ノイズ(連作ショートショート)

    ぴしっ。

     ←1979年(4) →ざーっ……。
     巖谷はすぐそばに横たわる女の髪を、愛しげに撫でていた。

    「しずか」

     女は巖谷の胸から顔を上げた。その目は、巖谷から見てもよくわかる、疲れ、絶望しきった色をたたえていた。

     ベッドの横には、ふたりが脱ぎ捨てた衣服が乱雑に散らばっていた。薄青いワイシャツ、赤いネクタイ、灰色の靴下、黒のワンピース、黒の帽子、黒の下着……。

    「医学的・生理学的調査は、うちの大学のできる範囲ですべてやってみたじゃないか。静佳、きみは健康で正常だ。眠れなくて睡眠薬を飲んでいるのを除けばね」

     ぴしっ。

     女は目を閉じた。

    「嘘よ」

     涙が、巖谷の胸をつっと流れた。

    「わたしの周りで、あれだけ人が死んでいくのよ。それも突然に」

    「世の中には偶然ってものがある。ぼくは数学的な」

    「数学の話なんか誰もしていないわ!」

     女は、信じられるものはそれだけだ、といわんばかりに、巖谷の胸に縋りついた。

    「最初は、偶然だと思った。大学の写真サークルで、友達が続けざまに四人も飛び降りて死んでも、偶然だと思っていた。ゼミで教授が逃げ出すように教室を飛び出し、階段から転落して死んでも、偶然だと思っていた。入った信金で、同僚や上司が、わずかひと月のうちに次々と横領の罪を犯して自殺していって、もう逃げられないと思った」

     巖谷は女の頭を強く胸に引き寄せた。

    「自分に責任があるんじゃないか、そうわたしは思った。高校までの自分と、卒業してからの自分で何が違うのか。高校までの自分は、学校で、主に黒い制服を着ていた。まさか、と思ったけれど、黒い服を着るようにしてみた。結果は歴然。自殺者は激減した。それまでの四分の一くらいに!」

     女は震えていた。

     ぴしっ。

    「信金はやめた。黒い服を着て仕事をするわけにもいかないし。故郷もなにもかも捨てて、わたしは逃げ出した。写真の仕事を見つけて、どこか落ち着けるところがないか、わたしは探した。探して移動するたびに、自殺が追いかけてくるのよ! わたしはどうすればよかったのよ!」

     これまでふたりで三十回以上は話したことだ。すべて頭に入っている。だからといってなにか実のある結論が出たわけでもない。巖谷は無言で女の髪をなでた。できることはそれくらいだった。

     ぴしっ。

     巖谷は眉をひそめた。

    「立て付けが悪いのかな」

    「え?」

    「さっきから、部屋がぴしぴしいっている」

    「わたしも気になっていたけど……」

    「ホテルが老朽化しているのかもしれないな」

     巖谷は、うまく話題を変えることができた、と思った。だが、この部屋がいつつぶれてもおかしくないかもしれないとなると……。

     ふっと、不安が胸をよぎった。

     ぴしっ。

    「静佳。ちょっと放してくれ。スマホを取る」

    「えっ?」

     真っ赤になった女に、巖谷は首を振った。

    「違う。この部屋がぴしぴしいっている音を録音するんだ。ホテルに文句をいってやる」

     巖谷の渾身のジョークだった。成果はあった。女は笑った。

     ぴしっ。

    「そらきた」

     口ではそういったものの、巖谷は不安を感じていた。もし、この部屋の天井が落ちてきたら。

     ぴしっ。

     もし、壁が崩れたら。

     ぴしっ。

     もし……。

     巖谷は女の身体を抱きしめた。

     おれは静佳を守る!

     時間が流れた。

    「おさまったみたいね」

     女の声に、巖谷は掌を放した。肩には赤く痕が残っていた。

     巖谷はうなずくと、スマホの録音を再生してみた。

    『「そらきた」……

     沈黙。

     沈黙。

     沈黙……

    「おさまったみたいね」』

     ふたりは無言だった。

     最初に言葉を発したのは、巖谷だった。

    「そうか。これが、自殺の正体なんだ」

    「どういうこと?」

    「部屋がぴしぴし鳴っている間、ぼくは怖かった。恐ろしくてたまらなかった。きみがいなかったら、ぼくはこの場を逃げ出していたかもしれない」

    「そんな、大げさな……」

    「大げさじゃないさ。常識的に考えれば、この築十年も経っていないホテルが、ぴしぴしいったところで崩れるわけがない。だが、きみにまとわりついている能力が、『幻聴を引き起こし』、『人を底知れぬ不安に落とし込む』んだ。待ってくれ。ええと、これだ」

     巖谷は素早く検索した。

    「きみが睡眠薬をもらった病院で起こった撲殺事件の記事だ。犯人の患者は、『ゴキブリが出た』ことで苛立ってことを起こしたことになっている。音と恐怖だ。ほかにも同様の例が……」

    「もういわないで」

     女は耳をふさいだ。

    「それがわかったところで、わたしはどうすればいいの?」

     巖谷は提案した。



    「先生、お世話になりました」

    「准教授、きみのような優秀な数学者を失うのは、わが校にとっては由々しき事態なのだが……まだ意見は変わらんのかね。研究が行き詰まったからといって、なにもオーストラリアの砂漠地帯へ行くこともなかろう」

    「あのような砂漠地帯のほうが、ぼくの思索には適しているのです。議論も全部ネットでできますし。妻とふたりきりで、ひたすら数学にふけりたいと思います」

    「奥さんはカメラマンだそうだけれど、あれはちょっとかわいそうじゃないのか? 結婚式に黒いドレスなんて、縁起でもない」

     巖谷は笑った。

    「妻は喜んでいるように見えたのですが、気のせいですか?」
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    ~ Comment ~

    Re: LandMさん

    まあ、静佳さんは特異体質のせいですから。

    白いドレスで結婚式場に表れたとたん血の雨が降ってもしかたないですし(^^;)

    NoTitle

    結婚式に黒いドレスか。。。
    まあ、ありと言えばありなんでしょうけど。
    儀礼は儀礼で白であってほしいという保守的な考えもある私です。。。
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