荒野のウィッチ・ドクター(長編ファンタジー小説・完結)
荒野のウィッチ・ドクター(28)

28 対決
アトが正気づいたのは、口元に運ばれてきたはずの葉が、いざ噛みしめようというところで握りしめられたときだった。噛むたびに流れ込んでくる圧倒的な知識は、アトに奇妙な酩酊感を味わわせてはいたが、その裏で、奇妙な覚醒感も伴っていた。
覚醒している部分のアトの理性は、『なにかがおかしい』『危険』と告げていた。アトは戦士として生きる間に、その直感を信じることの重要性を徹底的に叩き込まれていた。
酩酊感は、『いいじゃないか、このまま、知識を味わおうぜ』といっていた。集中と弛緩を覚えているとおりに行うという、睡魔と戦うときと同様の手法にのっとった精神的努力によって、アトは誘惑を振り切った。
最初に聞こえてきた声。すぐに、それがあの村で自分を罠にはめ、テマを火だるまにしたあの男の声だということがわかった。
同時に、『自分は落ち着かねばならない』ということもわかった。理由はない。わかるから、わかるのだ。
集合的無意識。集合的防衛本能。特異な蛋白質を摂取し続けることにより高度に発達した脳が可能にする瞬間的な総合判断。
そうか、とアトは思った。そういうものだ、とわかる。『自分は知っている』のだから、当たり前のことだ。
アトは、その『瞬間的な総合判断』に従い、先ほどまでに自分が得ることができた知識の続きを語り続けた。『瞬間的な総合判断』の基である『集合的防衛本能』は、そうして時間を稼ぐことがこの場ではいちばん合理的なものであると告げていた。
さして苦ではなかった。あの一枚一枚の葉が自分に与えた知識の総量は、まる一日話していてもなお足りぬのではないかと思えるほど膨大なものだったのだ。
デムが自分の口の前で握りしめていたこぶしを開くのが見えた。
今が最好機だ、と『防衛本能』でアトは理解した。
アトは山刀を取ると跳躍した。
ポンチョの男は自分の盲目的な反射神経に頼るほど愚かではなかった。盲目的な動きは、それが自然だからこそ相手に読まれ対応される。
ならばどうするのが最上なのか。
技だ。習い覚えて自分のものにした曲刀の技、それは盲目的な反射運動よりもさらに自然な動きである。そうなるように先人たちが磨き上げた動きだ。
ポンチョの男は何も考えず、習い覚えたとおりに身体を動かした。
飛びかかってきた野蛮人の山刀の一撃を、ポンチョの男は金属のぶつかり合う音さえ立てずに、ふわりとそのまま受け流した。
曲刀の刃の上を滑るように、山刀の刃の勢いが殺されていく。
男は習い覚えたとおりに、何度となく練習したとおりに曲刀を動かし、最短経路で野蛮人の横腹を斬りつけにかかった。
アトは山刀をわずかに引き、その動きの中で、刃の峰でポンチョの男の顔を殴りつけにかかった。集合的無意識に蓄積された過去のあらゆる『刀を使った戦闘』の知識が、アトにその動きを取らせたのだった。
その結果どうなるかなど、いまのアトには考える気などない。
ただ動くだけである。
ポンチョの男は瞬間的に、野蛮人の振り回す山刀の峰が自分のあごを砕くほうが早いと悟り、わずかに身体を反らせた。山刀はぎりぎりでポンチョの男の顔面をかすめた。だが、その身体を反らせる行為により、ポンチョの男の曲刀も、ぎりぎりで野蛮人の腹をかすめるだけに終わった。
ポンチョの男はこの場合どうするかの技も心得ていた。大振りなどしない。野蛮人の腹をかすめたその刃の慣性を最大限に生かし、一歩踏み出して相手の腕を下から斬る。
「どうしよう」という理屈などない。技ではこうすることになっているからこうするのだ。それだけだ。
アトは足を滑らせたかのように大地に倒れた。
テマは悲鳴を上げた。
「……アト!」
ポンチョの男は自分の曲刀が空を斬るのを感じた。
愕然、としか形容できない感覚が頭を走った。
一対一の剣の戦いにおいて、己の刃が空を斬るなどということがあってはいけないのだ。斬るとしたら、実体のある何かでなくてはいけないのだ。
……いや、そんなことより技を!
