荒野のウィッチ・ドクター(長編ファンタジー小説・完結)
荒野のウィッチ・ドクター(16)

16 小休止
テマは水を水筒に汲み入れた。
「手遅れになる前でよかった。らくだにも飲ませとけ」
新しく湧いたのだろうか、地図にも載っていない、人もいないオアシスがそこにあった。そして何よりもうれしいのは、シビトトカゲがいないことだった。ふたりは満足するまで水を飲んだ。
防水布で日陰を作り、ふたりはしばし足を休めた。テマが口を開いた。
「アト」
「なんだ」
「ほんとうにシビトトカゲは精霊の恵みを食わんのか」
アトは首を振った。
「祖父の話では、シビトトカゲは動物の腐肉しか食らわない。自分の病気で動物を殺し、その死肉を食らう。そして繁殖し、さらに病気を広げ、人間や動物を殺す。そして手に負えなくなっていく。先祖は大きな動物の死体を見つけると、そこに見張りを立ててトカゲが来るのを待ち、辛抱強く一匹一匹殺していったとか」
「悠長な話だな」
「悠長かもしれないが、その行為の積み重ねにより、今はシビトトカゲは稀にしか見られなくなった」
テマはあくびをした。
「先祖の努力と執念深さは買うが……」
テマはふと言葉を切った。
「おい、今、なんていった」
「悠長かもしれないが、だ」
「その前だ。大きな動物の死体といわなかったか」
「いった」
テマは額に手を当てた。
「待て。だんだんわからないでもなくなってきたぞ。アト。その『大きな動物の死体』には、『人間』も入るのか?」
「人間は人間がきちんと葬る。それが人間のやるべきことだ」
「そうじゃなくて。トカゲは人間の腐肉も食らうのか?」
「食う」
「そうなると、話はだいぶわかりやすくなる。少なくとも、どうやってジャヤ教徒がトカゲを集めているかについては。なにしろ、神のためには異教徒は殺して構わん、いやどんどん殺すべしっていうおっかない宗教だからな。集める死体には事欠かないだろう。特に、お前ら野蛮人は、たとえ殺しても総督府は目をつぶってくれるだろうからな」
テマは目をつぶった。
「総督府がジャヤ教徒をいっこうに取り締まらず、しかも放し飼いのようにしているのは、単にやつらが浄財の大半をそっくり総督府に差し出しているからだけではなく、総督府にとっても、お前ら野蛮人たちの数を減少させる目的にかなうからじゃないか、とあたしは考えてる。なにせ、軍隊にやらせるととんでもない金がかかるからな。となると、ジャヤ教徒がシビトトカゲを使うことは、生粋の野蛮人だけじゃなくて、外来人まで殺してしまうことになるから、総督府もさすがに黙っているわけにも、放っておくわけにもいかないだろう。……待て。待て待て待て」
「待つ」
アトはそういって、日除けのために広げてある防水布を見上げた。
テマは頭を抱えてぶつぶついっていた。
「……ジャヤ教徒にとって、広範囲にわたって効率的に異教徒を殺せるシビトトカゲは持っている価値がある。もし、シビトトカゲの毒性を知っているやつがいて、それをジャヤ教徒に教えたとすると……そいつはジャヤ教徒を暴走させて、総督府をはじめとする民衆にジャヤ教を弾圧してもらうつもりなんじゃないのか?」
アトには思いもつかない発想だった。
「誰かが総督府にジャヤ教を弾圧させたとして、そいつはなにか得するのか?」
「そう。そこなんだ、アト。ジャヤ教徒にシビトトカゲを使わせた黒幕がいると考えると、そいつはジャヤ教の連中たちとけっこういい関係を作っているはずだ。友好的とまではいかなくても、中立の立場ではあるだろう。得られるものがあるとは思えない。弾圧を開始するとなると、ジャヤ教の狂信者たちとの間であっちでもこっちでも血の雨が降ることになるから、総督府も乗り気になるわけがない。総督府の利益から外れるような情報をアグリコルス大博士のような頭がいい人間が狂信者たちに教えてまわるはずがない……」
テマはフード越しに頭をかきむしった。
「なにかがずれているんだ、なにかが! それがあたしにはわからない!」
アトはしばらく黙っていたが、やがてぼそりといった。
「お前がそう考えることは、間違ってはいないと思う」
テマは顔を上げ、アトをにらんだ。テマが何かをいう前に、アトは続けた。
「間違っていたらおれにもわかるはずだからだ。精霊の導きとはそういうものだからだ」
テマはいらだたしげにかぶりを振った。
「それって嫌味な幾何学者だぞ。問題だけ突きつけておいて、『それは間違っている』としかいわず、補助線の引きかたすら教えてくれない幾何学者のやり口だ」
アトは辛抱強く答えた。
「幾何学者というのがなんだかは知らないが、補助線というのもなんだかは知らないが、人間が何かを『わかる』ということは、そういうことなんじゃないか、とおれは思う」
テマはなにかいいたそうにアトを凝視していたが、やがてほっと息を吐いた。
「まったく、お前というやつは、口が達者というかなんというか。自分でそれに気づいていないというのがもうなんというか」
