荒野のウィッチ・ドクター(長編ファンタジー小説・完結)
荒野のウィッチ・ドクター(25)

25 賢者の郷
アトは見た。
テマも見た。
だが、目の前の光景に一番愕然としていたのはアグリコルス大博士本人だったろう。
「わしは見たのだ。この目で見たのだ」
塑像になったかのごとく動けないでいる博士にかわり、テマがゆっくりとかぶりを振った。
「たしかに『精霊の恵み』の大群生だけどね」
ジャングルの中にぽっかりと開いた、そこだけ日の差す一角。こんこんと湧きだす泉。取り囲むように生えている木々には、それこそびっしりと「精霊の恵み」がまとわりついている。
「ここに人々が住んでいたのだ。密林の賢者たちが暮らしていたのだ」
アグリコルス大博士はかすれた細い声で続けた。
「賢者たちは知恵にあふれていた。彼らは『精霊の恵み』を口にしては、奥深い知恵を惜しげもなく披露してくれた。その声はまるで珠を転がすかのように美しく、軽快で、それでいながら機知に富み……」
「機知ねえ」
テマはぐるりと辺りを見回した。
「あたしも長いことあっちこっちを放浪しているけど、この場所に人が暮らさなくなって百年は経っているんじゃないのかな。家どころか家の基礎すらない」
「そんな馬鹿な」
アグリコルス大博士は地面にがっくりと膝をついた。
「夢でも見ていたんじゃないの? 冒険の途中でさ、疲れ果てて幻覚を見て、いい気持になって帰ってきちゃった、っていう落ちでさ」
「いや」
アトは指摘した。
「それならば、かつて大流行していたという熱病についての対処法をアグリコルス大博士が入手できたことが説明づけられない。だから、なにかの知恵は確実にここにあったんだ。知恵じゃなくて、知識かもしれないが」
テマは疑わしそうに博士を見た。
「ほんとうにここなの、アグリコルス博士」
「大博士じゃ……」
そう答えたものの、声には昨日までの勢いはなかった。
「とりあえず、魔法陣を描いて傷を治したほうがいい。毒に侵されている可能性もあるしね」
「毒……?」
テマはアトをちらりと見、また魔法陣を描く仕事に戻った。
「なにか、精霊が変な知恵でも授けてくれたの?」
「そういうわけではないが」
アトはアグリコルス博士に向かってつぶやいた。
「もしかしたら……」
アシャールは自分が今どこにいるのかすら判然としていなかった。暗く、地面は木の根でごつごつとしており、虫や爬虫類や両生類が山ほど棲んでいて、そして……。
アシャールはがっくりと膝をついた。
膝をつき、顔を覆い、アシャールは泣き始めた。
もうおしまいだ。このような野蛮な新大陸に金と権力を求めて移住してきたのが間違いだったのだ。自分の知恵を確かめたければ、安全な旧大陸の『敬都』の大学の一室で、本を読んで議論だけしていればよかったのだ。新大陸で大学者と呼ばれるよりも、旧大陸でうだつの上がらない講師として暮らしていたほうがよかったのではないか。少なくとも、そこでは、安全で平凡な数十年の生活が保証されていたはずだ。今日のうちにも死んでしまうかもしれない、いや死ぬ公算が高いこんなところで、ひとりでいるよりも、そっちのほうが、生きていられるだけはるかにましだろう!
自分が死んでしまったら、自分の崇高な研究はどうなるのだろうか。シビトトカゲの養殖に成功し、シビトトカゲ病の原因を突き止めるという偉大なる功績を上げたのに、その功績は、自分の研究施設やノートを覗き見た、アグリコルスのような男に、すべて横取りされてしまうのではないだろうか。
横取りされるにしても、アグリコルスにではないだけましかもしれない。
そう考えると、アシャールは急に愉快になってきた。
アシャールはヒステリックな声で高笑いをした。
十数えるぐらいの間、アシャールは笑うと、笑いだしたときと同様に急に黙り込み、顔を覆って泣き始めた。
誰が助けに来てくれるわけもない……。
アシャールは泣き続けた。
「なにをやってるんだい」
テマの問いかけに、アトは簡単に答えた。
「いちばんでかくて太くて威厳のある樹を探している。おそらくは、それが印だと思うんだ」
テマは杖でがりがりと地面をひっかいた。
「ふうん。どんな印だか知らないけれど、こんなところになにがあるって」
「見つけたぞ」
アトは嬉しそうにいった。
「何を見つけたんじゃ、アトくん」
「決まっているだろう、『翼ある蛇』だ」
アグリコルス大博士は弱々し気に手を持ち上げた。
「そんなもの見つけたって、がっかりするだけじゃろう。いいか、わしはここに来たとき、たしかに賢者たちと議論をしたのじゃ。だから、ここに人が住んでいたことは確実な事実じゃ。であるからして、『翼ある蛇』の紋章がここの古い木に刻まれていてもおかしくはない」
アグリコルス大博士は、身をよじった。
「アトくん、お願いじゃ、わしのためにこの周りからミツリンチャノキの葉を、『精霊の恵み』をむしって持ってきてはくれまいか。その葉がもたらす陶酔と活力なしでは、今のわしはもうなにもできん」
