ウォーゲーム歴史秘話
八月の砲声・クリスマスまでの戦争
20世紀。それは列強の時代として幕を開けた。植民地と、そこから上がる多大な利権の分捕り合い。だが、地球は球形をしており、その大陸の面積は有限だった。列強の思惑は激突への緊張をはらんで推移し、やがて発火点を迎えるのだった。世界大戦の始まりである。
1914年8月2日。フランス・ベルギー国境付近に大軍を終結させたドイツ軍は、ベルギーに無条件通過権を要求した。それはベルギーおよびフランスにとって即座の軍事的敗北を意味するものであった。アルザス地方の要塞線に主力を集中していたフランス軍には、もしベルギー戦線が崩壊したら、防御のために展開できる兵力はなく、ドイツ軍はそのままパリに雪崩のごとく突進し、政府中枢を破壊されたフランスは戦争から脱落するであろうことが容易に予測できた。
この作戦こそ、ドイツ軍参謀総長であるフォン・シュリーフェンが立案した、「シュリーフェン・プラン」であった。だがその計画は、フランス軍諜報部を通じて、連合軍側の知るところとなっていた。連合軍は必勝の作戦を練り、ドイツ軍の侵攻に備えた。
1914年8月4日。ドイツ軍はルクセンブルクに進駐。

かくして西部戦線の戦端は開かれた。わたし、英国陸軍元帥ジョン・フレンチは、BEF(イギリス海外派遣軍)司令官として大陸に渡り、ドイツ軍の進撃に備えた……のだが。

まさか、「シュリーフェン・プラン」自体が連合軍側に流されたドイツ軍の陽動作戦だったとは。ドイツ軍はベルギー方面には若干の守備隊を残しただけで、ほぼ全軍を南方、アルデンヌ方面へ移動させた。アルデンヌの森林地帯からフランス南方への突破口を開き、展開することによりフランス軍を分断、各個に撃破する作戦と推察された。
8月10日。アルザスの要塞はドイツ軍の大軍により突破された。フランス軍は貴重な予備部隊である第4軍を急遽アルザス方面へ向かわせ、戦線の穴をふさいだ。北方からベルギー軍とわがBEFが、最先端の科学技術である蒸気機関車で、パリを経由してアルザス方面へ向かったが、戦力的な差は圧倒的といえるものがあった。

8月19日。連合軍はBEFとベルギー軍、それと無理やり抽出してきたフランス軍予備部隊をアルザス方面へ投入。戦線を強化した。

8月22日。単純計算でも3倍のドイツ軍を相手の戦闘により、わがBEFは大混乱に陥り総撤退する羽目になった。突出してきたドイツ軍に対する反撃も、いたずらにフランス軍の死者を増やすだけに終わった。
北方においてもドイツ軍が弱体なベルギー軍を攻撃して前進、予想外の展開にパリに守備隊を割かねばならなくなった。

8月25日。アルデンヌの森林地帯を突破し、連合軍の戦線を突破したドイツ軍は、圧倒的な機動力でフランス軍の後方を蹂躙し、戦略的な包囲状態を完成させた。フランス軍は総崩れとなり、8月30日、鉄壁の防御力を誇るはずだったパリは一切の戦火を受けることなく、講和条約の場となった。フランスはここに降伏し、敵中に孤立することになったわがBEFも同じく降伏した。ベルギーに至ってはいわずもがなである。
誰が信じられたろう、フランスはわずか3週間で崩壊したのだ。この奇跡的な作戦を立案したドイツ軍参謀総長ヘルムート・フォン・モルトケは一躍ドイツの英雄となり、わたしは捕虜収容所でドイツの大軍がロシア方面へ向かう列車に乗っているのをただただ茫然と見守っている。後顧の憂いがなくなったドイツ軍はロシア軍を圧倒するであろう。
回想録もここで終わらせたほうがよさそうだ。医者に話せば青酸カリのタブレットをすぐに用意してくれるだろう。
いったいどこで間違ったのだ。
1914年9月1日 元英国陸軍元帥 ジョン・デントン・ピンクストン・フレンチ
1914年8月2日。フランス・ベルギー国境付近に大軍を終結させたドイツ軍は、ベルギーに無条件通過権を要求した。それはベルギーおよびフランスにとって即座の軍事的敗北を意味するものであった。アルザス地方の要塞線に主力を集中していたフランス軍には、もしベルギー戦線が崩壊したら、防御のために展開できる兵力はなく、ドイツ軍はそのままパリに雪崩のごとく突進し、政府中枢を破壊されたフランスは戦争から脱落するであろうことが容易に予測できた。
この作戦こそ、ドイツ軍参謀総長であるフォン・シュリーフェンが立案した、「シュリーフェン・プラン」であった。だがその計画は、フランス軍諜報部を通じて、連合軍側の知るところとなっていた。連合軍は必勝の作戦を練り、ドイツ軍の侵攻に備えた。
1914年8月4日。ドイツ軍はルクセンブルクに進駐。

