ウォーゲーム歴史秘話

    ワグラムの戦い従軍記

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    一八〇九年七月四日まで

     歴史の中でどれだけの人間が英雄と呼ばれたかは知らないが、真に英雄と呼べる人物はごく少数である。フランス帝国皇帝ナポレオン一世は、まさにその真の英雄の代表たる人物であった。

     オーストリアとイギリスによる一八〇九年四月九日の第五次対仏大同盟締結から始まる今回の一連のオーストリア戦役で見せたその巧みな用兵は、わたしを驚嘆させるものだった。ナポレオンと彼が最も信頼するダヴー元帥とがオーストリア軍を撃破した四月二十二日のエックミュールの戦いなどは、まさに芸術作品と呼べるものだった。

     オーストリア軍の最高司令官だったカール大公が、将才においてナポレオンに劣っていたわけではない。首都ウィーンをフランス軍に無血で明け渡しての整然たる退却と、ドナウ川東岸に陣を張ってからの粘り強い防御は、ナポレオンを悩ませた。五月二十二日のアスペルン・エスリンクの戦いにおいて、オーストリア軍はナポレオン率いるフランス軍を敗走させた。常勝フランス軍が、常勝ナポレオンが負けたのだ! このニュースはヨーロッパじゅうに広がり、フランスに敵対するすべての勢力を勇気づけた。

     ナポレオンはさすがに英雄だった。英雄でなければ、フランス帝国は崩壊してしまうことは明白だった。そして、ナポレオンが自分が英雄であることを証明するには、軍事的な勝利を上げること、具体的には、カール大公率いるオーストリア軍に決戦を挑み徹底的に叩き潰すこと、それ以外に方法はなかった。

     一八〇九年七月四日、暴風雨をついてドナウ川を渡河したフランス軍十八万は、オーストリア軍十五万と対峙していた。

     ワグラムの戦いの始まりである。



    一八〇九年七月五日の状況

     ナポレオンの目的は明確だった。オーストリア軍を撃破するか、それがかなわなくとも、本陣のあるワグラムの町と、その後方のラスバッハ高地を占領し、オーストリア軍を分断、いつでも各個撃破できる態勢に持っていくことである。この方針は半ば成功していた。オーストリア軍は、防御の必要上、東西に大きく分散しており、それに対してフランス軍は戦力を集中させていたからである。

     このときナポレオンが採用できた方法は三つ。自軍右翼に戦力を集中、敵が態勢を整える前に迂回してラスバッハ高地を目指す作戦。

     もう一つは、自軍の左翼に戦力を集中、ラスバッハ高地の攻略はとりあえず見合わせ、オーストリア軍右翼を撃破する作戦。

     最後に、自軍の中央に戦力を集中し、敵陣の中央突破をはかる作戦。

     ナポレオンは、熟慮の上で二番目の策、オーストリア軍右翼を撃破する作戦を選んだ。

     まず、自軍の右翼から迂回してラスバッハ高地を目指すのは、迂回ということでかなりの距離を移動させねばならず、しかも森とラスバッハ川という地形に守られたオーストリア軍左翼は、想像するよりも強力だろうと考えられた。また、ヨハン大公率いるオーストリア軍別動隊が東方から接近中という情報も得ていたため、それらにも対処できる兵力が必要であり、それによる右翼の進撃速度は、遅くなるのではないかと考えられたのである。

     中央突破は論外だった。オーストリア軍の主力を、相手に地の利がある状態で相手にしなくてはならないのだ。フランス軍にそれだけの突進力はない、というのがナポレオンの判断だった。

     敵の右翼を撃破することを優先した理由は三つある。まず、自軍の右翼と中央に比べ、優勢な騎兵と砲兵を有効に使えるからという理由。次に、敵右翼に攻勢を取らせ、自軍の左翼が突破された場合、補給拠点となる村を確保することが不可能になってしまうからという理由。最後に、なによりもフランス軍の目的は、敵戦力の撃滅にあり、ラスバッハ高地の奪取はそれを遂行するための一手段に過ぎないからという理由であった。

     一度決断するとナポレオンの機動は大胆だった。全戦力のおよそ半分を、自軍の左翼に向けた。レオポルダウ村に向かい、大軍が進み始めた。


    七月五日 午後

     戦闘の口火をきったのはフランス軍右翼だった。レオポルダウ村よりはるか離れた、レオポルズドルフという村近くの、ラスバッハ川にかかる橋梁をめぐる騎兵同士の小競り合いである。小競り合いとはいうものの、この橋梁は重要だった。ここは砲兵を通すための重要な渡河点であり、交通の要所である。もしもフランス軍がここの攻撃に手間取るようであれば、フランス軍右翼の進撃は遅々としたものになるだろう。