ポンチョの男が、足首に燃えるようななにかを感じたのは次の瞬間だった。
アトは攻撃を受けて倒れたのではなかった。ポンチョの男の足元に自分から滑り込んでいったのだ。
滑り込む動きを利用して、アトはポンチョの男の足を薙ぎ払った。手ごたえがあった。
骨の砕ける音とともに、ポンチョの男が前のめりに倒れてきた。
自分が身体のバランスを失っていることを、そしてそのバランスを回復する方法がないことを理解しながら、ポンチョの男はぼんやりと、兵書の一節を思い出していた。
『常に上より下を攻めるべし』と兵書は説いていた。
『凡そ人は地に臥すことは可なれど空を飛ぶことは不可なり。よってよく戦う者は地に臥せて足を狙う。将たるものは備えとして……』
ポンチョの男の視線が青ざめたデムの姿をとらえた。
『……備えとして最も信頼できる者を側に配しておくことを忘るるべからず』
ポンチョの男は目を閉じた。
首に一撃。
そしてただ暗黒。
苦しい息の下、デムは信じられない思いで、あの無敵の「兄貴」の首が宙を舞うのを見ていた。
時間にして、自分の心臓が十打つ間もあっただろうか。剣を打ち合わせたのはわずか一回、後は野蛮人が滑り込んで兄貴の足を斬り、返す刀でバランスを崩したその首を斬った、それだけのことにすぎない。
だが、デムには自分がどれだけ剣を振るおうと、あのふたりのような戦いはできないということも悟っていた。動きにほんのわずかの無駄もない。自分とは戦いのレベルが違いすぎた。
死ぬ前に、すごいものが見られたのは、なにか天がおれに……。
目をつぶった瞬間、なにか柔らかくて温かいものが、毒で冷え切ったデムの身体に触れた。
デムは眠りに落ちた。
アトによって縛めを解かれたアグリコルス大博士は、しびれた手を振りながら、服を身にまとっているテマに向かっていった。
「テマくん、きみはほんとうに『医者』なんじゃなあ」
テマはぶすっとした顔で返した。
「あたしが医者じゃなかったら、いったい誰が医者なのよ。博士?」
「大博士じゃ!」
アトはそんなふたりを黙って見ていた。
アグリコルス博士は、幸せそうな面をして寝ている巨漢に目を移した。
「なにもこんなやつの手当てをしてやることもなかろうに」
テマは苦笑した。
「さっきからいってるように、あたしは医者なんだ。けが人や病人がいたら治す。それが仕事だ。それにしてもきつい毒だった。こいつが助かっただけでも、神のご加護というやつだろう」
「善行というやつかのう。アトを助けたことにザース神が恵みを垂れたのかもしれんな、わしは信者ではないが」
「ジャヤ神の恵みだったりしてね」
「めったなことをいうもんではない。生き残りがこの周りをうろついていたらどうするんじゃ」
アトは静かにいった。
「その心配はない」
アグリコルス大博士は疑わしそうに問い返した。
「やけに断定的じゃな。なぜわかる?」
「さっきもいったはずだ。三十年に一度、ここに定点観測にやってくるやつらがいる。そいつらが全部後始末をした」
「賢者たちが来るのか!」
「賢者といっていいものか……まあ、見たらわかる」
がさりと音を立てて、何かがやってきた。テマとアグリコルス大博士はそちらに目をやった。
それは妙にぎこちない動き方をする野蛮人の若者だった。アトたちを見ても、驚いた素振りのひとつも見せなかった。
アグリコルス大博士は叫んだ。
「賢者よ! またここに戻ってきたことをお許しください。どうしてもお知恵を拝借しなければならないことが……」
賢者は、その声には何らの関心も示さなかった。その代わりに、機械のように「精霊の恵み」の葉を一枚ちぎると、口に入れて噛み始めた。
『戦士よ、ついに来たか……』
野蛮人の言葉で、賢者は語った。その声は異様なまでに平坦だった。
『問う。世界はわれらが知恵を必要としているや否や?』
アトは答えた。
「おれには、その知恵は無用のものだと思える」
アグリコルス大博士はびっくりしたようにアトに向かって叫んだ。
「なにをいっておるんじゃ! わしらはなんとしてもこの麻薬禍から人間世界を」
「博士……」
テマはアグリコルス大博士の袖口を引っ張った。
「なんじゃ!」
「おかしいとは思わない? この男だけどさ、なにいってるかわからないけど、なんか、変なしゃべりかたじゃないの?」
「え?」
「なんか……ほら、旅の催眠術師が、夢うつつで人にしゃべらせる、あんな感じの抑揚だけど……」
「テマのいうとおりだ」
アトは暗い声でいった。
「さっきも話しただろう。『精霊の恵み』によってこいつは話しているんだ。話すというよりも、『決まった言葉に決まった言葉を返している』だけなんだ。つまり、こいつには……『意思』っていうものが、完全にないんだ。集合的無意識に従って反応しているだけなんだ。なにかの質問に答える、という能力は、二代前を最後として失われている」
沈黙がその場を覆った。
(続く)
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