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    ミステリ・パロディ

    奇天烈な足音

     ←今日は小説を書かねばならぬ日である →1982年(5)
     その日、ブラウン神父は、ヴァーミリオン・ホテルの手荷物預かり所で、静かに手紙をしたためていた。それは、現在、二階の使用人室において、急な発作を起こした、今は慈愛深き神の手のもとにいるひとりのウェイターに臨終の秘跡をほどこしたときに託された遺言にもとづいてのものだった。ブラウン神父の書いていたその手紙は、十中八九、このショートショートの内容よりは波乱に富んで面白いものだったに違いないが、神父は内容を話してはくれないだろう。

     さて、この手荷物預かり所は、ホテルの食堂と、キッチンなどのある本館とのちょうど境目にあり、そこからは廊下で起こる物音がよく聞こえるのであった。人の声、金属の触れ合うガチャガチャいう音、そして足音……。

     ふいに、神父はペンを置いた。そして考え始めた。これは、どこかで聞いたことのある足音だぞ、と思いだしたのだ。

     その足音は、まずはゆったりと聞こえた。それから、速いテンポになった。小走りをしているに違いない。そしてまたゆったりとした足音に戻り、ふたたび小走りになった。それを繰り返しているのである。

     このなにものかは、歩くために走っているのだろうか、それとも、走るために歩いているのだろうか? もしそうだとしたら、そこにはどんな秘密が隠されているというのだろう?

     神父の頭は、こんなときには、常人の思いもよらぬ結論を導くのだ。2プラス2が四百万の答えを出すのは、東条首相のいうように努力と少しずつの日々の改善によるものではなく、こうした、それ相応の訓練を積んだ思考の持ち主が、自由なままに放っておかれた、こんな瞬間にこそあらわれるものなのだ。


     …………



    「どこかで聞いたことのある話ですねえ」

     と、もと大泥棒で、今は神父の良き友人であり、いっぱしの私立探偵であるフランボウはいった。

    「ぼくがかかわった事件と、そっくりだ。誰か、ぼくの真似をしたあっぱれな男でも、いたんですかね」

    「あっぱれというより、気の毒な男だったな、今思うと」

     ブラウン神父は、そう答えた。

    「むろん、あの男は、それ相応の必然的な理由があって、歩くために走り、走るために歩くようなあんなことをしていたのだ。フランボウ、きみにも覚えがあるはずだ。むろん、あんなふうに泥棒するためではなくて」

    「なんですって? ぼくが、ホテルの廊下で、歩くために走り、走るために歩くことを必然的に強制される? そんなことが、あるわけがないじゃないですか!」

     驚いた声のフランボウに、神父は静かにいった。

    「そうか、きみは、フランス人だったな。フランス人なら、あの男が陥ったような悲惨なことになるくらいだったら、いさぎよく自分の命を絶つ方を選ぶに違いない。そして、私は、あの男がそれをやり遂げるのに失敗したことを悟った時、主に対して祈ったものだ。あの紳士の魂に安息あれと」

    「さっぱりわけがわからない。いったい、神父、あなたがいうその紳士は、どんな理由でそんな奇天烈な歩き方をしていたというのですか」

    「簡単な話だよ。その紳士は、『大便をこらえていた』のだ。本館のトイレにまっすぐに向かっていたのだ。切羽詰まっていることが友人にばれないようゆったりと歩き、そして見えなくなったところで小走りになり、そのせいで漏れそうになってゆっくりとした歩き方になり……この推測はすぐに裏付けられたよ。あの臭いは、間違いようがなかったのだ」

     神父は静かに十字を切り、フランボウは、わずかの間その紳士のために瞑目したのだった。
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    ~ Comment ~

    Re: ダメ子さん

    いやしくもブラウン神父のごとき有徳な聖職者がそんなふしだらなことを考えるわけが……(^^;)

    あったらやだな(^^;)

    NoTitle

    改めて考えると探偵ってとても嫌な奴ですね…

    でも相手が女性じゃなかっただけまし?
    いやでも、男性の方が趣味なのかもしれないし…

    Re: sugataさん

    天国のチェスタトン先生、許してくれるかなあ、と、書き上げて思いました。ギャグでも下ネタは使わない人だったからなあ。

    今日は「死にゆくものへの祈り」も読んだけど、信者じゃないから告解もできないしなあ(^^;)

    NoTitle

    ええと……ひどい話ですね、面白いけど(笑)
    願わくば神の鉄槌が振り下ろされませんように( -ω-)m †
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