ゲーマー!(長編小説・連載中)
閑話休題1
閑話休題1
まあわかっている人はすでにおわかりだろうが、この「ゲーマー!」という小説は、現実の生を「生きる」ということがどういうことなのかどうしてもピンと来なかった人間の悲喜劇を描こうと構想したものである。
しかし、いろいろと考えると、修也くんなんかまだかわいいもの、と思われるほどに「生きることがどういうことなのかピンと来なかった」らしい男がいるのである。
これからちょっとその男についての話を書くので退屈だろうがつきあってほしい。「ゲーマー!」にはまったくからまないので興味がない人は飛ばしてもけっこうである。
その男は1889年にウィーンで生まれた。「生まれた」ということがその男にはどうもピンと来なかったらしい。まあ彼にとどまらず、普通の人間はそうだわな。
その男は4歳になるまで言葉をしゃべることができなかった、と記録にはある。その後も生涯にわたり非常な吃音症だった。「外界とコミュニケーションを取る」ということがピンと来なかったらしい。もっといえば、「しゃべる」とはどういうことなのかがピンと来なかったようなのだ。このことについての関心は、男に終生ついて回った。
吃音症ゆえに、いやそれ以上に生まれた家が超のつくほどの大金持ちだったため、男は小学校に通わなかった。家庭教師をつけ、家庭内で初等教育を受けたのだ。男の神経を考えれば妥当な措置だったろうが、男は「同年齢の子供の集団の中でどうふるまえばいいか」について理解することなく子供時代を過ごしたことになる。そのせいかどうかはわからないが、この男は「社会性」というものについてピンと来ないまま大きくなったようである。
大富豪の家に生まれることは悪いことよりもいいことの方が多いのはたしかだ。男の周りには当代きっての芸術家や学者が集まり、刺激的な会話が飛び交った。男がそれを理解したかどうかは、あいにくとわからないが、男の「しゃべる」ことへのピンと来なさを改善する役に立ったとはあまり思えない。
結局、自宅での教育は1903年、男が14歳になるまで続いた。その後、男はリンツの高等実科学校、まあつまり、トップクラスの技術者を養成する、名門の、今でいう高専ロボコンの常連優勝校みたいな学校に進学した。3年間の教育を受けたけれども、当時のことであり「全寮制」であったこの学校での毎日は、「集団生活」に対してピンと来なかっただろう男にとって楽しかったものとは到底思えない。なんでも、在学中に男は「信仰」というものがまったくわからなくなってしまったらしいのだ。男にはマルガレーテという姉がいたが、よせばいいのに当時リバイバルしていた哲学者であるショーペンハウアーの書物を読ませた。男はショーペンハウアーを徹底して読み込み、基本的なところではそれなりに納得したらしい。
男には鬱病の傾向があった。さらにそこには自殺念慮もくっついていた。男はそれをそうとう持て余したらしい。物理学者のボルツマンの講演集に魅せられた男は、実科学校卒業後、ボルツマンのいるウィーン大学に進学しようとしたが、「宇宙の熱的死」、つまりエントロピーが極大になってしまい、「変化」というものがなにひとつなくなってしまった宇宙というイメージに取りつかれたボルツマンが自殺してしまい、そちらへの進学をあきらめた。類は友を呼ぶというかなんというか、ボルツマンも当時まだ仮説にすぎなかった原子論を支持していたため、エルンスト・マッハやその他の実証主義者とさんざん軋轢があったようで、双極性障害にまでなってしまったらしい。
結局、男は工学の道を選び、今のベルリン工科大学で機械工学を学んだあと、英国に渡りマンチェスター大学工学部へ入学することになった。ジェット機用プロペラの技術で特許を取っているから、そのまま機械とつきあっていれば外界がピンとこないまま平穏な一生を送れたかもしれないが、それをするには男はあまりにも天才すぎた。
機械工学には数学の知識が必要不可欠だ。というわけで男は数学と論理学を学んだ。学んだといってもほんのわずかな時間である。そんな若造が、指導教授の勧めとはいえ当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったバートランド・ラッセル哲学教授をケンブリッジ大学に訪ねたというのだから、男には「世間体」というものがまったくピンと来ていなかったと考えていいだろう。読んだ哲学書といえば、ショーペンハウアー一冊に過ぎない学生が、「プリンキピア・マティマティカ」の著者になにをいったとしても、無礼千万というやつにしかならなかったであろうから。
バートランド・ラッセルが天才だったことは男にとって幸いだった。なぜならラッセルは、男が自分とはレベルの違う天才であることを、しかも工学ではなく自分の専門分野である哲学と論理学の面での天才であることをわずかな対話ですぐに見抜いたのだから。
かくして、世間や社会や常識といったものがまったくピンと来ていない天才哲学者の伝説が始まる。
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、まだ22歳。
この続きは、また気の向いたときに……。
まあわかっている人はすでにおわかりだろうが、この「ゲーマー!」という小説は、現実の生を「生きる」ということがどういうことなのかどうしてもピンと来なかった人間の悲喜劇を描こうと構想したものである。
しかし、いろいろと考えると、修也くんなんかまだかわいいもの、と思われるほどに「生きることがどういうことなのかピンと来なかった」らしい男がいるのである。
これからちょっとその男についての話を書くので退屈だろうがつきあってほしい。「ゲーマー!」にはまったくからまないので興味がない人は飛ばしてもけっこうである。
