ささげもの

    カンポ・ルドゥンツの来訪者

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     シトロエンの運転席で、クレイ・ボーマンは、手慣れた様子でハンドルを切っていた。

    「カンポ・ルドゥンツへはあと三十分というところです」

     わたしはうなずいた。

     ボーマンはしばらく黙って運転を続けていたが、好奇心が抑えられなくなったのか、わたしに質問をぶつけてきた。

    「どうして、カンポ・ルドゥンツなんですか? 特にこれといって変わったところなど何もない村でしょう」

    「さあね。指定してきた『タイタン』本人にしかわからないだろうな。われわれのやるべきことは、可及的速やかに『タイタン』をロンドンに送り届けること、それだけだ」

     『タイタン』は暗号名である。本名をアレクセイ・アレクセイエーヴィチ・ブルシーロフというロシア人だ。三十年前はKGBの高官で、ソ連崩壊で亡命してくるまでは、ファーム、一般にはロマンチックにMI6として知られる、わたしが属する組織にとって有益な情報提供者だった。要するに二重スパイである。

     だが、ファームが求めているのは『タイタン』そのものではなかった。『ガーディアン』を自白させるための尋問役として、かつて上司だったブルシーロフの助力がどうしても必要なのだった。『ガーディアン』とは、三十年前ブルシーロフがファームに送り込んだという設定でこちらが作り上げた二重スパイ、アイク・ハブロックのことだった。その目的は偽情報を流してソ連を混乱させることにあった。

     ハブロックを介して、冷戦終結後もわれわれは偽情報をモスクワに流し続けてきたのだが、三か月前、ハブロックは偽情報に交えて、ファームの内部情報をモスクワに流していたことがわかった。ハブロックの忠誠はクレムリンにあったのだ。これはロンドンを震撼させる出来事だった。偽情報に紛れ込ませて.ハブロックが流した情報には、われわれの知る以上のCIAの極秘情報も含まれていたからだ。

     仲介役となったハブロックをどうするかよりも、喫緊の課題はハブロックにCIAの情報を流していた情報提供者を特定することであった。ハブロックは口が堅かった。その心理的な弱点を見つけて蹴り上げるためには、かつての上司のブルシーロフ、今は八十の坂をとうに越していた老スパイであるブルシーロフの協力がどうしても必要だった。

     スイスの片田舎に引きこもるように暮らしていたブルシーロフが協力の代価に求めたのは、この田舎町、カンポ・ルドゥンツでのプライベートな三日間だけであった。『タイタン』の住んでいる小屋からはスイスを四分の一は横断しなくてはなならない。八十の老人の要求にしてはあまりにも変わりすぎている。

     この村がKGBともCIAとも、もちろんファームとも、フランスのSDECE残党とも関係のないことはすでに調査済みだった。とにかく、あらゆる諜報機関とは縁のない村なのである。観光資源としても、その他のスイスの村と比べ、目立ったものはない。

     ブルシーロフの経歴もすべて洗ったが、この村を指定することにつながるような背景はなかった。

    「『タイタン』とのランデブー地点です」

     ボーマンはシトロエンを停めた。

    「わたしになにかあったら、きみはすぐにここを離れてバックアップチームのもとへ。『タイタン』は古狸だ。隠棲して三十年だが、注意を払えるだけ払ってしかるべき男だ」

     そういいおいて、わたしは車を離れた。

     わたしはコートの襟を立て、ランデブー地点に赴いた。

     老人が山を見上げていた。亡命時に整形手術を受け、ロシアにあるだろう顔写真とはまったく違う顔になったブルシーロフだった。

     老人はちらりとこちらに目をやると、また山のほうを見た。

    「ラティマ―か。モスクワとロンドンを往復するだけの若造だった時からまるで変わっとらん面をしておるな」

     ブルシーロフの声ははっきりしていた。

    「久しぶりですね、『タイタン』」

    「山は好きかね?」

     そういうと、老人は紙巻煙草を一本取り出し、口にくわえ、火をつけた。

     わたしは肩をすくめた。

    「海のほうが好きです。海は逃げようと思えばどこにでも逃げられる。それに対して山は、山頂に追い詰められたら後は死ぬのを待つだけだ」

     老人はわたしの答えには興味がないようだった。

    「『ガーディアン』と聞いたが」

    「クレムリン宛ての郵便物に、いたずらしていたことがわかりましてね。ひどいいたずらだ。ラングレー産の情報がそのままプーチンに筒抜けになっていた。結果として、ロシアに先手先手と手を打たれ、アメリカはシリアを失おうとしている。カンパニーは激怒。ファームはEU脱退騒動でもう残りかすみたいになっている威信をさらに失墜させた。ホワイトホールの面々はいい笑い者だ」