「いや」
アトは首を振った。
「これはおれが食べる」
テマは服を脱ぎ始めた。
「そんなことより、アト、お前もこっちへ来い。接触しなければ、あたしは傷を身体に移せないんだ」
テマはアグリコルス博士の身体に手を当てると、ぶつぶつと異様な言葉をつぶやき始めた。
「テマくん、わしはそんなものより」
テマの口から苦痛を押し殺す声がした。テマははいずるように魔法陣の中に入った。
「……食え!」
名状しがたい黒い獣が、魔法陣の中で、テマの身体をついばみ始めた。
アグリコルス大博士は、学者としての好奇心に負けたのか、そのさまを食い入るように眺めていた。
「なるほど……つまり、そうだとしたら。いや、危険かもしれない……」
アトはそのさまを見ていたが、やがて意を決したかの如く、その『翼ある蛇』の刻まれた樹にからみついていたつる草の葉をちぎり、口に入れて噛み始めた。
アトの身体が、硬直した。
テマは悲鳴を上げた。
「アト!」
アトは頭を押さえてしゃがみ込み、わけのわからない言葉を叫び始めた。
テマは魔法陣から這い出すと、服もまとわずにアトのそばへ走り寄った。
「なんていってるの! アトはなんていってるの、博士!」
「野蛮人の言葉じゃ。正直、わしにもよくわからん」
アグリコルス大博士は目を驚愕に見開いていた。テマは絶望したかのような悲鳴を上げた。
「そんな!」
「……違う。落ち着けテマくん。野蛮人の言葉くらいわしも知っておる。じゃが、語る内容が高度すぎて、意味を取りあぐねているだけなんじゃ」
「じゃあ、アトはなんていっているの?」
「信じられんことじゃ。わしは、ここをまったく誤解しておったらしい。アトは、こういっておる」
アグリコルス大博士は内容をまとめようとしているようだった。
「……これは知恵と知識の樹なり……知を求め知識を深めんと思うものはこの葉を口にせよ……もしも汝が『精霊の導き』……すなわち人類すべての持つ集合的無意識……集合的防衛本能……に直接触れることが可能であれば……誰であれこの情報を……理解し……判読することが可能……」
テマはまばたきをした。
「よくわからないんだけど、どういうことなの?」
「つまり、この一帯は、一種の図書館のような物なんじゃ。群生するこの『精霊の恵み』の葉の一枚一枚が、アトのように『精霊の導き』を感じることのできる野蛮人であれば誰でも読める『本』のようなものなのじゃよ」
テマは衣服を身に着けるのも忘れてアトを見つめていた。
「考えに入れておくべきじゃった。『精霊の恵み』の強壮効果とは、実際に身体を強壮にするわけではなく、わしらを『疲れが取れた』と勘違いさせる、いわば肉体よりも精神に作用する効果だったのじゃ。アトたち野蛮人はこのつる草による文明を発展させておったのじゃな。おそらく一本のつるが這っているだけではこういった情報伝達の力はないんじゃろう。複数、それも大群生することにより、初めて情報の記録と読み出しができるようになるに違いない」
「じゃあ、アトは!」
テマの声が明るくなった。
「アトくんは安心じゃ。どうでもいいが、早く服を着んとひどい赤焼けになるから、さっさと着るんじゃな。アトの言葉はわしが解釈しておく」
アグリコルス博士の指摘でテマははっと自分の身体に気がついたようで、舌を出すと服をまとった。
アトは頭をかけめぐる情報を追いかけるのに精いっぱいだった。
『この議論の場所を名付けるのに、わたしたちは「賢者の郷」とした。わたしたちのつまらない冗談だ。なぜなら、わたしたちはわたしたち自身がこうした知恵や、それ以上に知識を放棄して生きることを最終的に選択したからだ……。
葉を噛むものよ、この場所の使い方を説明しよう。つる草は同じように見えても幾種類かが存在する。そのひとつひとつが、まったく違う系統の情報を蓄えている。主にそれらはからみついている樹の種類によって判断される。それの見分け方は以下のようにする……』
アトは目を上げた。今のアトの目には、一介の野蛮人として認識するよりも遥かに細部にわたって、これら樹々と『精霊の恵み』の違いが判別できるようになっていた。
アトは『医学』の樹に向かった。
(続く)
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探し求めた場所がまさかの何もない場所、と思いきや驚きの真実が……! うおーこういう展開!
一方その頃ハマり切っているアシャールさんが(^-^;
どちらの行方も(違う意味で)気になります。
一方その頃ハマり切っているアシャールさんが(^-^;
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Re: 椿さん
当初はテマの話をメインにするつもりがアトくんの話になってしまって。(^_^;)
あと36枚で伏線を全部回収して結末にもってこなくちゃならないのであわあわしてます(^_^;)
大丈夫なのかわたし。(^_^;)