     フランス軍の攻撃は失敗し、騎兵部隊は混乱し後退した。

     それ以外の場所では、歩兵や砲兵の大部隊が前進を行っていた。あちこちで交通渋滞が起きていた。電撃的な行軍に定評のあるフランス軍にしては珍しいことだ。全体的に見て、この会戦におけるナポレオンの采配には、あのアウステルリッツに見られたような完璧なまでの冴えはなかった。

     フランス軍の布陣は、ワグラムの町にほど近いアーデルクラー村を頂点とした楔形になっていた。ナポレオンの意図は、中央の交通の要所を抑えることにより、オーストリア軍右翼と左翼を分断することにあった。フランス軍の中央はかなり前進していたものの、そこに割り当てられた戦力は、ほとんど申し訳程度のものにすぎなかった。そのかわりとして、翼の両端は大軍が圧力をかけていた。

     フランス軍の本陣では、参謀長のベルティエが、錯綜する伝令の報告を、可能な限り素早く整理してナポレオンに伝えていた。

    「アーデルクラー村のわが歩兵は、敵騎兵の突撃を受けたものの、いまだ支配を失わず……」

    「レオポルダウはどうした。まだ陥落せんのか!」

     ベルティエが時計を見たとき、伝令が飛び込んできた。ちょうど三時だった。

    「報告します! 第四軍団、レオポルダウの中央を制圧! 西方より、敵軍の大部隊の接近を確認!」

    「敵の第三軍団であろう。側面を抜かれさえしなければどうなってもよい」

     ナポレオンは呟き、ベルティエに命令した。

    「第九軍団は第四軍団を救援し、レオポルダウ村からの敵の進軍を阻止せよ! 第十一軍団は側面からレオポルダウ村を包囲し、敵軍を殲滅せよ!」

    「アーデルクラー方面は……」

    「アーデルクラー方面は、ワグラムに続く道路を封鎖し、残りは敵左翼に圧力をかけろ! 分断された敵をさらに分断するのだ!」

     ナポレオンは手を腹に当てるいつものポーズを取った。その顔は何かを期待していた。

     レオポルダウ村では一進一退の激戦が続いたが、最終的には兵力で勝るフランス軍により、各個に撃破されていった。ベルティエ参謀長は明らかにほっとした顔をしていた。

     一時間後。もう日も暮れかけ、戦闘行為も不可能になりかけたころ。

     真っ青な顔でベルティエがナポレオンの天幕に飛び込んできた。

    「報告します! ワグラムおよびグロスホーフェンより、敵が前進! わが軍中央に攻勢を取ったものと思われます!」

     ナポレオンはそれを聞き、ベルティエに命令した。

    「パリへ伝令!」

    「はっ?」

    「パリへ伝令! 内容は、『ワレ、勝テリ』」

    「……陛下?」

    「復唱せよ!」

    「はっ、伝令、『ワレ、勝テリ』!」

     わたしの思うに、このときのナポレオンは、あのアウステルリッツ三帝会戦のときの、英雄ナポレオンそのものだった。


    七月五日 夜 ~ 六日 未明

     戦闘行動は不可能であったが、フランス軍もオーストリア軍もゆっくりとではあるが部隊を機動させていた。ナポレオンは、自軍の左翼から部隊を引き抜き、中央へと向かわせた。夜を徹して移動したフランス軍は、地の利を捨てて突出したオーストリア軍を包囲するように進んでいた。

     ナポレオンはいった。

    「払暁、敵に対して包囲攻撃をかける。この相手を殲滅したら、わが軍の中央突破を阻むものは何もなく、あとはラスバッハ高地へなだれ込むだけだ」

    「指揮官はどうされますか? 重要な任務ですが」

    「マルモン将軍がいる。余の腹心の部下だ。元帥の位すら狙える男だ。やつに任せれば安心だ」

    「左翼の敵軍は」

    「余をわずらわせるな。すでに分断してある。あとは各個に撃破すればいい。ベルナドットのような阿呆にでもできる仕事だ」

     ベルナドットとは、第九軍団を率いる元帥である。アウステルリッツ、アウエルシュタット、アイラウと、ことごとくナポレオンの逆鱗に触れるぶざまなふるまいをするくせに、なぜか元帥になってしまった経歴を持つ。ナポレオンの経歴に傷をつけないための、一種のスケープゴート役なのかもしれない。


    七月六日 午前

     すべてはナポレオンの思い通りに進んでいた。実際に砲声が鳴り響くまでは。

    「なぜだ」

     ナポレオンのその声は、左翼でオーストリア軍の残存部隊をことごとく撃破しているベルナドット元帥に向けられたものではなかった。

     フランス軍の前線部隊のほとんどから届いてきた、「敵軍、士気崩壊の模様!」という伝令たちに向けられたものでもなかった。

     それは中央で、マルモンが指揮する三倍のフランス軍の包囲攻撃をしりぞけたオーストリア軍の指揮官に向けられたものだった。

     わたしもその報告を信じがたい思いで聞いていた。マルモンは、ナポレオンのいうとおり、決して凡愚な将ではない。だが、あの名も知らぬオーストリア軍指揮官は、その攻撃を跳ね返したのだ!

