タクシーとかできればまたビジョンも違ってきますが、そんなカネどこにもないしなあ。
うぬぬ。
壊死をふせぐためには血液を循環させる公共交通機関を充実させるしかないと思うのですが、そんなカネどこにもないしなあ。
自動運転装置つきの電気自動車による無人タクシーとかできればまたビジョンも違ってきますが、そんなカネどこにもないしなあ。
うぬぬ。
Re: 涼音さん
わたしが通っていた病院にもいたなあ、健忘症のひと……。
まだ若いのに、1時間前に話したことも全部忘れてしまうようなかたで、見ていてそうとうつらかったであります。
ワーカーさんは、基本的に患者さんが使う駐車場には停めないと思うので、今回はたまたま、「自動車通いの通院患者」がうっかりキーを刺しっぱなしにした車に乗ってしまった、ということで……それでも怖いよなあ。次回はもっと怖くしますか。(え?;)
まだ若いのに、1時間前に話したことも全部忘れてしまうようなかたで、見ていてそうとうつらかったであります。
ワーカーさんは、基本的に患者さんが使う駐車場には停めないと思うので、今回はたまたま、「自動車通いの通院患者」がうっかりキーを刺しっぱなしにした車に乗ってしまった、ということで……それでも怖いよなあ。次回はもっと怖くしますか。(え?;)
NoTitle
最近はよくありますよね~~。
まあ、それが社会問題なので。。。
これはこれで時事ネタの小説。
これがポールさんの小説!!
流石です!!
(/・ω・)/
まあ、それが社会問題なので。。。
これはこれで時事ネタの小説。
これがポールさんの小説!!
流石です!!
(/・ω・)/
NoTitle
このシリーズ……息子さんが気の毒で(^_^;)
ガンバレ息子さん。
終わりの見えない介護生活にもきっと……希望は……ある……はず。
ガンバレ息子さん。
終わりの見えない介護生活にもきっと……希望は……ある……はず。
- #16626 椿
- URL
- 2015.11/25 00:29
- ▲EntryTop
NoTitle
こんばんは(´∀`)
ご存知の通り身内で色々とありまして、
70歳になる母も実家から父の入院している病院まで、
連日片道2時間のドライブを強いられています。
やはり夜や雨天時の運転は特に怖いと言っています。
ちなみに75歳で車の運転は引退するそうです。
ご存知の通り身内で色々とありまして、
70歳になる母も実家から父の入院している病院まで、
連日片道2時間のドライブを強いられています。
やはり夜や雨天時の運転は特に怖いと言っています。
ちなみに75歳で車の運転は引退するそうです。
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今晩は。お久しぶりです。
昨今高齢者の自動車免許返却などについて大きく取り上げられていますが、そうですね。これに認知症問題が絡むのも否めない。
こういうのがあってもおかしくないですよね^^;怖いですが。。。
私、介護施設で働いてますが、認知の方も勿論いて、昔の事はかなり鮮明に覚えていてもつい最近の事や、今やった事を直ぐに忘れちゃうとか良くあるんですよね。日によっても波があったりしますが。
日々そう言う方たちと接している私にとっては、こういった状況を見ると在宅やデイケアの問題もまだまだあるなと思わせられます。
でも、ワーカーさん、鍵は抜こうよってか、痴呆のある人、少しの間でも放置は不味いよ。これってワーカーさんの失態。利用者さんは悪くないよ~。
昨今高齢者の自動車免許返却などについて大きく取り上げられていますが、そうですね。これに認知症問題が絡むのも否めない。
こういうのがあってもおかしくないですよね^^;怖いですが。。。
私、介護施設で働いてますが、認知の方も勿論いて、昔の事はかなり鮮明に覚えていてもつい最近の事や、今やった事を直ぐに忘れちゃうとか良くあるんですよね。日によっても波があったりしますが。
日々そう言う方たちと接している私にとっては、こういった状況を見ると在宅やデイケアの問題もまだまだあるなと思わせられます。
でも、ワーカーさん、鍵は抜こうよってか、痴呆のある人、少しの間でも放置は不味いよ。これってワーカーさんの失態。利用者さんは悪くないよ~。
うかつ
「新企画として、認知症ハードボイルドというのを書き始めたんですよ」
「ドン・キホーテみたいな話ですか?」
「」
「ドン・キホーテみたいな話ですか?」
「」
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Re: LandMさん
こう考えるとセルバンテスのギャグセンスは当時としては突き抜けてますなあ。古典には勝てん。