    「やれやれ。ハブロックのやつも、もっと利巧かと思っていたが」

     ブルシーロフはわたしに向き直った。

     わたしはこの老人の目からなにかを読み取ろうとした。なんでもいい、なにかだ。二重スパイとして長年生きてきたこの人生は、人間はどんな信義でも裏切れるということを教えてきただろう。老人はわれわれが考えるほど『ガーディアン』のことを知らないのかもしれない。老人は実はソ連崩壊後も母なるロシアに忠誠を誓う忠実なクレムリンのしもべであり、『ガーディアン』をロンドンに送り込んできたこと、それ自体がクレムリンの遠大な計画かもしれない。それ以前に、わたしが知らされていないだけで、『ガーディアン』の逮捕というイベントそれ自体が、ロシアにシリアに手を出させて、大義名分を作ってロシアに先制攻撃しようというワシントンの陰謀かもしれない。疑えばなんだって疑える。バスが赤いのは北京の陰謀だ、という主張を先週わたしはタブロイドの読者欄で読んだ。それと同レベルの話だ。

     わたしは老人に尋ねた。

    「どうして、このカンポ・ルドゥンツを選んだんです?」

    「特に意味はない、といったら、きみは信じるかね?」

     わたしには信じられなかった。ファームの誰もが同じ意見だろう。

    「山も見飽きた」

     老人は吸殻を携帯灰皿に入れた。

    「このわしが、この顔になってから、またロンドンへ行くとはな。諜報活動とは縁を切るために顔を捨てたのに」

     わたしたちは車に向かった。

     ブルシーロフとともにシトロエンの後部座席に乗り、わたしはボーマンにいった。

    「やってくれ」

     ボーマンはシトロエンのアクセルを踏んだ。

     わたしは老人に尋ねた。

    「ほんとうに、どうして、カンポ・ルドゥンツだったんですか?」

     老人は答えなかった。老人は眠っていた。


     ※ ※ ※ ※ ※


     八少女 夕さんのところのscriviamo! 2017参加作品。

     わたしはサディストの気があるのだろうか(笑)

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    ~ Comment ~

    Re: 夢月亭清修さん

    根がお調子者のウケ狙い人間なので、毎年八少女さんには迷惑かけてます(^^;ゞ

    最近はスパイ小説が面白くてたまらなくなり、ついこういうお題にしてしまいました。

    密室殺人事件が面白くてたまらなくなっていた精神状態でなくてよかったなあ、と思います(笑)

    これからもよろしくお願いします。

    初参加なら、コントロールはどうでもいいから、力いっぱい投げることですね。打つにしてもなんにしても八少女さんに全力を出させるようなボールを投げましょう(^^)

    NoTitle

    はじめまして^^夢月亭清修と申します。
    今回scriviamo!に初参加させていただきます。
    参考にと思い夕さんの作品とこちらの作品を読ませていただきました!
    リゼロッテの世界観とまるで違う種が芽吹いているというか、まさかスパイ小説とは…と吃驚してしまいました。笑
    スパイ系の小説は馴染みが無いのですが、雰囲気たっぷりで面白かったです^^

    Re: TOM-Fさん

    いま、レン・デイトンというスパイ小説の大家のライフワーク的長編スパイ小説読んでます。イギリス人的な人の悪さが炸裂している作品なのですが、なにしろ30年かけて書かれた、文庫にして10冊になんなんとする作品で、影響されやすいわたしはもろに影響されて(笑)。まず第一作から華麗な裏切りを決めてくれます。そこからは物語の迷路、誰が敵で誰が味方かもわからないパラノイアの世界です。いや、ニヤニヤが止まりません(待て)

