ゲーマー!(長編小説・連載中)

    1984年(6)

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     20万円……。

     今も昔も、普通の小学生が到達できる金額ではない。世の中は好景気にわいていたが、できることとできないことはあるのだ。

     修也はとりあえずゼビウスはあきらめ、広告を丹念に読んでいった。

     ゼビウスやナムコにとどまらぬ、聞いたことのないようなたくさんのアクションゲームがあった。

     ゲームセンターにあるゲームとしてはコナミの「タイムパイロット」や「ハイパーオリンピック」があったし、タイトーの「フロントライン」や「ちゃっくんぽっぷ」があった。修也は「ちゃっくんぽっぷ」に登場する主人公キャラクター「ちゃっくん」や敵キャラクター「もんすた」の秀逸なデザインにびっくりした。

     アメリカからのゲームの移植作もあった。コンプティーク社(角川書店の同名の雑誌ではない。このころにはまだ創刊すらされていないのだ)の「バルダー・ダッシュ」「ブルース・リー」「スワッシュ・バックラー」や、ポニカの「デカスロン」「キーストンケーパーズ」「ビームライダー」「リバーレイド」といったアップルやコモドールからの移植品はなんともエキゾチックで奥深いものに思えた。

     国産のオリジナルアクションゲームも多種多様だった。修也は「サンダーフォース」のグラフィックに驚き、そして「ジェルダ」のワイヤーフレームによる神がかり的な3D映像に魂を持っていかれそうになった。ワイヤーフレームとは、立体を構成する「外枠」だけを直線で処理して、いわば針金細工のように三次元の映像画面を作るテクニックのことである。この時代、「ポリゴン」という言葉はまったく一般には知られていないのだ。

     しかしその中でもいちばん目を見張らされたのは、「アドベンチャーゲーム」だった。昼間から果てしなく遊んだ「ペーパーアドベンチャーゲーム」により、修也は「アドベンチャーゲーム」の面白さを十分すぎるほど学んでいた。

     ラポートが「機動戦士ガンダム」「翔べ、ガンダム!」を出していた。

     T&Eソフトが、「惑星メフィウス」「暗黒星雲」を出していた。

     ハドソンが「サラダの国のトマト姫」「デゼニランド」を出していた。

     マジカルズゥは「黄金の墓」「続・黄金の墓」「ムー大陸の謎」「ピラミッドの謎」をそろえていた。

     すべてのタイトルがぞくぞくするほど蠱惑的だった。CGはどれもこれも映画のワンシーンのように思えた。そこに、自分でパソコンから命令を打ち込むと、その通りにゲームが進むのだ。無数の画面の中、実際に主役となってそのまま冒険ができるのだ。

     修也は今すぐにでもその冒険の中に飛び込みたくて仕方がなかった。
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    ~ Comment ~

    Re: LandMさん

    その感情を追求した結果が「あれ」になるわけですが、「あれ」については後述します。とはいってもバレバレだけど(笑)

    NoTitle

    ああ、そうそう。
    自分が主人公!!
    そういう感情になれるのが昔のゲームであり、
    子ども心を誘う物でしたよね。

    Re: 椿さん

    情報収集というより、当時の広告を思い出して書いているだけなんですけどね(^^;)

    この辺りから、日本のパソコンゲームは爆発的にポピュラーなものになっていくんですよ。T&Eソフトが作り出した「あれ」は、ナムコの作り出した「あれ」と一緒になって、ゲームというものを根本から変えてしまうことになるのですが、それはまた次回。

    NoTitle

    これだけ情報収集してるのもすごいですね。
    コンピューター博士と呼ばれそうです。
    思えばこの頃の自分は、ゲームとほぼ無縁な生活をしていたなあ…… たまに妹とボードゲームをしたりトランプをしたりした程度で。
    同じ時代を生きていても見ている世界はずいぶん違うものだと思うと面白いです^^
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