その男は1889年にウィーンで生まれた。「生まれた」ということがその男にはどうもピンと来なかったらしい。まあ彼にとどまらず、普通の人間はそうだわな。
その男は4歳になるまで言葉をしゃべることができなかった、と記録にはある。その後も生涯にわたり非常な吃音症だった。「外界とコミュニケーションを取る」ということがピンと来なかったらしい。もっといえば、「しゃべる」とはどういうことなのかがピンと来なかったようなのだ。このことについての関心は、男に終生ついて回った。
吃音症ゆえに、いやそれ以上に生まれた家が超のつくほどの大金持ちだったため、男は小学校に通わなかった。家庭教師をつけ、家庭内で初等教育を受けたのだ。男の神経を考えれば妥当な措置だったろうが、男は「同年齢の子供の集団の中でどうふるまえばいいか」について理解することなく子供時代を過ごしたことになる。そのせいかどうかはわからないが、この男は「社会性」というものについてピンと来ないまま大きくなったようである。
大富豪の家に生まれることは悪いことよりもいいことの方が多いのはたしかだ。男の周りには当代きっての芸術家や学者が集まり、刺激的な会話が飛び交った。男がそれを理解したかどうかは、あいにくとわからないが、男の「しゃべる」ことへのピンと来なさを改善する役に立ったとはあまり思えない。
結局、自宅での教育は1903年、男が14歳になるまで続いた。その後、男はリンツの高等実科学校、まあつまり、トップクラスの技術者を養成する、名門の、今でいう高専ロボコンの常連優勝校みたいな学校に進学した。3年間の教育を受けたけれども、当時のことであり「全寮制」であったこの学校での毎日は、「集団生活」に対してピンと来なかっただろう男にとって楽しかったものとは到底思えない。なんでも、在学中に男は「信仰」というものがまったくわからなくなってしまったらしいのだ。男にはマルガレーテという姉がいたが、よせばいいのに当時リバイバルしていた哲学者であるショーペンハウアーの書物を読ませた。男はショーペンハウアーを徹底して読み込み、基本的なところではそれなりに納得したらしい。
男には鬱病の傾向があった。さらにそこには自殺念慮もくっついていた。男はそれをそうとう持て余したらしい。物理学者のボルツマンの講演集に魅せられた男は、実科学校卒業後、ボルツマンのいるウィーン大学に進学しようとしたが、「宇宙の熱的死」、つまりエントロピーが極大になってしまい、「変化」というものがなにひとつなくなってしまった宇宙というイメージに取りつかれたボルツマンが自殺してしまい、そちらへの進学をあきらめた。類は友を呼ぶというかなんというか、ボルツマンも当時まだ仮説にすぎなかった原子論を支持していたため、エルンスト・マッハやその他の実証主義者とさんざん軋轢があったようで、双極性障害にまでなってしまったらしい。
結局、男は工学の道を選び、今のベルリン工科大学で機械工学を学んだあと、英国に渡りマンチェスター大学工学部へ入学することになった。ジェット機用プロペラの技術で特許を取っているから、そのまま機械とつきあっていれば外界がピンとこないまま平穏な一生を送れたかもしれないが、それをするには男はあまりにも天才すぎた。
機械工学には数学の知識が必要不可欠だ。というわけで男は数学と論理学を学んだ。学んだといってもほんのわずかな時間である。そんな若造が、指導教授の勧めとはいえ当時飛ぶ鳥を落とす勢いだったバートランド・ラッセル哲学教授をケンブリッジ大学に訪ねたというのだから、男には「世間体」というものがまったくピンと来ていなかったと考えていいだろう。読んだ哲学書といえば、ショーペンハウアー一冊に過ぎない学生が、「プリンキピア・マティマティカ」の著者になにをいったとしても、無礼千万というやつにしかならなかったであろうから。
バートランド・ラッセルが天才だったことは男にとって幸いだった。なぜならラッセルは、男が自分とはレベルの違う天才であることを、しかも工学ではなく自分の専門分野である哲学と論理学の面での天才であることをわずかな対話ですぐに見抜いたのだから。
かくして、世間や社会や常識といったものがまったくピンと来ていない天才哲学者の伝説が始まる。
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、まだ22歳。
この続きは、また気の向いたときに……。
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~ Comment ~
興味引かれるわ
天才と称されるような人は普通の人の理解を越えたもんなんやろから、普通の人からみた天才評というのでは、その人を捉えきれないんやろし
同等の天才からみた天才評というものなら、と思うけど、それもまた理解を越えてそうな気もするし
わかりにくいものをわかるように、というのは難しそうですね
でも、続きは気になるわ〜
同等の天才からみた天才評というものなら、と思うけど、それもまた理解を越えてそうな気もするし
わかりにくいものをわかるように、というのは難しそうですね
でも、続きは気になるわ〜
- #17397 カテンベ
- URL
- 2016.06/18 08:06
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Re: カテンベさん
そしてその「論理哲学論考」自体が「天才が天才に読んでもらうために書いた」ような代物で、わたしも日本語訳を何度となく読みかけては中途挫折。薄くてコンパクトな本なのに(^^;)