    「まぐれだ。マルモンに攻撃を続けさせろ」

     わたしは、この会戦における勝敗の決め手は、この戦闘だと思っていたのは事実だ。アウステルリッツの戦いで、スールト元帥がプラッツェン高地に進軍してフランス軍の勝利を決めたのと同じように、この戦いでも、ここでこの部隊を突出させたことがオーストリアの最大の敗因だった、と、報告書にはまとめるつもりだった。

     しかし……。

     もしもあの部隊が整然とグロスホーフェンに撤退したら、フランスはラスバッハ高地への足掛かりを失い、決定的勝利のチャンスを逃してしまうことになりかねない。

     マルモン将軍は先にも勝る部隊を集中させ、二度目の包囲戦を行った。

     オーストリア軍指揮官は、それすらもはねのけた!

     まぐれなどではない!

     オーストリア軍は士気が崩壊しているというのに、あの名前も知らぬ指揮官は、フランス軍をあざ笑うかのような水際立った行軍をし、グロスホーフェンに後退した。

     わたしは、ベルティエ参謀長とともに、ナポレオンを見た。

     その目は屈辱にぎらぎらしていた。

    「ベルティエ……」

     いけない。オーストリア軍の半数近くを撃滅するという初期の目的は達したのだから、ここは守勢に回り、堅実な作戦を……。

    「ベルティエ。全軍に伝令を飛ばせ。なんとしてでもラスバッハ高地に進軍し、オーストリア軍を生かして帰すなと」

    「おそれながら陛下」

    「余はラスバッハ高地の占領という報告以外聞く気はない!」

     ベルティエ参謀長を気の毒に思うと同時に、わたしは自分のまだ見ぬ著作に、こう書くだろうと考えた。『カクテ皇帝ハ猪武者ト化シ、英雄ハ愚昧ナル凡人トナレリ』と……。


    七月六日 午後 ~ 戦役終結

     結論からいえば、マルモン将軍の攻撃失敗以降のフランス軍は、烏合の衆としかいえなかった。いくたびかラスバッハ高地に橋頭保は築いたものの、ヨハン大公のオーストリア軍別動隊の来援もあり、ことごとくオーストリア軍の反撃により撃退され、険阻な地形の前におびただしい犠牲を出して頓挫した。

     ナポレオンはぶぜんとした表情を隠さなかった。

     多数の犠牲者の前に、フランス軍の士気も崩壊していたからだ。

     フランスは勝った。ナポレオンは勝った。だがそれがどうだというのだ。後から死者の数を勘定して、オーストリア軍のほうが死者が多かったから、とりあえずフランス軍の勝ちということにしておいてやるか、そういった形の、限定的な勝利だった。

     体面を保つため、フランスはオーストリアとの講和会議において大幅な譲歩を行わなければならなかった。

     ナポレオンはパリで、わたしに語った。

    「余はカール大公とだけ戦ったのではなかった。ふたりのカール大公を相手にしていたのだ。それぞれが持ち場を心得た、非凡なる二人の将と」

     それがあの無名の指揮官に向けられたことだけはよくわかった。

     わたしも、ナポレオンだけが英雄ではないことを知った。時代は、新しい英雄を求めており、それはフランスではなくオーストリアに生まれたのだった。

     ナポレオンもそれをいやというほど知ることになるのだが、それは別の話である。


     フランス軍幕僚長 アントワーヌ=アンリ・ジョミニ大佐



    使用ゲーム: SPI「ワグラムの戦い」月刊タクテクス47号付録

    フランス軍(ナポレオン)プレイヤー: ポール・ブリッツ
    オーストリア軍(カール大公)プレイヤー: 水青さん
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    ~ Comment ~

    Re: miss.keyさん

    一年戦争のモデルはいろいろと説があるみたいですね。ジャブロー戦をスターリングラードと見立てた独ソ戦説とか、日本の進撃をもとにしているとか。

    ギレンの野望やりたいなあ。

    一年戦争も大詰め

     迂回してジオン本国を叩くか。ア・バオア・クーを貫くか、グラナダを占領するか。そしてレビル将軍は、ア・バオア・クーを貫き、ジオン本国へ進むと示したのである。
     おー、これはガンダムはナポレオン戦争を参考にしていたのですな。
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