東西ミステリーベスト100挑戦記(ミステリ感想・やや毎週土曜日更新)

    海外ミステリ48位 利腕 ディック・フランシス

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     大学時以来、二十数年ぶりに再読。当時は面白かったが、今読むとどうか……という疑念がまったくの杞憂だったのは正直うれしい。陰謀が同時進行で三つもからむ複雑なプロット、耐え抜く男シッド・ハレー、いやあ堪能した堪能した。バーミヤンでタダ券のドリンクバイキングをがぶがぶ飲みながら居座って読み、出て行くときのウェイトレスのお姉さんのホッとした顔がこたえられん。

     まずは陰謀が同時進行で三つもからむプロットで混乱しないのか、と思われるかもしれないが、逆だ。陰謀を同時進行で三つも四つもからませた話を書くのは、思うほど困難ではない。困難なのは、読む人に混乱させずにわかりやすくまとめることなのだ。本書はミステリであるため、すべての陰謀が、結末ではオチるべきところにオチる。そのカタルシスこそ、ミステリファンをとりこにしてやまない麻薬性物質の主成分である。

     謎の解き手であるハードボイルド探偵シッド・ハレーの「耐え抜く男」ぶりがまた最高である。再読して思うのであるが、英米人が本書『利腕』を読むのと、日本人が菊池光訳でこの本を読むのとでは、「感じ」が全然違うのではないか。本書においてディック・フランシスはいつものようにヒーローをいじめていじめていじめぬくのであるが、そのいじめられかたが英語と日本語では違うのではないだろうか。主人公の一人称である「私」にしても、英語では単なる「I」だが、日本人のミステリ読者にとっては、この「私」はあの太宰治の「私」であり、清水俊二訳レイモンド・チャンドラーの「私」であり、あまたのハードボイルドヒーローの「私」が、ぐっと引っ張ればぞろぞろとくっついてくる、知的で、タフながらどこか弱く、情感たっぷりに、時おり自虐的ユーモアを交えながら自分の道を行く「私」なのである。英国推理作家協会がゴールデン・ダガー賞を授与した対象のハレーと、情感ずぶずぶ路線を進む日本人好みのハレーとは、まったくの別人なのかもしれない。

     そういうことを語り出したら、「翻訳不可能性テーゼ」だとか「私的言語」だとか「独我論」だとかいう、20世紀の哲学者たちを死ぬほど悩ませた問題になって収拾がつかなくなるからやめておくが、ただ、これだけはいえる。

     精神的にも肉体的にも、ぼろぼろになり、肉がちぎれ、血まみれになり、恐怖に苦しみながらも勝利をつかむ調査員シッド・ハレーと、わずかな時間でも情感を通わせられるのだから、日本人読者は、自分の幸福をもっと自覚したほうがいい。ネイティブが通り過ぎてしまうような貴重なものを、外国語話者がはるかに濃密にとらえていることが、ごく希にだがほんとうにあるのだから。
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