テマはフードを下げるとふてくされたかのように寝転がった。
「おい?」
「アト、お前はこのオアシスで水を飲むときに、何も考えないのか?」
「いっていることがわからない。考えないわけがないだろう。シビトトカゲのこととか」
「これだから野蛮人は。あたしは寝る」
テマは寝息を立て始めた。アトは泉をのぞいた。シビトトカゲはいないようだが……。
デムはやらねばならないことばかりだった。恐怖と暴力しか使える武器はなかったが、それだけでは足りないことも、経験のうちに知悉していた。荒くれどもに自分のいうことを聞かせるためには、獲物を公平に分配するのが、しかも頭目が相手からナメられない範囲で差をつけて分配するのがいちばんだということを膚でわかっていたのである。
デムはベルを鳴らした。やせこけた男がすっ飛んできた。
「は、はい、支配人!」
デムは立ち上がった。
「ここで働いている全員を、中庭に集めろ」
「全員……ですか?」
「おれのいったことが聞こえなかったのか」
男は悲鳴を上げるように答えた。
「は、はい、支配人、全員を中庭に集合させます!」
頃合いを見計らい、デムは武器を持って、中庭を見下ろすバルコニーへ出た。
ここからは事実とウソを織り交ぜて、この信用できないやつらを、少なくとも命令どおりには動くよう懐柔しなくてはならない。
中庭からはひそひそとささやきかわす声があちこちから聞こえていた。
デムは意識してドスのきいた声でいった。
「てめえら」
中庭は一瞬にして静まり返った。
まずは事実を告げる。
「おれはここに来てから毎晩、帳簿を調べ、お前たちひとりひとりに支払われる給料を確認していた。三日も経たずにおれにもわかった。働きづめに働いて、これだけの金しかもらえないのなら、帳簿をごまかして当たり前だ。酒屋の下働きでさえ、お前たちより自由になる金を持っている」
これも事実である。酒屋の下働きといってもいろいろあり、その中でもっとも優遇されていて金まわりの良いやつを基準としていることを伏せているだけだ。
「おれはまた、鉱山から上がる収益のうち、お前らによってくすねられている額を計算してみた」
一部をざっと見て概算しただけ、ということを明かす理由はデムにはなかった。
「その額は、ゆうにお前ら全員に支払われている給金の総額に匹敵するものだった」
大ウソのハッタリだ。限られたページからの概算でしかないが、少なく見積もっても、不正で失われている額は、給金総額の二倍にのぼるのである。
デムは言葉を次々と叩きつけた。
「おれたちはなんのために働いているんだ。動物のようにただその日を過ごすためにか。違うだろう! いつかガキをこさえ、家族を作り、孫に甘えられるまっとうな未来のために働いているんじゃないか。ひと財産をこしらえて、どこかの村で、墓に入るときに近所じゅうのみんなから涙を流してもらうためじゃないか。そうだろう? この奴隷のような待遇でそれができるか? 無理だ!」
デムは仕上げにかかった。
「おれは貴様らに、これ以上不正をしないでも、まともな生活が送れるだけの金を保証する。今日これから、給金は二倍だ。食い物の質も上げる。それだけあれば、人並みの生活をして余りが出るだろう。もし、給金が二倍になっても不正を働く奴がいれば、おれはそいつを斬る。それがおれの仕事だからな」
デムの経験が教えているところによると、今、この中庭を埋めている人間たちは、一心に、「二倍の給金」「明るい未来」と「不正の禁止」「死」とを天秤にかけて考えているはずだった。これでいい。
「以上だ。仕事に戻れ」
デムはさっさと引き上げた。考えるだけ考えればいい。考えれば考えるほど、安全策が魅力的に見えてくるものなのだ。
デムにはまだやるべきことがあった。相互監視を取り仕切る手下を選ぶのだ。経験では、自分の死を考えておびえる小心者で、皆から馬鹿にされていて、復讐の機会をうかがっているもののその手段がない、というやつを抜擢するのが、自分に代わる憎まれ役をさせるうえでも好都合なのだが。
支配人室へ戻ったデムはしばし考えていたが、やがてベルを鳴らした。
さっきの男がすっ飛んできた。
「し、支配人、今度はなんのご用ですか?」
デムは相手をにらんでいった。
「喜べ。お前は今日から支配人秘書長に格上げだ。今日から、帳簿をごまかそうとする奴の噂を小耳にはさんだら、漏らさずおれに報告しろ。おれがしかるべき手を打つ」
デムはへたくそな字で手近な紙に自分の名を書いた。
「これを持っていき、皆に見せ、自分の新しい立場を説明しろ。わかっているとは思うが、お前が不正を働いたら、その場でおれが真っ先に斬る」
男は、いや新任の支配人秘書長は口をぱくぱくさせた。
「さっさと行け!」
デムは怒鳴った。ひとりになった支配人室で、デムは帳簿を読んだ。その姿にはなんとなくであるが威厳のようなものがあった。
(来月に続く)
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