映画の感想
「神の道化師、フランチェスコ」見る
ブログDEロードショーの一環として、ロベルト・ロッセリーニ監督の「神の道化師、フランチェスコ」を見る。こうした史劇も「ネオレアリズモ」に入れていいのか、よくわからないまま見る。
冒頭、雨に打たれながらフランチェスコとその一行が旅をするところを見て、「こりゃ失敗作ひいたかな……」と思った。だが、見て行くうちに、これはロッセリーニ監督の渾身の「現状批判」の作品なのだということがわかってきた。
オープンセットとロケの多用、素人をどんどん起用する映画作りと、徹底した現実主義で、聖フランチェスコの生涯を描くというのはアイデア賞ものだろう。なぜなら、ひたすら清貧に生きた聖フランチェスコを描くには、最低限、「森と掘っ立て小屋」さえあればいいからだ。むろんそれだけでは物足りないからオープンセットも作るが、話の大半は掘っ立て小屋の周りだけで進行する。
そして監督が聖フランチェスコを選んだ理由だが、現代のぐちゃぐちゃなテロの応酬と内戦と大国から小国までのむき出しのエゴがぶつかる有様をニュースでこれでもかと突きつけられているわたしには、ひとつの理由しか思いつかない。
ロッセリーニ監督、ナチズムが崩壊して第二次欧州大戦が終わった後でも、ぐちゃぐちゃな内戦と大国から小国までのむき出しのエゴがぶつかる有様の世界に、「いやけ」がさしたのだろう。そうした「いやけ」にぶつけるのは、徹底して暴力を嫌い抜いた人間でなければならない、と考えたのではないか。
アッシジの聖フランチェスコは、そうした意味でクローズアップするにはぴったりの人物である。「マジメ」を通り越して「バカ」も通り越して、当時はそんな言葉はなかったが「宇宙人」レベルまで突き抜けてしまった歴史上屈指の平和主義者だからだ。
ロッセリーニ監督が聖フランチェスコをどう評価していたのかはわからないが、この映画を見ていると、「明日の食べるぶんにも困った人間たちが右往左往する資本主義の弱肉強食ぶりが目を覆うようなイタリア」や、「共産党が統治する、自由になっていていいはずなのに内部とは連絡すらまともに取れなくなっている、共産主義のテーゼだけ掲げた、まともでない道に進んだソ連」、「戦場となった国々から搾取して自分のポケットに入れることしか考えていないアメリカ」などの国々に対する強烈な批判のシンボルであったのではないかと思われる。
真似するにはその「清貧」思想にはついていけないし、やっていることは極端すぎてまさにカルトの域だが、ロッセリーニ監督がいいたいのはそういうことではなく、「そういう人達」の存在を許容し、ある種の敬意を抱けるだけの社会的な余裕と、精神的な余裕、それがない社会は病んでいる、ということではないだろうか。そうした意味で、この映画は裏返しの「現実」なのである。イタリアでもソ連でもアメリカでも、こういう人達は食ってはいけないし、許容されもすまい。
ロッセリーニ監督は、そんな聖フランチェスコと弟子たちを描くのに、「コメディ」の手法を取った。そして笑いの中に、ふいに「現実」をぶちこむのである。その象徴が、聖フランチェスコたちが布教の旅に出るシーンに映される田舎の村のシーンだろう。オープンセットを組むには予算がなかっただろうから、あれはロケだと思われる。あのぼろぼろの石造りの建物は、まさに戦火をくぐったイタリアの田舎の村、そのものだったのではないか。
いろいろな思索をもたらしてくれる、味わい深い映画だった。ハッピーエンドで終わるし、暗くて重い映画ばかりのイタリア・ネオレアリズモ映画の中では、清涼剤がわりになるのではないだろうか。
さて、この企画のために買った、というより、これを買うためにこの企画を立ち上げた、イタリア名作映画10枚入りDVDセットも見てないのは残り一本だけだ。ヴィスコンティ監督の「ベリッシマ」、面白いのかな。「郵便配達は二度ベルを鳴らす」がちょっと期待外れだったから、怖くて後に回したのだが……。
冒頭、雨に打たれながらフランチェスコとその一行が旅をするところを見て、「こりゃ失敗作ひいたかな……」と思った。だが、見て行くうちに、これはロッセリーニ監督の渾身の「現状批判」の作品なのだということがわかってきた。
オープンセットとロケの多用、素人をどんどん起用する映画作りと、徹底した現実主義で、聖フランチェスコの生涯を描くというのはアイデア賞ものだろう。なぜなら、ひたすら清貧に生きた聖フランチェスコを描くには、最低限、「森と掘っ立て小屋」さえあればいいからだ。むろんそれだけでは物足りないからオープンセットも作るが、話の大半は掘っ立て小屋の周りだけで進行する。