    八少女さんにはいつも迷惑ばかりかけてます。挑戦はある程度歯ごたえがなくてはつまらん、とか考えるたちなので、ついついハードルを上げてしまうという……。

    ポルノ以外はなんでも書きますので、今から八少女さんのビーンボールが楽しみでなりません。わたしにはMの気でもあるのかな(笑)

    NoTitle

    執筆、お疲れ様でした。

    二重スパイに三重スパイとか、じつに複雑怪奇な構造ですねぇ。山西サキさんへの返信の解説を読んでも、こんがらがってしまいました。
    誰が味方で誰が敵か、どころか、言っていること自体もウソかホントかわからん、という世界ですね。ラティマ―の「疑えばなんでも疑える」という述懐が、タイタンの台詞やラストシーンすら、なにか謎めいたものに感じさせます。
    全編に散りばめられた専門用語やコードネーム、意味深な会話に、ワクワクさせていただきました。

    Re: 山西 サキさん

    二重スパイ、三重スパイが当たり前になると、陰謀も複雑になります。80年代ころの一時期のスパイ小説なんて、「だれが敵でだれが味方でどんな作戦が展開中なのか登場人物の誰も把握していない」というパラノイアのような感覚がみなぎってましたもん。(笑)

    今回のこの掌編における作戦はその中ではシンプルなものですが、それでも、敵スパイ組織に送り込んだ自分の組織のスパイを動かして、敵スパイ組織に自分のスパイ組織内に二重スパイを送り込ませる作戦を実行させて、その敵が「二重スパイ」と思い込んでいるスパイに敵スパイ組織を混乱させる情報を意図的に流す、という作戦を実行したつもりがその二重スパイは実は三重スパイだったことがわかった、というもので……なんか右手と左手でジャンケンしているみたいですね(笑)

    正月休みは、この手のスパイ小説の世界では「スパイ小説の詩人」と評されるレン・デイトンを読みまくってやろうと考え中。三が日が明けたら人間不信のかたまりになっていたりして(笑)

    Re: blackoutさん

    やっぱりこの手の単語が出てくるとウハウハしますよね(笑) いやー、わたし含め男って、「バカ」ですね(笑)

    しかしそれにしても流行らなくなりましたね、地味なスパイ小説。今のどうしようもない「大戦前夜」的な空気が漂う中ではもっと読まれていいと思うんですけど、映画でも「特殊部隊もの」とか「兵士もの」ばかりだし、もうなんというか……。

    Re: 八少女 夕さん

    常に人間は進取の心を忘れず(笑)

    いや、ここで練習しておくと役に立つかもしれないじゃないですか、将来、大道芸人たちが国際謀略に巻き込まれた時とかに(笑)

    ラングレーとはバージニア州にある町で、CIAの本部がありました。ですから馬とか車の名前ではなくて、「CIA」を指す隠語です。

    「カンパニー」は、イギリスの諜報機関を「ファーム」と呼ぶのと同じように、「CIA」のことを指す隠語です。

    いちおうスパイ小説のお約束(^^)

    ???

    うわあ~、もうすでにタイタン→アレクセイ・アレクセイエーヴィチ・ブルシーロフ(長い~)、そしてガーディアン→アイク・ハブロック?。
    え?KGBのブルシーロフが二重スパイ?ブルシーロフがファーム(これはMI6のこと?ということは我々側?)に送り込んだ?という設定でこちらが作り上げた二重スパイ?彼が裏切っていたの?え?だからどっち?
    で、タイタンって誰だったっけ?
    やっぱりポールさんはサディストです。気があるなんてもんじゃないですよ。
    でも、この頭がこんがらがるお話しを夕さんがどのように料理されるのか、楽しみです。
    ほんとにもうポールさんったら・・・カンポ・ルドゥンツに意味はあるのでしょうか?

    NoTitle

    いいですねぇ
    名だたる諜報機関のワードが出てきて、ウハウハしちゃいましたねw

    一説によると、亡命者って意外とイギリスにも多くいるらしいです
    あと、色々あった連中が包囲網をくぐって本国に帰るには、北欧のとある国を通すといいんだとか

    このサディストめ……

    こんばんは。

    あいかわらずの暴球で始めるのが、ポールさんクオリティだなあ。
    さすがにカッコいいスパイ小説。こういうの書けないんですよね〜。
    とはいえ、スルーするわけにはいかないので、頑張って考えます。期待しないでくださいね。
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