ゲーマー!(長編小説・連載中)

    1983年(7)

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     時代は着実にファミリーコンピュータへと動いていた。

     繰り返すが、ファミコンの特徴は、徹底したグラフィック能力の強化にあった。

     全52色中25色同時表示可能。

     スプライトは水平に8枚まで表示することができた。

     当時の他の廉価なゲームパソコンが、16色表示などといっているのと比べるとまさに段違いであった。何しろ、当時のゲームセンターのゲームが、それとほぼ同等のクオリティで楽しめるのである。

     とりあえず、修也は両親にファミコンについて話を持ちかけてみようとした。

     両親のほうが一枚上手だった。

     家に帰ってくると、一冊の本がテーブルの上に置かれていた。

     「パソコンおもしろゲーム 2」

     タイトルはそう読めた。

     表紙のイラストを見て、修也はどきどきしながらページをめくった。

     イラストの通りだった。その本には、PB-100で遊べるゲームのプログラムが30本、ぎっしりと詰まっていた。

     修也はくらくらした。

     ファミコンなどの家庭用ゲーム機では、ひとつの問題がつきまとっていた。

     「ソフトが高価」なことである。1本につき4800円は必要なROMカセットを多数そろえるには、莫大な予算がかかる。ファミコン本体は14800円でも、「ポパイ」と「ドンキーコング」と「ドンキーコングJR.」と「マリオブラザーズ」を揃えただけで、合計額は30000円を軽く突破してしまうのだ。

     だがこの本があれば、30個のゲームカセットを持ったことと同様ではないか! しかも、改造でも何でもできるのだ!

     修也は嬉々として、PB-100のスイッチを入れると、さっそく「バトロイドバルキリー」なるゲームの入力を開始した。

     巨大ロボットが兵器として使われる戦争を描いたアニメ作品で「機動戦士ガンダム」の後継者ないしライバル的作品となったのは「超時空要塞マクロス」であった。特に作中に登場する「バルキリー」と呼ばれる戦闘ロボットは、その流麗な変形もあって、小学生の間でも人気があった。

     「パソコンおもしろゲーム 2」に載っていた「バトロイドバルキリー」は、それをもとにした、コクピット型のゲームだった。プレイヤーはバルキリーのパイロットとなり、ファイター、ガウォーク、バトロイドと変形しながら、敵(リガードだけではなく、たまにグラージも出てきて、グラージは点数が高かった)をスコープ内に追い詰め、接近して破壊するというものである。プログラムの量は1キロバイトほどだったが、それでもポケットコンピュータのキーボードから打ち込むにはかなりの時間がかかった。
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    ~ Comment ~

    Re: LandMさん

    2~3年のずれが大きいんですよ(^^)

    1984年になったらファミコンのソフトが質的のみならず量的にも圧倒的な優勢を見せるようになってきて、85年のスーパーマリオでセガやスーパーカセットビジョンをぶっちぎるわけですが、この時点ではまだそこまで行っていません。分水嶺はやはり「ゼビウス」の移植でしょうね。そのことについてはあとで書きます。

    修也くんは1984年に誰でも知っている「あの雑誌」と出会って、それから二年後に今度は誰も知らない「別な雑誌」と出会うのですが、この話はまた後で(笑)

    NoTitle

    私は昔からゲーム世代でしたけど、PC世代ではなかったですね。
    今でもそうですけど。。。
    この時代からパソコン世代rとは・・・!!!
    凄い子どもですねえ、、、。。。

    Re: らすさん

    思えばゲームソフトを年に何本も買えるようになったのは高校生になってからですね。それも「ゲームソフトの値段が凋落したから」というのがなんとも(^^;)

    大学に入ってようやく人並みに買えるようになりました。それも「ソフマップの中古センターにいつでも行けるようになったから」というのがなんとも(^^;)

    ちなみにファミコンでできる「ドアドア」は「ドアドアmkⅡ」だったりします。ドットが荒いPC-6001mk2で遊べるようにPC-8801のソフト「ドアドア」を改造したのが元のソフトです、って誰でも知ってるかそんなこと(^^)

    Re: ECMさん

    ポケコンだけあってバッテリバックアップは完璧なのが救いというかなんというか(笑)

    PBはPEEK命令やPOKE命令すら存在せず、完全にBASICしか使えないので、「暴走におびえながらダンプリストを入力しデバッグする」という恐怖からは無縁であったのが幸いであります。(^^;) シャープ系だったらパソコン恐怖症になってファミコン信者になっていたかもしれん(笑)

    Re: 椿さん

    ちなみにこの本は廣済堂出版社のもので、当時の価格でも2000円しませんでした。

    たぶん当時のPBユーザーはみんな持ってたんじゃないかと思います(^^;)

    ちなみにこの「バトロイドバルキリー」というゲーム、完全コクピット形式で、ゲーム中に「バルキリー」を思わせる戦闘機やロボットの画像は一切出てきません(笑)

    なにせアクションゲームですらない(笑)

    NoTitle

    こんばんは(*'ω')

    ファミコンソフトの値段は当時の小学生の小遣いでは、
    そうそう何本も買えるものではありませんでした。
    自分も年間3~4本買うのがやっとでした。
    当時はまだ中古店も(とりあえず町内には)ありませんでしたし…

    ソフトの値段が特に高かったメーカーが光栄、アスキー、
    エニックス辺りでしょうか。
    特に光栄の「信長の野望」とかは1万円台でしたからねえ。
    後に「ドラクエ」でブレイクするエニックスも、
    初期作品の「ドアドア」とか、
    あのシンプルな内容で妙に高価だったのを覚えています。

    NoTitle

     PB-100のボタンでは入力しづらいですよね。
     プリンタもカセットインターフェースも別売りだったし、プログラムを誤りなく入力するのは大変です。
     まあダンプリストの入力を延々するよりBASICのほうがましですが。

    NoTitle

    おお、すごい! 修也くんの親御さんさすが。
    そうですよね、もうパソコンを買ってあげてるんだから、この上ファミコンなんかねだられたらたまらないですよね(^-^;
    本をさりげなく置いておくというのも上手いですねえ。
    それにしても、30本というとずいぶんいろいろ遊べそうですね。

    バルキリーはカッコ良かったですが、初代マクロスというと未沙かミンメイかで友達とケンカしたことを思い出します(^-^; 
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