そして監督が聖フランチェスコを選んだ理由だが、現代のぐちゃぐちゃなテロの応酬と内戦と大国から小国までのむき出しのエゴがぶつかる有様をニュースでこれでもかと突きつけられているわたしには、ひとつの理由しか思いつかない。
ロッセリーニ監督、ナチズムが崩壊して第二次欧州大戦が終わった後でも、ぐちゃぐちゃな内戦と大国から小国までのむき出しのエゴがぶつかる有様の世界に、「いやけ」がさしたのだろう。そうした「いやけ」にぶつけるのは、徹底して暴力を嫌い抜いた人間でなければならない、と考えたのではないか。
アッシジの聖フランチェスコは、そうした意味でクローズアップするにはぴったりの人物である。「マジメ」を通り越して「バカ」も通り越して、当時はそんな言葉はなかったが「宇宙人」レベルまで突き抜けてしまった歴史上屈指の平和主義者だからだ。
ロッセリーニ監督が聖フランチェスコをどう評価していたのかはわからないが、この映画を見ていると、「明日の食べるぶんにも困った人間たちが右往左往する資本主義の弱肉強食ぶりが目を覆うようなイタリア」や、「共産党が統治する、自由になっていていいはずなのに内部とは連絡すらまともに取れなくなっている、共産主義のテーゼだけ掲げた、まともでない道に進んだソ連」、「戦場となった国々から搾取して自分のポケットに入れることしか考えていないアメリカ」などの国々に対する強烈な批判のシンボルであったのではないかと思われる。
真似するにはその「清貧」思想にはついていけないし、やっていることは極端すぎてまさにカルトの域だが、ロッセリーニ監督がいいたいのはそういうことではなく、「そういう人達」の存在を許容し、ある種の敬意を抱けるだけの社会的な余裕と、精神的な余裕、それがない社会は病んでいる、ということではないだろうか。そうした意味で、この映画は裏返しの「現実」なのである。イタリアでもソ連でもアメリカでも、こういう人達は食ってはいけないし、許容されもすまい。
ロッセリーニ監督は、そんな聖フランチェスコと弟子たちを描くのに、「コメディ」の手法を取った。そして笑いの中に、ふいに「現実」をぶちこむのである。その象徴が、聖フランチェスコたちが布教の旅に出るシーンに映される田舎の村のシーンだろう。オープンセットを組むには予算がなかっただろうから、あれはロケだと思われる。あのぼろぼろの石造りの建物は、まさに戦火をくぐったイタリアの田舎の村、そのものだったのではないか。
いろいろな思索をもたらしてくれる、味わい深い映画だった。ハッピーエンドで終わるし、暗くて重い映画ばかりのイタリア・ネオレアリズモ映画の中では、清涼剤がわりになるのではないだろうか。
さて、この企画のために買った、というより、これを買うためにこの企画を立ち上げた、イタリア名作映画10枚入りDVDセットも見てないのは残り一本だけだ。ヴィスコンティ監督の「ベリッシマ」、面白いのかな。「郵便配達は二度ベルを鳴らす」がちょっと期待外れだったから、怖くて後に回したのだが……。
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>そうした意味で、この映画は裏返しの「現実」なのである。イタリアでもソ連でもアメリカでも、こういう人達は食ってはいけないし、許容されもすまい。
深い!
私が観た作品もコメディだったけど、どういうところがネオリアリズムなのか考えながら観るのも楽しいですよね。
観やすい作品のようだし、いつか機会があれば観てみたいです。
こちらもご参加ありがとうございました~。
深い!
私が観た作品もコメディだったけど、どういうところがネオリアリズムなのか考えながら観るのも楽しいですよね。
観やすい作品のようだし、いつか機会があれば観てみたいです。
こちらもご参加ありがとうございました~。
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Re: 宵乃さん
そこらへんに、宗教者を描く面白さと難しさがあるのだと思います。あまり楽しそうに描くとカルト宗教の勧誘ムービーになっちまいますし。辛気くさくすると信者しか見ませんし。
ロッセリーニ監督がなにを考えていたのかは推定するしかありませんが、楽しい映画でありました。もちろん、放浪しているハンセン病患者をありったけの勇気で抱きしめキスをして、それでも神は奇跡を起こさず、病に冒されたまま去っていく患者の後ろで自分の高慢さと力のなさを悟って泣き崩れる聖フランチェスコとか、真面目なシーンもあったりします。ロッセリーニらしい。