かくして西部戦線の戦端は開かれた。わたし、英国陸軍元帥ジョン・フレンチは、BEF(イギリス海外派遣軍)司令官として大陸に渡り、ドイツ軍の進撃に備えた……のだが。

まさか、「シュリーフェン・プラン」自体が連合軍側に流されたドイツ軍の陽動作戦だったとは。ドイツ軍はベルギー方面には若干の守備隊を残しただけで、ほぼ全軍を南方、アルデンヌ方面へ移動させた。アルデンヌの森林地帯からフランス南方への突破口を開き、展開することによりフランス軍を分断、各個に撃破する作戦と推察された。
8月10日。アルザスの要塞はドイツ軍の大軍により突破された。フランス軍は貴重な予備部隊である第4軍を急遽アルザス方面へ向かわせ、戦線の穴をふさいだ。北方からベルギー軍とわがBEFが、最先端の科学技術である蒸気機関車で、パリを経由してアルザス方面へ向かったが、戦力的な差は圧倒的といえるものがあった。

8月19日。連合軍はBEFとベルギー軍、それと無理やり抽出してきたフランス軍予備部隊をアルザス方面へ投入。戦線を強化した。

8月22日。単純計算でも3倍のドイツ軍を相手の戦闘により、わがBEFは大混乱に陥り総撤退する羽目になった。突出してきたドイツ軍に対する反撃も、いたずらにフランス軍の死者を増やすだけに終わった。
北方においてもドイツ軍が弱体なベルギー軍を攻撃して前進、予想外の展開にパリに守備隊を割かねばならなくなった。

8月25日。アルデンヌの森林地帯を突破し、連合軍の戦線を突破したドイツ軍は、圧倒的な機動力でフランス軍の後方を蹂躙し、戦略的な包囲状態を完成させた。フランス軍は総崩れとなり、8月30日、鉄壁の防御力を誇るはずだったパリは一切の戦火を受けることなく、講和条約の場となった。フランスはここに降伏し、敵中に孤立することになったわがBEFも同じく降伏した。ベルギーに至ってはいわずもがなである。
誰が信じられたろう、フランスはわずか3週間で崩壊したのだ。この奇跡的な作戦を立案したドイツ軍参謀総長ヘルムート・フォン・モルトケは一躍ドイツの英雄となり、わたしは捕虜収容所でドイツの大軍がロシア方面へ向かう列車に乗っているのをただただ茫然と見守っている。後顧の憂いがなくなったドイツ軍はロシア軍を圧倒するであろう。
回想録もここで終わらせたほうがよさそうだ。医者に話せば青酸カリのタブレットをすぐに用意してくれるだろう。
いったいどこで間違ったのだ。
1914年9月1日 元英国陸軍元帥 ジョン・デントン・ピンクストン・フレンチ
- 関連記事
-
- 「シュリーフェン・プラン」季刊タクテクス誌No.7付録
- 八月の砲声・クリスマスまでの戦争
- 撮影ノート
スポンサーサイト
もくじ
風渡涼一退魔行

もくじ
はじめにお読みください

もくじ
ゲーマー!(長編小説・連載中)

もくじ
5 死霊術師の瞳(連載中)

もくじ
鋼鉄少女伝説

もくじ
ホームズ・パロディ

もくじ
ミステリ・パロディ

もくじ
昔話シリーズ(掌編)

もくじ
カミラ&ヒース緊急治療院

もくじ
未分類

もくじ
リンク先紹介

もくじ
いただきもの

もくじ
ささげもの

もくじ
その他いろいろ

もくじ
自炊日記(ノンフィクション)

もくじ
SF狂歌

もくじ
ウォーゲーム歴史秘話

もくじ
ノイズ(連作ショートショート)

もくじ
不快(壊れた文章)

もくじ
映画の感想

もくじ
旅路より(掌編シリーズ)

もくじ
エンペドクレスかく語りき

もくじ
家(

もくじ
家(長編ホラー小説・不定期連載)

もくじ
懇願

もくじ
私家版 悪魔の手帖

もくじ
紅恵美と語るおすすめの本

もくじ
TRPG奮戦記

もくじ
焼肉屋ジョニィ

もくじ
睡眠時無呼吸日記

もくじ
ご意見など

もくじ
おすすめ小説

もくじ
X氏の日常

もくじ
読書日記

もくじ
自明の殺意

もくじ
断章200

もくじ
噓日記

~ Trackback ~
卜ラックバックURL
⇒
⇒この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
~ Comment ~