ゲーマー!(長編小説・連載中)

    1977年(2)

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     その帰り、修也は両親に連れられ、母方の実家を訪れた。いとこたちとは歳の差があり過ぎ、修也が知っているようなおもちゃはなかった。それが残念だった。

     棚に、中学生向けの雑誌が置いてあった。

     修也は何の気なしにその裏表紙を見た。

     目が釘付けになった。

     裏表紙には、さまざまなテレビの画面写真が載っていた。そのひとつひとつで、修也にはよくわからないが、印象的で面白そうな、そしてなによりもSFの世界かと思えるような光景が映っていた。テレビゲームだ!

     修也は持っているすべての言語能力で、その広告に書いてあることを読もうとした。それによると、数種類のゲームは、テレビに接続する機械にすでに含まれていて、いつでも切り替えることが可能だった。しかし、修也の心をわしづかみにしたのは、その内臓ゲームの写真ではなかった。

     修也が茫然となったのは、「内蔵されていない」ゲームの存在だった。射撃、カーレース、……なんと、この見たことも聞いたこともない機械は、「別売りのカセット」を使って、いくらでもゲームを増やすことができるらしいのだ!

     これさえあれば、さまざまなゲームを、家の中にいて遊ぶことができる。ゲームコーナーが、いやゲームセンターが家の中にまるごと入ってくるというそのコンセプトは、1977年の段階では、まさに想像を絶するものであった。

     修也は雑誌を抱え小走りで走ると、さっそく両親にその広告を見せた。

     その機械の名はチャンネルF。前年の1976年にアメリカで作られ、丸紅が輸入代理店になっていた、野心的なゲームマシンだった。外部からプログラムを差し替えることで多様なテレビゲームが遊べる機械は、すでに1972年の段階で「オデッセイ」という機械が市販されていたが、それはあまりにもお粗末な代物にすぎた。テレビの画面にカーソルを映し、それを自由に操ることはできたものの、スコアをつける機能はおろかゲームオーバーを判定する能力すらなかったのである。このチャンネルFは、「オデッセイ」からは遥かに進歩し洗練されたものだった。少なくとも中学生が遊べるレベルのゲームができるのだ。新時代の始まりを告げる、日本のゲーム市場を塗り替えてしまいかねないゲーム機だったが、たったひとつ弱点があった。

     本体の金額が十二万八千円。一万二千八百円ではない。十二万八千円である。

     どう考えても、ガキにおもちゃとして買い与えるために出せる金額ではなかった。修也を責めるのは酷だ。四歳児にとっては百を超えれば「すごく大きな数」である。「万」「千」という概念を理解していたかも怪しい。

     当然、母親は気のない顔でその広告を見て、ひとこと「だめです」とだけ答えた。

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    ~ Comment ~

    Re: 椿さん

    いやー、もっとおわかいかただとばかりおもっていました(棒読み)

    あのゲーム機のイメージが頭にあったせいで、とあるゲーム機が印象悪くなってしまったのですがそれはさておき。

    ……この小説は、もちろんフィクションです。史実では、丸紅がチャンネルFの輸入販売を始めたのは1977年10月ですから、修也少年がこの時期に広告を見ているはずがないのであります。

    話は面白くしないといけないので(^_^;)

    NoTitle

    こんなゲーム機があったんですね。
    しかし12万8千円は、インフレが最高潮に達し好景気だったバブル時代でも、子供に買い与える金額ではない(^-^;

    修也くん、次は何に出会うのかな~。
    背景の時代が懐かしくて……懐かしくて……年齢が……(笑)

    Re: blackoutさん

    ファミコンの登場は画期的でしたね。最初にデパートで「ポパイ」をやったときのことは昨日のように覚えています。

    そこらへんでも修也少年はいろいろとぐじぐじいうわけですが、そこに至るまでの遍歴をどうかお楽しみに……。

    NoTitle

    記憶が正しければ、その6〜7年後に任天堂がファミコンを発売した気がします

    マリオに限らず、初見殺しどころかクリアできるのか?的なゲームばかりだった気がします(汗)

    ミラクルロピットとか迷宮組曲とか魔界村とかグラディウスとか(汗)

    もちろんワープとか裏技なしで、です
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